第6話 宰相クロウガル
カンカンカン!! カンカンカン!!
緊急事態発生! 緊急事態発生!
カンカンカン!!
頭の中でけたたましい警鐘の音が鳴り響く。
やばい、やばい、やばい――!
何でお前が来てるんだよ!
私が非常に焦っている目の前に現れたこの大柄な爺。
トゥアール王国宰相クロウガルは、父様によって任ぜられた内政の最高責任者だ。
裁量が非常に上手く、内政がきちんと回っているのはこの爺がいることが大きい。
そのため父様は、内政の殆どを丸投げしている。
私に対しては非常に口煩い。事あるごとに説教、説教、説教だ。しかも長い!
私が視察という名目を立てたのは、こいつのその長ったらしい説教を回避する為だった。
しかし、今この状況でバレたら意味がない。
おつまみ買ってるもの。西黄服着てるもの。
私の事を良く知るこの爺はそれだけで全てを察する。
最悪だ……。
もしも私の正体がバレたら遊んでいた罰として、おつまみちゃんが没収されてしまう!
そして、そのまま説教を喰らうことに。
私は今までの経験から、この後起こるであろう最悪の事態を容易に想像できた。
しかし不幸中の幸いか、私の変装はバレていないようだ。その証拠にこちらに一度も視線を向けていない。
おさげの赤い髪に私の素顔を隠す眼鏡。それに今は西黄服を着ている。
普段の私とは似ても似つかぬ恰好だ。随分と印象が変わって見えるはず。
このため爺は私の事に気付かずにいるみたいだ。
とはいえ、この場から不用意に立ち去るのは爺の注意を引くことになりかねない。
今は動かず何食わぬ顔をして状況を静観だ。
ああっ! どうかこのまま私に気付きませんように!
クロウガルは胸下まで伸びたご自慢の白い顎髭を三つに分けて三つ編みにしている。
その髭を撫でながらゆっくりと近づいてきた。
老眼鏡がキラリと光り、その奥に潜む瞳を一瞬隠す。
「ミーレ様。この国で宰相を務めております、サイリ・クロウガルと申します。クロウガルとお呼び下さい」
ニコニコとして見た目は好々爺然としてはいるが、侮ることなかれ伊達に内政を長年取り仕切ってはいない。海千山千の恐ろしい爺だ。
「シカルアヒダ・ミーレ・モーサです! 初めましてクロウガル様!」
私は爺に元気よく挨拶をするミーレちゃんを横目に脱出計画を練り始める。
とにかくまずは情報収集だ。爺、お前は何しにここへ来た?
私は爺とミーレちゃんの会話にそば耳を立てる。
「ほっほっほっ! 笑顔が大変お可愛いですな! こちらこそよろしくお願い申しげます。今晩はシドーの所にお泊りになりたいとの事でしたので、こちらからも警備の兵を連れて参りました。それとシドーには既にミーレ様が向かわれる事と伝え、宿泊の用意も整えさせております。どうぞごゆっくりなさって下さい」
「ご配慮痛み入ります! クロウガル様!」
爺は挨拶がてらここに来たっぽいな。
先生に関しては爺が手配済み。ミーレちゃんは先生の所でお泊りする……と。っておいおい大丈夫かよ。
あの屋敷、結構機密に関する物とかあるんじゃないか? この人数なら問題あるだろ。
うーん。
でも爺が責任を持ってやってるみたいだしなあ。お蔭で私のやることが無くなったのありがたい。
任せてもいいか……。
あ、いや……ローリエの事がある。婚約の事は爺も知らんかもしれんし、心配だからそこは私から通達を出しておこうか。
――っといけない。今は私の脱出方法を考えるのが先だ。
「ほっほっほっ。このくらい、どうと言う事もありませぬよ。シークリッド殿、すぐにここを立たれますかな?」
「はい。そのつもりです。ですので一旦迎賓室に戻って支度を済ませようかと――」
そう、問題はミーレちゃんがこの場を去った時だ。私一人が取り残されてしまう。
その時は否応なく爺の目に留まることだろう。バレる可能性がどんと跳ね上がる。
ああっどうしよう!
「そうですか。ではこちらは外で待機させるように致しましょう」
「お気づかいありがとうございます、クロウガル様」
「ほっほっほっ。いやいやお気になさらず」
や、やばいな時間がない。これすぐにでも動き出しそうだぞ。
しかし私にはこれといった案が思い浮かばなかった。焦る気持ちが体中を駆け巡る。
ええいっ! ここまで準備して今さら引けるか! 没収されるなんて冗談じゃないぞ!
よーし!!
こうなったら強行突破も辞さない。私の正体とかそんなん知るか!
本気でやってやるわっ!! 我が酒宴を守らんが為、私はやるぞ!
私が本気を出せば、すぐさま正体がばれることは必至。
ああそうだとも説教は覚悟の上だ!
だがしかし!! おつまみちゃんは守ってみせる!
ここから王宮までそう遠くはない。必ず逃げ切ってみせるぞ!
近衛騎士が何人いようとも関係ない。私なら速攻で抜き去ることができるだろう。
私の寝室にはこんな時の為に秘密の隠し部屋がある。
王宮に戻って、そこにおつまみちゃんを即座に隠せば私の勝ちだ。
その後はどうとでもするがいいさ! 説教ならいくらでも受けてやるわ!
覚悟を決めた私はすぐに行動を起せるように、ゆっくりと後ろ足でおつまみが置いてある長椅子の端に向かった。
ミーレちゃんがいなくなったら荷物を持って一気に行くぞ……。
少しずつだ。ゆっくりと――。
――ん? 何だ?
私は鉄格子の扉から強い気配を感じ目をやった。
するとその扉をくぐり、細身で背の高い一人の女性が酷くゆっくりとした足取りで現れた。
太ももの辺りまで伸びた水色の髪が、その落ち着き払った歩調に合わせるよう優雅に棚引く。
髪を所々で三つ編みにしており、宝石の付いた幾つもの髪留めがキラキラと美しく輝いていた。
ぎゃあああ!? 嘘だろ、おい!
遠くても一目で美女だと分かるその顔に私は見覚えがあった。
紫色をした凍てつくようなその鋭い瞳。薄い紅色のその小さな唇。透き通るようなその白い肌。
そして、すらっとしたその胸!
――ササレクタ!!
やっぱりミーレちゃんと一緒に帰ってきてたのか!
しかもこいつ扉の前から動こうとしないんですけど!
ササレクタは扉をくぐると歩くのやめ、そのままその場所を動かなかった。まるで門番の様だ。
よって鉄格子の扉は、難攻不落の城門と化す。
おのれササレクタめ! 私の邪魔をしやがってええ!
これでは強行突破は無理だ。理由如何に関わらず足止めは確実にくらう。
その間に爺が一言いえばササレクタは私を止めにくるだろう。これは危険すぎるわ。
ううっどうする!? 後ろの壁を蹴破るか? いやしかしそんな事は――!
「――ではミーレ様、私はこの場で失礼いたしますが、また会える日を楽しみにしております」
「はい! こちらこそ楽しみにしております!」
げっ!? 話終わったのか?
私が混乱してるうちに話が終わったみたいだ。シカルアヒダの面々が迎賓室に向かって動き出す。
さ、作戦変更だ!
よ、よし、ここはとりあえず、ちょっとこの場を一緒に離れようじゃないか。
私も西黄服を着ているし、関係者と思われているだろうから、途中までならいけるはずだ。
荷物を持って歩くのは目立つから、他の客に紛れてこっそり戻って回収すればいい!
おお! 何だ中々いい作戦じゃないか! これなら強行突破なんかするよりずっと――。
「それじゃあね、お姉ちゃん!」
ミーレちゃあああん! そりゃないよおお!!
即座に私の作戦を叩き潰す伏兵ミーレちゃん。
そして周囲の注目を一身に浴びることになってしまった置き去りにされる私。
「う、うん。それじゃあね……」
「うん! じゃあね!」
最早手遅れであろうとも、これ以上注目を浴びたくない私だったが、ミーレちゃんに笑顔で手を振られては返さないわけにはいかない。
心の中で悲鳴を上げつつ無理矢理笑顔を作って見送った。
まあ、あれだけ仲良くなったんだもんな……。この流れじゃあ、お別れの挨拶をもう一度くらいしてもおかしくないよね……。とほほ。
ミーレちゃんがシークリッドに連れられて迎賓室に向かっていく。
シカルアヒダの者達はその後に続きぞろぞろと歩き出した。
その間、何とも言えない微妙な空気が私の周りに漂っていましたとも。
今私は、爺をはじめトゥアール王国の面々に注目されてます。
「あれ誰?」「さあ?」みたいな声も聞こえる。
ううっ。針の筵とはこの事……。
ミーレちゃん達が迎賓室の内に消えていくと、静まり返った周囲からの疑いの目が更に強くなる。
さ、さあてミーレちゃんもいなくなったことだし私もちょっと店内を物色しようかなあ。
私は内心ドキドキしながら爺に背を向けゆっくりと歩き出した。
バレマセンヨウニ。バレマセンヨウニ。バレマセンヨウニ――。
「――そちらの者は?」
ぎっくりんこ!!
私の事を不審に思わないわけなかった……。
当然の様に爺から疑問が投げかけられる。
終わったあ……。
唯一の出入り口はササレクタに塞がれてしまっている。
流石に壁を破壊することはできない。そんな事をすれば説教では済まないし、もっと大きな問題に発展する。
これではもうどうしようもないよ。
ああ、これでこのまま私の変装がばれて、おつまみちゃんに爺の魔の手が伸びるのか。
そして私には説教という名の拷問が待っている。
うわああん。せっかく楽しみにしていた今夜の予定が台無しだよおお。
「クロウガル様」
その言葉に私と爺が振り向いた。
そ、その声は――!
「ん? シビアナか? それにイージャンもおるではないか」
買い物を終えたシビアナ達が帰って来た!
シビアナああん! そうだよ、こいつがいた。全部こいつに任せればいいじゃない!
何この安心感!! シビアナ最高、愛してる! ひゃっほーい!
シビアナ、何とかここを切り抜けておくれ!
シビアナが戻ってきたことは大きい。こいつが味方になった時の信頼っぷりは半端ないぜ!
今回シビアナは私と一蓮托生だ。私を助けないと一緒に説教だもんな! わははは!
イージャン、お前もお兄ちゃんとして私の為に――ってあれ?
シビアナの隣にいるイージャンは近衛騎士達に生温い目を向けられ、赤い顔してすんごい恥ずかしそうにしていた。
目のやり場に困っているみたいで自分の顔をあっちにやったり、こっちにやったりして忙しそう。
あーあ。
まあ夫婦仲良くだもんなあ。さっきまで腕組んでたし。
ばっちり見られてるんだろうな。
明日には騎士隊中にこの事が広まっているだろうて。
「………………ちっ!」
ササレクタが舌打ちした……。
ここまで聞こえてきたわ。気持ちは分からんでもないがな。
えーと。
ずっとこっち睨んでるんですけど。どしたん?
どうやらシビアナとササレクタの間に火花が散っているみたいだ。
――ああ、ササレクタはイージャンに惚れてたんだっけか?
色々と仕掛けてもイージャンは全く気付かなかったそうだが、確かそんな事があったらしいな。
イージャンが色恋沙汰に疎かったというこの手の話はシビアナから聞いたんだけどね。
イージャンは他にも言い寄られていたが、この朴念仁はそれがよく分かっていなかったらしい。
シビアナ曰く、「夫は元鈍感系主人公ですから」だって。何だそりゃ。
元がつくのは今はそうじゃないって事なんだけど、これもシビアナ曰く、「色々矯正しましたので」だって。
その後「骨が折れました」ってぼやいてたな。私は意味が分からんし興味もないから適当に流したっけ。
「シビアナ、どうしてここにおるのだ? 姫様はどうした? 王宮にはおらんかったぞ?」
爺の顔が険しくなる。
げっ! いきなり核心を突いてきやがった。
いやいや大丈夫。この程度シビアナにかかれば、どうということもない。
言ったれシビアナ!
ササレクタに余裕の笑顔を向けていたシビアナが口を開いた。
「はい。殿下に今日は早めに帰るよう夫共々ご命令を頂きましたので、買い物をして帰ろうかと」
ああんっシビアナ! やばいって! それ、ちょっと答えになってないんじゃ――。
――いや待て、落ち着けい、リリシーナ!
これは好機じゃないか! 私の事をイージャンの妹って信じ込ませればいいんだよ!
シビアナのこの言い方は、王宮から自宅へ帰る途中だと聞こえる。そう、王宮からだ。
シビアナは大体私と一緒にいる事が多い。そのシビアナが王宮から自宅へ帰っている途中だといったら、普通に考えれば私は王宮にいると取るはずだ。
これは、「爺と私達が行き違いになっただけで、殿下は王宮にいるのでは?」と言っているのと同じこと。
私は王宮にいるという、この先入観を上手く利用すれば――!
「おお、そうか。夫婦仲が良くて大変結構な事だな。うむうむ。ならばよい」
「ありがとうございます」
どきどき。
「良い良い。偶には夫と買い物でもして気晴らしでもせんとな。ほっほっほっ」
「ふふふっ。はい、ありがとうございます。クロウガル様」
――私が何処にいるかの追及がこない!
よし! 引っ掛かった!
私は王宮にいると錯覚しているはずだ。
これで私をイージャンの妹だと信じ込ませ易くなったぞ!
後は私が目立たない体でイージャンの妹を演じればいい。
いやあ流石はシビアナだぜ。自分たち夫婦への嫌疑を躱しつつ、私にも救いの手を差し伸べてくれた。
しかもあいつも嘘言ってないんだよな。向こうが勝手に勘違いしただけだし。
いつもこうなら良いのになあ。
「クロウガル様はどうしてこちらに?」
「うむ。非公式でな、こちらにシカルアヒダ王国のミーレ王女がおいでになられておるのだ。今回はシドーに会うのが目的で、急な来訪とミーレ様が幼いのを理由に、陛下への謁見等々は求められなかったのだが、このまま誰も挨拶をしないというのも些か失礼だからな。姫様がおらんから私が代わりに来たのだよ」
「…………そうでございましたか」
私の代わりに爺が来たのか……。
今日私が先生に会いに行かなければ、ミーレちゃんとはリリシーナ王女として会ってたってわけだ。
第一印象は大事。
もしそうなってたら、また違った印象を持ったかもね。
「陛下もあの性格だからな。シカルアヒダ側がそれで良いなら、シドーに相手をさせるだけで別に良いとおっしゃっていたのだが……。まあ友好国のシカルアヒダに対して、礼を尽くす事は無駄にはならんじゃろうて」
「はい」
「で……そちらの者は?」
ぐおっ。ついに本格的な追及の手がこちらに及んできた。
よ、よしリリシーナ! 女優になるんだ。
いける、いけるはずだ。
今の今まで私の変装はバレていない。完璧なんだよ、この変装は!
見事イージャンの妹を演じきってみせるのだ!
そして栄光をわが手に!
私の乙女心の一つ、『仮面の女優』が発動!
やったるわ!
「イ、イージャンの妹、リンと申します……!」
そう言いつつ緊張している感じでぎこちなく頭を下げる。
声も勿論変えた。ローリエのように少し慌てて焦っているような声だ。
よおし見てろよお……。
ちょっと引っ込み思案で、あまり人と話すのが好きではない感じを演技して、早々に会話を終わらしてやる!
そして、このままイージャンの妹を装い何食わぬ顔でまかり通ってやるわっ!
頼むぞシビアナ、話を合わせてくれ!
不安要素はイージャンだ。真面目だからこういう事は苦手のはず。
しかし、こいつに話が及んだ場合はすかさず私が答える!
おどおどした感じで行けばいいはずだ。任せておけ!
…………。
…………。
あれ? 反応がないんですけど。
「イージャンに兄弟姉妹はおりませぬぞ、姫様?」
「えええっ嘘!? あっ!? しまった!!」
声に出てちゃった……。
周囲は静まり返っている。
えーと。
「………………こほん」
どうしようこれ。
「――あのお……。実は私隠し子でぇ。遠い街から兄に会いにぃ――」
「姫様?」
「はい……」
駄目か。姫様って言ってるもんね……。
うわあああん。まさか演技ではなく設定が駄目だったとは。
流石は宰相閣下ですこと。部下の家族構成をよく御存じで。
ああっ! 設定が大事だって自分で言ってたのに……! 馬鹿! 馬鹿! 私の馬鹿!! 馬鹿馬鹿!!
がっくし。
私は精も根も尽き果てた。
「――それで? ここで何をしておいでですかな?」
「い、いやあ……。視察をね、してたんだよ。うん」
「ほお、視察ですか……。それならもっと堂々としておられたら、よろしいではありませぬかな? それとも何か後ろめたいことでも?」
「い、いや。無い。無いさ……」
はははっ。無い訳がない。
「後ろの荷物は大きいですなあ。姫様……」
げっ!
「あ、あれはシビアナが夕食用に持って帰るんだよ! 私が買ったんじゃないんだ!」
「そうですか。では詳しい話は馬車の中で聞きましょうかな?」
「ちょっ――!」
それって私達が乗って来た馬車に乗れないって事!?
だとしたら先生から貰ったお酒も飲めないじゃないか!!
「観念なさいな、姫ちゃん」
いきなり後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、肌の感触が私の背中に伝わってくる。
私はいつの間にかササレクタに後ろから抱きかかえられていた。
「ササレクタ!? お、お前! は、離せえええ!」
「だーめ」
やられた! こいつ初めから私の捕獲が目的かよ!!
だから扉の前にいたんだ! 私を逃がさないために!
って事は、爺も初めから私がここにいることを知っていたのか!?
「うおおおおお!!」
じたばた動いてもササレクタの拘束を解くことが出来ない。
相変わらずの馬鹿力が!
くそっ! こうなったら意地でも――!
「――力使っちゃ駄目よ? 分かってるでしょ?」
「うっ」
ササレクタが私の行動を読んで、耳元で釘をさす。
「頼むぞ、ササレクタ」
「はーい。畏まり」
「うわ!? お、おい何を――!」
私はそのままひょいっと後ろから持ち上げられれてしまった。
子供か私は!
「それとシビアナ、買った物は全てお前が持って帰るようにな」
「じ、じじい!」
「はい。畏まりました」
止めさしてきやがった!
ぐおおお! シビアナ頼む!
私は何とか両腕を使ってシビアナに合図を送る。
(お酒とおつまみを私の部屋に届けてくれ!!)
「……?」
シビアナは首を傾げた。
お前ふざけんなよ!! 絶対分かってるだろうがっ!
「ほら、じたばたしないで行きますわよ」
いやああああ!
私は成す術がないまま、容赦なくササレクタに連行されていった。
◆三人称視点◆
「ネルルーサ!!」
シークリッドが勢いよく迎賓室の扉を開け放った。
西黄館の三階奥に位置するこの部屋は、二十人くらい入っても問題ない程の大きな部屋だ。
大きめの前室とその奥は大広間になっており、豪華な内装に合わせた大きな机とその机を挟んで長椅子が二つ向かい合って置いてあった。
彼は、その長椅子の一つに寝そべっている薄い褐色の肌をした若い女性――ネルルーサの姿を見つけると、どしどしと足音を立てて近づいて行った。
シークリッドの声にネルルーサは欠伸をしながら体を起こすと、ボブカットにされた自分の金髪をがしがしと掻く。右目はいつも髪にかかって隠れているため、ジトっとした左目だけが、ぼんやりとシークリッドの姿を映していた。
しばらくぼーっとしていたが、ようやく目が覚めたのかのんびりとした寝起きの声で、
「あ、お帰りー。お疲れさーん。それじゃあ行くのかなー?」
そう気だるげに答えると、両手を繋なぎ「んん゛ー」と天井に向かって伸びをした。
「ああ、用意してくれ――ってそうじゃない!」
「んー? どったの?」
「何でお前はここにいるんだ!?」
彼が怒るのも無理はない。メルルーサは護衛の責任者だ。
それなのに自分の主を放っておいて、こんな所で呑気に寝そべっているのは職務怠慢も甚だしい。
彼はそれを咎めていた。
「何でって……。何? おこ? おこなの?」
「おこだよ! お前は護衛もせずに何してんだ!」
「えーだって、ここにいろって言われたんだもん」
「ええぇえー……」
呆れるシークリッドにネルルーサは「私は悪くないもん」とぷくっと頬を膨らませる。
実にあざとい。しかし、ネルルーサは褐色ジト目美女。問題はなかった。
「くっくっくっ」
二人の様子を眺めながら向かいの長椅子に座り、侍従官達に自分の身支度をさせていた元凶が、悪い顔をしながら笑った。
「何考えてるですか、あんたは!? もし何かあったらどうするです!?」
笑わたことに怒るシークリッド。彼の怒りの矛先は自分の主である王女に向かう。
「なに、護衛は周囲にいたから大丈夫だよ」
王女は悪びれた様子もなく堂々としていた。
今の彼女は口調も雰囲気もリリシーナと話していた時は違う。
ここには、彼女本来の姿を知るものしかいない。その為、素の自分を出すことが出来ていた。
「あ、そうなんです? ――いえだとしても、軽率すぎますよ! それに見も知らない女性と話してるだなんて、肝が冷えましたよ!」
「あれは、リリシーナ殿下だよ」
さらりと言われたその言葉にシークリッドの動きがピタッと止まった。
「…………え?」
「変装してたがな。私の瞳に狂いはない。聞いていた通りだ。向こうも私の瞳を見て気付いていたよ。それに私がクロウガル殿にシカルアヒダだと名乗っても動揺なんぞ微塵も見せなかっただろう? 」
「ええぇえー……」
王女は、にやっと笑うと事情を話し始めた。
「お前が王宮へ行った後、侍従官が王女名義で買い物していると商館の者が報告をくれたんでな。詳しく聞いたら、その中に赤い髪をしている年頃の女の子もいると聞いてちょっと気になったのさ。三階に上がってきそうだったから、自分の目で様子を見ようと思ったんだよ」
「ええぇえー……」
「で、三階に上がってきたら、私のすぐ近くに座って来たんで話してみようと思ったのさ。それでそのままお前が帰ってくるまで話していたってわけだ」
「あれ? 何だろう。気分が悪くなってきた……。胸がきゅうってする」
日頃から振り回されているシークリッドの気苦労は絶えない。
最近しわが増えてきており、白髪も混じりだした。
「くっくっく」
シークリッドの反応に満足した王女はネルルーサに顔を移す。
「ネルルーサ、お前から見てリリシーナ殿下はどうだった?」
「赤い髪の子ですよね?」
「そうだ」
ネルルーサはここからリリシーナ達の様子を窺うよう命令を受けていた。
この部屋の豪華な扉にはその装飾に隠れるようにして小さい覗き窓がついている。
これを使えばそこから店内の様子が一望できるようになっているのだ。
今も別の者が店内の状況を監視するため、そののぞき窓を使っている。
「あれはやばい。あれこの部屋からこっそり見てなかったら気付かれてたなー」
「そうか。私もすぐに周囲に警護の者がいると気づいていたのは驚いたがな。流石シドー様の愛弟子だ。ササレクタ殿と比べてどうだ?」
「どうかなー? 同じくらいやばいかな?」
「ふむ。実際手合せしてみないと分からないか?」
「そんな感じですねー。あ、後あの侍従官とその隣にいた男もやばい。侍従官は別の意味でもやばい」
「だな」
「おっぱいでかすぎ。わろーた」
「うむ」
シビアナの胸を思い出しながら頷きあう二人であった。
「あんたらね……」
二人の能天気ぶりにたまらずシークリッドが口を開く。
「ただでさえ嘘ついてこの国来てんですからね!? ほんと勘弁してくださいよ! バレたら外交問題で済みません! 分かってるんですか!? ユーノ様!」
「はっはっは」
「はっはっは」
「何で二人して笑ってんの!?」
全く意に介さないこの二人に、シークリッドが報われる日は来るのであろうか。
頑張れシークリッド。負けるなシークリッド。例え胃に穴が開こうとも、自分の家族を養うため耐えるんだ!
「姫様、準備整いました」
「ああ、分かった」
侍従官達が王女の用意を終え後ろに下がると、王女は長椅子から立ち上がる。
「では行くとしよう」
「はいはいさー」
「はあ……胸の真ん中が痛い……今度はきりきりする」
「我が愛しい初恋の君に会いに!!」
シカルアヒダ王国第一王女、シカルアヒダ・ユーノ・モーサは高らかにそう宣言した。




