第7話 招待と奇襲
魔獣の襲撃から四日。
エルフの里には、ようやく穏やかな時間が戻っていた。
壊れた柵は修復され、傷を負った者たちも少しずつ日常を取り戻している。
昼下がり。
里の広場には、多くのエルフたちが集まっていた。
中央には、人間の隊長が立っている。
「先日の魔獣襲撃では、多くの方が傷つかれました」
「我々も力及ばず、守り切れなかったことを心よりお詫び申し上げます」
隊長は深く頭を下げた。
「ですが、我々は皆様と、これからも良き隣人でありたいと考えております」
広場が静まり返る。
隊長は穏やかな笑みを浮かべた。
「もし我々の魔道具や、人間の都市にご興味がおありなら、一日だけでも遊びに来ませんか」
その一言に、広場がざわついた。
「人間の都市へ……?」
「外へ出られるのか?」
「見てみたいな」
エルフたちは長寿である反面、外の世界へ出る機会は少ない。
まして、人間の王都へ招待されるなど前例がなかった。
「もちろん、強制ではありません」
隊長は続ける。
「興味のある方だけで結構です。明日の昼、我々が責任を持ってご案内いたします」
その言葉に、若いエルフたちの表情が明るくなった。
その中でも、一番目を輝かせていたのはノヴァだった。
「王都……!」
思わず前へ一歩踏み出す。
市場。
魔道具。
人間の文化。
幼い頃から、人間は危険な種族だと教えられてきた。
けれど、四日前。
命を救ってくれたのも、その人間たちだった。
自分の知らない世界を、この目で見てみたい。
「行ってみたい……」
その呟きを聞き、隣にいたエルフの男エルロンが肩をすくめる。
「子供だな、ノヴァ」
「子供じゃないもん」
「顔に全部書いてある」
「あなただって興味あるでしょ。エルロン」
「否定はしない」
短く答えると、エルロンは苦笑した。
その様子を見ていた隊長も、小さく笑う。
「世話役には、ルークを付けます」
「よろしくお願いします」
若い兵士――ルークが前へ出て、軽く会釈した。
ノヴァは四日前から何度も話している相手だった。
年齢も近く、気さくで話しやすい。
「王都って、本当にそんなに賑やかなんですか?」
「ええ」
ルークは笑った。
「露店がたくさん並んでいますし、夜は魔導灯で街中が明るくなります」
「魔導灯?」
「魔石を使った灯りです。夜でも昼みたいですよ」
「すごい……!」
ノヴァの瞳がさらに輝く。
「料理も美味しいです」
「料理!」
「甘い焼き菓子なんかもありますよ」
「焼き菓子!」
横で聞いていたエルロンがため息をついた。
「結局、食べ物か」
「だって気になるでしょ!」
広場に、小さな笑い声が広がった。
◇
その日の夕方。
ノヴァは家へ戻るなり、大きな袋を広げていた。
「あれも必要かな……」
「これも持っていこうかな……」
服を畳み、小さな道具を袋へ入れる。
その様子を見ていた母エリアンが苦笑した。
「ノヴァ」
「なあに?」
「一日だけの旅なのに、どうしてそんな量になるの?」
「旅は何があるか分からないでしょ」
「人間の王都で遭難でもするつもり?」
「しないわよ!」
ノヴァは頬を膨らませた。
「でも、備えは大事なんだから」
「それはそうだけれど……」
エリアンは娘の頭を優しく撫でた。
四日前。
この子は死にかけた。
あの時、人間たちが助けてくれなければ、今ここにはいない。
そう思うと、不思議と胸のつかえが少し軽くなった。
「……行ってらっしゃい」
静かにそう言う。
「ありがとう、母さま!」
ノヴァは満面の笑みを浮かべた。
◇
深夜。
里長は、眠ることができずにいた。
世界樹の方向へ手を添える。
その瞬間。
「……!」
顔色が変わった。
結界の一部が揺らいでいる。
いや。
揺らぎではない。
広範囲に渡って、結界が破られている。
しかも前回より遥かに多い。
里長はすぐに鐘を鳴らした。
夜の静寂を破る鐘の音が、里中へ響き渡る。
眠っていたエルフたちが次々と目を覚ました。
やがて里人たちが館へ集まる。
もちろん、人間の兵士たちも。
里長は全員を見渡した。
セレブリアンから受けた報告が頭をよぎる。
人間が魔獣を誘導している。
その事実を今ここで話せば、この場は混乱する。
証拠もない。
そして何より――人間たちが、ここにいる。
里長は静かに息を吐いた。
「結界が破られた」
館の空気が張り詰める。
「前回を上回る数の魔獣が接近している」
ざわめきが広がった。
里長は続けようとした。
本当は、もう一つ伝えなければならない。
魔獣の後方から、多数の人間の気配も近づいていることを。
だが、それを口にすることはできなかった。
この場で告げれば、里は戦う前に割れる。
(……セレブリアンがいてくれたなら)
そう思った、その時だった。
人間の隊長が一歩前へ出た。
「我々も共に戦います」
集まった者たちの視線が集まる。
「ただ、この里の外には我々の仲間が待機しております」
隊長は続けた。
「援軍を呼ぶため、我々は二手に分かれます」
そして、ノヴァとエルロンを見る。
「明日、王都へ向かわれるお二人には、その途中で我々の仲間と合流していただきます」
里長は返事をせず、しばらく隊長を見つめた。
外には、多数の人間の気配がある。
セレブリアンの報告が事実なら、その者たちこそ警戒すべき相手だ。
だが、目の前の隊長たちは四日間、命を懸けて里を守り続けてくれた。
(……疑うべきか。それとも信じるべきか)
苦い沈黙の末、里長は静かに頷いた。
「……分かった」
静かに頷く。
「頼みます」
隊長も深く頭を下げた。
その肩には、四日前には見慣れなかった筒状の魔道具――魔道銃が掛けられていた。
「どうかご安心ください。今度こそ、皆様は我々がお守りします」
そのやり取りを見ていたノヴァは、小さく胸を撫で下ろした。
王都への旅も。
里のみんなも。
きっと、大丈夫。
そう信じていた。
◇
夜の森は静まり返っていた。
月明かりだけが木々の隙間から差し込み、細い道を淡く照らしている。
ノヴァは小さく息を吐いた。
「夜の森を歩くなんて、久しぶり」
「怖いですか?」
隣を歩くルークが笑う。
「少しだけ」
「安心してください」
ルークは肩に掛けた魔道銃へ軽く触れた。
「あなた方は、私たちが守ります」
その言葉にノヴァは微笑む。
四日前。
この人たちは命を懸けて自分たちを助けてくれた。
ノヴァに疑う理由などなかった。
先頭を歩くエルロンが足を止める。
「……来る」
全員が身構えた。
木々の奥。
三つの影がゆっくりと姿を現す。
四日前と同じ、吸魔蚊だった。
魔力を求めるように羽音を響かせながら近付いてくる。
しかし。
ノヴァは小さく眉をひそめた。
「あれ……?」
魔獣の尾が光っている。
月明かりではない。
淡く緑色に。
まるで光苔のように。
いや。
《《光苔が塗り付けられて》》いた。
「下がっていてください」
ルークが静かに言う。
三人の兵士が前へ出た。
肩に掛けていた魔道銃を構える。
「撃ちます」
パン!
乾いた破裂音が森へ響く。
筒の先端で紫色の火花が散った。
一匹目の吸魔蚊の身体が弾け飛ぶ。
続けて、
パン!
パン!
二発。
残る二匹も地面へ落ち、動かなくなった。
ノヴァは言葉を失った。
「……すごい」
魔法でも弓でもない。
こんな武器が人間にはある。
「もう大丈夫です」
ルークは魔道銃を下ろした。
「我々の仲間も、この近くまで来ているはずです」
そのまま一行は森の奥へ進んでいった。
◇
しばらくして。
里長の館の扉が開いた。
一人の兵士が駆け込んでくる。
その後ろには、見慣れない人間が一人いた。
隊長はすぐに近寄る。
男は隊長の耳元へ顔を寄せ、小さく囁いた。
「…………」
隊長の表情が変わる。
目を見開き、息を呑む。
「……何だと」
男はもう一度、小さく告げた。
「王命です」
(『エルフを殲滅せよ』だと)
隊長は動かなかった。
「……なぜだ」
思わず漏れた声だった。
「理由は聞いておりません」
「命令です」
男は感情を見せない。
「それに、本隊には前王閣下とルードヴィヒ王子もご同行されています」
隊長は息を呑んだ。
「……前王が?」
長い沈黙が流れる。
やがて隊長はゆっくりと目を閉じた。
そして。
館の中央へ歩み出る。
「皆さん」
エルフたちが振り向く。
「我々は、先ほどの部隊と合流することとなりました」
静かな声だった。
「ここからは、……皆さんだけで十分戦えるでしょう」
拳を握りしめていた。
館の空気が止まる。
「ご武運を」
隊長は深く頭を下げた。
隊員たちも続く。
誰一人としてエルフの目を見ることができなかった。
館を出る直前。
隊長は一度だけ振り返る。
エルフの子供たち。
不安そうなエルフの目。
その光景を胸へ刻むように見つめる。
そして静かに館を後にした。
◇
館では、里長の指示のもと、防衛の準備が進められていた。
窓へ板を打ち付ける。
一部だけ射撃用に開ける。
弓兵が並ぶ。
館の中を見回した若いエルフが、小さく呟いた。
「……人間たちは、もういないんだな」
誰も答えなかった。
四日前まで敵だと思っていた者たち。
いつの間にか、その姿があることを当たり前のように感じていた。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
夜空を埋め尽くすほどの吸魔蚊が館へ押し寄せた。
矢が放たれる。
水と氷の魔法が夜を裂く。
火属性を扱える者は、館の周囲の木々へ炎を放った。
燃え広がる炎が壁となり、魔獣の侵入経路を狭めていく。
四日前とは違う。
弱点は分かっている。
攻撃も通る。
少しずつ魔獣の数が減っていく。
◇
南の森。
人間軍は木々の間を縫うように進んでいた。
前方では、無数の吸魔蚊が夜空を埋め尽くしている。
その尻部には、淡い光苔が揺れていた。
「吸魔蚊の光を見失うな!」
ルードヴィヒの号令が飛ぶ。
魔力を求める吸魔蚊の群れは、森の奥へ一直線に飛び続ける。
兵士たちは尻部に塗布された光苔を目印に前進する。
暗い森でも、群れの位置は手に取るように分かった。
やがて館が見えてくる。
エルフたちは必死に吸魔蚊を迎え撃っていた。
「エルフの奴らめ、まだ持ちこたえているのか」
ルードヴィヒは口元を緩めた。
「ならば、この私が終わらせよう」
「魔道大砲を用意しろ!」
「はっ!」
大男二人が巨大な魔道大砲を運び出す。
砲口がゆっくりと館へ向けられた。
「撃て‼︎」
◇
里長の館。
「押し返せる!」
誰かが叫んだ。
館のあちこちで安堵の息が漏れる。
――次の瞬間だった。
ドォォォォォン!!
館全体が激しく震える。
屋根が爆音と共に吹き飛んだ。
夜空がむき出しになる。
瓦礫が降り注ぐ。
「な……!」
誰もが言葉を失った。
これは魔獣の攻撃ではない。
里長だけが理解した。
静かに目を閉じる。
「……人間だ」
誰にも届かないほど小さな声だった。
そして顔を上げる。
「人間は――」
館中へ響く声で告げる。
「我々を騙した」
その言葉と同時に。
崩れた屋根から大量の吸魔蚊が雪崩れ込んだ。
「きゃあああ!」
「助けて!」
館は一瞬で地獄と化した。
◇
その頃、西の森。
ドォォォォォン!!
巨大な爆発音が夜明け前の森を震わせた。
フェルディルは表情を引き締める。
セレブリアンは焦りを隠せない。
「間に合ってくれ……!」
しかし、ルシェの歩みは乱れない。
ただ真っ直ぐに、エルフの里へ向かっていた。




