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真夜中の図書館で死に戻った私は、冷血公爵と偽り結婚して家族を取り戻す  作者: 乾為天女


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第18話 鏡を壊したい者

 捕えた男は、夜明け前に地下の取調室へ移された。


 けれど口数は少なく、名乗りもせず、雇い主の名も伏せたままだった。左頬に古い火傷の跡。指には筆を持つ者の胼胝ではなく、縄や鉄を扱う者の硬い節。王都の表ではなく、裏道で雇われる手だ。


 取調室から戻る廊下で、私はまだ橋の霧を肺の奥に残している気がした。


 「鏡の部屋の鍵……」


 呟くと、前を歩いていたアリッサが立ち止まる。彼女は昨夜のうちに呼び出され、真夜中の図書館の古い封印規則を確認してきたらしい。寝不足の顔なのに、髪だけはきっちりまとめている。


 「鍵そのものを壊せば、鏡が使えなくなると思っているのでしょう」

 「実際、壊せるの?」

 「鍵だけなら無理ではありません。でも、それで終わる構造ではないのです」


 アリッサは図書館の見取り図を広げた。地下書庫の最奥、魔導鏡の設置室。その奥に細く記された空白地帯へ、彼女の指が置かれる。


 「鏡は未来を見る道具として語られがちですが、本来は王家の保管庫へ通じる仕掛けの一部です。鏡面、台座、封印文、そして鍵。四つが揃って初めて、奥の扉が開く」


 「つまり、敵は鏡そのものより、その先を隠したい」

 エリシャが言う。


 「はい。しかも厄介なのは、王家の中でも全容を知る者が多くないことです。だからこそ、半端に噂だけ知っている人間ほど、鏡だけ壊せば済むと思い込む」


 私は見取り図を見つめたまま、胸の中の違和感を辿った。


 一度目の人生で、私はこの鏡を見ていない。少なくとも、正面から立って未来を覗いた記憶はない。なのに死の瞬間だけ、鏡の中の自分が確かに囁いた。


 「……例外だったのかもしれない」


 エリシャとアリッサがこちらを見る。


 「死ぬ直前だけ。あのときだけ、鏡が勝手に私へ触れた。私が選んで見たわけじゃない」


 口にすると、背筋がひやりとした。鏡が選んだ、とでも言うようで。


 アリッサは少し考え込んだあと、珍しく曖昧に頷く。

 「禁書の中には、強い後悔や未了の誓いに反応する魔導具の記述があります。鏡も、完全に無機質な道具とは限りません」


 「ずいぶん嫌な話だな」

 オリヴェルが腕を組む。

 「要するに、死にかけるほどの執念が必要ってことか」


 「そういう言い方をしないで」

 思わず返すと、彼は口をつぐんだ。しまったと思ったが、遅い。


 廊下に短い沈黙が落ちる。昨夜の橋のことも、処刑台のことも、私の中ではまだ遠い過去になっていない。少しの拍子で、皮膚のすぐ裏まで戻ってくる。


 その空気を切り替えるように、アリッサが見取り図をたたんだ。

 「ともかく、敵は焦っています。原本台帳の在りかへ辿られる可能性が出てきたから」


 「なら先にこちらが辿る」

 エリシャが言い切る。

 「今夜、鏡の部屋を開ける」


 真夜中の図書館へ降りたのは、鐘が一つ鳴ったあとだった。


 地下の空気は変わらない。紙と革と古い石の匂い。けれど前と違うのは、私がひとりでこの場所へ来ていないことだ。


 魔導鏡の前に立つ。銀の縁取りは静かに青白く光り、割れた欠片の跡だけが細く走っている。アリッサが鍵を差し込み、台座の裏へ封印文をなぞらせると、鏡面がゆっくりと波打った。


 「来ます」

 彼女が小さく言う。


 私は息を止めた。マリベルの姿が出るのか。ラフォントか。血のついた王冠か。それとも、まだ見ぬ保管庫の扉か。


 けれど映ったのは、意外なものだった。


 幼い私だった。


 まだ辺境伯家が完全には崩れていなかった頃の、七つか八つほどの私。庭の石段に座り、膝へ一冊の薄い帳面を乗せている。風に揺れる髪の色も、裾の擦り切れ具合も、間違えようがない。


 「……どうして」


 鏡の中の幼い私は、誰かを待っているみたいに何度も門の方を見た。やがて画面の外から女の手が伸び、帳面を私へ渡す。白い指先、薄い青の袖口。母だ。


 その帳面の表紙に、見覚えがあった。


 領民救済の嘆願書を束ねる、家ごとの控え帳。


 映像はそこで掻き消える。代わりに鏡面へひびのような白い線が走り、すぐ元へ戻った。


 私は知らず、鏡へ一歩詰め寄っていた。

 「実家の別邸だわ」


 エリシャが横から問う。

 「確かなのか」

 「ええ。庭の石段も、裏門の格子も、あれは別邸です。母が帳簿仕事をするとき、よく私を横へ座らせた場所」


 ずっと忘れていた光景だった。忘れたのではない。暮らしが崩れて、思い出す余裕ごと押し流されたのだ。


 アリッサが低く呟く。

 「鏡は、隠された保管庫そのものではなく、そこへ至る記憶の筋を映したのかもしれません」


 私を捨てた家。

 そう思っていた場所へ、鏡は私を向かわせている。


 母の手の白さが、妙にくっきり脳裏に残った。

 あの手は、何を渡そうとしていたのだろう。



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