第23話 カトゼ大神宮の大祭主
鳥居を潜った私の目に入ったのは、その先に広がる広大な外苑だった。ここは、百花門と王宮の間にある広場程度にはあるだろう。その中に、根の周りに苔の生えた巨木や池、石造りの小屋が幾つも点在していた。見慣れた風景だ。小屋は、馬が入った御厩や、手を清める水盤舎などになる。
この外苑を、石段だった道が今度は石畳になって、そのまま長い参道として続く。両脇を守るように灯篭の列も並んでいるね。そして、この道の行き着く先には、不揃いの石で組み上げた石壁があった。
厚みは、王宮を取り囲む内壁と同じくらいで、高さは半分程度。そんなに高くない。ただ、一直線なので長さはこっちの方があるように思える。端も見えないし。大神宮を取り囲む林にまで伸びているんだよね。だから見えなくなってる。
参道は、ここからその石壁の真ん中にあるよう聳える神門まで続いている。この神門は、左右に門柱があるだけが、両開きの扉を閉じれば、大鳥居と同じくらいにはなるか。
門柱は、『天鸞』と呼ばれる、片翼の鳥を模した白い石像と黒い石像だ。この像が、左右の門柱になってそれぞれ護っている。翼は、門の外側へ向けるように広げられていた。
カトゼの本殿や各神宮は、あのさらに奥となる。今は閉められて見えないけどね。神宮は、ここからでも聳え立つ十二色のその姿が、全部見えるんだけど――。
「あれ?」
私は、外苑の中ほどに、何やら大勢の人間が固まり集まっていると、すぐに気付く。色は様々だが、皆、懸け衣の袴姿。カトゼの者たちのようだった。その中には、藍色の丸太のような柱も見える。
「何か一杯いるな。警戒しているの?」
「あー……。いえ、そういう訳じゃないんですけど……」
尋ねれば、オウサが気まずそうに答えた。違う? しかし、物々しい雰囲気を感じるんだが……。そう思わせる一番の理由は、皆、険しい顔して抜身の刀や剣、槍なんかを持ってるからだ。これが朝日に当たる事とも相まって、ギラギラとどぎつく光っているように見える。やっぱり、警戒してんじゃないの?
「はあ……」
傍にいるキルサが、げんなりと溜息を吐く。ああ、なるほど。そういう事か。今ので察した。
「では、参りましょうか……」
そして、シヴァルイネの剣呑なこの背中……。間違いなさそうだ。私たちは、そんな彼女の後に続いて参道を進んでいった。
程なくして、外苑の中ほどに出来た人だかりへと辿り着いた。その縁にいる者が私たちに気付き、順に一礼していく。そして、道を開けてくれた。すると、その先に現れたものがある。
太さも高さも、此咬みの半分程度。藍色をした柱のようなもの――あれは『八咫の棍』という金砕棒の一種だ。それが、地面に突き刺さっている。そして、その棍に鎖で何重にも巻かれ括り付けられている、白髪の爺の姿があった。
威厳がありそうだと錯覚させるその顔が、今は暗くぐったりとしている。だが、可哀想だとは全然思えない。その顔が、私の姿を見るや否、希望でも見出したかのように明るくなる。
「おお! 姫様!」
顔の輪郭に沿うように短く生えた顎鬚と口髭。口許だけぽっかり空いたように見えるその髭は、無駄に手入れされ整えられている。髪も肩辺りまで伸びていて、無駄に長い。だが、こちらも手入れをしているのか、ぼさぼさとはしておらず、無駄に清潔感はある。
前髪は、左右一房ずつだけ垂らし、後ろには、三つ編みが一本あった。この三つ編みだけ、無駄に一段と長い。縄を二、三本束ねた程度の太さで、一度折り曲げて紐で結び、それから背中の辺りまで垂らしている。
体格はオウサぐらいか。ただ、爺のくせに筋肉は無駄にあるから、少し大きく見える。それでも、イージャンには届かないけど。
着ているのは、白の懸衣。お腹の辺りには、銀色の鳥が花吹雪のように舞う刺繍が入っている。それが巻かれている鎖の間から少しだけ覗いていた。
下は、銀糸を使い裾に草花の模様をあしらった灰色の袴。黒の革草履。そして、袴と同じような模様を金糸の刺繍で縁取り、白地に黒の格子模様が入った外套を羽織っている。
「姫様、助けてくだされええええ!! 皆が儂をいじめるんじゃよおおおう!」
そんな風体でジタバタともがきながら、情けない声を上げているこの爺が、カトゼ大神宮の大祭主バテンノ。身だしなみに気を遣い、エロ格好良い爺を目指すと公言して憚らないが、そんな無駄な事はどうでもいい。こいつは、女性の下着にも平気で手を出す、只の変態エロ爺だ。
ぐるぐる巻きにされた鎖の束は、エロ爺がいくら動いても、びくともしない。その周りを、カトゼの者たちが武器を手に持ち取り囲んでいた――。これは間違いなく、逃げ出さないように監視しているのだろう。つまり、刑の執行を行っている最中だという事。
その証拠と言うべきか、周りにいる皆が、先生に対して申し訳なそうな顔をしている。遅かったか……。シヴァルイネの言った大丈夫とは、もう大丈夫だという事だ。再犯は出来ないが、一度目は――。
「先生……。どうぞ……」
「うむ……」
恐らく同じ結論に達したのだろう。私は、額に血管が浮き出ている先生に、八千穂此咬みを手渡した。それで気配を察したのか、周りにいたカトゼの武人たちが、ぞろぞろと動き場所を広げるように空ける。脇に避けていった。
先生は、巨木のような此咬みを銀腕となった両手で掴み、高く持ち上げる。エロ爺は、それで不穏な空気を察したらしい。血の気が引き表情が歪む。
「お、おい。何をする気――」
「ふん!」
先生は言葉を遮り、爺目掛けて此咬みを一気に振り下ろした。
「ぎゃあああああああ――!?」
爺の叫び声とその姿は、大地を粉砕する音と、噴き上げた土埃で掻き消えた。だが――。
「ちっ。外れたか……」
思わず舌打ちをしてしまった。爺には当たっていない。ぎりぎりの所を掠めただけだ。先生も甘いな。わざと顔面すれすれを狙ってたもの。一応、釈明でも聞くのかな?
「ごほ! ごほ――!」
土埃の中に見える黒い影が、何度か咳をして動く。そして、辺りが晴れると、此咬みの先端が爺の足元にめり込んでいた。その周りの地面は砕けて割れている。やはり当たってはいない。
「こりゃあ、シドー! 何するんじゃい!」
「喧しいわ、このくそ爺が! ローリエに何をした!?」
「な、何の話じゃ!?」
ぎょっとした表情の後で、目が泳ぎしどろもどろ。有罪確定。釈明の必要なし。やはり、叩き潰すか。シビアナは関係なかったな。今日がお前の命日だ、エロ爺。
「大丈夫です、シドー様」
シヴァルイネが、ずいっと先生の隣に並んだ。
「バテンノ様には、何もさせておりません。ローリエ殿は無傷です」
ほっ。何だ良かったよ。大丈夫とは、ちゃんとこういう意味だったみたい。
「ほら見ろ! シヴァルイネが、こう言っておるじゃろが! 濡れ衣も甚だしいわい!」
「む……」
援護を貰い強気になるバテンノ。先生は、自分に非があると思ったのか、威勢を削がれ少し怯む。しかし私は違う。アホか。それでも有罪は確定してんだよ、エロ爺。
「ただ、彼女のお尻を触ろうとしましたから、皆で取り押さえましたが」
シヴァルイネが、すぐに補足を入れた。ゴミを見るような目で、バテンノを見下しながら。ほらね。じゃないと、あんな顔もしないし、こんな拘束もしないって。
「こ、こりゃあ! シヴァルイネ! 余計な事を言うんじゃない!」
「やっぱりか! このくそ爺!」
先生が、再び憤怒の形相に変わる。
「未遂じゃ未遂! 触っておらんわ!」
黙れ。やろうと行動に移したら、もうそこで有罪なんだよ。
「じっちゃん。今回は、そういう理由だったのか……」
「はあ……。あのまま頭をかち割られて、血を大量に噴射して、死ねば良かったのに……」
オウサが呆れ気味に、キルサは投げ遣り気味で呟く。今回は、この子の言い様に同意せざる得ないな。
それから、シヴァルイネが一つ溜息を吐く。そして、淡々と補足を続けてくれた。
「こうして、どうにか捕縛したのはいいものの――。このままでは同じことの繰り返し。そこで合議の結果、この場にて拘束。見張りも、大宮司を含め不寝番で対応致しました」
あ、ホントだ。大宮司じゃん。私の知ってる顔ばかり。オウサ達の叔父もいる。彼らは私と視線が合うと、恭しく一礼をして返す。
「ま。ともあれ、未然に防いだのは本当ですので、ご安心を。――誰か! ローリエ殿を!」
シヴァルイネが叫ぶと、その言葉に従い何人かが神門へ向かって走り出した。
「先生。私たちも行きます?」
ここにいて待つより早いだろうし。
「そうだな……」
「あ、いえ。シドー様、姫様」
私たちも、神門に向かって歩き出そうとすると、シヴァルイネが呼び止めた。
「彼女は、すぐだと思います。それに行き違いになってもいけませんし、ここで待たれた方がよろしいでしょう」
確かに。行き違って会えなくなるのは、頂けないな。
「じゃ、待ちましょうか先生?」
「うむ」
シヴァルイネに言われて、ローリエが来るまで待つことにした私たち。しばらくすると、こちらに向かって来るカトゼの武人が一人いた。左手には、両刃の短槍を持っている。オウサたちの叔父で、ササレクタの至極天を納める『稲里神宮』の大宮司、ヒュースレーだ。
眼鏡を掛けて糸目だが、どことなくオウサに似ているね。髪色も同じだし、髪型も少し長めなだけだから。性格は、全然違うんだけど。着ているのは、縁が白い模様――あれは稲穂だったか。その模様がある黄色の外套を羽織っている。これ以外は、似たようなものだ。
「シドー様、殿下。おはようございます」
「ああ。おはよう」
「おはよ。ヒュースレー」
「朝早くから申し訳なく――」
挨拶を返すと、ヒュースレーが頭を下げた。それに、先生が首を振る。
「いや、気にするな。悪いのはあそこにいる、くそ爺だからな」
全くもって、その通り。
「何じゃと!?」
話が聞きいていたのか、バテンノが憤慨したように叫ぶ。
「事実だろうが!」
先生がすぐさま突っ込み返した。全くもって、その通り。
「全く……。本当に、リリシーナが言った通りの事を、しでかしていようとは」
「ぐぬぬぬぬ――!」
バテンノが悔しそうに唸り、先生と睨み合う。
「はははは……」
それを見ていたヒュースレーが困った顔をして、言葉を濁すように笑った。いや、ホントさあ、笑い事じゃないって。カトゼは、大祭主の任を変えることを本気で考えるべきだよ。この爺の孫にでもね。その孫は、今、天鸞甘楽にいる。早く代わりを立てて戻ってこないかなあ。ま、それはさて置き。
「ヒュースレー。ササの至極天は任せていいか?」
大宮司である彼がいれば、私が持って行くまでもない。
「はい、勿論です。オウサ、キルサ。後で一緒に持って行きましょうね」
「うっす!」
「分かったわ」
「二人とも、頼むね」
『はい!』
私からもお願いすると、声を合わせて答えてくれた。そして、それからすぐに神門の方から、扉の開かれる音が聞こえてくる。気付いた私たちが扉を見やると、その隙間から一人の女の子が慌てた様子で、カトゼの者たちと連れ立って出て来た。おお、本当にすぐに来たね。
白の長袖に、膝辺りまである紺色の腰巻。靴は茶色の革草履だ。白衣は着ていない。それだけでも印象は違ってくる。昨日より女の子らしく見えた。
茶色い髪は、頭の天辺あたりで纏めて三つ編みにして、背中の方に垂らしている。そして、前髪は左右に分けられ、綺麗なおでこが目一杯出ている可愛い女の子。ローリエだ。
彼女は、私たちの姿を見付けると――、いや私たちじゃなくて先生だね。視線が真っ直ぐ向けられていた。そのまますぐに走り始める。
「む――!?」
いきなり先生がびくっと体を震わせた。ああ、つまずいて転げそうに――。石にでも当たったか、ローリエがつんのめりになったのだ。でも、大丈夫。何とか持ち堪えて走ってくる。先生も息を吐いてほっと一安心。ふふっ。そういえば、あの子はあんな感じだったね。昨日の事を思い出しながら、私も先生たちと共に彼女へ向かって歩き出した。
「はあ、はあ――! シドー様! シドー様!!」
か細い腕を一生懸命に振りながら、ローリエが息を切らして走ってくる。と、止まれるのか? 間近に迫っているのに、その気配がまるでしない。逆に、そのまま先生の胸の中に、飛び込まんとするぐらいの勢いを感じる。
いや、それならそれで、別に構わないんだけど――。ただ、ここには大勢の人間がいるわけだし、今は良くても後から恥ずかしくなるんじゃないかなって。だが、これは杞憂だった。私たちの目の前に来ると、どたどたと足を踏み鳴らしながら一気に止まる。
「ロ、ローリエ。大丈夫か?」
肩で激しく息をする彼女に、先生が心配そうに声を掛けた。
「はあ、はあ――! はい! はい! 私は大丈夫です! はあ、はあ――! ここの方たちが守って下さいました!」
うん。そういう意味で聞いたんじゃないと思うんだけどね? でも、ま、いっか。先生も、嬉しそうな苦笑いをしているだけで、何も言わないし。ローリエは、息を整えようともせず矢継ぎ早に言葉を続けた。
「それよりも、旦那さ――、シ、シドー様の方は!?」
「うむ。この通りだ。問題ない」
先生が、両手を広げる。
「はあー……。良かったあ……」
あ、ちょっと! ローリエはそう言うと、安心して気が抜けたようだ。体がふにゃふにゃと崩れ落ちていく。
「ととっ」
私が動く前に、先生が素早く動いた。すかさず膝を折り、彼女の背中に腕を回し支える。ほっ。やれやれ……。
「ああ、申し訳ございません……」
「良い。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です……」
そう言ったのだが、辛そうに俯く。そして、次第に息が静かになると、今度は体が小刻みに震え出した。
「お、おい。どうした?」
「…………」
「ローリエ?」
「――ひぐっ」
先生が、その様子を不安そうに窺っていると、黙っていた彼女からしゃくり上げるような声が零れ、俯いた顔が上げられる。
「研究所が襲われたって聞いて私――!」
「ローリエ、お前……」
その顔は歪み、泣き顔寸前だ。目には涙も溜まっていた。そして、先生の顔が見えた事で、もう我慢できなかったのだろう。
「うわあああああん! 旦那様ああああああ!!」
跪いた先生の胸元に飛び込み、自分の体を埋める。そのまま堰が切れたように泣き始めた。
「うあああああん――!」
相当心配してたんだなあ、ローリエ……。周りを見渡せば、カトゼの皆が微笑ましい顔して二人を見ている。変わらず武器を手に持っているが、そんなものは関係ない。物々しかった雰囲気は消えていた。
先生は、ローリエを抱きしめようとしたのだが、銀腕のままでそうするのが躊躇われたのだろう。腕を一旦戻して、彼女の背中を優しく叩くに留めていた。ふふっ、外しておけば良かったね。
ローリエを見れば――、もう既に涙でくしゃくしゃだった。ああ、鼻水が――。啜り上げるのを見て手巾を渡そうと懐に手を入れたが、その手が止まる。いや、邪魔しちゃ悪いな。この子の事は先生に任せよう。
「シヴァルイネ。先に行ってようか」
優しそうに細めた眼差しで、ローリエを見ている彼女に小さく声を掛けた。
「はい。分かりました」
「イージャンも一緒に来て」
「…………」
あれ? 反応がない。じっと先生たちを見ている。
「イージャン?」
「――え? は、はい。何でしょう、殿下?」
もう一度声を掛けると気付いたようだ。顔がこちらに向く。
「一緒に来てくれ」
「はっ」
敬礼して答える。
「じゃ、オウサ、キルサ。ササの――」
言い掛けた言葉をそこで止めた。二人とも、私の言葉が耳に届いていないようだったからだ。先生たちを見て、目と口を大きく開けて固まっている。その驚いた様子は、さっきより度合いが大きい気がした。
あちゃー……。ローリエが、旦那様って言ったから、分かっちゃったのかな……。抱き合ってるのもあるだろうけど。ま、一度伝えているから、いっか。ヒュースレーもいる事だし。私が視線を移すと、その彼が苦笑いで頷いた。うん、大丈夫そうだ。
私たち三人は、先生たちを残して静かに離れていった。そして、黒曜神宮に向かうため神門へと歩いていく。
「お、おーい。もういいじゃろー? 誰かこれを解いてくれんかのーう!」
空気の読めない爺の訴えは、もちろんこの場にいる全員が無視した。




