第12話 水面下 その2
◆シビアナ視点◆
「――ではあなた、宜しくお願いしますね?」
「分かった。それじゃあ準備しよう」
「はい」
私と夫は今、西黄館の二階にある受付にいます。
殿下が面白い格好でクロウガル様達に連行されていくのを見送った後、私は預けていた服を受け取る為この受付にて返却の手続きを行っているのです。
西黄服はこのまま着て帰るつもりです。
上に一枚羽織れば肌寒くもありませんし。
夫には、殿下が購入された食材を届けてもらうべく、王宮に戻ることを頼んでいます。
今日は殿下のお蔭で随分と楽しめましたし、欲しいアクセサリーも全部買えました。
テレルにも服をプレゼントして下さいましたし、最後にはあのような面白ハプニングまで。
ですので、これは私からのささやかなお返しという訳です。
夜勤をしてもらうシトエスカとゼニシエンタには、毒見をするよう言伝もお願いしています。
今回は私と殿下がチェックしている上、ゼニシエンタがいます。
ですから、シトエスカまでもが毒見をする必要はないのですが、西黄館の食材は美味しものが揃っていますからね。
小腹のすく頃ですし丁度いいでしょう。
ふふっ。
お返しにと言った手前、殿下には少々申し訳なく思いますが、毒見という建前がある以上怒られることもないですし、日頃から頑張っているあの二人には、こういったイベントも偶には悪くありません。
それに、今夜はどのみち宴会のようなことになるのは明白ですから、シドー様から頂いたお酒の毒見を兼ねて、そのまま殿下と一緒に楽しく飲んでもらいましょう。
シドー様からのお土産とはいえ異国のお酒。
念を入れることに越したことはありませんから。
これもそういう建前、と言う事に致します。
この建前が通じるのはゼニシエンタがいるからこそ、ですね。
そして、私がこう言えるのには、当然のことながら理由があります。
彼女――ゼニシエンタは、とても素晴らしい能力を持っているのです。
毒見というものは、即効性の毒には効果的ですが、遅効性の毒には殆ど意味がありません。
毒が盛られているかの判別は、毒見役の人間が殿下にお出しする食事を食した後に、その体に異常が出るかどうかで確認します。
そのため、例えば一日程経ってから、効果を発揮し始めるような毒物を摂取していた場合は、毒見役に現れる効果を確認する前に殿下がその食事を口にしていることになりますので、手遅れになる可能性が高いのです。
もちろん王宮内では、食材に対して厳正な検査が行われています。
しかし、今回の様な王宮の外で購入した食材を、すぐに食べるというケースとなると、私と殿下の毒を見分ける能力や経験を鑑みたとしても、些か不安がつきまとう事になります。
毒見をしても即効性の毒は回避できますが、遅効性の毒であった場合は回避できていないわけです。
しかしそこで、ゼニシエンタの出番となります。
食いしん坊さんの彼女は、食に対して並々ならぬ情熱を燃やすその性格のせいか、食材が腐っているかどうかを見極める為に、何度も何度も食あたりを起していたそうです。
彼女からしてみれば別に見極める為ではなく、「食べ物を粗末にするなんて許せない。多少腐っていても私ならいける」という、このスタンスを貫いていただけらしいのですけど。
まあ、ものの見方は色々ありますので。
見極める為に頑張ったという方が、格好いい気が致しますから私はそう思う様にしています。
ともかく、その貪欲なまでに体を張った成果なのでしょうか。
彼女が食材に何か違和感を感じる時は、驚くことに百パーセントの確率で体に悪いものが入っています。
なんと彼女は、食あたりを幾度となく経験し死の淵をさまよい続けた結果、どんなに微量な毒でも見逃さないスーパーセンサーを手に入れていたのです。
このセンサーは食材を口にする必要がありません。見ただけで分かるようですね。
直感というものでしょう。
よって、彼女のこの能力の前では、毒の種類や効果など関係ありません。
毒は無意味であり、食事で毒殺することは不可能です。
お蔭でゼニシエンタは、買い食いのお好きな殿下にとって、非常に貴重な人材となりました。
今回は例外となりますが、殿下の外出には彼女も同行させています。
そして、殿下の食する物には、必ず彼女のチェックを入れるようにしているのです。
ちなみに彼女には、自分が専任の毒見役に就いていることは伝えてはおりません。
あくまで、他の侍従官と同じ仕事の一環としてお願いしています。
変に伝えて、いらぬ緊張や責任を押し付けても、そのストレスで参ってしまい判断ミスにつながる可能性もありますから。
彼女には、今後とも何も知らないままで毒見役をお願い致しましょう。
「シビアナ」
「はい?」
私が受付で手続きをしていると、夫が声を掛けてきたので振り向きました。
夫は片手に大きな荷物を抱えています。
走って食材が入った紙袋が破れてもいいよう、布生地で包む作業が終わったようです。
この布生地は、この階で新たに購入いたしました。もちろん殿下名義です。
これで王宮に向かう準備は終わりましたね。
「待ち合わせはどうする?」
夫がそう尋ねてきました。
ああ、なるほど。そうでした。
合流場所を伝えていませんでしたね。
夫には殿下へ荷物を届け次第、私を迎えに来てもらう予定なのです。
そして、そのまま馬車に乗って自宅へ帰ります。
殿下捕獲のために移動させられた馬車の位置は、近衛騎士の方から聞いておりますので問題ありません。
私達にも大きな荷物がありますので、この馬車での帰宅はとても有難い事ですね。
ええ、本当に。
「そうですね……。ここでよろしいかと」
素早く考えを巡して、私はそう答えました。
「そうだな……。西黄館のこの階なら人込みもないし、大丈夫か」
「はい、ほどほどに人目もつく場所ですからね」
「ああ」
夫が王宮から戻ってきたら二人仲良く馬車の御者席に座り、手でも繋いでのんびりと帰りましょう。
こういうのも悪くありませんね。まったりドライブデートです。
荷物は馬車の中にでも入れておけばいいですね。
家に帰ったら、夕食作りを手伝いましょう。
私達が帰る頃には、既に家の者が夕食を作り始めているはずです。
今夜の為に西黄の食材を厳選して、精の付く料理を作ることに致しましょうか。
予定より少し遅くなりそうですから、私が作れるのは二、三品くらいになりそうですね。
全て私が作るとなると時間が掛かりますし、テレルがお腹ペコペコになってしまってはいけませんから。
残念ですが無理をせず、そのくらいにしておきましょう。
ああでも、デザートは作りますか。
西黄の果物を使ったものでとなると――。
そういえば昨日作ったプリンが冷蔵庫にありましたね。
となると、プリン・アラ・モードがいいでしょうか。
あの子も大好きなプリンに、ほんのりと甘いクリームを果物と一緒にたっぷり添えましょう。
シドー様から頂いたローリエちゃんのお菓子もありますし、今夜はデザートも豪勢な夕食になりそうですね。
それと、テレルには殿下からのプレゼントも渡さなければなりません。
あの子は西黄服を持っていませんから、初めて着る異国の服に喜んでくれるといいですね。
私は夫が西黄服を着た我が子を見て、どう反応するのかを見るのも楽しみです。
私と並んでいるところを見てもらいましょうか。
それも一興ですね。
この西黄服も大活躍でした。
殿下の崩壊っぷりも面白かったですし、夫を落とすことにも一役買ってもらいましたからね。
ですが、取り置きのアクセサリーをつけた時が、一番の見せ場でした。
その後、近衛騎士の皆様に私達の仲睦ましい姿を見て頂き、夫婦円満であることをお知らせする事が出来たのは僥倖でしたね。
これで、王宮内にもこの事が知れ渡る事でしょう。
こういうのは定期的にやっておかないといけません。
よからぬ虫が悪さをする為に集ってきますので。
――そうそう。
忘れぬうちに伝えておきましょう。
「あなた」
「何だい?」
「くれぐれも、あの女狐――ササレクタ様に気付かれないように」
「う、うん……」
ササレクタ様は、まだ未練たらたらのようですから、もし気付かれたら何があるか分かりません。
よって私のいないところで、夫があの女狐と会うのは厳禁です。
シカルアヒダの王族の方がいらっしゃっているのが分かってから、ササレクタ様が戻ってきているのではと懸念しておりましたが、まさか本当に戻ってきているとは。
せっかく今日は、一日中楽しいこと尽くしでしたのに台無しですね。
早くどこぞの馬の骨とでも結婚してくれないでしょうか。
そうなれば、こちらとしても非常にありがたいのですが。
結婚祝いも奮発いたしますのに。
本当に諦めの悪い方ですよね、ササレクタ様は。
ふふっ。
死ねばいいのに。
おっと、いけませんね。
私としたことが、ついついこの様な事を考えてしまいました。
あの女狐は、あれでもこの国最強の戦闘能力を持つ一人です。
いなくなったら、いなくなったらで大きな問題が出てきます。ままならないものです。
しかし、よくもまあ至極天という、あんなとんでも武器を軽々と振り回せますね。
人間の身長と比較してみたのですが、あれは全長十メートルくらいはあるのではないでしょうか。
そんなものを武器として扱えるなんて、この世界における人間の身体能力はどうなっているのやら。
――ふう。
この世界の人間が非常識だと、こんなことを考えるのは、私が持つもう一つの世界の知識によるものでしょう。
役には立っているのですが……。
ただ、不意に私は何なのだろうと自問したくなる時があります。
前世からくる人格というようなものは、今の所感じたことはありません。
誰かの人生を覚えている、というものではないようです。
本で読んだ知識や情報が記憶になっているような感じといいいますか……。
そうですね歴史、のような感じでしょうか?
上手く表現できませんね。
しかし、何故私はこのような記憶――知識を手に入れてしまったのでしょうか。
やはりあの時、私の身にも何か変化があったのでしょうか。
……………。
――エラクツォーネ様。
「シビアナ?」
――と、いけません。考え込みそうになっていたようです。
夫が不思議そうに私の顔を覗き込んでいるのに気付きました。
「ああ、御免なさい。少し考え事を」
「そ、そうか……。ま、まあ心配するな。ちゃんと見つからない様にするから」
ふふっ。
夫は何やら勘違いをしているみたいですね。
まあササレクタ様については、私達の仲睦まじい姿を見せつけることが出来ましたし、今日の所は実に見事な牽制になったので良しとしましょう。
とはいえ――。
「絶対にですよ?」
上目づかいで念を押しておきましょうか。
くれぐれも関わらない様に……。
「だ、大丈夫だ。馬車が通る道は決まっている。外門をくぐったのを確認したら、充分距離を空けて遠回りするよ」
「はい、あなたならそれでも馬車を追い越せますしね」
ふふっ。
私が上目づかいをすると、あなたはそうやって照れた顔をするようになりましたね。
可愛らしいことです。
効果があって何より。
出会った頃は全く反応を示さなかった夫も変わったものです。
ああ昔を思い出しますね。
ちなみに、この私の上目づかいは、夫にしか使ったことがありません。
今後とも使う気は一切ありませんね。夫に効果があれば良いのです。
「では行ってくるよ」
「はい」
夫は荷物を抱えて歩き出しました。
――おや?
「あ、待ってください」
階段に向かおうとしていた夫を呼び止めます。
「ん? どうした?」
「服が乱れています」
「そうか?」
「ええ」
そう言って私は夫に近寄ると、気になる個所を正し始めました。
「…………」
これから走って王宮に戻るのですから、すぐに衣服は乱れるというのは分かっています。
夫もそれは分かっている筈です。
ですが――。
「…………」
夫は何も言いません。私が直すのをじっと待ってくれています。
――ふふっ。
お互い言葉はありませんが、私はこの沈黙の時間が好きですね。
「――はい、これで大丈夫です」
「ありがとう、シビアナ」
夫の言葉に、私は笑顔で答えました。
「早く帰ってきて下さいね」
「ああ」
そう返事を返した夫が、再び階段に向かって歩き出します。
私は、夫が見えなくなるまで手を振って見送りました。
――さて。
それでは夫が帰ってくるまでに、私は私でお仕事を終わらせましょうか。




