第16話 宴会 その2
「ササレクタ様、ようこそおいで下さいました」
シトエスカはお辞儀をすると、部屋の扉を閉めているササレクタの前で、歓待の言葉を伝える。
それに続くように、ゼニシエンタが少し慌てた様子で私の横に立ち、素早く礼をした。
――え? あれ!?
私は自分の手とシトエスカを交互に見る。
「さっきは伝えてくれてありがとうですわ」
「いえ、殿下の侍従官として当然でございます」
あの子、どうやってすり抜けたの!?
私が今ビックリしているのはシトエスカの行動だ。
両手は私が握っていたにも関わらず、あの子はそれを解き、すぐにササレクタがいる所へ歩いていったのだ。
おいおい……。
がっちり握っていたんだぞ。ちゅーされないようにって……。
しかし、そんな事はお構いなしに、彼女の手はすっと私の手から抜けていった。
いや、ていうか……。
「おい……。シトエスカって素面に戻ってるよな? 何で?」
私は、横に立ったゼニシエンタに訝しげに尋ねた。
ササレクタの前に立つシトエスカは、足元が覚束ない感じは一切せず、普段通りの姿に戻っている。
喋る言葉も流暢で、酔っている風には全く見えないのだ。
今の今まで、ちゅっちゅ魔神だったじゃん、あの子……。
「そういう人ですので……」
屈んだゼニシエンタは諦観の念が籠った声で、簡潔に答えた。
「えぇえええー……」
いや、簡潔でもなんでもないわ、今の。
全く説明になってないよ。
私は、どうやってあんな急激に酔いを醒ましてんのか知りたいだけど。
――ああ。
ゼニシエンタも分からないのか。
納得。
まあ、酔いについては取り敢えず置いておくとしてだな……。
私は、ササレクタと話をしているシトエスカをちらりと見る。
「ここは変わりませんわね」
「ふふっ、はい。あ、でも小物は増えたりしていますよ」
「あら? そうなんですのね」
それよりも、私はシトエスカが簡単に抜け出していることに驚いていた。
気を抜いて注意がゼニシエンタにいっていたとはいえ、私の拘束だぞ?
どうやって抜け出した……?
細かく言えば、私が掴んだのは掌から手首の辺り。
掌の真ん中あたりを、親指で抑えるような形だ。
シトエスカの指がわきわき動いていたから、自然とその辺りとなった。
私だって武芸を嗜んでいる身だ。振り解けない様にするコツは知っている。
掌を押した親指を支点にして、腕だけではなく体全体を使い、色んな向きの力をいなすんだ。
これでそう易々と、私の手を振り払うことはできないはずなんだけど……。
シトエスカは、祖母であるミストランテのお婆が侍従官を引退するときに、入れ替わるようにして私の侍従官になった。お婆の推薦でね。
この時、そのお婆に色々と叩き込んでいるとは聞いている。
侍従官の仕事は勿論の事、自分の身を守れる程度には武術もできるってさ。
でも、今の動きはその範疇を超えてるだろ。
ササレクタや先生並みの達人が持つ技量が、必要となったはずだ。
私の拘束は、それぐらいじゃなきゃどうしようもない。
シトエスカがそこまでできる子だなんて、私は聞いていないよ。
――ああ待て待て、私が気を抜いていたってのがあるな。
となると、そこまでの技量は要さない、……か?
いやそれでも、イージャンやレイセインぐらいじゃなければ無理だよな?
もう一つ不思議な事が、わたしにはあった。
武芸に特に秀でている者は、ある種の佇まい――風格みたいなものを持っている。
だけど普段のシトエスカを見ていても、そう感じる事が一度もなかった。
これがお婆が言った「護身程度の武術しか身に着けていない」ってのを、私が丸呑みしていた理由でもあるけどね。
しかし、それがいきなり現れたのだ。そして、すぐに消えた。
そう、すぐに消えた。
どうやらシトエスカは、自分の力を隠そうとしているみたいなんだ。
この佇まいってのは隠そうとすれば隠せるものではある。
でも、私にまで隠す必要なんてあるのか?
例え隠す必要があったとしても、もうバレてるから意味がない様な気がするんだけど。
ササレクタにも見られている。あいつが見逃すはずもなし、だよなあ……。
うーん。
「姫ちゃん? 何呆けてますの?」
「――え? ああ、すまない」
ササレクタに見咎められて、私は自分が思案に没頭していることに気付いた。
いかんな。気になってしまうとすぐこれだ。
武芸関係は特にひどいよな、私。
ていうかこれ、本人に聞いた方が早いや。
そう思った私は、直接彼女に聞いてみることした。
「シトエスカ、お前今何やったんだ?」
「はい? えーと……。何の事でしょうか?」
「へ?」
シトエスカに疑問を疑問で返されてしまった。
――やっぱりササレクタには言えないような事なのか? 部外者といえばそうだからな。
でも、見られてるよねえ。
「何言ってるんですの?」
ササレクタがこちらを見て眉をひそめた。
今のこいつからは、シトエスカを不振がっている感じがしないってのも変だ。
こいつの勘の鋭さは異常なんだよ。
それが何の関心も示していないもんな。
うーん。何だろう? 何ではぐらかしてんだ、この子?
ああいやいや、はぐらかしてたら、ササレクタが反応するような気もするし……。
あっれー?
こうやって私がチンプンカンプンになっていると、
「あー……、姫様」
ゼニシエンタが苦笑いしながら私に顔を近づけてきた。
「ん? どうした?」
「あのー……。姫様が何を疑問に思ってらっしゃるかまでは、私分からないんですけど……。シトエスカさんって酔ってる時の事、覚えてないんですよね」
「…………え?」
何言ってるの、この子?
「いやー……。酔いが醒めるといつもあんな感じなんです……。酔ってる間の記憶ないから、多分姫様のおっしゃっている意味分かってない状態だと思います」
「えぇえええ!?」
いや、いやいやいや!
おかしいだろ、それ!
「いや、今じゃん! 今の今じゃん!」
確かに、お酒を飲んだら記憶が飛ぶってのは聞くけどさ!
こんな急に記憶が飛ぶってのは聞いたこともないよ!
いきなり素面に戻ったのも凄いけどね!
――え!? もしかしてそれが原因なの!?
「いやー……。素面に戻ると記憶ないです。今とかそういうの関係ないみたいですね」
「ええええ!? ホントに!?」
「はい……」
うっそおおーん!
じゃあ素面に戻って、すぐにササレクタの応対ができたって事?
前後不覚の状態で?
えええー……。何それ……。
シトエスカの侍従官としての能力が高いって事になんのか?
「えっと……。申し訳ございません、殿下。私何かしでかしたのでしょうか?
――お酌をさせて頂いた時の記憶はあるのですが、それ以後の事は記憶になくて……」
えええ……。 本当に記憶がないのかよ……。
色々考えていた私って一体……。
「無礼講と聞いていたとはいえ限度がございます。もし失礼な事をしでかしていたのなら――」
シトエスカが、不安そうに顔を伏せた。
「い、いや……。大丈夫だよ、うん。大丈夫」
って言うしかないじゃん……。
「本当でしょうか?」
「うん、大丈夫。問題ないよ。ちょっと気になった事があっただけさ」
だから、そんな顔しないでくれ。
「ほっ……。良かったです……」
ようやく安心したのか、シトエスカに笑顔が戻った。
ふー……やれやれ。
しっかしなあ……。シトエスカってこんな子だったんだなあ。
いや、この子とお酒を飲むのって初めてだから、まあしょうがないっちゃあしょうがないんだが……。
でもさあ、シビアナとか今まで何にも言わないんだもんなあ。
話題に上りそうなもんだよ? これ……。
あっ、もしかして態と私に言ってないのか、あいつ?
うーん、やりそうだなあ……。
まあ、シトエスカのさっき見せた技術についてはちゃんと聞いておこう。
すっげえ気になるわ。
「一体全体、何がどうしたんですの……?」
一連の事態に付いて来れず、置いてきぼりになっているササレクタが、居心地悪そうにしていた。
うう、ごめん。そうなるよね。
「すまん気にしないでくれ。そうだササ、こっちにいるのがゼニシエンタ。この子は初めて見るだろう?」
これ以上、シトエスカを不安がらせたりするのは良くないからね。今日は楽しい宴会なんだし。
私は、さっさと場の空気を変えることにした。
いきなり自分の名前を呼ばれたゼニシエンタは、慌ててササレクタにお辞儀をする。
ふっ。許せ、ゼニシエンタ。
ダシに使ってごめんよ。
「ゼ、ゼニシエンタと申します。最近姫様の侍従官としてこちらに――」
「ああ、あなたが。大丈夫ですわ。クロウガル様から聞いてますわよ」
ああ、何だ。爺から聞いてんのか。
「よろしくお願いいたします!」
「ええ、こちらこそ。これからもお仕事頑張って下さいまし」
「はい! 精一杯頑張ります!」
「う・ふ・ふ。ええ期待していますわ」
――ていうか、何で爺?
私の侍従官一人一人について、いちいちササレクタに教えるかね?
ゼニシエンタの食いっぷりが、話のネタにでもなってんのか?
まあ、いいけど。
「ササ、今日はいつもみたく無礼講だ。それで頼むぞ」
「ああ、なるほど。姫ちゃんの所ってそうでしたわね。それで――」
「ササ、そっちに座ってくれ」
私はちょいちょいと手を振ると、ササレクタに自分の対面に座るよう促した。
「分かりましたわ」
彼女はそれにつられて、私が指定した席に優雅に座る。
さあて、宴会の仕切り直しと行こうじゃないか!
「ゼニシエンタ、ササに美味しい料理を」
「はい!」
ゼニシエンタの手によって、料理やおつまみの乗ったお皿が並べられていく。
ササレクタが来た時の為にと、別によけておいたものだ。
それから焜炉も一緒に置かれた。
これは私のじゃなくて、厨房から借りてきたものだ。
「シトエスカ、ササの杯を」
「はい、畏まりました」
そして、私の言葉にシトエスカがササレクタの前に杯を置き、とくとくとお酒を注ぎはじめた。
それが終わると私たちの分も注いでくれる。
お、今注いでくれているのは――これは先生のお酒だな。
先生のお酒はどれも美味しかったんだ。二人にも好評で何より。
ササレクタも気に入ってくれればいいねえ。
――あ、二人は何処に座ってもらおうかな?
私はふと気づいた。
ゼニシエンタはササレクタ初めてだから、私の隣で良いか。
シトエスカは――、うんあの子にも私の隣にいてもらおう。
さっきの事気にしてるかもしれないし、ここで向こうに座れとか言ったら良くないかもしれない。
「二人とも取り敢えず私の隣に座っとけ」
『はい』
ま、無礼講だし、そんなに気にすることでもないんだろうけどさ。
すると、
「あら、私の隣には座ってくれないんですの?」
ササレクタがふざけた様にそう言ってくれた。
「ふふん。この二人は私の侍従官だからな」
私は両隣に座った二人の肩を抱き寄せる。
「わわ、姫様!?」
「殿下!?」
「はっはっはっは!」
二人の顔を交互に見ると、彼女たちは驚いた顔をしていた。
でも嫌がってはいないと思います、はい。
嫌がってたら私は泣く。
「う・ふ・ふ!」
ササレクタは口許に手を当て、面白そうに笑って返した。
気遣いすまんな。
ちょっと雰囲気がおかしいって分かってたんだろう。
こいつの今の言葉で、私はシトエスカに「全然気にしてないよ」って無理なくもう一度伝えることが出来た。
それに場の雰囲気が宴会をし易いよう明るくなっている。
「まあ後で酌でもしてやってくれ、二人とも! はっはっは!」
『はい!』
「う・ふ・ふ。よろしくお願いしますわ」
「よおし!」
私は、ササレクタが言い終わるの見て杯を掲げ、皆がそれに続いて杯を掲げた。
「じゃあ改めて――乾杯だ!」
『乾杯!』
くうぅぅう! 先生のお酒最っ高!
「ササレクタ様、これどうぞ! 今丁度焼き上がりました!」
ササレクタの右隣に座っているゼニシエンタが、嬉しそうに料理を勧めた。
「あら、ありがとうですわ。じゃあゼニシエンタちゃんも一緒に食べましょ?」
「わあ……! はい!」
彼女は、ササレクタに言われた言葉に、パーッと笑顔になりながら頷いた。
………………。
「ササレクタお姉様。そちらの料理でしたら、こちらのお酒をお試しになられてもよろしいかと」
今度はササレクタの左隣に座っているシトエスカが、嬉しそうにお酒を勧めた。
「そう? じゃあ注いで下さるかしら?」
「はい!」
「シトエスカちゃんは、本当に気が回りますわねえ」
「わあ……! ありがとうございます、お姉様!」
彼女は、ササレクタに言われた言葉に、うっとりしながら両手を頬にあてた。
………………。
「二人とも可愛いし、本当にいい子たちですわねえ」
両脇に美少女を侍らせたササレクタはそう言うと、二人の頭に手を置いてゆっくりと優しく撫でる。
撫でられた二人はすんごい嬉しそうに笑っていた。
………………。
「…………おい」
「何ですの?」
「いや……、何でもない……」
「?」
うう……!
取られた!
私の侍従官が取られたよおおお!!
さっきからあの二人ずっとあんな感じなんだよおお!
宴会を再開してしばらくして。
シトエスカがお酌をするって言って、私の時と同じようにササレクタの隣に座ったんだ。
そしたら奴の今みたいな甘い毒牙にかかり、こっちに帰ってこなかった。
それからササレクタは、有ろう事かゼニシエンタまでも誘惑したのだ。
料理を巧みに使ってね。
「この料理美味しそうですから、ゼニシエンタちゃんもこっち来て食べません?」とか言っちゃってさ!
あの子の弱点を突いた実に見事な作戦だった。
ゼニシエンタは勿論その誘惑にまんまと騙され、ふらふらと奴に連れ去られてしまったよ。
そのまま二人は私の元に帰ってこないんだ。 おかげで私はこっちで一人ぼっちだよ!
ていうか、私の時と全然違うんですけど!? 頭撫でられてすっごい嬉しそうなんですけど!
私の時はおっかなびっくりだったのに、なんでササレクタだとそんな顔するんだよ!
そして、お姉様ってなんなんだよおお! シトエスカあああ!
うわああああん!
果たして今の彼女は、一体どんな酒癖が出ているんだろうか?
私、気になります!




