第19話 異変 その2
「様子がおかしいって――」
それは間違いなく、この震文が関係しているんだろうけど……。
「姫姉、早く!」
イルミネーニャは、もう一度拡声器で叫ぶと、すぐに奥へと引っ込んで姿が見えくなった。
彼女のあの焦り様。これはやはり、只事ではなさそうだ。
「今、シドー様って……」「何かあったのか?」「どうなってんだ?」
呑気に観戦していた周辺の連中にも、あの子の言葉は聞こえていたのだろう。不安げにざわつき始めた。近くにいる者達同士で、顔を見合わせている。
「うーん。でもなあ……」
最初はこの不測の事態に驚いた私だったが、至極天を呼んだのが父様ではなく先生だと分かった今は、そうでもない。イルミネーニャの様相も、いまいち真面目に受け取れなくなっていた。
確かに、至極天が呼ばれている以上、普通ではない。そう考えてしまう。何故なら、あれはトゥアール王国最強の武器なのだ。戦うためにある物。破壊能力も尋常ではない。だから、そんな物がいきなり使用されると、今の私たちみたいに何事だってなる。
これは、先生も同じことだ。父様もか。ササレクタの震文も伝わっているだろうからね。ただ、恐らくそうなるのは、私たちや父様、シドー先生。それから後は、カトゼ大神宮にいる者達くらいに限られる。
正統後継者に必要とされる力。それが備わっている者達しか、この震文は感じ取ることが出来ないからだ。レイセインは例外。カトゼ大神宮にいる者達は、そこに至極天が奉納されているわけだから、いきなりそれがどこかに飛んでいけば、そりゃあ気付かない方がおかしい。気付けるよう仕掛けもあるしね。
それはそれとして、私がどうにも緊張感が持てない理由。それは、勿論シドー先生にある。
だって先生、結っ構破天荒なとこがあるんだもん。あの人は、何か閃いたら即断即決。善は急げとばかりに実験を始めたりする。それが真夜中であってもお構いなし。
前も、震文を使って至極天を引き寄せ、気付いた私が様子を見に行く羽目になった。結局、それがただの実験だと分かって、そのままお茶して帰ったという顛末。それを思い出していた。
ホント至極天を使う時は、連絡して欲しいよ。稀に呼ぶってのも良くない。そう、先生が至極天を呼ぶのは稀な事なのだ。重樹と戦うわけでもなし。あんな物、普段は必要ないからね。だけど、そのせいで非常にびっくりしてしまう。何事かってなる。一度、連絡してから使ってと、苦情を入れとくかね。
そしてこれが、今の私の動揺していない原因。ミーレちゃんがいるのに変だなって初めは思ってたけど、先生の性格やこういう事を思い出すと、やっぱりちょっとね。
しかし、先生は一体何をしているのやら。とはいえ、シカルアヒダの王族であるミーレちゃんが来てるんだから、そこまで無茶な事はしていないだろうけど。破天荒だが常識はある人だ。考えられるのは――、ああ、いやいや――。私は頭を振った。
「ササ。取り敢えず上に戻って、イルミネーニャから話を聞こう」
「ですわね」
ここであれこれ考えても、埒が明かない。さっさと、あの子に聞いた方がいい。
「私が、グスコちゃんを投げますから、二人は先に駆け上がって下さいまし」
「分かった。頼む」
「はい……」
「よ、よろしくお願いするであります」
ササレクタは、グスコを連れ立って外壁門の前へ足早に歩き始める。私達もその後について歩き出した。すると、観客の中にいたテオルンが両手を大きく振って叫んだ。
「ちょ、ちょっとー! 殿下ー! やらないのー!?」
私は、彼女に返事をしながら歩みを早める。
「悪いが、それどころじゃなくなった!」
「えええええー!?」
まあ、イルミネーニャの報告にもよるがな。大したこと無かったら戦闘は再開だ。でも、丁度いい。王女様をネタにして、賭け事なんかするもんじゃありません! とうい訳さ。
「ま、待ってよ、姫様! それじゃあこのお金――!」
ヴァレータも縋り付くような声で、私に助けを求めてきた。だが、心を鬼にしよう。
「さっさと返金しとけ!」
「そ、そんなあああああーん!」
まさに働き損のくたびれ儲け。今回は賭けの中止か。やっぱり碌な事にならなかったな。私が負けるわけないから、そんなとこだと思っていたさ。はっはっは。
がっくしと肩を落としたテオルンとヴァレータの姿を尻目に、私たち四人はすぐに外壁門へと到着する。
「行くぞ、レイセイン」
「はい……。殿下……」
私とレイセインは、そう言って頷き合うと、外壁門を駆け上がっていった。
外壁門の上に到着すると、程なく重い音が響いてグスコも到着。そして、ササレクタも駆け上がってきた。王女姿のイルミネーニャは外縁に立って、先生の研究所がある方向を凝視していた。
「イルミネーニャ。様子がおかしいとは、どういう事だ?」
私は彼女に近づきながら尋ねた。
「ああ、姫姉! 早くこっち来て!」
イルミネーニャは、視線を外に向けたまま振り返りもせず、急いでと手招きをして私を呼び寄せる。私たちは、それに従い彼女の傍まで行き着くと再び尋ねた。
「何があった?」
「シドー様の研究所! 様子がおかしいの!」
「ああ、だから何がおかしいんだ?」
私がそう聞くと、イルミネーニャは、こちらに振り返って慌てた様子で、研究所の方を何度も指差した。
「煙が上がってんだよ!」
「煙……?」
私は彼女の言葉に、辺りを見回す。えーと……。
「いや、煙ならそこら中で上がってるぞ?」
それは、普段の朝の風景。外壁門の内も外も関係なく、王都中そこかしこにゆらゆらと、煙突から煙が立ち上っている。朝食の支度をしているからだ。
「ああっ! いや、そうじゃなくて!」
イルミネーニャは、じれったいとばかりに両手で頭を掻いた。
この子の言いたいことが、そうじゃないのは私も分かっている。だけど、煙が上がっているだけじゃあ、よく分からない。もう少し詳しく説明してもらわないと。
「落ち着けって、イルミネーニャ」
急がなくていいからと、宥めるように両手を下へ押し付けるような仕草を繰り返す。するとササレクタが、イルミネーニャを後ろから抱きかかえてて、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。
「ほら、イルミネーニャちゃん」
「ああ、申し訳ございません! ササレクタ様!」
イルミネーニャは、慌てて後ろを振り返ってササレクタにお辞儀をする。こいつ……。こういう事を自然にできたりするから、人気あるのかな? 私も今度やってみようか……。
「いいんですのよ。ほら、ゆっくりと一回深呼吸」
「はい!」
イルミネーニャは目を瞑って素早く深呼吸を終えると、再び私を見て口を開いた。
「姫姉、黒いんだよ!」
「黒い?」
うん、だからね? 黒いってだけじゃ、意味が分からんのよ。それだと、私が黒いって聞こえるんですけど。あと、黒いのは私じゃない。シビアナだ。あいつは腹が黒い。私は色白の美人さん。
うーん。深呼吸一回じゃあ駄目だったか。落ち着くには、まだもう少し時間が掛かりそう。しかし、話を聞かないと始まらない。まあ、喋ってれば徐々に冷静になってくれるかな。私は、この子を急かさないように、ゆっくりと、だ。そう心掛けて話を続ける。
「えーと、イルミネーニャ。それじゃあ、話がよく分から――」
「黒い煙が上がってんだよ!」
「黒い煙……?」
少し、説明量が増えた。まあ、「煙」と「黒い」が合わさっただけだが。黒い煙ねえ……。私はイルミネーニャの指差した方を、目を凝らしてじっと見てみた。すると――。
「おお……!?」
「見えますわね……」
「はい……」
「え? どこでありますか?」
確かに見える。でも、糸みたいに細くて黒い線が、本当に短くうっすらとだよ。しかも、他の煙が邪魔になって更に見えにくい。これは、言われなくちゃあ絶対に見落としている。いや、この子は本当に目が良いわ。凄い。私は、また改めて彼女に感心した。ただ――。
「何なのかしらね……」
「うーん……」
ササレクタの言う通りだ。黒煙は見えたが、結局あれは何なんだろう? 朝支度の煙にしちゃあ、ちょっと変だよね。ていうか、朝ご飯って誰が作ってんのかな? やっぱローリエ? 先生は、使用人を雇ってなかったよな……。ということは――。私は、どうでもいいことに思い当たった。
ちっ。婚約者の手作り料理かい。全く……。ホントどうでもいいわ。ええ、よろしいんじゃなくて? 仲が良好なのは大変結構ですわ。まあ、ローリエって料理上手そうだよね。あのお菓子もおいしかったし。でも、あの二人って、いつもどんな風に過ごしてるんだろ? 一遍こそっと覗いてみたいわ。って、ああ――。
「ローリエ――先生とこの助手が、料理でも失敗したんじゃないか?」
ローリエで思い出した。そういう印象がある。そそっかしいところが、あったもの。とはいえ、昨日今日とミーレちゃんが泊まってるし、近衛騎士隊の他にも王宮侍従官や料理人がいるだろう。その者達が、朝食を用意するはず。
だけど、何か先生だったら、ローリエの料理を私達みたいに食べさせようとするかもしれないよね。昨日みたいにさ。で、運悪く料理を焦がしてしまった、みたいな。うん、これはありそうだわ。しかし、この意見はイルミネーニャにあっさりと否定された。
「違うんだよ! あれは、料理の煙じゃない! 煙突からじゃないんだ!」
「え? じゃあ一体どこからだ?」
「えーと、研究所全体から!? あーいや、とにかく煙突じゃない! それに一つじゃないんだよ! 段々と数が増えていってるんだ!」
「何だと?」
増えてるってどういう事だ?
「もう三つも、シドー様の研究所から上がってる!」
「三つって……」
あれ三つ煙が上がってんの? 一つにしか見えないんですけど。確かめようと黒い煙が上がっている場所を、もう一度じっと見つめる。うーん。何だろ? 現在進行中で実験をしているのかな? そう思いながら煙を眺めていると、ササレクタが心配そうに呟いた。
「――ねえ、姫ちゃん」
「うーん? 何だ?」
私は、そのままの姿勢で答えると、
「それって――」
「うん」
「火事、なんじゃないんですの?」
その言葉にピタっと体が動かなくなった。
…………。…………え? 火事……?
「――あああっ!」
そして、再び動き出した体と共に、大きく声を上げた。
そうだよ! 火事だよ、火事! 何で私は実験に固執して、こんな基本的な事を!? 黒い煙が上がってたら火事しかないじゃないか! ――あっ! だから、至極天使って消火してんのか! いや、それよりも、ローリエとミーレちゃんは大丈夫なんだろうな!? 火傷とか冗談じゃないぞ!?
「やばいぞ、おい!」
どうする――!? よし、私も行って消火活動を手伝うか。ササレクタにも頼んで一緒に来てもらおう。レイセイン達にはシビアナを探してもらってこの事を――! そう思った瞬間、イルミネーニャから更に混迷が極まる言葉が発せられた。
「い、いや姫姉、あれって火事っていうか――。え!? 爆発!!?」
「はあっ!?」
「なんですって!?」
私たちは一気に色めき立つ。爆発!? おいおい! 薬品にでも引火してるんじゃないか!? あそこには、実験に使うそういった危ない品もあったはずなのだ。これはもう一刻を争う事態。早急に駆けつけて、私たちも消火に当たろう!
「ササ! 私たちも――!」
しかし――。
しかし、「先生の研究所に向かおう」と言おうとした瞬間。私は、イルミネーニャから最悪の事態を告げられた。
「姫姉! 爆発の煙、色が着いてる!」
「色だと!?」
煙に色!? 狼煙玉か――!?
「イルミネーニャ! 色は何だ!? 分かるか!?」
「えーと。――黄色と緑だ!」
黄色と緑の狼煙玉。それは『敵接近中、至急増援を求む』の合図――!
違う! あれは火事なんかじゃない! あれは――!
「襲撃だ!!」




