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第十二話 氷の令嬢

 窓から差し込む朝日が床を照らし、どこか穏やかな空気が流れている。

 だが、その平和な空気とは裏腹に、俺の気分は重かった。


 魔王軍幹部との戦闘前ですら、ここまで緊張した記憶はない。


 理由は単純だ。


 相手がわからない敵なら殴ればいい。だが礼儀作法は違う。


 殴ることも、斬りつけることもできない。つまり戦い方がわからないのだ。


 そんな俺たちの前に立つのは、今回の講師であるシアだった。


「では、まずご挨拶を。私が扉をノックいたしますので、お返しください」

 

  声色が変わったシアは、屋敷の一室のドアの前で立ちながらそういった。

 立ち姿がガラッと変わり、そこに立っているのは、いつものかわいらしい静かなシアではなかった。


「よし……!」


 俺は小さく拳を握った。


 挨拶くらいなら大丈夫だろう。


 さすがにその程度はできる。


 そう思っていた。


 コンコンと扉が鳴り、俺は勢いよく扉を開いた。


「よ、よう。遠いところご苦労だったな、です」


 沈黙。


 部屋の空気が止まり、シアはぴくりとも動かなかった。


「――絶対にやめてください」


 自分でも少し違和感のある話し方に対して、シアはキッパリとおかしいと言った。


「どちらの山賊団の挨拶ですか?」

「山賊じゃねぇよ」

「ふふっ」


 シアは口元を隠しながら小さく笑う。


「少なくとも貴族ではありませんね」


 だが、振り返ってみれば、俺が初めてシアと会った時も似たようなものだった。

 

 それでも彼女は怒らなかった。

怒るどころか、こうして礼儀作法まで教えてくれている。

 もし相手が別の令嬢だったら、無礼者として即処刑されていてもおかしくなかっただろう。


 そう考えると、改めて彼女の寛容さが身に染みた。


「では次です」


 シアは淡々と続ける。


「当日は食事会も想定していますので、ナイフとフォークの扱いも確認します」


 そう言って視線がエルバスに向いた。


 エルバスは、最初から何もできていなかった。

 ナイフとフォークの持ち方は、まるで双剣を構え方がわからない痛々しい初心者冒険者のようだった。


「……失礼ですが」


 シアが静かに言う。


「その動作はどこで習得されたものですか?」

「これは、セオドールさまと双剣の構えのかっこよさを追求した結果です。

特に、この左右非対称のラインが――」

「――手に持っているのは双剣ですか?」

「はい? えっと」

「ここは戦場ですか?」

「……」

「貴族さまを斬りつけるつもりですか???」

「すみません……でした」


 自信満々に答えたエルバスだったが、すぐさまシアに問い詰められ、しまいには小さくなって謝罪していた。


 普段なら多少おかしなことを言っても流されるエルバスだが、シアは容赦しない。

 氷の第三王女の片鱗がひしひしと感じられる。


 恐ろしい。


 というか俺の名前を出すな、エルバス。


 確かに昔、双剣に憧れて色々な構えを試したことはあるが。

 

 実戦では使い物にならないと気付いてやめたのだが、まったく余計なことだけ覚えてやがる。


 ナイフをそう持ったら危ないでしょ、とシアに怒られているエルバスを横目にふとピピが目線に入った。

 

 俺とエルバスがみっちりしごかれている横で、ピピは普通に掃除をしていたのだ。


 不思議に思ったエルバスが説教中にシアに尋ねた。


「あのー、なんでピピは講習を受けていないんすか?」


 その問いに、シアは一切の迷いなく答えた。


「彼女はメイドですよ?」


 一拍。


「「いや、あいつは元ゆう――」」


 エルバスと俺がそう言いかけた瞬間、空気が変わった。


 視線、圧、殺意。


そして本能が告げる。


 それ以上は口にするな、と。


 振り向けば、ピピがこちらを見ていた。


 無表情だった。


 だが恐ろしい。


 なぜかはわからないが、とにかく恐ろしい。


「なんですか、セオドールさま?」

「……何でもありません」


 シアに聞かれるが、俺は早口で即座に言い直した。


 同時に、殺意が消えた。


 シアは何事もなかったように、庭で使うはずのホウキで床を払い続ける。

 あれが許されて、なぜエルバスの双剣が許されないのか。


 世の中には理解しがたいものがある。


 ◇

 

「雑談や来客対応は私が行います」

セオドールさまは相槌と簡単な自己紹介のみで構いません」


 そこで一度だけ視線が上がる。


「ただし、お披露目会の演説はセオドールさまにお願いします」


 勇者御一行というブランドだからこそ、事業を説明する演説は俺がするべきだとシアは言った。


 理屈はわかるが、


 だが、重い。


「ですので。

セオドールさまは、"人前に立つ"訓練を徹底していただきます」

「……」


 シアは淡々と続けた。


 やることが多すぎるのは確かだが、この領地のためを思えば、たいしたことはない。


「それと――」


 すると、シアは付け足すように言う。

 

「お披露目会当日ですが、フリーダ公爵家のボンセル・ウェンダリスキー様が来訪予定です。

 かなり気難しい方ですが、彼の了承を得られれば、信頼獲得というミッションは成功だと考えてもらって結構です」

「そうか……わかった」


 名前自体は聞いたことはないが、公爵家の人物が偉者だということくらいは知っている。つまり、このお披露目会の成功は彼によって決まっても過言ではないというわけか。


 正直関係ない――。


「俺らは成功させれば良いだけだ。違うか?」

「……はい!」


 少し心配した顔のシアは俺の言葉を聞くと、安心したようにそう言った。


 ――そして二週間後。


 礼儀作法講座は、文字通り"ボロボロ"のまま終わった。

特に俺の精神が、だ。


 だが、できることはした。完璧ではないが、これだけ対策したんだ。


 なんとかなるだろう。


 そう思った、その瞬間だった。


 玄関の戸が、ノックされた。

読んでいただきありがとうございます。

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