表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真夜中の図書館で死に戻った私は、冷血公爵と偽り結婚して家族を取り戻す  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/15

第14話 婚約破棄の茶番

 翌朝の王都は、救済金の流れよりも、もっと甘くて派手な話題に夢中だった。


 「王弟殿下の姫君の婚約が壊れるらしい」

 「いえ、もう壊れたそうよ」

 「破談の原因は花嫁側の気位だとか」

 「いいえ、相手の家が借金まみれだって」


 噂は砂糖菓子みたいに軽く、人の口から口へ転がっていく。


 私は公爵家の朝食室で、焼き立てのパンをちぎりながらその話を聞いていた。正確には、食べるふりをして考えていた。昨夜持ち帰った移送記録の写しは、まだ袖の内側に隠してある。


 「ずいぶん急ね」

 タミアが紅茶を注ぎながら眉をひそめる。


 「急に見せたいのでしょう」

 私は言った。

 「皆の目を、別の場所へ」


 エリシャが新聞代わりの速報札を畳む。

 「婚約破棄そのものは本当らしい。問題は、誰がその火を大きくしているかだ」


 「マリベルです」


 私が即答すると、タミアが呆れ半分でこちらを見た。

 「ずいぶん迷いがありませんね」

 「彼女は人の不幸を使うとき、必ず香りづけをします。今回は甘すぎる」


 朝食後、私は王宮で開かれる昼の茶会へ向かった。婚約破棄の当事者、つまり王弟の娘ブレアナが顔を出すと知ったからだ。


 王宮南棟の陽光室は、噂好きの貴婦人たちで埋まっていた。天井画の花々、金縁の鏡、磨きすぎた床。どこもかしこも明るいのに、漂う空気は妙に冷たい。誰もが誰かの転倒を待っている場所の明るさだ。


 ブレアナは窓際にいた。


 鮮やかな青のドレスを着て、背筋だけは真っ直ぐ伸ばしている。けれど扇を持つ手が、わずかに強く握られすぎていた。高圧的に見える立ち方をしているのは、弱っていると悟られたくないからだと分かる。


 その少し離れたところで、マリベルが実に優しい顔をしていた。

 気遣う友人の表情。慰める側の口調。だが視線だけが、会場の広がりを測っている。どこまで噂が届いたか、どれだけ耳が集まったかを数える目だ。


 「まあ、スカイラー様」

 真っ先に私へ気づいたのは、そのマリベルだった。

 「昨夜は同窓の方々も、あなたのご活躍を口々に褒めていらしたわ」


 「それは光栄です」


 私は笑う。向こうも笑う。砂糖を何重にもかけた会話は、たいてい毒の前触れだ。


 「今日はブレアナ様がお気の毒で……。婚約というのは、女性にとって人生そのものですもの。ねえ?」


 ねえ、と同意を求めながら、マリベルは会場全体へ聞かせている。


 「そうでしょうか」

 私はわざと首を傾げた。

 「人生そのものというより、人生から視線を逸らすにはちょうどいい騒ぎ、のこともあります」


 周囲の空気がぴたりと揺れを止めた。


 マリベルの笑顔は崩れない。けれど扇の骨が一つ、きしんだ。


 「何のことかしら」

 「昨日から不思議で。救済金の送金経路や慈善認可の名義に関する話が、今朝からひとつも表へ出てこないんですもの。代わりに婚約破棄の噂だけが、見事なくらい早い」


 私がそう言うと、二人分向こうにいた年配の侯爵夫人が、カップを受け皿へ戻す手を止めた。聞いている。皆、聞いている。


 マリベルはふわりと笑い直した。

 「こんな日にまで数字のお話? スカイラー様は本当に実務家なのね」


 「ええ。誰かの署名ひとつで生活が沈むのを見てきましたから」


 私は視線をブレアナへ移した。


 「ところで、殿下。慈善認可の書類は、ご自分で最後までお読みになりますか」


 突然話を振られたブレアナが、目を見開く。

 「……どういう意味?」


 「意味はそのままです。承認名義は王族の信用そのものですから」


 ブレアナの扇が止まった。

 マリベルが横から柔らかく口を挟む。


 「今はそんな事務の話をなさる場ではないでしょう」

 「今だからこそです」


 私は一歩進んだ。


 「婚約が壊れたことを、誰がいちばん都合よく使っているのか。殿下は考えられましたか」


 ブレアナの顎がわずかに上がる。怒ったのではない。自分が試されていると気づいた顔だった。


 「あなたは、私が利用されていると言いたいの?」

 「利用されていなければ結構です」


 私は淡々と返した。

 「けれど、もし署名した覚えのない承認書が一枚でもあるなら、今日のうちに確かめた方がいい」


 会場がざわめいた。婚約破棄の話から、書類の話へ。見たい方向へ視線が滑っていくのが分かる。


 マリベルはそこで初めて、ほんの少しだけ声を強くした。

 「噂の場で王族へ無礼ではなくて?」


 「噂の場だからこそ、無礼より危険なものがあります」

 私は答える。

 「沈黙です」


 ブレアナはしばらく私を見つめていた。高価な青の石のような瞳の奥で、怒りと屈辱と、別の何かが揺れている。


 やがて彼女は、マリベルではなく私へ向かって言った。


 「部屋を変えましょう」


 陽光室の奥、小さな控え室へ移ると、華やかなざわめきが嘘みたいに遠ざかった。閉じた扉の向こうで、噂は今も増殖しているだろう。でもここには、さっきより少しだけ本当の声が届く。


 ブレアナは扇を机へ置いた。

 「はっきり言って。何を疑っているの」


 私は懐から、昨夜書き写した移送記録ではなく、前に集めた慈善認可の控えを書き出して見せた。王族名義の承認が並ぶ一覧。その中に、救護院への送金停止前後の不自然な認可日がある。


 「ここです。殿下の署名で承認された慈善支出。けれど、同じ筆跡のはずなのに、最後の跳ねだけが別人の癖です」


 ブレアナは紙へ顔を寄せた。知らないふりをするなら、ここで笑い飛ばせたはずだ。けれど彼女は、黙って見た。


 「……私の署名も、使われていたの?」


 震えた声だった。


 私は頷く代わりに、紙を伏せた。


 「確かめませんか」


 彼女の顔色が変わる。婚約破棄よりも、この一言の方が深く刺さったのだと分かった。


 駒として押し出されるだけのつもりなら、知らないままでも生きていける。でも、自分の名前で誰かが潰されたかもしれないと知った人は、もう前と同じ顔ではいられない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ