第9話 水面下 その4
◆シビアナ視点◆
「『ファイア!』」
殿下が、その言葉を発すると、陣に変化が現れます。極彩色のような光で輝き出しました。そして、次の瞬間、陣のその真上に揺らめく青い炎のようなものが現れます。それは、浮かぶようにして、その場で留まっていました。
殿下は、口を開けて唖然としています。私も、自分が目を見開いているのに気付きました。しかし、流石にこれは、そうなります。驚きを禁じ得ません。
何という事でしょう。間違いありません。あれは、魔法です。そして、震文で作られたあの幾何学模様は、魔法陣。しかも、その鍵となる言葉には、英語が使われているようです。やはり、この世界は、私の知る世界と何かしら関係があるのではないでしょうか。
この様子だと、サンダーやトルネード、アイスなどと言った英語でも、同じような現象を引き起こせそうですね。試してみる価値は、十分にあります。いえ、もう既にシドー様が試されているかもしれません。ファイア、フレイム、ブレイズ。他にも発見されている可能性は大いにあります。
しかし、『ファイア』で、発火ですか……。そのままですね。引っ掛かるのは、炎が青いという事。酸素の供給量が原因でしょうか? 他にも意味があるかもしれません。ただ、蝋燭の蝋が、急激に溶けています。赤い炎より、青い炎の方が熱いというのは、この世界でも変わらないようです。
ですが、何故青い炎が蝋燭に灯るのでしょう? しかも、青い炎の消失と同じくして、灯の色が戻っています。これは、どうして? この現象も気になります。
そもそも、発火はどうして起きるのでしょうか? 必要なのは、まず温度。物質が、酸素と結合し燃焼するため、それに必要な発火点まで、上昇させる必要があるはずです。では、どうやってその温度を急激に上昇させたのか。炎が発生した場所に、温度計になるようなものでも置けば、その変化も見れるのですが。
これは、あくまで見解の一つに過ぎません。しかし、考えられるのは、やはり震文とあの幾何学模様――魔法陣です。震文で振動を起こし、それを魔法陣が増幅。電子レンジのような、分子振動を促進する高周波加熱を行い、温度を急激に上昇させたのではないでしょうか。
震文は声の一種、つまり音。その音は振動です。震わせ伝播させる。ですが、この震文は声にしては異質です。音叉を使用するとはいえ、至極天などというあんな巨大な物体を、呼び寄せることも可能なのですから。
私は、振動するものがその秘鑰であると考えています。空気や水、そういったものだけではない、別の何かも。これを振動させることによって、至極天にも作用を及ぼす。
では、それは何か? 現状では断定なぞできませんが、魔力のようなものであるとは考えています。私には、正体不明の物質。ふふっ、まるで暗黒物質のようですね。
ああ、でも物質ではないかもしれませんから、マターは適切ではないでしょう。そうですね――。存在。暗黒存在、ダークイグジスタンス……。長いですね。似たような言葉……。エーテル、ヒュレー、マナ、ウーシア……。若干語弊はありますが、ここは私好みでウーシアとでもしておきましょう。
魔法陣は、このウーシアを震文で震わせ共振し、その増幅装置のような役割を担ったのではないでしょうか? 陣が光り始めた時、それだけではなく微細な振動も始めました。私には、あれが音叉のような震え方に見えたのです。
陣は音叉の代わりもしているのではないでしょうか? 上手くすれば、音叉を使わずともあの陣で至極天も呼び寄せることが可能なのでは? そう考えてしまいます。
「でも、これって絶対火種とかには、使えますよ!」
「まあ、な。だた、震文を使えなければ駄目だがな」
「あ、そっかあ……」
火種――。確かに殿下の言う通りです。しかし、シドー様の仰るように一般的なものとしては使えないですね。ここトゥアール王国では、火打ち石、白亜銀、あとファイアーピストンもあります。これらを用いるのが、一般的な火種の作り方ですね。それで、紙やおが屑を燃やし、火種を作ります。
この青い炎の場合はどうでしょうか? 紙やおが屑といった――、つまり可燃性物質。それがなければ燃焼できないのでは? 発火もできませんね。燃える物がないのですから。では、何が燃えているのでしょうか? ウーシア? それが高温となり、酸素と結合して燃焼している――? あの世界の知識があるため、そう考えてしまいます。
ですが、この世界との相違点は、多々ありますので、あまりあの世界の知識に囚われるのも、危険な気が致します。そもそも、酸素があるかどうかも、定かではないのです。私が勝手に言っているだけなのですから。
もしかしたら、別の物質、いえ結合もせずウーシア単体で燃焼可能なのかもしれません。ふう――。全く、この世界の魔法は、一体どういった理屈で発現しているのか。本当に興味が尽きませんね。
そして、その一部の解明に成功したのが、シドー様。まさかここまでの物を、既に完成させていらっしゃったとは。これもあの方の執念。ただただ頭の下がる思いです。しかし、ファイアというこの言葉。どうやって探し当てられたのでしょう? 恐らく――、百個近くある声を、総当たりで一つずつ、組み合わせていかれたのではないでしょうか?
しかし、英語の単語は無数にあると言っても、過言ではありません。その中から、陣に反応する言葉を見つけるのですから、大変なご苦労をなされたに違いないでしょう。しかもです。どうも模様が置かれるその配置にも、発動条件があるように見受けられます。では、その位置が少しずれただけで、その効果が発揮されないとしたら――。
それは、まさに砂漠の中から一本の針を探し出すのと同義、いえそれ以上です。そして、もし仮にそれを只管繰り返してこられたというのなら、あの方は一体どれだけの時間を使って検証してきたのか……。
申し訳ございません、シドー様。英語が、魔法の発動条件になっていると、もっと早くに分かっていれば、私もお手伝いができたのに。後悔しかありません。ですが、これからは違います。
これは、陛下にも進言して、この研究を早急に完成させる必要があります。急務ですね。上手くすれば計画に組み込めるかもしれない。大きな武器となるはず――。そうすれば――。
「ふふ……。いいぞ……」
顔がにやける。感情がゆっくりと、どす暗くうねる場所へ引きずり込まれていく。
「……いいぞ……、いける……」
これで勝てる。あいつらに。あの謎も、解けるかもしれない……。深く飲み込まれていく。どこまでも。戻れなくなる。戻りたくない。
必ず、――にする。――も残さずにだ。その――を、全て――いてやる。
「ぐう! ぐう! ぐううう――!」
「あ」
――お腹の鳴る音が、聞こえます。しかも、さっきより――。ふふ! 全くこの子は……。
「ふー……」
危ない。また……。安堵したのでしょう。長い溜息が出ます。
「えっとお……。せ、先生……」
「はっはっはっ! シビアナ、もう出来ておると思うか?」
シドー様に、実験はこの程度で良いのかと問われます。
「はい。丁度良い頃合いでしょう」
とても有意義なものを、見せて頂きました。ありがとうございます、シドー様。
「うむ。では、朝食を取りに行くとするか」
「はい!」
殿下は走って扉の前に行くと、勢いよくその扉を開け、こちらを振り向いて手招きをします。
「二人とも、早く早く!」
「ふっ。ああ、分かった」
私たちにそう言い残し、その姿は見えなくなりました。すると、すぐに静かになります。やはり、殿下がいないと、それだけで違う気がしますね。シドー様は、道具の片付けを始められています。簡単に整理していかれるのでしょう。ここには、私たち二人だけ。であるなら、伝えなければなりません。
「シドー様」
「ん? どうした? まだ何か聞き――」
「ごめんなさい……」
「…………」
私は、深く頭を下げます。
「天井の事ではないな? 何を謝る?」
「今回の件です。ご婚約をされて、これからご結婚をというこの時に――」
「その事か……」
分かってはいたのです、こうなる事は。ですが、実際にこの惨状を目にすれば――。そして、シドー様は、これから始まるであろう死闘に立ち向かわれます。なら、残されるローリエちゃんは……。
「シビアナ。そのように苦しそうな顔をするな」
「ですが――」
これは――。
「お前が、気にすることではない。この件は、以前より決まっていたことだ。何よりも優先されてな」
確かに、これは決まっている事でした。シカルアヒダが事を起こす時――。それがいつ起きても対処できるように。その時に合わせて。私も自らの役割を果たしてきました。
シドー様に会うのが目的――。これは、計画実行中のサイン。昨日西黄館にて、クロウガル様からこの旨をお聞きし、先んじてシカルアヒダに接触したのも、そのためです。
「それに、お前のおかげで、死傷者は出なかった。感謝こそすれ、恨む気持ちなぞ微塵もない。持ちようもないではないか」
「ですが――」
これは――。これから起こる事も、全ては――。
「良い」
首を振られます。
「それよりもだ。――ローリエの事、感謝するぞ。シビアナ」
「はい……。ありがとうございます」
私は、再び深く頭を下げます。ごめんなさい、シドー様。
「しかし、リリシーナの件は困ったものだ……」
確かに、あれは予想外でした。まさか、あのような結果をもたらしていようとは。
「解決策が、あるにはあるとはいえ、支障が出かねないぞ?」
「いえ、何とかできると思います」
「それならいいが……」
髪色の変化が起こらないと知った時に、最悪その解決策が必要となるのは、分かっていた事です。殿下は、西黄館であんなに悔しがっていたのに、色が変わりませんでしたからね。つまり、そこから私の考える時間はあったわけです。計画の修正や対策を、十分練ることができました。
「全く、あいつはこちらの都合お構いなしに、いつも騒動を起こす」
そう仰って、呆れた様子で溜息をつかれます。ですが、シドー様。あれが殿下の面白い所――いえ良い所ですから。
「お前には苦労を掛けるな」
「そんな事はありません。殿下――、リリィのおかげで、私はしっかりと前を見据えることが出来ます」
あの子がいるから。リリィがいるから。私は、どす黒い感情に陥っても、いつも戻ってこられた。それに、あの子だけじゃない。多くの方々に支えられてきました。私の掛け替えのない者たちばかりです。
テレル、イージャン、陛下、イルミネーニャ。レイセイン、ステライ様、クロウガル様、ミストランテ様、ゴトキール様。勿論シドー様も。そして――。
「すまぬ。すまぬな……。詫びなければならないのは、むしろ儂の方であった。お前たちの世代まで――」
「シドー様……」
辛そうに仰ったその言葉が、私の胸にも突き刺さります。一体どれくらいの犠牲を見てこられたのでしょう。共に戦った友人は、殆どが戦死なされました。ご家族も戦火で亡くされ、ただ一人生き残られた。そして、リリファルナ様の最期を看取られたのも、この方。ずっと、ずっと辛い思いをなされてきた。それなのに――。
「シビアナ」
「はい……」
「必ず、成就させよう」
「はい。この身に代えましても」
死んでも構わない。その覚悟は、とうにできている。全てを投げ打ち、是が非でも、成し遂げてみせる――。
「馬鹿者」
「え?」
大きな拳骨が、コツンと軽く頭に響きました。そのままシドー様は、その拳を広げ柔らかく乗せます。
「それでは意味がない。お前に何かあったら、儂はどの面下げてあいつに会えばいいのだ?」
「シドー様……」
ああ、この方は、いつだって――。大きな掌。暖かい。幼い頃、この手でよく撫でて、褒めて下さいました。ですが、私が悪いことをすれば、今のような拳骨です。勿論、痛さは全然違いますが。
ふふっ。その回数は殿下に比べれば、随分と少ないのです。しかし、今思えばそれも、少し勿体ない気がします。本気で私を怒って下さった方は、限られていましたから。本当に、懐かしいですね……。本当に――。
この大きな掌から伝わる信頼感。力が湧いてくるようです。そして、小さい頃の記憶も思い起こされました。
「シビアナ」
「…………」
目を閉じた私は、黙って撫でられることに身を委ねます。
「お前が、イージャンと結婚して良かった」
「…………」
そんな事言わないで下さい。泣きそうになってしまうじゃありませんか。
「お前は、あいつとの約束をしっかり守っておるよ」
「はい……!」
再び目を開いた私は、力を込めて静かに頷きました。




