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真夜中の図書館で死に戻った私は、冷血公爵と偽り結婚して家族を取り戻す  作者: 乾為天女


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40/40

第40話 偽りではない花嫁

 契約結婚の期限日は、よく晴れた朝だった。


 皮肉なことに、始まりはあの深夜の図書館だったのに、終わりを決める日の空はひどく明るい。王宮地下へ続く階段を下りながら、私は白紙の更新書を指先で確かめた。更新条項を書き込めば、もうしばらくは今の形を延ばせる。


 でも今日は、そのために来たわけではない。


 真夜中の図書館は、火災の跡がまだ一部に残っていた。焼けた書架は撤去され、代わりの棚が入るまで空いたままの場所もある。それでも鏡の間へ続く回廊には新しい灯りが入り、紙と石の匂いは確かに戻っていた。


 エリシャは、あの日契約書へ署名したのと同じ机の前に立っていた。


 「更新書を持ってきたのか」

 彼は私の手元を見て言う。


 「持ってはきました」


 「その言い方は嫌な予感がする」


 「当たっています」


 私は机の上へ白紙を置いた。

 けれど羽根ペンは取らない。


 「最初にここで話したとき、私はあなたへ結婚してくださいと言いました」

 言葉にすると、あの夜の冷たさまで戻ってくる気がした。

 「取引のためでした。守りたい子どもたちがいて、必要な証拠があって、あなたしか組める相手がいなかったから」


 「覚えている」


 「ええ。私もです」


 私は一度だけ息を吸う。

 処刑台の風も、墓地の坂道も、審問室の沈黙も、焼ける図書館の熱も、全部ここへ繋がっている。


 「でも、今は違います」


 エリシャの灰色の目が、静かにこちらを見る。


 「もう取引だけではありません」

 私は白紙の更新書へ手を置いた。

 「これに条件を書いて延ばすのではなく、自分の意思で、あなたの隣にいたいです」


 言い切ったあと、心臓がひどく騒いだ。

 逃げ出したいくらい恥ずかしいのに、引っ込めたいとは思わない。


 「子どもたちのことも、学舎のことも、まだやることはあります。けれどそれとは別に、私はあなたと朝を迎えたいし、困った顔も腹立たしい顔も見たいし、たまに手を差し出してくれるのを、これから先も当然みたいに受け取りたい」


 そこでようやく、エリシャが薄く息を吐いた。

 驚いているのか、笑いを堪えているのか、一瞬分からない顔だった。


 「随分と欲張りだ」


 「そうですね」

 私は頷く。

 「今さら知りました」


 数秒の沈黙のあと、彼は机の向こう側から回り込んできた。

 足音が一つ、二つ。すぐ目の前で止まる。


 「では私も、今さらを一つ言う」


 低い声が近い。


 「最初から、利害だけではなかった」


 私は瞬いた。


 「君が台帳の数字ではなく、その向こうの子どもの顔を見ていると分かった時点で、放っておくつもりはなかった」

 彼は続ける。

 「真夜中の図書館であの申し出を受けたのは、証拠が欲しかったからだけじゃない。君を一人で地上へ返したくなかったからだ」


 そんなこと、反則だと思った。

 今まで何度も助けられてきたのに、その最初の理由までそんなふうに言われたら、胸がいっぱいになってしまう。


 「……ずるいです」


 「知っている」


 今度こそ、彼は少しだけ笑った。

 それから私の手から白紙の更新書を取り上げ、机の端へ置く。


 「これはもう要らない」


 「はい」


 「代わりに必要なのは、誓いだ」


 差し出された手を、私は迷わず取った。

 今度はぬかるんだ道のためでも、芝居のためでもない。理由を別の場所へ置く必要のない手だった。


 朝の光が、鏡の間の奥まで差し込んでくる。

 真夜中の図書館なのに、今日はもう真夜中ではなかった。


 「スカイラー」

 彼が私の名を呼ぶ。


 番号ではなく、役目でもなく、ただ私の名前として。


 「あなたの隣にいます」

 私は答えた。

 「今度は、偽りじゃなく」


 その返事のあとで交わした口づけは、ひどく静かだった。

 でも、処刑台で失ったはずの未来を、朝の光の中へちゃんと繋ぎ直すには十分なくらい確かなものだった。


 地上へ戻れば、子どもたちの声が待っている。新しい名簿も、授業の予定も、厨房の騒ぎも、甘すぎる焼き菓子も。

 守りたい家族のいる暮らしが、今日も続いていく。


 私はもう、泣くだけで終わらない。

 そう胸の中で言ったとき、鏡の表面に、泣いていない私がほんの一瞬だけ映った気がした。



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