第15話 勝つための教室
王立魔法学園には、奇妙な噂があった。
朱雀祭で優勝したければ、グラディウス教授の指導を受ければいい。
ただし、その指導に最後までついていける者は、ほとんどいない。
古代魔術と魔法安全学を担当するエルフの老教授は、厳格なことで知られていた。
怒鳴ることは滅多にない。
生徒を侮辱することもない。
ただ、できていないことを、できていないと言う。
それがどれほど残酷なことか、生徒たちはよく知っていた。
そして、その老教授の前で、五人の生徒が訓練を続けていた。
「遅い」
アレクシスの声が、訓練場に響いた。
「オスカー、貴様の防御が半拍遅れた」
「分かっている」
「分かっていて遅れるなら、なお悪い」
オスカーの眉がぴくりと動いた。
「随分な言い草だな。お前の攻撃に合わせるのが、どれほど難しいと思っている」
「難しいから練習しているんだろうが」
「……まったく、可愛げのない男だ」
向こう側で、ルシアンが肩をすくめた。
「まあ、平民の寄せ集めなら、今ので十分な連携と褒められるだろうがね」
「ルシアン」
エミリアが、にっこり笑った。
「今の発言、もう一度グラディウス先生の前で言ってみる?」
「……冗談だ」
「でしょうね。あなた、そんなつまらない冗談を言う人じゃないもの」
ルシアンは口を閉じた。
エミリアは何事もなかったように、手元の記録用紙へ視線を戻した。
「オスカーの防御は、三回目から安定しているわ。
問題は、その直前にアレクシスの攻撃範囲が広がることね」
「俺のせいだと言うのか?」
「そうは言ってないわ。攻撃範囲が広がるなら、オスカーが動き始める位置を変えればいいだけよ」
「なるほど」
テオドールが、横から記録をのぞき込んだ。
「それなら僕が間に入ろうか。オスカーが防御を展開するまで、少し時間を稼げると思う」
「貴様にできるのか?」
「たぶんね。あまり長くは持たないけど」
「なら、やってみろ」
アレクシスは即答した。
テオドールは苦笑しながら、訓練場の中央へ歩いていった。
エミリアは、その背中を目で追った。
それから、記録用紙に何かを書き加えた。
次の訓練では、連携が見違えるほど滑らかになった。
アレクシスの攻撃が前方の標的を粉砕する。
直後、テオドールが魔法を展開し、わずかな隙間を埋めた。
その間にオスカーが防御陣を完成させる。
ルシアンの追撃が、残った標的を正確に撃ち抜いた。
「よし」
アレクシスが満足げにうなずく。
「最初からこうすればよかったんだ」
「最初から分かっていたら、練習はいらないでしょう?」
エミリアが笑った。
「それもそうだな」
アレクシスはあっさり認めた。
こういうところは、妙に素直だった。
「しかし、テオドール。貴様は便利な男だな」
「褒めてくれているんだよね?」
「当然だ。あの隙を埋められる者は、そう多くない」
「それは光栄だね」
テオドールは軽く頭を下げた。
エミリアが口を挟む。
「便利って言い方はどうかと思うけど、確かに助かったわ。ありがとう、テオ」
「どういたしまして」
彼はいつものように笑った。
「そこまで」
訓練場の端から、落ち着いた声が響いた。
グラディウスだった。
五人はすぐに姿勢を正した。
「連携は改善された。特に、テオドールの介入は適切だった」
「ありがとうございます」
「だが、アレクシス」
「はい」
「君は、先ほどの攻撃で何を得た?」
「前方の標的をすべて破壊しました」
「それは見れば分かる。神舞戦であれば、何点に相当する?」
アレクシスは慎重に答えた。
「……標的の配置によります」
「そうだ」
グラディウスはうなずいた。
「敵選手から一本を取っても、得点は二点。だが、玉宝を破壊されれば、その時点で負けだ」
老教授は訓練場の床に描かれた線を指した。
「君が攻撃範囲を広げた瞬間、こちらの玉宝へ通じる経路が開いた。相手がそこを狙えば、どうなる?」
「テオドールが防ぎます」
「そのテオドールが別の敵に拘束されていたら?」
「……オスカーが対応します」
「では、オスカーが間に合わなければ?」
アレクシスは黙った。
「攻撃力は十分だ。だが、十分であることと、最適であることは違う」
「……はい」
「君には、勝つ力がある。だからこそ、勝ち方を考えなさい」
アレクシスは深く頭を下げた。
「承知しました」
グラディウスは次に、オスカーへ視線を向けた。
「オスカー。君の防御が遅れた理由は、理解しているかね?」
「術式の展開速度が足りませんでした」
「違う」
即答だった。
「君は、アレクシスの攻撃が終わってから防御を始めようとしている。
だが、彼の攻撃は毎回同じ速度ではない」
「……はい」
「君が合わせるべきなのは、攻撃の終了ではない。開始の兆候だ」
オスカーは目を見開いた。
「攻撃が始まった時点で、次の動きを予測するのですか」
「そうだ。君にはそれができる」
グラディウスは淡々と言った。
「できることを、できないと思い込んではいけない」
オスカーは視線を落とし、指摘された動きを頭の中で確かめた。やがて、深くうなずいた。
「……ありがとうございます」
ルシアンが小さく笑った。
「よかったな、オスカー。ようやく褒められたじゃないか」
「貴様も次は指摘されるぞ」
「望むところだ」
二人は互いに鼻を鳴らした。
エミリアは、その様子を見て笑みを浮かべた。
「じゃあ、次は二人の連携も確認しましょう。せっかく先生が教えてくださったんだから」
「当然だ」
「異論はない」
話はそれでまとまった。
休憩時間になっても、アレクシスは訓練場を離れなかった。
ひとりで術式を組み直し、先ほど指摘された攻撃範囲を何度も確認している。
壁際では、ルシアンとオスカーが銀色の魔法薬の小瓶を飲み干していた。
エミリアも同じ物を一本あけ、空き瓶を鞄にしまう。
テオドールも腰を下ろしたまま、皆に無造作に倣った。
「相変わらずだね、彼は」
エミリアも隣に腰を下ろした。
「そうね。あれだけ練習して、まだ足りないと思っているんだから」
エミリアはテオドールを横目で見た。
「あなたは練習しなくていいの?」
「僕はもう十分頑張ったよ」
「そう?」
「そうだよ」
テオドールは笑った。
エミリアは少しだけ彼を見つめた。
「……まあ、いいけど」
「何?」
「何でもないわ」
彼女は立ち上がった。
訓練場の中央では、アレクシスが再び魔法を放っていた。
今度は、攻撃範囲がわずかに狭くなっている。
「見て。もう直してる」
「本当だ」
「すごいわね」
「うん。アレクシスは、本当に努力家だよ」
テオドールの声には、皮肉がなかった。
訓練が終わったあと、アレクシスはグラディウスのもとを訪れた。
「先生」
「何かね」
「今日の指導について、一つ伺いたいことがあります」
「言ってみなさい」
「努力しても結果が出ない者を、どう評価すべきなのでしょうか」
グラディウスは、すぐには答えなかった。
「君はどう考える?」
「努力が足りないか、方法が間違っているか。そのどちらかです」
「なるほど」
「違いますか?」
「完全に間違いとは言わない。だが、それだけではない」
老教授は窓の外へ目を向けた。
「人には、それぞれ異なる資質がある。適した方法も、伸びる時期も違う。
結果が出ないからといって、努力していないとは限らない」
「しかし、結果がすべてではありませんか」
「競技では、そういう面もある」
グラディウスは静かに答えた。
「だが、教育は競技ではない」
アレクシスは黙った。
「君は優秀だ。努力もしている。私はそれを高く評価している」
「ありがとうございます」
「だからこそ、自分にできることが、他人にも同じようにできるとは考えないことだ」
アレクシスは軽く眉をひそめた。
「……難しいですね」
「難しいとも」
グラディウスは微笑んだ。
「教師を百年以上続けていても、難しいことだ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてアレクシスが尋ねた。
「先生ほどの方でも、理解できない才能に出会ったことがあるのですか?」
グラディウスは、わずかに目を細めた。
「……あるとも」
「先生の想像を超えるような?」
「そうだね」
老教授は、それ以上語らなかった。
アレクシスも、それ以上は尋ねなかった。
窓の外では、夕日が訓練場を赤く染めていた。
その光の中で、チームメイトたちが帰り支度をしている。
ルシアンとオスカーは何か言い合っていた。
エミリアが笑いながら二人の間に入り、テオドールが荷物を持って歩いていく。
ほかの仲間たちも、きつい練習の後なのに熱心に戦術論を戦わせている。
アレクシスは、その姿をじっくりと眺めた。
「先生」
「何かね」
「今年の朱雀祭、必ず優勝します」
グラディウスは静かにうなずいた。
「期待しているよ」
アレクシスは満足げに一礼し、仲間たちのもとへ向かった。
その背中を、グラディウスはしばらく見送っていた。
若者たちの声が、夕暮れの訓練場に響いていた。
その声を聞きながら、老教授は、かつての教え子を思い出していた。
彼にも、明るい未来が待っていると信じていた。
---第15話完---




