第三章⑦
サクラメント・ステーションが大陸横断鉄道の西の始発駅だ。マイコ、ケンタロウ、そしてリンプは駅の前で馬車から降りた。少女の馭者に銀貨を払い、三人は駅構内に入った。改札の手前にある巨大な時計を見てケンタロウが言う。「急ぎましょう、出発の時間が近いです」
改札横の窓口にマイコは向かう。その周辺は何やら騒がしい。人の密度が濃く、チケットを握りしめた何人かの紳士が駅員に罵声を吐き、回答を求めている。そのやりとりを聞いて、マイコはなんとなく事情が飲み込めた。人と人の隙間を抜け、マイコは窓口の女性に声を掛ける。
「こんにちは、ボストン行きの最終列車のチケットを頂けませんか?」
「キャンセル分があるけど、」ブルーのスカーフが似合うブロンドの髪の女性はうんざりといた調子で首を竦めた。表情にも声にも張りがない。肌には張りがある。マイコと近い年齢かもしれない。「最終列車は出発しないかも」
「トラブルのようですね、」マイコは背後の喧騒を一度確認して、再び窓口の女性に笑顔を向ける。「復旧の目処は?」
「立たないからこんな騒ぎになってるのよ、」女性は小さく息を吐いて、小さく笑って、手の平を上に向けて言う。「ホントにもう、大騒ぎよ、昔はこんなことなかったのにな、ボストンに二十四時間以内に辿りつけなくても誰も文句を言わなかった、全部蒸気機関車のせいよ、蒸気機関車は新しい戦争の種を作ったね、予定通りに出発しなかったらそれは戦争への引き金だ、進歩は常に戦争の種を産むのね、悲しいけれどこれは真実なのだ」
「直せるかも」
「……え?」女性は大きな欠伸をして目を擦った。「直せるかもって、何が?」
「蒸気機関車、」マイコは駅のホームの方を見て言う。「私に少し見せてもらえませんか?」
「うーん、」女性は腕を組んで、眉間に指を当て、ぱっと離してマイコを見据える。「……冗談よね?」
「冗談なんかじゃありません、」マイコはおどけるように首を左右に振る。「小さな頃から工作が大好きでした、蒸気機関を制作したこともあります、ちゃんと動きましたよ、沈没しましたけど、しかし全て計算通りでした、計算通りに沈没したんです、ああ、えっと、私の職業は技師です」
「あなた、」女性は手を胸の前で合わせて聞いた。「失礼ですけれど、お国はどちら?」
「伊予宇和島です」
「聞いたことない、」女性は目を細めて発生する。「イヨウワジマ?」
「ええ、」マイコは小さく頷く。「だいたい合っています」
「まあ、いいや、」そう言うと女性は立ち上がって改札の格子を向こう側に開けてマイコを手で招いた。「ファーファルタウのメカニックじゃなきゃ、この際誰でもいい、蒸気機関車を直して頂戴な」
「ファーファルタウの技師だったら、何か問題が?」マイコは改札を通りながら聞く。
「中身を見られちゃまずいんだって、一応シンデラの科学者が総力を結集して作り上げた世界最先端の蒸気機関車だからね、見られちゃまずいんだ、でも、世界最先端の蒸気機関車がトラブルだなんてさ、」女性はククッと笑った。「この天体の未来は明るくないね、せいぜいトワイライトさ、」言って、女性は後ろを振り返って言う。「お連れ様もどうぞ、中に入って構わないよ」
女性に言われ、ケンタロウとリンプも改札を通った。二人はマイコの左右に並ぶ。ケンタロウが耳元で囁く。「……大丈夫なんですか?」
「何が?」
「触ったことないでしょう?」
「基礎は知っているから問題ないわ」
「何こそこそ話しているんですか?」リンプが不機嫌そうにマイコの腕を掴んでケンタロウから引き離す。「前から思ってたんだけど、ケンタロウ、あんた、マイコ様に近すぎなのよ」
そう言われたからって、ケンタロウはマイコとの距離を変えなかった。
ブルーのスカーフの女性は九番線に止まる蒸気機関車の前まで案内してくれた。蒸気機関車の周りにはつなぎ姿のメカニックたちが集まっていた。女性はその中の一人、巨大なレンチを持った、髪が長く、細身の無精髭の生えた男にマイコが技師であることを説明して、マイコに任せてみてはどうか、と提案した。メカニックたちから少し距離を開けて立っていたマイコを、その男は鋭い目で睨んで言う。「……また女かよ」
「……また?」マイコは首を横に傾けた。
「手こずってる俺達の中にいつの間にかガキが紛れ込んでいて、」男はシガレロを咥えてマッチで火をつけて煙を吐く。「ガキは直してやるって言い放った、俺は怒鳴ったよ、邪魔すんなって、でもビビらないし、むしろ俺を睨んで指図してきやがって、蒸気機関に詳しいらしいがでも、そのガキもどうやら手こずってるみたいだ、模型趣味のお嬢様だな、きっと、でも、模型を上手く作れたってこいつを直すのは無理だ、すごく複雑な機構をしているんだ、部品の数だって模型とは桁が違うんだ、だからずっと思ってた、トラブルが起こったらもうどうしようもないってな」男は盛大に笑った。
「女の子?」
「中にいるよ、あんた、技師だって?」
「ええ、専門は船の方だけれど」
「へぇ、でも、あんたの方が頼りになりそうだ、学がない俺達じゃどうやら手に負えないし、見てくれるかい?」
「ええ、もちろん」マイコは笑顔で頷き、操縦室に乗り込んだ。操縦室は黒く厚く塗装されている。塗装の剥がれた箇所がわずかに銀色を放っていた。マイコは蒸気機関車に触るのは初めてのことだったから、凄く興奮していた。
「違います、そうじゃない、ああ、だから、違うって言ってるでしょう?」
幼い少女のヒステリックを伴った、可愛らしい声が聞こえた。操縦室の床の正方形のハッチが開いていて、そこから声がする。
「もう変わって頂けません?」
「え、変わるって言っても、」今度は少年の声がする。「君にコレが持てる?」
「不器用なあなたでは無理です、誰か代わりを呼んできて下さい」
「生意気だな」
「あなただって」
「少し優しくしてあげたらつけあがってさ」
「あら、優しくしてなんて誰が頼みましたか?」
マイコはハッチの下を覗きこんだ。薄暗い。下に並んだ枕木と隙間に敷き詰められた角が尖ったが石が見える。蒸気機関車の進行方向に視線を向けると、つなぎ姿の少年と黒い頭巾を被った少女の姿が見えた。二人の近くだけぼんやりと明るいのは、ランプが灯っているからだ。「あなたたち、こんな暗い場所で、喧嘩は駄目よ」
「今度は誰です?」少年は怪訝そうな表情をマイコに向けて聞く。まだ十歳くらいだろうか。
「蒸気船の技師をしているものなんだけれど、」マイコは一度ハッチから顔を出し、足から下に降りた。蒸気機関車の下を四つん這いで少年と少女のいる方へ近づく。「少し見せてもらえないかしら、もしかしたら直せるかもしれないから」
「あなたの方が頼りになりそうだ、」少年は少女の方に向けて嫌味に言いながら、マイコに巨大なレンチを渡した。ずっしりと重く、しかしこれがあれば大抵のことはなんとかなる、巨大なレンチだ。「後は任せますよ、もう、こいつの近くにいるのは嫌なので」
少年は子供っぽく少女に「べぇ」と舌を出して、操縦室の方へ向かった。黒頭巾の少女は少年の背中を丸い目で睨みながら、マイコに言った。「信じられません、本当に信じられないくらい、生意気な子供、そう思いませんか?」
君だって子供じゃないか、という台詞を呑み込み、マイコはニッコリと少女に向かって微笑んだ。「さあ、早く直してしまいましょう、あ、私はマイコよ、蒸気船の技師をしているわ」
マイコが手を差し出すと少女は少し躊躇ってから手を握った。「マリエです、専門は理工学です」
「個性的な自己紹介ね」
「何がです?」
「さて、マリエ、」マイコはゴロンと枕木の上に横になって、蒸気機関車の機構を見上げて聞く。「マリエはどこをいじろうとしていたの?」
「ここです、」マリエは四つん這いになってランプをその箇所に近づける。複雑に組み合わされた細くて黒いパイプが鮮明に浮かび上がる。「石炭を焚いても全くギアに反応がありません、様々なことが考えられますが微動もしないことを考えると、ここに無理が来ているのだと思って、パーツの破損、あるいは歪みが動力の伝達を遮っていて」
「惜しいな」マイコは横目でマリエを見て答える。
「惜しい?」マリエは少し反抗的な目をマイコに向けた。「私の判断は間違っていないと思いますが」
「髪の色がすごく綺麗、」マイコは黒頭巾から溢れているマリエの髪の色の鮮やかさをふと発見してとても驚いていた「魔女?」
「はい、光の魔女ですが、それが?」
「触ってもいい?」マイコはマリエの黒頭巾に手を伸ばした。
「駄目です」
「残念、」マイコは手を引っ込めて、指先をある箇所に向けた。「原因はあそこのレバーよ、あそこのレバーが老朽化して、あるいは錆び付いて元の位置に戻らなくなった、元の位置に戻らないと蒸気機関は作動しないの、蒸気船ではよくあること」
マイコはそのレバーにレンチを当て、力を入れた。連結部分の根本から簡単に折れてしまった。「ほらね、もう駄目になってたんだ」
「……壊れちゃいましたけど」
「大丈夫、」マイコは強引にレンチをレバーの近く、パイプとパイプの隙間にねじ込んで、隙間を作った。そこに手を入れ、そこにあるべき部品を探した。すぐに見つかる。油にまみれた細い部品。それを握りしめ、体重をかけた。金属音が響き、部品が外れた。「よし、コレだ」
「また壊して、」マリエは信じられない、という風に声を出す。「壊しに来たんですか?」
「これで蒸気機関は回転するわ」
「信じられません」
マイコとマリエは操縦席に戻った。マイコは先ほどの少年に指示し、石炭を焚いて貰った。
すると。
「凄い!」少年が歓声を上げ、マイコを見る。「動きますよ!」
マイコは微笑んで、少年に油まみれの細い部品を渡し、彼の手ぬぐいを拝借して手の油を拭いて操縦席から降りる。窓口の女性がお礼を言ってマイコに三枚の一等車のチケットをくれた。技師たちに原因を説明してから、マイコはケンタロウとリンプのところに戻った。「ほら、直ったでしょ」
ケンタロウは頷き言う。「また強引にやったんでしょう?」
マイコは笑う。「だってレンチしかなかったし、髪の色も悪いし、髪の色が良かったら完璧に直すことは出来たけれど」
「マイコ様、綺麗なお顔が、」リンプはハンカチでマイコの鼻先を拭いた。「いえ、油に汚れたお顔も素敵ですけれど」
「ありがと、」マイコはリンプの頬にキスした。「さて、チケットもゲットしたし、行きましょ」
「待って下さい」
振り返るとマリエが近い場所に立ち、マイコを見上げていた。「待って下さい、マイコ」
「何?」
「あなたは日本人ですか?」
「小さな極東世界のことをよくご存知ね」
「ちょっと色々と知る機会がありまして、そして今は少し、日本に興味があります、なぜシンデラに?」
「観光旅行にね」
「……そうですか」
マリエは黒頭巾の中の金色の髪を一瞬輝かせ。
左手を持ち上げ、中空で何かを摘むように指を動かし。
上から下へ素早く。
手を斜めに振り下ろした。
そしてマリエは大きく息を吐いて言う。「いつか、また、会いましょう」
「……何をしたの?」
マイコは本当に分からなかった。マリエが魔法を編んだことは確か。しかし、彼女がどんな魔法を編み、マイコに何をしたのか、ということは分からなかった。
マリエはマイコの質問に答えず、踵を返し、足早に近い場所から遠くへ行く。
「ケンタロウ、分かる?」
「いえ、」ケンタロウは首を横に降った。「分かりません、彼女が何をしたのか、でも、ええ、あの色は普通の魔女じゃありませんよ」
「リンプは分かる?」マイコはリンプを見た。
リンプは眼鏡を外していて、また眼鏡を掛け直した。「……いえ、分かりません、でも、そんなことよりも、マイコ様、彼女は」
「え?」




