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真夜中の図書館で死に戻った私は、冷血公爵と偽り結婚して家族を取り戻す  作者: 乾為天女


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第21話 王都を動かす商人

 マリソルが王都へ着いたのは、朝の鐘が三つ鳴ったころだった。


 公爵家の正門へ横付けされた馬車は、貴族らしい飾り気より実用を優先したつくりで、車輪の泥よけにまで商会連合の焼き印が入っている。御者台から先に降りたのは屈強な護衛ではなく、算盤箱と巻物筒を両腕へ抱えた若い女だった。


 栗色の髪を高く結い上げ、旅装のままなのに裾の乱れひとつない。彼女は門前で一度だけ空を見上げ、日差しの角度を測るみたいに目を細めた。


 「約束の刻限より七分早いわ。遅刻ではないから褒めてほしいところね」


 第一声がそれだった。


 案内に出た私が一瞬きょとんとすると、女は口元だけで笑った。

 「マリソルよ。隣国東方商会連合、王都担当の取りまとめ役。あなたがスカイラー様ね」


 「はい。お迎えできて光栄です」

 「礼は後で。先に見せたいものがあるの」


 彼女は玄関でお茶も待たず、そのまま応接室の大机を占領した。巻物筒から引き抜かれた紙が、ぱたぱたと広がる。倉庫入出庫表、荷札控え、関所通過記録、運河使用料の納付証、積荷破損報告。帳簿だけでは見えなかった流れが、紙の束で一本の川みたいに繋がっていく。


 エリシャが椅子を引いた。

 「忙しい挨拶だな」

 「忙しいのよ。あなたが追っている横領は、商人から見れば配送事故に化けているんだから」


 マリソルは羽根ペンの柄で一枚を叩いた。王都北倉庫から救護院へ送られた毛布二十束。次の紙では中継倉庫で十八束。さらにその次では到着記録が十二束。なくなった八束の行き先だけが、綺麗に霞んでいる。


 「食料も同じ。小麦粉、乾燥豆、薬草束、灯油。数字だけなら誤差と言い張れる量を、毎回きっちり抜いている。雑なのに、雑に見えないやり方」

 「途中で荷傷み扱いにしているのね」

 私が言うと、マリソルの目が少しだけ鋭くなった。


 「そう。しかも荷傷みの報告印が、同じ三人の検品係で回っている。偶然にしては働き者が過ぎるでしょう?」


 オリヴェルが唸る。

 「だが、それで誰が得したかまでは」

 「辿れるわ」


 彼女は待っていたみたいに別の紙を差し出した。市内南区画の小倉庫。表向きの持ち主は雑貨商だが、実際の賃貸料支払いは伯爵家名義の迂回口座から出ている。伯爵家、と記された箇所の上に、マリソルはすでに細い線を引いていた。


 「マリベル家の紐付き倉庫です」

 私は読み上げた。


 「ええ。物は一度そこへ集められて、別の慈善名目で再販される。救護院へ渡るはずだった毛布が、別の孤児院向け寄付品として計上されて、さらにその先で代金が動く。善意を何度も売っているのよ」


 胸の奥で、冷たい怒りがゆっくり広がった。子どもたちへ向かうはずだったものが、途中で抜かれていただけではない。誰かの飢えや寒さそのものが、利益の種にされていたのだ。


 「この記録、商会の外へ出して大丈夫なの?」

 私は問うた。


 マリソルは肩をすくめる。

 「大丈夫ではないわ。だから来たの。王都の貴族は帳簿の一行なら揉み消せるけれど、商会連合の物流を敵に回せば、今度は自分たちが何も届かなくなる。塩も絹も紙もワインもね」


 タミアが静かに茶器を置きながら、その言葉へだけ反応した。

 「それは効きます」

 「でしょう?」


 彼女はにっこりした。笑っているのに、値札を貼るときの手つきみたいに迷いがない。


 午前いっぱいを使い、私たちは紙の束を読み込んだ。数字は嘘をつく。けれど違う種類の嘘を重ねると、逆に継ぎ目が浮かび上がる。寄付台帳、会計院の控え、商会の入出庫表、その全部の端が少しずつ噛み合い始めた。


 昼を過ぎたころ、マリソルはようやく椅子の背にもたれた。

 「もうひとつ。これは今朝、港へ着く前に回収したもの」


 差し出された封筒は薄茶の粗末な紙だった。貴族の使う上等な封蝋ではない。けれど中から出てきた契約書の書式は、妙に整いすぎていた。


 私は紙を開き、途中で息を止めた。


 「奉公契約書……?」


 年長児数名の氏名欄。年齢。就労先。期間。食事と寝床の提供をもって報酬に代える、という一文。表向きには、行き場のない子どもへ職を与える慈悲深い取り決めに見える。けれど実際には、逃げ場のない労働契約だ。


 しかも就労先の欄へ書かれた工房や農場のいくつかは、マリソルが持ち込んだ物流記録の中で、救済物資の横流し先と繋がっていた。


 「どこでこれを」

 エリシャが低く問う。


 「南区画の倉庫よ。送り先の荷札と一緒に保管されていたわ。紙質から見て、正式提出前の控え」

 マリソルは机上の別紙を指先で弾く。

 「面白いのはここ。引き渡し予定日、三日後」


 部屋の空気が変わった。


 私は契約書を持つ手へ力を入れた。紙がかすかに鳴る。三日後。そんな近くまで、もう迫っていたのだ。


 「子どもたちを、今度は書類で連れていく気ね」

 「火をつけるより静かで、止めにくい方法です」

 タミアが言う。


 そのとき、廊下の外で細い笑い声が二つ重なった。使用人たちが昼の支度をしながら噂しているのだろう。商会連合の代表が公爵家へ来た。それだけで、屋敷の空気はもう半分ほど外へ漏れている。


 マリソルはその気配を聞き流し、ふと私へ顔を向けた。

 「スカイラー様。あなた、怒るときほど目が静かになるのね」


 「今は怒っています」

 「そう見えるわ。だから信用できる」


 彼女は立ち上がった。旅装の裾を軽く払う。


 「社交界は噂で動く。でも王都の店と倉庫は、損得で動くの。どちらも使えば、ようやく貴族は椅子から腰を浮かせる」

 「力を貸してください」

 「最初からそのつもりよ」


 昼食のあと、マリソルは港へ戻ると言った。表立って公爵家に長く留まれば、向こうも対策を変えるからだという。去り際、彼女は振り返りもせず片手を上げた。


 「明日までに、倉庫番たちの口を押さえる札を切るでしょうね。なら、私は先に買い戻しておく」


 「買い戻す?」

 オリヴェルが聞き返すと、マリソルは肩越しに笑った。

 「口が軽い人間は、高い方へ転ぶものよ」


 馬車が去ったあと、私は応接室の机へ残った紙束を見つめた。


 物流から包囲する。

 帳簿の数字だけでは届かなかった場所へ、ようやく別の手が伸びた。


 けれど敵も同じことを分かるはずだ。貴族たちが商会連合を恐れ始めれば、マリベルは次の札を切る。もっと早く、もっと乱暴に。


 夕方、案の定その知らせは届いた。


 南区画の倉庫から別便で回収された控えに、年長児引き渡しの正式手続き開始印が押されていたのだ。


 予定ではなく、もう動いている。


 三日後ではない。

 敵は、三日後までに間に合わせるため、今日から子どもたちを売る準備を始めていた。



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