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九日目: 守る、ということ
朝、春が珍しく話しかけてきた。
フランス語だった。
途中で、止まった。
言い直そうとして、やめた。
少しだけ、考えてから、
日本語で言った。
「ここ、いい」
頷いた。
それだけで、十分だった。
午前中、研究室には行かなかった。
理由はない。
いや、ある。
午後、菓子を作った。
今日は、春が最初から手を出してきた。
砂糖を、少しだけ多く入れた。
何も言わなかった。
「前のほうが、よかった」
春が言った。
少しだけ、驚いた。
「昨日のほうがいい」
頷いた。
その通りだった。
夕方、窓の前で、春が話した。
断片的だった。
「おばさん」
「うるさい」
「わかんないのに」
そこで、止まった。
それ以上は、言わなかった。
意味は、十分だった。
何も聞かなかった。
聞くべきではないと思った。
それでも、残った。
夜、音楽を流した。
あの曲だった。
春が、隣に座った。
しばらくして、小さく言った。
「ママ、ひいてた」
頷いた。
それ以上は、言わなかった。
だが、理解した。
あの人は、あの音を弾いていた。
知っていたはずだった。
忘れていたわけではない。
見ないようにしていただけだ。
春が、少しだけ寄ってきた。
手が、触れた。
離さなかった。
初めてだった。
守る、という言葉が、
はっきりと形になった。
今日は、それだけだ。
――理




