1-2 光の檻
私たちは、乾土の広がる演習場に到着した。
校舎の南側。潮風と砂埃が混ざり、独特の空気が漂う場所。
そして……私の一番見たくない場所。
みんなは校舎側を向いて整列し、先生へと視線を向ける。
「今年の実技も担任の私、南雲が担当します」
「では、これからは昨年度と同じように、自由行動となります」
先生の挨拶ののち、それぞれが新しい魔術の練習に打ち込む。
四と二、合わせて六種類も属性があるのだから、全体演習など初めから成立しない。
みんなは広い空間の中心に散らばって、練習を始めた。
「――『インフェルノ・ピラー』ッ!」
「――『ハイドロ・カッター』!」
空気を焦がす轟音と共に、屋上よりも遥々と打ち上がる火柱。
鼓膜を裂くような破裂音を響かせ、巨大な鉄塊を両断する水刃。
新学期、久々に目にするその圧倒的な「力」の行使に、息の詰まる思いがした。
「白川……見ているだけじゃなく、少しでも良いから……」
先生の憐れむような声に諭され、私は植え込みから立ち上がった。
「どうせ今日もできないのに……」
重い溜息を飲み込み、教科書の魔術展開過程を思い浮かべる。
体内の魔素を抽出し、属性という決まった型に流し込み、事象の座標と規模を厳密な方程式に当てはめていく作業。
現代魔術の基礎。数式化された論理。けれど、その一歩を踏み出そうとするだけで、ざらついた不安に支配されてしまう。
みんなが当たり前のように扱う魔導理論が、私にはどうしても歪なつぎはぎに見えてしまう。パズルのピースを無理やり削って、違う穴に押し込んでいるような気持ち悪さを感じるのだ。
教科書の術式をなぞるたび、私は正しいはずの言葉を「間違い」と切り捨て、先生に魔術のコツを教わるたびに、見えないいとが私の指先を縛り上げる。
正解を知っているはずなのに、正解を思い出せない。そのもどかしさが、私の光を小さな球に閉じ込めているように思えた。
「……『ライト・スフィア』」
なんとか絞り出した魔術は、たった直径数センチの光球。みんなが撒き散らす暴力的な飛沫とは違う。なんの音も発さず、あまりに白く、ずっと弱々しい。
私ができるのは、こんな小さな球を作り出すだけ。
私は逃げるように、また植え込みに座った。
せめて他の属性が使えればよかった。主四属性なら、もっと使いやすいのかもしれない。けれど、この微弱な光属性にすべてを持っていかれて、少したりとも扱えない。
「偏性不調」
大人は、この無様な拒絶反応を、そんな無機質な名で呼んだ。
光・闇の属性を得意とする者に多い病らしい。けれど、原因は思い当たらない。
「――『アース・スパイク』ッ!」
「――『エア・ブラスト』!」
演習場の中央では、止むことなく、様々な中級魔術が飛び交っている。
みんな、自分の得意属性を完璧といっていいほど使いこなしている。それこそCランク、今から冒険者の職に就いても食っていけるくらいの人も多くいる。
みんなは、努力を重ねて道を切り拓いている。けれど、それはみんなに『才能』という土壌が備わっていたからだ。
どれだけ必死に足掻いても、種を蒔くための土壌がなければ、努力は決して芽吹かない。それが、この世界の絶対的なルールなんだ。
「光」って、希望や祝福の象徴みたいに思われるけど――
私にはそれが眩しすぎて、ただ痛かった。
*
「璃星。大丈夫?」
詩織が、心配そうな顔で駆け寄ってくる。
彼女は私よりずっと魔術の扱いが上手く、一人で練習を続けることができる。それでも自分の練習を後回しにして、いつもこうして気にかけてくれる。
「ええ、大丈夫……いつも通りだから……」
強がるように笑って見せた、その直後だった。
私の掌に浮かんでいた小さな光の球が、ふっと音もなく弾けて消えた。
周囲の派手な魔術にかき消された、あまりにも惨めな結末。
才能。それを持つものに世界は優しく、持たざるものに世界は冷たい。
この学院でただ一人、実技ができない私には、その言葉の意味が痛いほど理解できる。
「……私って、ここにいる意味、あるのかな」
消えた光の残滓を見つめながら、ふと、そんな言葉が零れ落ちていた。
休み明けの賑やかな空気が、私の心をひどく孤独にさせていたのかもしれない。今まで口にしたこともなかった諦めの言葉だった。
はっとして顔を上げると、詩織が泣き出しそうな、ひどく悲しい顔をして私を見ていた。
「なんで、そんなこと言うの……?」
誤魔化さなきゃ。
そう思うのに、一度綻んだ心からは、底に沈めていた本音が止めどなく溢れてしまう。
「だって……私、弱いもん。何もできないし、まともな光すら生み出せない。私なんかがここにいる意味も、生きてる意味なんて……」
言葉の途中で、両手を強く握り込まれた。
詩織の小さな手が、私の冷たい指先をしっかりと包み込んでいる。
「……璃星は、ちゃんと必要とされてるよ」
顔を上げると、彼女は必死に涙を堪えながら、私を真っ直ぐに見つめていた。
「才能とか魔術とか、そんなのどうでもいい。ここに居るみんな……少なくとも私は、璃星にここに居てほしい。一緒に笑って、生きててほしいって思ってるの……」
ぽろぽろと、私の目から涙がこぼれ落ちた。
彼女のやさしさが、冷え切っていた心の奥まで、じんわり染み込んでいく。
握られた手から伝わる彼女の体温は、どんな魔術の炎よりも、ずっと温かい。
「……ありがとう、詩織」
私は震える声で、その温もりに縋るように言葉を返した。
――私は、必要とされているんだ。
実技の才がなくてどうしたというのか。それは、この小さな箱庭の中での区分に過ぎない。
学院の外には、もっと無力な人も大勢いる。
なのに、どうして自分が、世界で一番不幸だと考えていたのだろう……
私には、生きる意味がある……少なくとも、私が必要とされている以上は。
そう思えたのは、今日が初めてだった。
世界は相変わらず冷たくて、実技が絶対という理はまだ、私の肩に重くのしかかっている。けれど、この暗い檻の中に、少しでも私の隣にいてくれる人がいる。
それだけで、私の小さな光は、もう少しだけ消えずにいられる気がした。
*
チャイムが鳴り、私たちは演習場を後にした。水道で冷たい水で顔を洗い、赤くなった目元をごまかすように教室へと戻る。
午後の授業も無事終わり、私たちは帰路についた。
校舎から吐き出される学生の喧騒に混じり、校舎と講堂に挟まれた並木道を歩く。傾きかけた西日が、私たちの影を右に長く伸ばしていた。
隣を歩く詩織、律斗と、他愛ない明日の予定を話す。午前中の息苦しさが嘘のような、そんな普通の時間が、今の私にはひどく愛おしかった。
「俺は鍛錬してくるから、じゃっ!」
並木道の途中で、律斗が大きく手を上げる。彼はいつもと変わらない元気な足取りで、放課後の鍛錬のために再び演習場へと駆けていった。
遠ざかる彼の背中を見送った後、残された私と詩織は二人並んでゆっくりと正門へ向かう。
校門を抜け、駅へ伸びる歩道橋の下。道路には、詩織を迎えに来た車が止まっていた。
「やっと来週は、神峯遺跡での校外学習ね。璃星は楽しみ?」
「……ええ。詩織と一緒の班になれたら、きっと楽しいと思う」
詩織からの問いかけに、私は小さく頷いた。
彼女は嬉しそうに微笑むと、小さく手を振り、後部座席へと乗り込んでいく。
滑るように走り去っていく車を見送りながら、私は茜色に染まり始めた空を見上げた。
来週の校外学習で向かう先。はるか遠国の意匠を凝らした、異質な遺跡。
研究施設として使われているとはいえ、その存在が風景から浮き立っていることに変わりはない。
私は、その存在に親近感と……不可解な引力を感じていた。




