↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜叉と白夜 〜闇に仕える二人の鬼神〜  作者: ななお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

第八話 蛍

二日目の朝、夜叉と白夜《びゃくや》は鬼王の阿黒羅《あくら》に呼ばれ、朝食をともにすることになった。


部屋には、すでに王と紅葉《もみじ》が待っていた。

二人が入ると、紅葉の目が夜叉へ向く。

その顔を見た途端、頬に赤みが差した。


白夜はそれに気づき、隣を歩く夜叉を肘でつついた。

夜叉が振り向くと、白夜は紅葉へ目をやり、口元を緩めている。

夜叉は眉を寄せ、その肘を押し返した。


席に着いて朝食が始まってからも、紅葉の目は夜叉へ向けられていた。

箸を動かす手が止まり、結い上げた黒髪や、赤く縁取られた目元を見つめている。

夜叉が顔を上げると、紅葉は背筋を伸ばした。


「夜叉さま、白夜さま、昨夜はゆっくりお休みになれましたか」


夜叉は箸を置き、紅葉へ向き直った。


「ええ、ありがとうございます」


紅葉は笑みを浮かべた。

膳へ箸を置き、二人の顔を順に窺う。


「昨夜は、お二人とも部屋付きの者をお断りになったとか」


夜叉は頷いた。


「ええ、大切な方が待っておりますので」


紅葉の笑みが薄れた。

夜叉から目を外し、膝の上で両手を重ねる。


「そうですか」


伏せられた睫毛が、頬に影を落としていた。

やがて紅葉は息を吸い、顔を上げた。

口元へ笑みを戻し、二人を見渡す。


「本日は、街をご案内いたします」


夜叉は紅葉へ頭を下げかけた。


「そんなお気遣いは……」


紅葉の眉尻が下がった。

膝の上で指が重なり、黒い瞳が潤んでいく。


夜叉は眉を下げた。

隣の白夜へ目を向けた後、紅葉へ向き直る。


「ああ、では……ご案内をお願いしようかな」


紅葉の顔が明るくなった。

夜叉を見つめたまま、胸元へ両手を寄せる。


隣では、白夜が口元を押さえて俯いていた。

夜叉はその脇腹を、肘で小突き返した。


朝食を終えると、夜叉と白夜は紅葉に伴われ、街へ出た。


朝の通りには、荷を積んだ車や、籠を抱えた者たちが行き交っていた。

軒を連ねた店では戸が開け放たれ、店主たちが品を並べている。

巻いた布を肩に担ぐ者の脇を、空の荷車を引く者が通り抜けた。

車輪の音に、店先から飛ぶ呼び声が重なる。


紅葉は通りの先を示し、二人を振り返った。


「この先が市です。朝は特に賑わうのですよ」


通りを進むにつれ、行き交う者たちの肩越しに色とりどりの品が見えてきた。

浅い籠には果物が山と盛られ、その隣には口を折り返した穀物の袋が並ぶ。

軒先から吊るされた干し肉の下で、店主が客の差し出す銭を数えていた。


焼き物を並べる店もあれば、布を広げ、手触りを確かめさせている店もある。

女たちが布の端を指でつまみ、互いの顔へ当てては笑い合った。

その足元では、菓子を見つけた子どもが母親の袖を引いている。


炭火で炙られた肉から脂が落ち、煙が立ち上った。

香ばしい匂いに白夜が顔を向けると、店の男と目が合う。

男は白夜の白髪から、隣に立つ夜叉の黒髪へ目を移し、顔をほころばせた。


「おお、黒竜を討ってくださったお二人ではありませんか!」


その声に、近くで品を選んでいた者たちも振り返った。

紅葉の姿を認めて頭を下げる者に交じり、二人へ手を振る者もいる。


夜叉は男へ片手を上げた。


「今日は、姫に街を案内していただいている」


男は火の上から串を取り上げ、傍らの皿へ移した。

紅葉にも頭を下げ、笑顔で二人を見送る。


「どうぞ、ごゆっくり。腹が空いたら、お立ち寄りください!」


白夜も会釈を返し、夜叉とともに歩き出した。

数歩進めば、別の店先からも声がかかる。

夜叉はそのたびに顔を向け、紅葉も二人に合わせて歩調を緩めていた。


夜叉は通りを見渡した。

前に街へ戻った時は、押し寄せる者たちに囲まれ、店を眺める余裕もなかった。

今は、声を張る商人の顔も、品を選ぶ客の手元もよく見える。


脇の店から、金属を打つ音が響いた。

開いた戸の向こうで、職人が小さな金具を挟み、槌を振るっている。

店先には櫛や簪《かんざし》、帯留めが並び、磨かれた飾りに朝の光が走った。


紅葉は夜叉がそちらを見たことに気づき、足を止めた。

脇へ身を寄せて二人に道を空け、並べられた細工物へ手を差し向ける。


夜叉と白夜が店先へ近づくと、職人が槌を持つ手を休めた。


並んだ簪の中に、紫の石をあしらった一本があった。

夜叉の目が、そこで止まる。

石の奥に、こちらを見上げてくる闇の瞳が浮かんだ。


「これを、もらえるか」


職人は簪を取り上げ、布に包んで差し出した。

夜叉は代金を払い、包みを懐へ収める。


紅葉は、その手元から目を離さなかった。


「……その方への、贈り物ですか」


夜叉は懐へ手を当てたまま、頷いた。


「ええ」


紅葉は口元に笑みを作り、再び通りの先へ歩き出した。

その後ろで、白夜が夜叉の脇腹を肘でつついた。


その夜も宴が開かれた。

夜叉と白夜は、次々と差し出される酒を受け、祝いの席に付き合っていた。


宴を終え、夜叉が部屋へ戻ると、寝台のそばに紅葉が立っていた。

薄絹を羽織っただけの姿に、戸口で足が止まる。


紅葉は胸元で薄絹の端を握り、夜叉を見つめた。


「夜叉さま、一夜だけでも、お願いできませんか」


夜叉は部屋へ入り、後ろ手に扉を閉めた。

紅葉へ向き直り、首を横に振る。


「申し訳ございませんが、お断りいたします」


紅葉は唇を引き結んだ。

薄絹を握り直し、夜叉へ一歩近づく。

薄絹から、甘い匂いが立った。


「強い方のお子が欲しいのです」


夜叉はその黒い瞳を見返した。

やがて眉を下げ、声を落とす。


「申し訳ございませんが、私には子をなすことができません」


紅葉は目を見開いた。

夜叉の顔を確かめるように見つめ、唇を開く。


「えっ……そ、そうなのですね」


紅葉は俯き、胸元で薄絹の前を合わせ直した。


「それでも、お相手はしていただけませんか」


「……」


夜叉とて、何も感じないわけではなかった。

ここで手を出せば面倒なことになるのは、分かっている。

それなのに、なぜか夜叉は紅葉に口づけていた。


そして、その身体を寝台へ運んでいた。

まるで、自分の意思ではないかのように。


寝台に下ろされた紅葉が、夜叉を見上げた。

灯明の明かりが、薄絹越しに白い肩を透かしている。


夜叉は紅葉の頬に手を添え、もう一度唇を重ねた。

紅葉の指が、夜叉の襟を掴む。

その指が、細かく震えていた。


――何をしている。


頭のどこかで、もう一人の自分が問う。

答えは出ない。

なぜ動いたのか、分からない。

部屋には、まだ甘い匂いが残っていた。

眷属となってから、このような熱を覚えたことはなかった。


唇が首筋へ降りる。

紅葉が小さく息を呑み、目を閉じた。

夜叉の指が、薄絹の合わせ目にかかる。


その時、視界の端を、紫の光がよぎった。


小さな紫色の蛍が一匹、開いた窓から入ってきた。

蛍は灯明の傍をひと回りすると、夜叉の角の先にとまった。


夜叉の手が止まった。

胸の奥に溜まっていた熱が、引いていく。


――闇さま。


角の先で、蛍が一度、明滅した。

夜叉は薄絹から指を離した。

襟を掴んでいた紅葉の指先から、震えが消えている。


目を閉じていた紅葉が、瞼を上げた。

夜叉は身を起こし、寝台を降りた。

紅葉も身を起こす。


「夜叉さま……?」


夜叉は床に膝をつき、頭を下げた。


「申し訳ございません。やはり、できません」


紅葉は薄絹の前を掻き合わせた。

その目が、夜叉の角の先へ向く。


「……その光は」


「迎えの、使いです」


紅葉は唇を結んだ。

寝台の上で、両手を膝の上に重ねる。


「お帰りに、なるのですね」


「ええ。宴が終わりましたら」


夜叉は寝台の掛け布を取り、紅葉の肩へ掛けた。


「お部屋まで、お送りします」


紅葉は首を横に振った。


「いえ。一人で戻れます」


掛け布を胸元で合わせ、寝台から立ち上がる。

戸口で、紅葉は振り返った。


「夜叉さまは、その方を、ずっとお慕いなのですね」


「ええ」


紅葉は頭を下げ、部屋を出ていった。

扉が閉まる。


夜叉は寝台の縁へ腰を下ろした。

角の先から蛍が離れ、灯明の前をひと回りして、窓の外へ出ていく。

夜叉はその光を目で追った。


――見ておられたのか。


自分の手を見下ろす。

指は、まだ薄絹の感触を覚えていた。


――宮の時間で百年、では済まぬかもしれんな。


夜叉は額を押さえ、長く息を吐いた。

懐の包みに、手が触れる。

昼間、闇を思って選んだ簪だった。

布越しの石が、ひどく冷たく感じられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。