第3話 脱走 その2
トゥアール王国の、その中心に位置する王都。
その王都のそのまた中心にあるのが、この王宮。
『白鷲宮』
以前は、そう呼ばれることが多かった。
クロウガルなんかは、今でもこう呼ぶことが多い。
王宮は、真ん中に私が住んでいる高い塔があって、その周りを二階建ての建物が囲っている。
それから、その外側になるにつれ徐々に高い建物が立ち並ぶようになっていて、中心からある程度遠くなると、今度は逆にその高さが徐々に低くなっているんだ。
で、うちの王宮って、壁に使われている石が概ね白っぽいんだよ。
だから、外壁門から王宮の方を見上げると、白い鷲が翼を広げているみたいに見えるっていうんで、『白鷲宮』さ。
この王宮ができて随分立つから、年季が入っている。
だから真っ白ってわけじゃないんだけどね。
でも、建設された当初はそれはもう真っ白で、太陽に照らされた姿なんかはその白がより強調されて、より幻想な美しい色彩を放ったんだとか。雲一つない青い空には、よく映えていたそうだ。
これは今でも準じるものがあるんじゃないかな?
見慣れてるけど「おー綺麗だな」って思うことはあるからね。
ふふっ。でも捻りも何もないよね、『白鷲宮』ってさ。
もうちょっと、凝った名前でも良かったんじゃないかって気がするよ。
うーん。
まあでも、覚えやすくて言い易いのが一番だったのかな?
今は、違った名前で呼ばれていることが多いみたい。
『輪翼宮』
こう呼ばれている。これはちょっと凝ってるかな?
私が生まれる前くらいの話になるんだけど、王宮にでっかい風車が建設されたんだ。
外壁門から白鷲が翼を広げているように見える建物の前面にね。
この回る風車を、その翼にかけて輪翼って言ってるわけさ。
左右に大小合わせて五つずつで、大きいものは――。
どうかな、風車の羽一つが、至極天の倍ぐらいはあるんじゃないかなあ。
これ風が強い時は、畳めるんだ。
風の強さに応じて回す風車を決めているんだよね。
この風車が建てられたのは、水を汲み上げるのが一番の理由だ。
初代女王が至極天を使って、王宮があるこの丘に大きくて底の深い井戸を掘ったらしいんだけど、この井戸水は手作業で汲み上げてたんだよ。
汲んだ水は水瓶に移し替えて溜めていた。
王宮で使われている水の量はかなり多い。
水の確保は確かに大切だけど、井戸から毎日ひっきりなしに水を汲み上げるってのは、やっぱり結構手間を取る仕事だった。
だから、これは王宮にある懸案の一つとして、かなり昔から何とかできないかって考えられてたらしいね。
何とかできれば、人手を割く仕事が大きく減るわけだもの。
そんな中、国内で風車を使う技術がどんどん向上して、水を汲み上げる風車も発明される。
そして、その風車をより効率を良く使えるよう、試行錯誤が繰り返されて改良が進んでいった。
主に農耕の盛んな東都で、その技術は磨かれていたんだ。
昔から東都では、風車や水車で脱穀や製粉をよくやってたしね。
それで、風車の技術水準が、王宮で使っても問題ないってなった頃。
じゃあ、その風車を使ってそろそろ改善してもいいだろうって事で、満を持しての大改築が行われたんだ。
水車で勝手に水を汲めるようになるから、その大改築に合わせて大きな貯水槽も造られた。
溢れる水を無駄にしないようにね。
合わせて作られてものは、これだけじゃない。
汲み上げられる水の量は結構なものだ。
この水を有効に使えるように、王宮内だけではなく内層から外層にかけて水道も敷かれたんだ。
各層――例えば居住区には居住区で井戸が点々とあったんだけど、この水道ができたおかげで井戸から水を汲み上げる作業をしなくていいようになり、随分と便利になったみたい。
家事をする主婦や使用人たちを、大喜びさせたんだって。
私は、生まれた時から水道がある日常なわけだから、あるのが普通なんだけどね。
ま、この王宮も時代に合わせて少しずつ変化しているってことさ。
だからこれから先、また違った姿になるかもしれないな。
『白鷲宮』から『輪翼宮』。
次は何て呼び名になるのかな? 楽しみでもあるね。
ふふっ。私が生きている間に、変わるのかは分からないけど。
さて、そんな変遷の歴史を持つこの王宮。
私は昨日シビアナに尋問を受けた、あの部屋の近くにある倉庫に入って、ごそごそと作戦準備中だ。
ここの鍵は、勿論きちんと掛かっていたが、すんなり中に入ることが出来ていた。
いやー。
私が「ふんっ」て力込めて扉を開けると、壊れちゃうんだもんなあ。
こんなに脆いと駄目だよねえ。意味がないよホント。
もう少し頑丈な鍵に変えなきゃ。
今度、爺に鍵の取り替えを提案しよう。
はっはっはっ。
「――うん、まあこれで大丈夫だろう」
自分が着ていた服を、イルミネーニャに着替せていた私は、一人そう呟いた。
ふふふ……。
そうさ、髪の毛を覆う布は着けたままではあるが、今私が着ている服は侍従官の服。
イルミネーニャが着ていた服なのだ!
この子の背格好は私に近い。
だから私が閃いた作戦に、利用させてもらっている。
この――『侍従官なりきり作戦』にな!
「ふっふっふっふ……」
我ながら、よくこんな作戦をパッと思いつくよ。
シビアナを超える日も近いわ。
ふふん。では概要を説明しよう。
まず私が侍従官の服を着て、侍従官に化ける。
そして、王宮内を走って駆け抜ける。
それから、その勢いで王宮の正門から外壁門までを突破し、先生の研究所に向かう。以上である!
とても単純な作戦さ。
でも、私が侍従官の服を着る――ここが妙案なのだよ。良い目くらましになる。
イルミネーニャは連れて行くつもりだ。
この子は、この脱走に役立ちそうだからねえ。けーけっけっけ。
これも作戦の一部さ。
この子に行き会えたことは、幸運だったな。
でなければ、強硬策で行くしかなかったし、この作戦も思いつかなかったはすだ。
彼女からすれば、運が悪かったって事になるんだろうねえ。
でもこの子は、日頃から変な所で運が悪いからなあ。
私に出くわしたことも、そうに違いないて。
まあどうであれ、この私ために働けるのだ。本望であろう。
な? イルミネーニャちゃん?
「おっほっほ。可愛らしい寝顔ですこと」
彼女を見ると、もうぐっすりと眠ってらっしゃる。ピクリとも動かない。
これは、当分起きないだろう。
でも今はこれでいい。
彼女が活躍するとしたら、もっと後だ。
その前に起きそうになったら、おでこにもう一発追加だな。くっくっく……。
服は似合ってるんじゃない?
私ほどではないけどねー。
ズボンやスカートはすんなり履かせられたんだけど、上着は手こずってしまった。
胸の辺りがつっかえたんだよね……。
「…………けっ」
しかも、おっぱいが大きいせいで、私の上着では丈が合わなくなっていた。
その分お腹が出てしまっているから、なんかエロい。
私の方は、この倉庫に姿鏡がないから、全身を映して確認していないんだけど……。
まあ、私が似合わないわけないじゃん?
これ着るの初めてじゃないし? 可愛いの知ってるし?
問題なんてどこにもないよね。
でも強いて言うなら、胸の辺りが若干、緩々なくらいかな? 若干ね?
侍従官の服は、見る者に気品を感じさせ、所々銀糸を使った刺繍が施されている。
上着は、襟付きの白い長袖。
喉元には、蝶結びされた赤くて幅がある平紐の装飾品。
スカートは、両足に沿って切り込みがあり黒くて長い。
そして、その黒いスカートの下に、また黒のズボンだ。
このズボンは、ピチッと肌に張り付く感じで足首まである。
靴は、踵の高い茶色の革草履。
多少の色違いはあるが、私付の侍従官達の制服は、今のところ大体これで統一されている。
王宮侍従官や他の側付侍従官になると、またちょっとだけ違うんだけどね。
ま、似たり寄ったりだろう。
ちなみに、イルミネーニャの革草履は履いていない。
お互い自分が履いていた物のままだ。
私の革草履は特注品。これからいっぱい動くんだ。
かなり丈夫にできてるし、履き慣れた物の方が良いんだよ。
「これくらい大きければいいかな?」
最後の仕上げにと、この倉庫にあった大きな布を床に広げる。
食卓なんかに使う白い卓布だ。
その上に気絶しているイルミネーニャを置いて、ぐるぐると巻きつけた。
荷物に偽装と言うわけさ。
こうしないと見つかった時、私が誘拐犯って勘違いされたら堪らないからね。
意識のない人間を担いでいるわけだし。
しかも着ているのは王女様のお召し物だ。これはやばい。
誘拐犯だと思わないわけがないよ。
――まあ、これある意味誘拐してるんだけども。
ともあれ、これで準備完了だ。
「よいしょー」
イルミネーニャを小脇に抱えると、扉をゆっくり開ける。
過去の経験からするに、私がこの王宮から脱走したと悟らせないこと、これが一番時間を稼げるはずだ。
そしてこの作戦は、今思いつける中では、その最善策だろう。
何としでも、この作戦をやり遂げてやるぞ!
私は人の気配がないのを確認すると、素早く廊下に出てそのまま走り始めた。
成功した暁には、イルミネーニャにご褒美だな。
今度何か奢ってやるか。
私は、布に巻かれたイルミネーニャを落とさないよう、王宮の内部を注意しながら進んでいる。
外を走っていると、私の姿は丸見えだ。
そうなると、見張りの兵なんかに見つかる可能性が高くなるからね。
それに、手練れの連中も外を警護している。
こいつらは、カトゼ大神宮で認められた王宮守護特化の武人達だ。
見つかると非常に面倒くさい。
ただ、そいつらは外敵専門でいつも外にいる。
よって、鉢合わせすることがない屋内を、疾走中という訳だ。
でもこうすると、今度は王宮内で人とすれ違う事になるんだけど――。
「――ん?」
この先、人がいるねえ。
私が廊下の先に人の気配を感じると、手前の曲がり角から王宮侍従官が二人出てくるのが見えた。
ただ、二人ともまだ、こちらに視線が向いてない。
んじゃま、見つかる前に、と――。
「よっと」
私は、壁に向かって走り出すと、廊下の両脇にある太い柱を交互に蹴りながら伝って、二人の頭上を飛び越した。
首を後ろに向けて侍従官達の様子を窺うと、私に気付いたようには見受けられない。
何事もなかったように歩いている。
よしよし。
この調子で行こうじゃないか。
私は音を立てないよう静かに着地すると、すぐに走り出した。
これちょっとしたコツがいるんだよね。
あんまり強く蹴ると、柱が壊れるから力加減に気を付けないといけんのよ。
昔は何度も壊したなあ……。その度に、爺に怒られたっけ。
王宮の一階は天井が結構高く、二階分はある。
普段上を向いて歩くやつなんていないから、天井は十分な死角となってくれていた。
おかげで、この様な芸当が通用すると言うわけだ。
それに、梁も剥き出しになっているから、その影に隠れると私の姿は見えない。
柱蹴りでは見つかりそうな長い廊下で出会った場合は、この梁の隅っこを使い、通り過ぎるまで身を潜めていた。
この二つの技をやり繰りしながら、私はどんどん目的地に向かうことが出来ている。
侍従官の服着てるし別にこんな事しなくても、普通に通れるかもしれないんだけどね。
だけど、気付かれる可能性を、最小限に抑えておきたいんだ。
何が起こるか分からないし。
この服に着替える必要があった理由は、もっと先の場所にある。
それに、今はまだ早朝だ。この方法でも十分早く移動できる。
基本、人に出くわすことは少ないから楽勝さ。
廊下の角にまた差し掛かった。
曲がったその先が長い廊下である事を知っていた私は、人がいるかを確認するために、その曲がり角から顔を少し出して様子を窺う。
すると、そこには近衛騎士が一人、こちらに向かって歩いていた。
げっ!? もう来てんのかよ!
短めの黒い髪の毛に、細身の引き締まった大きめの体格。
そして、どこか寡黙そうで、もの静かな雰囲気。
イージャンだ。
こいつがいるって事は――。
「やばいな……。シビアナも来てるかもしれないぞ」
私は、焦燥感が強くなるのが分かった。
イージャンとシビアナは二人揃って来るんだよ。
アホ夫婦だからな、こいつら。
流石に恥ずかしいのか、王宮前で別れているみたいだが。
しかし、まさかこんな所で出遭うとは思わなかったな。
――いや、逆に良かったのかもしれない。
これで、あいつの貴重な情報が得られる。
私の姿は、誰にも見られたくなかったが仕方ない。
「おい……。おい……! イージャン……!」
私は小声で呼びかけた。
イージャンは辺りを見回して声の主を探していたようだが、私の顔半分が壁から見えているのに気付いて、ビクッと体を震わせた。
相変わらず失礼なお兄ちゃんめ。
「こっち、こっち」
「で、殿下、何をなさっているんです……?」
私が手招きすると、イージャンは私の方へ小走りで近づいてきた。
しかし、どうも走る動きにキレがなく、ぎこちない。
声も疲れきったような絞り出す感じだ。
「気にするな。それよりも、お前どうしたんだ?」
すっげえふらふらだな、おい。
よく見れば顔が青白い。げっそりとしている。
その顔からは、とても昨日と同じ人間だなんて思えなかった。
まるっきり別人だよ。
「はっ……。いえ大丈夫です……」
「いや、駄目だろ。今日休めないのか?」
病気を疑う症状だぞ、それ。
こいつは、真面目だ。
自分で言い出せないのなら、私の責任にでもして休みを取らさないといけないかもしれない。
「はっ……。あの、そのこれは……ただの寝不足でして……」
「え? 寝不足なの? いやでも、寝不足くらいで――」
あ。
私は昨日のやり取りを思い出した。
はあー……。そういや、そうだったな……。
搾り取られたのか、こいつ。
「――お前、いつ寝たんだ昨日?」
「……明け方近くですね」
「…………そっか」
さっき寝たのかよ……。
ていうか、それ昨日じゃないよ、今日じゃん。 まあ、私も似たようなものだが……。
聞くんじゃなかった。
聞いたら、こいつら夫婦の私生活の一端を、垣間見ることになるって分からなかったわ……。
「まだまだ、精進が足りないみたいです」
イージャンは、何やら照れ臭そうに顔を赤らめ「ふっ」っと呟いた。
「ふっ」じゃねえよ。
何だその顔は? ぶっ飛ばされたいのか、お前?
昨晩はお楽しみでしたねってか。やかましいわ!
これ以上、朝っぱらから苛つかせるな。
むしゃくしゃしてんだ。今の私は、些細な事でもすぐにキレるぞ?
いや、こんな事に構ってられない。
「シビアナはもう来てるのか?」
知りたいのは奴の居場所。
これが知りたくて、イージャンに声を掛けたのだ。
場合によっては、作戦変更もあり得る重要な情報となるだろう。
「いえ……どうでしょう? 支度は一緒にしましたが、私の方が早く出ましたし」
「え? そうなの?」
意外な答えだった。
シビアナの奴、まだ来てないらしい。
「はい。いつも通りに家を出るのではないでしょうか」
普段のあいつは、もっと遅い時間に来る。
となると、まだ十分時間があるという事になるな。
よしよし、私に追い風が吹いてるぞ。
「如何されました? 何かシビアナに急用でも?」
「あーいや、そういう訳じゃなくてな……」
うーん、どうしようか……。
こいつも一緒に連れてって、シビアナ対策に使ってやろうか。
盾にも囮にも使えるよなあ……。
――いや、いっか。
「イージャン、昨日はありがとな。おつまみ届けてくれて」
今の私の状況は最悪だが、こいつのおかげで昨日はとても楽しかったからな。
時間も余裕であるみたいだし、無理はさせまいよ。
それに昨日今日とこき使うのは、少々気が引ける。
こんな状態だし尚更だ。
「え? あ、いえ。私はシビアナに頼まれた事をしたまでですから」
「ふふっ。でもありがとな」
「はっ。――あっ殿下」
敬礼をしてくれたイージャンだが、何か思い出したようだ。
顔つきが優しくなった。
「ん? 何だ?」
「西黄服、テレルが喜んでいました。本当にありがとうございました」
そう言うと、イージャンは深々とお辞儀をした。
「おお! そっかあ! 喜んでくれたかあ!」
「はい」
うふふふふ! 嬉しいなあ!
一生懸命選んだ甲斐があったってもんだよね。
今まで起こった嫌な事もどこへやら。
私の心は、簡単に幸福感で満たされてしまった。
ふふっ。
どうして大好きな子に贈った物が、その子に喜んでもらえると、こんなにも幸せな気持ちになるんだろうな。
「似合ってた?」
「はい、とても。それにテレルも心から嬉しそうにしておりました」
「そっか、そっか」
私はテレルが西黄服を着て、くるくる回りながらはしゃいでいる姿を思い浮かべた。
――うむ! 最高だな!
ああ、見たかったなあ。今からでも飛んでいきたいよ。
そうだなあ。
じゃあ今度、私やシビアナと一緒にその西黄服着て、どこかお出かけでもするかな?
あ!
どうせなら、シカルアヒダにでも行ってみるか?
もし実現したならば、きっと楽しいだろうな。うふふ。
私は他国に行ったことがないんだけどね。
でも、心の中でどんな妄想を抱こうが、それは私の自由さ。
――って、いかんいかん。目的を完全に忘れてたわ。
「テレルが気に入ってくれて何よりだ。じゃあ、私は先を急ぐから。あっ、ここで会った事シビアナに言うなよ?」
「は、はあ? 分かりました」
「ではな」
「はっ。お気をつけて」
「ああ」
イージャンの敬礼に手を一振りすると、イルミネーニャを抱えた私は、再び正門に向かって走り出した。
イージャンと別れて少しして。
私は、道中誰にも見つかることなく、王宮の正面玄関に到着した。
さあて、ここからが本番だ。
ここからが、侍従官のふりをするというこの作戦の真価が問われるのだ。
正しく正念場――、踏ん張りどころとなる。
この正面玄関から王宮の正門を通過するまで、先程までのような身を隠すものはない。
正門をくぐり終えるまでは、常に周囲の視線に晒される。
その中をただの侍従官として、誰にも勘付かれることなく通り過ぎなければならない。
王女が内壁門を通って外に出たという事実を、残してはならないのだ。
私が王宮にいると錯覚させておくのが、この作戦の肝。
作戦が成功する事で、例え捜索が行われたとしても、最初は本気で探さないだろう。
それに、まず王宮内から探すことになるだろうから、かなりの時間を食うことになる。
その手が王宮からさらに外へ伸びるには、かなり後になってからの話になるはずだ。
加えて、私がさっき書いたシビアナへの書置き。あれには、ばっちり嘘を書いておいた。
これも効果を発揮するだろう。
しかし、逆に例え誰であろうとも、気付かれれば作戦失敗。今までの苦労が全て水泡と帰す。
遅い早いの多少の違いがあれど、シビアナの耳に必ず入ってしまう。
であれば、あいつのことだ。
私が先生の所に向かっていると勘付くのに、然程時間は掛かかるまい。
侍従官や兵士達を手足のように使い、すぐさま私を拘束しようと行動に移すだろう。
シビアナの優秀過ぎる能力が、遺憾なく発揮されるのだ。
「はあ……。敵に回せばこれほど厄介な奴はいないよ……。しかも、何故か私の事になると、さらに凶悪になっている気がしてならないんですけど」
だが、ここさえ抜ければ。
先はまだまだ長いとはいえ、私の勝ちは八割方決まったも同然だ。
気持ちも結構楽になる。
王宮は警備が一番厳重の上、逃げ場が少ない。
しかし突破できれば、そこからは屋外。
かなり自由に動けるようになるから、逃げ場も多くなるのだ。
それに、シビアナ達に出会う可能性も相当低くなる。
あいつらは、いずれここに来る。目的地はこの王宮なわけだ。
逆に王宮を出た私は、脇道に逸れながら外壁へ向かう。
つまり、私達が出くわす場所は、内層と中層の間にある門くらいになる。
シビアナ達が暮らしている中層まで越えれば、しめたもの。
私を阻むものは、もう無くなるといっても過言ではない。行先が真逆になる。
しかし、忘れてはいけないのが、この作戦の致命的な穴だ。
眼鏡を取りに自室へ戻れなかったことが悔やまれる。
侍従官の服に身を包んでいるとはいえ、素顔を晒しているのだ。
私の侍従官や知り合いに、顔を見られたらバレてしまう可能性が高い。
即、作戦失敗に繋がるというわけだ。
一応策はあるが、正門を出るまでは気が抜けないだろう。
ただし――。
「シビアナに出くわすのが最悪なんだよね」
こいつはどうしようもない。
他の者はまだ気付かないかもしれないが、私がいくら策を弄そうとも、奴はまず間違いなく私に気付く。
私がシビアナを見つけたら、シビアナはその前から私を見つけている。
そういっても、いいくらいだろう。
王宮に来るには、まだまだ時間に余裕があるとはいえ、出会わない事を祈るばかりだ。
「あー……。いや、最悪なのがもう一人いたな。最悪で最凶なやつ」
ササレクタ。
私の変装を雰囲気だけで簡単に見抜き、実力行使でさえ可能とする数少ない人間の一人。
今の私は、血統の力に頼れない。
この透明のままになっている髪で、どうのような現象が引き起こせるかを確認していない状態だ。
となると、ササレクタとは真っ向勝負になる。突破するのに時間が掛かることは間違いない。
しかしあいつは、いつものように部屋へ戻ってもう一眠りしているだろう。
勘定に入れてなくても大丈夫だ。
「よおし、やるぞ……!」
あいつらにバレる前に、何としてでも研究所まで辿り着きたい。
そして、我が身を蝕むこの状況を打破し、全てを闇の中へ葬り去るのだ!
私は気合を入れ直し、正面玄関に歩を進めた。




