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流光と堕ちた闇  作者: Altena
1話 天流れたる地
1/3

1-1 名もなき日常

 私が無数の光となり、空へ溶ける夢を見た。

 

 思考が朝霧のように解け、無に落ちるような感覚。

 死とはこういうものなのだ。その悟りとともに体を起こした。

 悲しくはなかった。ただ、愛おしいものを全て抱きしめたような、そんな心地だった。


 世界はまだ暗闇だった。こんな時間に起きるのは、レポート締切前日くらいしかない。

 眼をこすりながら、おもむろに立ち上がった。フローリングの擦れる音だけが、朧げな意識に入ってくる。


 あまりにも静かすぎた。

 夢の余韻のせいか、曖昧な意識のせいか。この暗闇の中にいると、実体までも溶けてしまいそうで心許こころもとない。

 私は日常を求めて、手探りでリモコンを掴んだ。


 深夜の静寂に、テレビの音が広がる。

 安堵のため息をつきながら、私は冷たい床に座り込んだ。

 

『――かつて世界がまだ混沌の海であった頃、二柱の神が存在しました』


 画面の向こう、深みのあるナレーターの声が、神代の物語を紡いでいる。

 普段なら気にも留めないオカルトドキュメンタリー。けれど、なぜか目が離せなかった。


『善なる光の神と、悪なる闇の神。相反する二つの意思が衝突した。その余波が砕け散って星となり、生命が生まれたのです』


『ゆえに、我ら生命の本質は闘争にあり、この世は善と悪が永遠に相克する舞台であるのです――』


 近代まで信じられていた、古臭い創世神話。

 今の魔導科学では否定されている、ただの「物語」。

 画面には、荒々しい筆致で描かれた神々の想像図が映し出されている。

 

 光をまとう神と、闇を纏う神。

 その絵は、教科書で見たどの挿絵よりも荘厳で、神を表しているはずなのに。


「違う……」


『――現代においても、この二元論を信仰する者は少なくありません。彼らは信じているのです。いつか再び神々が目覚め、決着をつける時が来ると』


「そんな顔してない……」


 もっと優しくて、もっと、悲しげで。そして何より、孤独だったはずだ。


 ――私は今、誰の物語を語っているのだろう。

 暗闇に堕ちた自分の声が、ひどく滑稽に思えた。

 ただの神話だ。顔も知らない他人の作った妄想に、何を熱くなっているのか。


「……寝よう」


 電源を落とすと、部屋は本来の闇を取り戻した。

 テレビの光だけが、残響のように眼に漂っている。

 全く関係ないはずの神話。けれど、まぶたを閉じてもなお、トゲのように刺さって抜けなかった。


 その異物感を持て余すうちに、いつしか意識は、再び深く、深い底へと沈んでいく。

 先の心地よい夢とは違う。もっと重く、抗いがたい運命に引かれるように。


*


 目覚ましのけたたましい音に、私は再び現実へと引き戻された。

 カーテンの隙間から、木漏れ日のようなやわらかい光が差してくる。

 光の筋の中で、微小なほこりがキラキラ反射しながら、溶けるように消えていく。夢の続きを見ているかのようだった。


「なんで、あれだけはっきり『違う』と思ったんだろう……」


 なにか知っているようで、何故か言葉にできない。

 そんな不気味な想いに身を寄せるうち、再び音に包まれた。長針は4を指し、二度目のアラームを知らせる。

 現実はいつだって、時間の影に追われている。消えゆく夢の尾を掴む暇は、私には与えられていない。


 鉄より重い体をベッドから剥がし、私は洗面所へ向かった。冷たい水で顔を洗い、寝癖のついた髪を梳く。

 キッチンから、チンという間の抜けた鈴音が鳴った。

 急いでオーブンを開け、まだ素手で触れないほどのパンを摘み、口へ押し込む。

 水分を奪う無味乾燥なトーストが、無理やり胃へと落ちていく。その乱暴な感覚が、なぜか胸の奥を煽った。

 

 その焦燥を掻き消すように、慌ただしく制服に袖を通した。

 テレビ画面の隅では、天気予報が降水確率0%を告げている。

 傘は必要ない。だけれど、なんとなく不安で、鞄の底に折り畳み傘を押し込んだ。


 消灯。暗がりから目を背けるように、足早に廊下を進む。

 整列された靴に足を通し、通学鞄を肩に掛ける。

 扉は重たい軋み声を上げ、ようやく、孤独な部屋に別れを告げた。


 団地のコンクリートを駈け降りて、駅へ続く坂道を急ぐ。

 遠く海から吹き上げる風が、建物の間を縫って唸りを上げていた。

 B02、B01、A06……無機質に区別された建物たちが、私を送り出すように並んでいる。

 桜色の絨毯が、細やかな彩りを与えている。しかし、私にはただの背景でしかなかった。


 時間は……38分。発車まで残り2分。早鐘を打つ心臓の音が、耳奥で痛く煩く鳴っている。

 息を切らしながら改札へ飛び込む。

 列車の甲高い音を聞きながら、ひたすら階段を駆け上がる。


 人の奔流に背中を押されるようにして、閉まりかけの扉へ滑り込む。

 顔見知りの他人ばかりの空間へ、ようやく辿り着いた。


 車内では、魔素を帯びた中吊り広告がチカチカと明滅している。

 誰も見ていないというのに、虚しく自己主張を続ける光。現代の都市ならどこにでもある、ありふれた魔力の無駄遣い。

 息を整えながら窓の外へ目をやると、見慣れた景色が流れていく。

 ひどく整った街の先、長閑な田園へと入り、再び無機質な街へと戻っていく。


 秋津国中部の、海と山に囲まれた天流市。

 誇れるような大きさも、胸を張るような歴史も、何もない。

 善と悪が対立するなんて、大層なことを言っていたけれど。ここには、そんな壮大さなんてない。

 潮風が吹き、人々が暮らす、退屈なほど平和な日常だけがある。


*


「学院前、学院前です。科学センター、方面へは1番線の列車にお乗り換え……」

 アナウンスの声に引き戻され、私は魔術史IIの本を閉じた。

 ほどなくして電車は止まり、ゆっくりと扉が開く。人の熱気と朝の涼風が混ざりあい、生ぬるい風が肌を撫でる。


 私はホームへと降り立ち、また人の流れに乗って階段を駆け降りる。

 改札を抜けると、一段と冷たい風が肌を襲う。潮の香りが、鼻を掠める。


 そして、視界いっぱいに学院が広がった。

 白銀の校舎が、朝日を受けて淡く輝き、海碧の装飾が、建物の縁を静かに縫っていく。

 ここが、私の学び舎。

 なぜか惹きつけられる魔術を学ぶ場。


 全国でも有数と言われる、この学院に――

 私は、ただ端っこの方で所属している。本当に、ただそれだけだ。


 ふう、と小さく息を吐いて歩き出そうとしたとき、不意に声が降ってきた。

 

「よっ、璃星りせ


 駅の柱にもたれかかっていた彼が、腕を軽く振ってみせる。

 ——榊原律斗さかきばら りつと

 学院の制服をきちんと着こなしているものの、その額にはうっすら汗が滲み、息も僅かに上がっている。

 

「律斗……あなた、寮生なのにどうして駅にいるの? まさか、また朝から山で鍛錬でもしてたの?」

「げっ、バレたか……」


 バツが悪そうに頭を掻く彼の掌には、グリップの黒い汚れと、硬いマメが覗いている。

 学生たちから「天才」だの「百年に一度の逸材」だのと囃し立てられる彼の実像は、そんな美辞麗句とは程遠い、ただの泥臭い努力家だ。

 そんな彼が、こんな私を特別視することもなく、当たり前のように隣を歩いてくれる。


「ほら、早く行かないと遅れるぞ」

「……はいはい。努力家さんに置いていかれないようにしないとね」


 彼は少し歩幅を緩め、私の遅い歩調に自然と合わせる。

 彼が歩き出し、私もその後を追う。

 そこに甘い空気なんて欠片もなくて、ただ純粋な関係性だけが漂っていた。


*


 8時50分……私たちは教室へと辿り着いた。

 今日もいつもと変わらず、始業10分前。


「おはよー」


 私のひどく気の抜けた挨拶が、教室の喧騒に揉まれる。


「あっ、りせじゃん!おはよ!」

「おはよう、詩織しおり。今日も早いね」


 彼女は有栖川詩織。名門の出でありながら誰にでも優しい、私のもう一人の親友。

 道端の桜、昨日のドラマ、提出期限の確認——

 他愛もない会話で朝のささやかな時間を潰す。けれど、さすがは優等生の集まる天流魔術学院。

 チャイムが鳴る寸前には、全員が然るべき場所で背筋を伸ばしていた。


 始業の鐘が鳴り響き、新学期初めての学校が始まった。

 始めに担任が号令を行う。そして……

 

「本日は学期始めなので、ステータスを返却しますよ」


 ステータス——年三回配られる、前学期までの残酷な成績表。

 学期末に配れば良いものを、以前の成績を顧みるべしと、期間を空けて配ってくる。

 名簿順に名前が呼ばれていく。教室のあちこちで、歓声や安堵のため息が交差している。

 どんな成績か分かっているのに、自分の番が近づくにつれ、胃の奥がじわじわと痛くなってくる。

 やがて無常にも名前が呼ばれ、私は足取り重く教卓へと向かった。


 先生の「もう少し頑張りなさい」という無言の視線を受け流し、逃げるように自席へと戻る。

 受け取った裏返しのプリントを、薄目を開けてそっとめくる。


 「知識」の項目には、SとAが美しく整列している。ここだけ見せれば、みんななんの抵抗もなしに優等生だと言ってくれる。

 でも、「実技」の項目……D, Eという文字の羅列が、私を嘲笑うように踊り狂っていた。

 総合成績は、知識項目のおかげで辛うじて平凡。だが、この魔術学院で、実技が平均以下の人間など「落ちこぼれ」というレッテルを貼られても仕方がない。


 (私に封印されていた力があって、実はものすごく強かったりして……)

 

 現実逃避のような妄想が過ぎるが、すぐに自嘲して掻き消した。そんな痛々しい空想に浸る暇があれば、魔力操作の練習をしたほうがマシだから。


*


 新学期初日。ステータス返却のあとには、講堂で始業式をするはずだけれど……


「始業式って外でするらしいよ」

「知ってる! 5年生の闇魔術の実験が失敗して、講堂が煤だらけになったんだってね」


 なんでも、制御されていたはずの魔素が、不可解にも舞台の方向へ向かって大きく暴走したらしい。結局、舞台装置に異常は見つからず、術者の魔力制御ミスとして処理されたのだとか。

 そんな騒動の余波で、私たちは春の陽射しが降り注ぐ演習所へ駆り出され、校長の退屈な長話を延々と聞かされる羽目になった。


 ようやく解放され、教室の喧騒へ逃げ帰ったのも束の間。

 無情にも一限目のチャイムが鳴り響き、新学期の授業が幕を開けた。最初の科目は――『魔術史II』だ。


 この教科は、中世から現代に至るまでの魔術の歴史を辿るもので、とても興味深い内容だが……とても眠くなる。

 なんせ、教科書を読み上げるだけで、面白いお話は一切してくれないのだ。

 

 中世の、まだ科学がそれほど進歩していなかった頃。人が理論ではなく、概念と信仰で魔術を理解していた時代。私ならもっと面白く講義できるのに。

 そんな不満を抱えながら、単調な声を聞いているうちに……私の意識は、抗いがたいまどろみの底へと落ちていった。


*


 また、この夢だ――


 古びた聖堂のような空間。連互する首座。逍遥する光柱と、どこか懐かしい声たち――


 夢を夢と理解できることは稀なのに……


 どうにもこの夢だけは、その常識を逸脱してくる。

 常に明晰で、いつも意味ありげに佇んでいる。

 私の記憶を逆撫でするかのように。


 声たちは懐かしいのに……懐かしいはずなのに……

 なぜ懐かしいかも、そもそも何かも理解できない。

 その言葉たちは文字にもならず、ただ白銀にほどけて消える。

 まだその意味は形より上で、いまだ手は届かない――


「――白川。起きなさい」


 冷たいチョークの音と先生の声で、私は現実へと引き戻された。

 甘い香りも、荘厳な領域も、急速に靄となって消え去り、ただ退屈な教室だけが残された。

 

 毎日のように私を囚える、あの謎めいた空間。あれは一体何なのだろう。


*


 ――次の時間は……出た、地獄の実技科目、魔術実践II。単位数はなんと4。しかも必習得科目。この単位を落とせば留年が確定する忌まわしき科目。

 この科目、一年のときも40点ギリギリの落単ラインだった。もちろん、好きでそのような点数を狙っているわけではない。


 そう思いながら、私は重たい足を引きずって、再び演習場へと向かう。始業式の時よりも、明らかに足取りが重い。

 

「実技が絶対。その残酷なまでに単純な真理が、一歩ごとに私の肩を重くする」


 ただ、それは仕方ない。これから向き合うのは、自分が一番直視したくない現実。

 そしてこれは、私の属性――光という名の、美しくも皮肉な才能に他ならなかった。


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