間隙 月野優の仕事
劇場完成記念ライブからほんの数日。俺は、残された最後の仕事に臨もうとしていた。
ただし、それは星野勇気としてではない、俺の女装した姿、"月野 優"としての仕事だ。
「──よーし! 今日がリハーサルの最終日! 張り切って頑張ろうか、炎治部長、優!」
観客の居ない劇場で、演劇部副部長 火野 聡が声を張った。
「うん聡、全力でだね!」
"私"は両手で拳を作り、気合を入れる。
女装の技術を買われた私は、演劇部の助っ人として舞台に立つことになっている。初めはその提案に困惑したけど、他でもない生徒の頼みだ、断るはずもない。
「ふぅ…きみは声も仕草も完璧だね勇気──いや優。本当に…完璧過ぎて完全に別人だよ」
私の姿を見て、演劇部部長 片平 炎治が感心したように息を吐いてくれた。……うん、かなり嬉しいかな。この技術は生徒のために頑張った結果だからね。
「ありがとう炎治部長。じゃあ、あなたにも同じ言葉を。立ち振る舞いがまた上達してるね、とってもかわいいよ」
そして、他人事のように言った炎治に対し、私は心からそう返した。炎治も役のために、可憐でかわいい人物を完璧に掴んでいるのだ。"俺"が1年近くかけて習得した技術を1週間そこそこでほぼ身につけてしまったのだから、称賛の心が収まらない。
「──優…きみというひとは本当に別人だな、いつもよりストレート褒めてくれるじゃないか?」
怪訝に訊いた炎治に、私は昔を思い出しながら答える。
「…あー、そうだね…。"元の世界"の仲間から「いつもの姿で他人に「可愛い」とか「綺麗」とか言うな」…って言われちゃっててさ。なんか、"誤解"されるとかで」
「あぁ……」
炎治は納得した様に息を漏らす。……そんなに共感を得られる話なのかこれは。
「その意味は分かるよ、周りから散々言われてきてるし。だからまあ反動っていうか、せっかく面と向かって褒められる機会だし…。…えと、嫌だった?」
「いいや嫌じゃあないよ、嬉しかった。しかしなるほど……ぼくもそのひと達の気持ちが分かるかもしれないな。きみは魔性だからね…、被害者は少ないほうが良い」
「えぇっ、魔性とまで行く? …うーん、私って客観視が苦手なのかな……」
「ふふ…その気持ち、ぼくにも覚えがあるよ。──それじゃあ魔性の者同士、しっかりと観客を魅了しようじゃないか、ね、お姉様?」
炎治はたおやかにお辞儀して見せる。かわいいドレスに身を包んだ彼女は、私と同じく別人だ。
───ぱんぱんっ!─
「それじゃあ早速、完全に通すよ! みんな準備入って!」
手拍子とともに、聡が宣言した。それを聞いた各々はまるで天命が如くそれぞれの仕事へ向かった。
「頑張ってね、義姉さん!」
もちろんその中には 星野 結愛も居る。演劇部のライブに続き、結愛はここでも仲間だ。
《照明OKです!》
《音響おっけー!》
《装置同じく!》
「よーしっ、5! 4! 3! …!」
カウントダウンの後、リハーサルが始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・
リハーサルは素晴らしく行われた。私と炎治は共に出てくる姉妹姫であり、私の役は戯曲を書いた聡の計らいにより素人でも分かりやすく演じやすい。しかしこの役のお陰で劇にも確かな深みが出ているのだから、もちろんプレッシャーもある。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──ナァーイス!!」
終幕と同時に、聡が歓喜の声を上げた。
学生演劇らしく時間にして10分弱、しかし代わりに密度は高く、かなりつかれた。
「フゥー……」
演技を終えた炎治はふらふらと歩き、近くの椅子にしがみつくように座る。
「…や、やっぱり疲れるなこれは……。本当に気が抜けないよ…」
「お疲れ様、炎治」
私は炎治を労いながら、飲料を手渡す。
「ありがとう優……。──きみはすごいね、女装の分ぼくよりも苦労してるだろうに、どうしてそんなに元気なんだい?」
「あぁ、慣れ…かな……」
私は遠い目をして、過去の特訓を思い出す。生徒のためとは言え、別人になるってすごく難しくて大変だった…。心身もかなり鍛えられたよ。
「慣れか…そうだよね。きみの様な完璧な振る舞いは目標だけれど、やはり一朝一夕じゃあ無理だな……」
炎治は深呼吸して体を休める。私も隣で休憩を始めた。劇はまるで激しい戦いのように疲労をもたらしてくる。そして、それはいくらか口を軽くしてしまうのかもしれない。
「──…ねえ優。暗い話だけど、ひとつ訊いてもいいかい?」
「もちろん、どうぞ」
「ぼくが過ちを犯した、あの時。もしきみがぼくの立場だったらどうしてたと思う?」
炎治は、恐る恐る訊いた。あの"犯行"の日、炎治は追い詰められていた。暴走した美咲と恵によって自由を奪われていた演劇部を助けるため、最後に道を踏み外したのだ。
今の私には"圧政"のこともいくらか分かる。明らかに行き過ぎた、暴力的な秩序維持…。
「──私だったら…か。…うん、私も冷静では居られないと思うな。炎治と同じように、無理やりにでも止めようとしていたかも。……感情っていうのは、そういうものとも思ってるから」
「そうか、きみでさえ……。抗いようがなかったのか……しかし……」
炎治は恨めしそうに自分の手を睨みつける。
(炎治はきっと、全てを後悔しているんだろう。人の命が失われていたかもしれないあの騒動…その重大さを最も身近に感じたのは他でもない炎治だ)
「──そのために仲間が居るんだと思うよ、炎治」
「え…?」
私は偉そうに言ってのけた。これは持論だけど、実体験でもある。
「時にはどうしようもないこともあるんだよ、感情ってきっと。炎治は演劇部を守りたかったから、…例えば美咲さんは、より良い学校を作りたかったから。強い思いは暴走するものだし、自分じゃ大抵止められない。止めてくれるのはいつだって隣の誰かなんだ。炎治は大丈夫だよ、焔はもちろん、聡や結愛、演劇部の皆がきっと傍にいてくれるから」
「優……でもぼくは…、やっぱり……」
炎治は拳を握り込み、目を伏せた。他者の意見を聞いてみたところで、やっぱり振り切れない迷いはあるんだろう。
「炎治、先の騒動については、原因は勿論生徒会にあるよ。暴力や恐怖での支配は、新たな暴力の種になる、人の道を踏み外させてしまう。だからこそやってはいけなかったんだ。貴方は確かに道を踏み外してしまったけれど、それは生徒会も同じ責任を負うよ。…それだけは言っておく」
「……ああ」
(こんな感情は…私みたいな他人が寄り添ってみたところでどうにかなるものじゃないよね……。悩みや迷いって、やっぱり一番難しいな……)
──《みんなー! 2回目やるよー! スタンバーイ!》
休憩時間が終わり、聡の声が響いた。
「っと…行こっか、炎治! 今日は皆と一緒に思いっきり演じ切ろう!」
「……──うん、そうだね。お姉様」
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私達は日暮れまで、劇の練習に打ち込んだ。
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練習が終わり、控室。私は演劇部の皆とともに、帰宅の準備をし始める。
「ふぅー、おつかれさま、優!」
「うん、聡もお疲れ様。…いよいよ明日が本番だね」
「うん。明日か…短いようで長かったなぁ…、生徒会には感謝しないと。劇場を作ってくれたおかげで、俺達はこの劇を披露することが出来るんだ。…そうじゃなかったら、練習だけして何も披露できずに卒業……なんて最悪な事態もありえてたし」
「そうだね聡。一時はどうなるかと思ったけど、こういう結果になって良かった……」
炎治はそこまで言って、準備の手を止める。
「──そういえば優、…美咲と恵の様子は? ほら二人…凄いことをしてただろう?」
「ああ…腕の骨折ね……。大丈夫、処置も早かったみたいだから。本番にもギリギリ間に合うと思うよ」
「そうか…それなら良かった。──変わったよ美咲は、本人は否定してるけど変わってる。……ぼくはそれに気が付けなかった、気付いていたならあんな事にならず済んだだろうに…。全く、美咲のことはライバルとも思ってたのに、このザマとはね」
炎治はため息を吐いて、準備を再開する。
「…いけないいけない。せっかく美麗くんが自由を繋いでくれたんだ。暗い話はやめにして、皆を楽しませることだけを考えないとね。──それじゃ、聡、優。また明日!」
炎治は荷物をまとめ終えると、笑顔を見せて去っていった。けれどその姿は、どこかぎこちない。……私には少しだけ覚えがある、頭では理解していても、犯した過ちは呪いのように付き纏う。炎治には残っているんだろう、愛する後輩を刺してしまった忌々しい感触が。
「炎治…劇が終わった時、ちゃんと吹っ切れてくれるといいけどな…」
「そうだね聡……私に出来ることがもっと多ければ良かったんだけど……」
──「あ、あのッ…!! 聡ちゃん先輩、優先輩。少し、よろしいでしょうか…ッ!!」
ふと、見送る私達に焔が呼びかけた。
「私…! 炎治部長のことで相談があるんです!! …協力して頂けませんか…? 皆も! 私の願いをどうか聞いてくださいッ!!」
焔は覚悟のもとに、その思いを打ち明けてくれた。
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焔の願いは演劇部の全員が了承し、当日の動きを話し合った。皆が協力的な態度なのは、ひとえに炎治の為だろう。そして炎治の為ならば、やはり焔こそが相応しい。
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──《生徒会からおしらせです! 生徒会からのおしらせです! 下校時刻がちかづいてきました! 部活などでのこっている生徒のみなさんは、すみやかにじゅんびをして下校をおねがいします! また、生徒会の皆さんは放課後業務をおこないますので生徒会室にしゅうごうをお願いします! くりかえします!》
話し合いが落ち着いた頃、不意に放送が流れた。
「っと…もうそんな時間か、帰らなきゃだね。焔、当日は俺達に任せて。絶対成功させてみせるからね」
「はい! ありがとうございます聡ちゃん先輩ッ!!」
「よーし、じゃあみんな解散!」
演劇部は、焔を中心に様々な思いを共有しながら次々に退出していく。私と結愛も肩を並べて部室を出た。着替える時間もなかったので、今日は女装のままだ。
───〜♪〜♪〜♪─
その時、結愛の携帯から着信音が響いた。
「もしもし、小百合先輩? ──はい、まだ居ます」
通話相手は、どうやら生徒会 新藤小百合らしい
「──はい、隣に。画面繋げますね」
結愛は返答の後、ビデオ通話に切り替えてカメラをこちらに向ける。
《もしもし、星野副会長代理──あれ、結愛ちゃんカメラ間違えてない?》
「…あー、そっか。えっと、義姉さ──義兄さんはいま女装してるんです」
《──え?》
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私と結愛は、驚く小百合に色々と説明した。
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その後、廊下。通話を繋げながら私達は生徒会室へ向かっている。
《──それにしても驚きました、副会長代理がこれほどの女装技術を持ってるなんて……》
「はは…ごめんね小百合、ちょっとややこしくなっちゃうかな」
私は作り声のまま返答した。今の姿なら、やっぱりこのほうがしっくりくるからね。
《いえそんな…、むしろこの見た目のほうが副会長代理として認識しやすいかも知れません、完全に別人の姿ですし。いっそのことその姿のまま日々の業務も行うというのは……》
「あはは、それは勘弁…、仕上げるのに結構時間かかるんだこれ。体格から変えないとだから」
《あ…そ、そうですよね!? すみませんあまりに自然体だったので…》
「ふふ、まぁ嬉しいかも。それほど完璧に女装出来てるってことだし」
そうこう話している内に、私達は生徒会室に到着する。
───ガチャッ─
扉を開けて中へ入ると、中には小百合と天上真白、宇宮輝、そして新メンバー…もとい復帰メンバーの佐藤在愛と立川颯が座っていた。
「失礼しまーす、星野勇気到着しましたー」
入室して到着を告げると、皆困惑した様子で一瞬固まる。ふむ…やっぱりこの感じ、何度見てもちょっと面白いな。
「えっと…副会長代理……なんですよね? 生で見ると凄い完成度……」
「えっ!? このひとが星野さんなんですか!?」
「…あー、説明しないと……」
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私と結愛は再び、この場に居る皆へ色々と説明を行った。
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「──はえー…何と言うか、平行世界がどうのこうのと言い、今日のあれこれと言い、私の知ってる生徒会じゃないやぁ……」
「こら在愛、帰ってきな。これから仕事だよ、生徒会の」
「う…が、頑張るよ颯! うん!」
「…ったく大丈夫かなぁ……」
戸惑う新顔佐藤 在愛に、同じく立川 颯が喝を入れる。きっと普段から行われていることなのだろう。
「さて…小百合、輝。なにか変わったことあった?」
「いえ、大丈夫です」
「良かった。じゃあ注目、今日の放課後業務は最終巡回と昇降口前の掲示板整理ね。途中指示はその場、あるいは通話で行うから、まずはささっと巡回かな。学年ごとに分かれて全ての教室を回って、終わったら昇降口へ集合するように」
「「了解!」」
「──よーっし! 1年妹同盟、さっそくしゅっぱーつ!! 鶴城ちゃんの分もがんばるぞーっ!」
「えっ、ぉわッ!? っ、ちょ、真白ちゃん!? そんな担いでいかなくても──わっ、わあぁーっ!」
生徒会1年は、真白が結愛を担いで風のように消えた。
「はは…相変わらずだね妹同盟は……、行こうか輝ちゃん」
「ええ、小百合さん。今日もよろしくお願いします」
生徒会2年の2人は、落ち着いて速やかに見回りに向かった。
「じゃ、在愛と颯は私とだね。行こうか」
「おっけー、えっと勇気──いや今は星野さん──いやでも女装中…んん?」
「あらら、まーた在愛がショートしちゃった。その姿の場合は何呼びが良いの? 副会長代理」
「…あー、好きに呼んでくれて良いけど、迷うなら「優」かな。女装中は月野優って名乗ってる」
「ん、りょーかい優。だってさ在愛、ほら行くよ」
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私達は少々賑やかに、三年の教室へと向かった。
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見回り中、廊下。
「──うん、やっぱり人数が居ると楽だね。2人が居てくれて良かったよ在愛、颯」
道すがら、私は二人に感謝を述べた。
「い、いやいやそれほどのことは…。──でも役に立ててるなら良かったな。私ってほら…美咲や恵みたいに"才能溢れる"って感じじゃないじゃん? なんて言うかただの数合わせ要員っていうかそんな感じだし」
在愛は自嘲的に笑った。
けれど私は、その言葉に全く賛成できない。
「ふむ…──そういえば前、劇場建設のお知らせの時さ。在愛は私と恵にいくつか質問をしてくれたよね? "皆の前"で今の生徒会のことを知ろうとしてくれた」
「え、ぇえッ!? お、覚えてるの!? これがもし小説か何かであったならば読者の誰も絶対覚えていないであろうあんな片隅のモブ質問を!?」
「独特な例えするね在愛は…。こほん、私は代理といえど副会長だからね、生徒のことはちゃんと覚えてるとも。──在愛がしてくれたあの時の質問、私は凄く大切だったと思ってるよ。私は圧政の話なんてちょっとしか知らないけど…でも生徒会に歩み寄ろうとしてくれたあなたを見て私は心から安心したんだ、「生徒会は見放されてないんだ」ってね。もしかしたら恵や他の皆だって、そう思ってくれたかも」
「そんな大げさな……」
「そうかもね。けど在愛は、確かに口火を切ってくれた。それって"勇気がある"ってことでしょ?」
「あ──」
私の言葉に、在愛は何かを思い出したように息を漏らす。私の言いたいこと、ちょっとは伝わってくれたかな…。
「……そうだね。私って思い切りの良さが取り柄だった! ありがとっ優!」
在愛は上機嫌に次の教室へ飛び込んでいった。
「あっちょ、在愛!? ったくあいつ、いつも突然だ……」
「──颯も、ありがとね」
「へっ? な、なんで私も?」
「あなたが一緒に居てくれてるから、彼女は事故らない。でしょ?」
「──ははっ。…ま、そうだね。在愛一人で生徒会に行かせられなかった。なんかあったらやだし」
「無理はしてない?」
「別に、…元より友だ──親友だし」
「そっか。…支えてあげてね、在愛を。そしてよければ、在愛と二人で皆のことも」
「了解。まぁ私達ってあなた達ほど派手じゃあない一般人だけど…、でも…うん、頑張ってみるかな、在愛と一緒に」
颯もまた、どこか上機嫌に次の教室へ移動した。
(……支え合ってこそしっかり立てることもある…か。……そうだよね炎治、焔)
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その後業務は滞りなく進み、生徒会は速やかに解散、各自帰宅となった。
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そして、翌日。演劇部本番の日。
晴天の下、暖かな風とともに生徒たちは劇場に集まる。
「──……よし」
控室。私は着替えとメイクを終え、立ち上がる。役者として劇に立つのも、こんな大勢の前で女装姿を見せるのも初めてだ。今までとも違う、重たい緊張がのしかかる。
「──準備は良い? 優」
「うん聡。…大丈夫」
さらに、緊張は一つだけじゃない。これは炎治、そして演劇部の新たなる一歩になる。…失敗は許されない。
「行こう」
私は控室の扉に手をかけ、一息に開け放った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
ーーーーー
───ブアァー…─
開演ブザーが鳴り響き、劇場は暗闇と静寂に包まれる。
ただ静かに呼吸を整え、炎治の隣で合図を待つ。
───ぎゅっ─
その時、炎治が私の手を握った。それは柔らかくか弱い、いつもの炎治とは全く違う感触。
「──傍に居てね、レイお姉様」
彼女は、炎治ではなかった。弱々しい吐息、伏し目がちな瞳、不安そうに胸へ置く手。
…私はあなたの名を知っている、甘えたがりで人見知り、けれど誰より心強い、私が心から愛する妹。
「ええ、安心しなさい、ライ」
そうだ…私はレイ、この子の姉。私は彼女とずっと一緒だった、それは今日も。
……本当に凄いよ、炎治。あなたの瞳を見ていると、私はレイになれる、辺りの空気も違って見える。あなたは、この劇を支配している!
・・・・・・・・・・・・・・・
──『星よ、私のお星さま』。とある街では星を祝う"星まつり"が行われる。姉のレイと妹のライは、そんな街に屋敷を構えるお嬢様だ。
「星に幸あれ!」
そんな掛け声とともに、民衆は星々に思いを馳せる。姉妹もまた、それを楽しんでいた。
…しかし、妹のライはどこか怯えている。彼女はなにか敏感であり、星々の視線を感じてしまうのだ。祭りは楽しんでも、彼女はどこか落ち着かない様子を見せている。
・・・・・・・・・・・・・・・
祭りは終わり、屋敷のバルコニー。レイとライは余韻に浸り、満天の星空を眺めていた。そんな時──
「嗚呼、流れ星…本当に運が良いわライ、せっかくだし願い事をしましょう?」
「願い事…? そんな、何を願えば……」
「でたらめでも良いから、願ってみるの。お星さまの機嫌が良ければ…何か起きるかも。さぁライ、空を見上げて。…言ってごらん?」
「わ、私は……。──私は、お星さまと仲良くなりたい…皆と一緒に手を繋いで、お祭りを楽しめるように……!」
───きらんっ─
再び、星が煌めいた。
「あら、また。縁起が良いわね……ふふっ、もしかすると聞き届けてくれた合図なのかもしれないわね? ──あれ、変だわ。あの流れ星まだ消えてない…いや違う、こっちに近付いて──!」
───ドゴオォンッ!!─
「きゃあぁっ!!」
轟音と、立ち上る煙。流れ星が落ちてきたのだ。
「…げほっ! ごほっ、ごほっ!! 痛ーい…!!」
煙の中から現れたのは…人間、人間だ。
「──あー…、ここどこ?」
・・・・・・・・・・・・・・・
空から落ちてきた来訪者。焔が演じる彼女こそ、この劇の主役だ。その名はモエ。少女モエは姉妹に保護され、屋敷で過ごすこととなる。
モエの記憶は混濁していた。覚えているのは名前と、自分が学生だったこと。どうしてこうなったのかは何も覚えていなかった。
「まー良いさ! こうして生きているんだし、きっとどうにかなるよ!」
モエは前向きだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
この物語は、ロマンスだ。
内気なライは活発なモエと出会い、モエの出自を探りながら友好を深め、やがて惹かれ合っていく…。
「あの…モエさま。もし…もしもこのまま帰れない…なんてことになったら……その時は…どうなさいますか?」
屋敷のバルコニー。星空の下、二人は話す。
「んー? あぁそうだね…その時はこの街に住むかな。皆いい人だし、私も星は好きだしね。それに……」
モエは言いかけて、ライをじっと見る。
「それに…?」
「ううん、何でもないや。…ごめん」
──《モエさん、ちょっと下りてきてくれる? 調べたいことがあるの》
「お? はーいレイさん! 今行きまーす! ライさんまた後で!」
外からレイに呼ばれたモエは、駆け足で屋敷に戻った。一人残されたライは、独白する。
「モエさま……此所にいるべきではないひと…元の居場所へ帰るべき人……。なのに──嗚呼、教えて下さい、お星さま。私は……私は一体どうすれば良いのですか……?」
昏い空に、ライの声が虚しく響いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
演劇は会場に満ち、観客もそれを見守っている。
そしてそこには、木崎恵と天上美咲の姿もあった。
二人は怪我のこともあり別室で、カメラ越しに見ていたが。
「ロマンス……"圧政"の時は悪影響が大きいと決めつけていたものを禁じていましたわね。例えばこのようなものも」
「そうね。まぁ……結果も手段も最悪だった訳だけど。……私が暴力を使わなければ美咲も踏み止まれたかも知れないのに……ほんと、馬鹿だったわ。ごめんなさい……」
「それを聞くのは何回目かしらね。……私の責任よ恵。恵はただ助けてくれただけでしょう、考えついたのも指示したのも私だった」
「でも美咲には悪意があったわけじゃないでしょ、…私にはあったのよ。そして貴女を止められたのも私くらいだった。どちらが悪いかなんて──…いや、これ以上はまた堂々巡りね……何十回とやってたのにまだ…。ほんとごめん」
…二人は大きなため息を重ねる。折れた片腕の痛みが過去の過ちをより深く感じさせ、淀んだ空気が満ちた。
「それにしてもこの劇、皆は真剣に観てるのね。……ちっとも面白くないんだけど」
「そうですね…、そもそも伝えたいテーマが不明です。祭事を描くには情報が足りないし、ロマンスを書くにも順序を飛ばし過ぎている。10分程度の戯曲に収めるには欲張りすぎで中途半端ですね。もし原作ありきのスピンオフと言うなら…まぁ我慢出来ないこともないですが、しかしそうではない」
「同意見。──でも不思議なことに、観てる皆は楽しそうにしているのよねぇ……」
「ええ、……全く本当に何一つ理解できません。けれど──」
二人は顔を見合わせて、呼吸を合わせる。
「「──このままで良い」」
「……軽音部の演奏もそうでした。粗雑で、意図も解せないあれには、しかし何かの意志が強く刻まれていた。"作りたい"と強く思っていた。──その思いをただ尊ぶのが、きっと今の我々がするべきことなのでしょう」
「それが、あの時私達を叱ってくれた副会長の思いだものね」
美咲と恵は、お互いを律しながら観劇を続ける。"生徒の活動を認め、ただ見守る"…それが今、二人が己に課した使命なのだろう。
「──そういえば恵。レイ役の女子生徒に見覚えがないのだけど…貴女知っているかしら?」
「え? あー…言われてみれば……。背が高いみたいだし、見たら忘れそうもないけれど……駄目ね、知らないわ。誰かしらあれ?」
・・・・・・・・・・・・・・・
そしていよいよ、劇も終盤にさしかかる。
「──モエさま、神託で記憶…戻ったんですよね? ……一体、何が見えたのですか」
「ライ……。そうだね、ライにだけは…知っててほしいかな」
2人だけのバルコニー、モエはライの問いに力無く応える。
「この世界に来る前……私さ、学校に遅刻したんだよ。大急ぎで自転車漕いでさ…、近道したんだ」
───自転車を漕ぐ音響─
モエはうなだれて、手すりに寄りかかる。辺りに冷たい空気が満ち、ライは耳をふさぎたくなったが、そうしなかった。それが愛する人の言葉だから。
「──でも近道ってさ、危ないから"近道"って言うんだよね」
───鈍い音響─
「なんてことないミスから起きた、ひどい事故だった。私は何が起きたかも分からないまま、崖から放り出されたんだ……」
「え──そ、それって……、じゃあ、ここに居るモエさまは…っ……」
「──そうだね。神託で見えた記憶はそこまで、そして"気がついたら此所に居た"…。つまり私は…私の身体は、もう死んでるんだよ」
終盤に明かされる新事実は、このロマンスが悲恋だというものだ。
…私は舞台袖からそれを眺めて、自分の現在にも思いを巡らせる。
(状況は違うが、俺と主役は少し似ているかもしれないな……。"何か"が起きて、知らない土地に居て…。故郷へ戻りたいという思いはあれど、何だかんだこの場所も楽しくて。……演劇っていうものは不思議だな、こういうことすら考えさせてくれるんだから。……炎治、貴女はどうだ。貴女は誰に共感し、何を考えている?)
「そんな……、じゃあモエさんは…これからどうなるんですか……?」
「……ううん、そこまでは分かんなかった。──目が覚めたら棺桶の中とか? それとも…目覚めなかったりしてね」
モエは、他人事のように言う。まるで諦めているかのように。
「……駄目です」
「え…?」
「そんなの駄目ですッ! ……あなたは今生きている、生きて此所に立っているんです! この場所は…私は、あなたを覚えている。生きているあなたを愛せます。だからッ…!」
ライは縋るように肩を掴んだ。
ここには、可憐な姫ライが片平炎治でなければならない理由があった。今の炎治は、衣装のヒールを合わせれば2mを超える長身だ。今まで演技によって可憐でか弱い姫を演じてきたが、ここはここだけはその身長を存分に活かして圧倒を全面に押し出すのである。主役のモエに覆いかぶさるかのごとく見えるその様子は、失うことの恐怖やモエに抱く愛、別れの悲しみ、運命への怒りその全てを完璧に表現している。これこそ炎治がその全身を持って表現する、舞台人としての誇りそのものだろうか。
「お願いしますモエさん…行かないでください……ッ! 死んでしまったら……人はお終いなんです……何も…何一つ残らないんだッ…!!」
──しかし、彼女の悲しい威圧は、容易く優しく拒絶される。モエもまた、この劇の主人公なのだ。
「ごめんね、ライ。それでもね、私は正しい場所に居ないといけないんだよ……人として生きたあの場所で、人のまま死ぬために」
モエは肩に置かれた手を引き剥がし、一歩距離を取る。
「あ…あぁ……あっ……」
ライは行き場を失った手をだらんと下ろし、膝を付いた。
──その時。
─衣擦れの音─
モエは、ライを抱擁した。
「──だからさ、私を覚えて。私が此所に居たのを忘れないで。私も忘れない、貴女の名前も、この温もりも。これから何処に行ったって、私達は一緒に居るから…! だから…絶対私のこと……忘れないで……!!」
身体の大きさは違う、だがモエの姿は誰よりも力強かった。それを表現できるのも、炎治を傍で支えてきた焔だからこそだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
音響が鳴り響き、クライマックスとなる。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──星よ、輝く星達よ!」
儀式の間、モエの身体に光が集まる。
「ここにさまよえし魂を、在るべきところにお返しください!」
「──私はモエ! 地球に生きた人間です!」
一際明かりは強くなり、舞台の大道具はモエを中心に回転する。時空を超え、モエは無を泳いでいくのだ。
やがて、景色が遅くなり、音楽が止まると。
───衝突音─
モエは、自転車とともに中へ投げ出されていた。
「──ああ…この場面に戻ってくるんだ ……ふふ、最期に良い夢…見れたかな……」
落ちていく。落ちて、落ちて……硬い地面が迫る。受け身でどうこうなるものではない、助かる術はもう何も──
───輝く音─
刹那、星が煌めいた。明るい空にも、当然星はあるのだ。
「間に合えぇーッ!!」
咆哮とともに、星から何か落ちてくる。そして、モエの身体に衝突するのだ!
───衝撃音─
ついに、地面に辿り着く。煙が舞って、視界を遮る。そして晴れたところには──
「──其処に…居るのですね、モエさん」
生きているモエと、居るはずのないライだった。
「ライ…? どうして……」
「ふふ…、星にお願いしたんです。流れ星に3回、「モエさんを助けたい」と。そうしたらこうやって、星に乗せて頂きました」
「そんな…ははっ、何でもありなんだね、星って」
「はい…はい!」
二人は熱く抱擁する。…しかし、やがてライの身体が光りに包まれていく。
「ライ…身体が……」
「……ええ、そろそろ本当にお別れですね」
「そっか……でも、会えて良かった。助けてくれてありがとう、ライ」
「ああモエさん、あなたはこうして生きている。私はそれが、とても嬉しい……」
ゆっくりと、ライの姿が消えていく。これは最新式の劇場がなせる演出であり、リアルタイム生成の複製立体映像と舞台装置による力技だ。
「ライ、…きっとまた会えるよね? 私は生きてる、生き抜いて、色んな話をライに聞かせたいんだ。だから私のこと覚えてて、──私の、愛しい人」
「はい…! あなたが大好きです、モエさん!」
光の粒子と共に、ライは消えた。
「……ライ…!」
モエは虚空を抱き、涙を零した。
・・・・・・・・・・・・・・・
音響とともに暗転。
・・・・・・・・・・・・・・・
「おっ、遅くなりましたァ〜…」
最後の場面は、授業中の教室だ。
「は? お前──今何時だよ? 逆に来るのがびっくりだな」
「はは…ごめんなさいちょっと事故っちゃって。怪我とかはなかったんだけど自転車逝っちゃった」
「自転車──大事故だな!?」
「それで一旦家帰った上で徒歩なんでこうなったっていうか…さーせん」
「…まぁ、未来ある若者が無事で良かった。じゃあ席に着いて、サービスでちょっと巻き戻してやる」
「えっ、ありがとー先生! …ふふっ、寿 萌、長生きしまーす!」
そして、幕が下りる。
『星よ、私のお星さま』完
・・・・・・・・・・・・・・・
エンディングの音楽と共に、幕にスタッフロールが流れていく。
・・・・・・・・・・・・・・・
──「…終わったね、皆」
舞台裏、全てを終えた炎治は呟いた。
…しかし、その呟きには誰も同意しなかった。
「──いいやごめん、炎治。まだ終わりじゃない」
横から現れた聡が、いうと同時に紙を差し出す。それは、たった1枚の台本だ。
「なっ、加筆したのかい? い、今!?」
「まぁそういうこと。…でもそれは、ただの台本じゃない。しっかり読みな」
炎治は言われたままに、台本を読む。
…『片平 炎治部長。こんな形でのお手紙をお許しください、美柳 焔です。あなたはきっと、この劇が終わったら私達の元から去る気なのでしょう。理由は多分、私を刺してしまったから。私はあなたがそういう人だって知っています、皆も私もそんなあなたに付いて来たのですから。…だから次は、あなたに私のことを知ってほしい。
私は、あなたが好きです。
尊敬ではありません、友愛でもありません。私はあなたを一人の人間として愛しています、あなたの傍に居たい。ずっと、最期まで。私はこうして生きています、だからこれからも一緒に歩きましょう。 美柳 焔』
それは、鮮烈なラブレターだった。
「──『返事は、演技で示すこと』……。聡、優…きみ達知っていたな?」
呼ばれた2人は、ばつが悪そうに目を逸らす。実際は私と聡だけでなく、部員全員が把握していた。全て焔の提案で。
「まぁ実際、ラストにもう1シーン欲しかったんだ。許してッ!」
「全く、きみという人は……」
「はは…。──さぁさ、そろそろスタッフロール終わるよ! 舞台はセット済み、さあ行って、ライ!」
聡は呆れる炎治を催促し、背中を押した。
「分かったよ、行ってくる」
「……返事は本気でね」
「──うん」
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エンディング後、ゆっくりと幕が上がる。
・・・・・・・・・・・・・・・
屋敷のバルコニーで、ライは一人、佇んでいた。
──「おーい!」
そして、そこへ駆け寄る人影が一つ。
「モエ…さん……」
「じゃじゃーん! へへ…天寿全うしてきましたー! お星さまって優しいね、毎日お願いしてたらさ、こうやって叶えてくれちゃうんだもん。それでさ…えっと──」
言葉の途中、ライはモエに抱きついた。覆いかぶさるように、しかし優しく。
「──ライ?」
「…おかえりなさい、モエさん」
「うん、ただいま」
ふたりは手を取り合って、見つめ合う。長いようで短い時間、ふたりは思い出全てを振り返った。
そして、答えはもう決まっている。
ふたりは、そっと口付けをした。
・・・・・・・・・・・・・・・
本当の幕が、今下りた。後に残るのは、ふたりだけの世界だ。
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舞台裏に、拍手が聞こえてくる。演劇部復活の公演は、大成功と言えるだろう。
「これで、本当に幕かな。…どうか幸せに炎治、焔」
「聡、涙が…」
「えっ、あぁ…メイク落ちちゃう……──ま、良いや。今はそれより、この結末に浸っていたいかな」
私と聡は微笑みながら上を見上げる。機材の詰まった天井は、まるで星空のように見えた。
「ありがとう、優。君が居てくれて良かった」
「…私は何もしてないよ」
「全く、炎治の女装を完璧にしてくれたのは優でしょ? それに、君は炎治の"友人"だった。それが俺達にとってどんなに難しいか」
「そっか……役に立ててよかった」
「……あのさ、優…いや星野さん。もうすぐ……帰っちゃうんだよね? その…確か平行世界ってやつに」
「……うん」
演劇部にも、その話は伝えていた。
「俺さ、信じてるよ。また会えるって。……だから、さよならは言わない」
「……うん」
私は静かに、ただ頷いた。
「──さ! しんみりしすぎたね! みんなー、後も控えてるし早いとこ片付け始めちゃおう! この後は…ブレイクダンス部か、急がないとだ」
「…そうだね、副部長!」
演劇部は、ここにまた新たな一歩を踏み出した。きっとまた、素晴らしい演技を見せてくれるだろう。
「──って…あの2人……いつまでキスしてるつもり…?」
「あー…、まぁ邪魔しないほうが良いか。きっと幸せなんだよ、2人にとって今が一番」




