第4話 交わる足跡
イクティス山の麓。
山肌を削るように築かれたドワーフの里では、朝から鉄を打つ音が響いていた。
カン。
カン。
一定のリズムで槌が振り下ろされる。
赤く熱せられた鉄が火花を散らし、工房の中を白い蒸気が立ち昇る。
その工房の主、ドルゴは額の汗を腕で乱暴に拭った。
「……よし調整は、こんなもんだな」
満足そうに頷くと、鍛冶台の上に置かれた一本の魔法杖を手に取る。
漆黒の木肌。
先端には透き通る蒼い魔石。
そして杖全体には、世界樹の枝特有の淡い木目が流れていた。
その時、工房の扉が静かに開く。
「失礼するドルゴ」
入ってきたのは、一人のエルフだった。
長い銀髪を後ろで束ね、深緑のローブを羽織っている。
背中には長年使い込まれた黒い魔法杖。
名をセレブリアンという。
ドルゴは豪快に笑った。
「よう来たな。注文の品は出来てるぞ」
そう言って魔法杖を差し出す。
セレブリアンは丁寧に受け取ると、静かに目を細めた。
「……見事だ」
杖を軽く握る。
魔力がゆっくりと流れ始める。
枝の一本一本まで自分の身体のように馴染む感覚だった。
「ありがとうドルゴ。毎度助かる」
ドルゴは鼻を鳴らした。
「毎度って、おめらの毎度は何年おきなんだ。商売にならんな」
セレブリアンは小さく笑う。
「エルフは長命ゆえ」
「だから困るんだな」
ドルゴは笑いながら肩を竦める。
「だが、おめらが持ってくる素材は面白ぇ」
杖へ視線を落とした。
「世界樹の枝なんざ久しぶりだったな」
「最近は子どもも増えたのか」
その言葉に、セレブリアンの表情が少しだけ曇る。
「……そうであれば良いのだが」
「我らは気位が高く、子宝にも恵まれにくい」
「新たな命が生まれることは、年々少なくなっているドルゴ」
ドルゴも静かに頷いた。
戦争は終わった。
だが、それぞれの種族には、それぞれの悩みがある。
そんな空気を破るように、工房の扉が叩かれた。
コンコン。
「入るぞ」
四人の男が姿を現す。
全員が同じ鎧を身につけ、人間軍の紋章を胸に刻んでいた。
先頭の男が一歩前へ出る。
その視線が、一瞬だけセレブリアンへ向けられた。
「失礼」
短く一礼する。
セレブリアンも無言で返した。
隊長格の男はドルゴへ向き直る。
「ドルゴ殿、以前お話しした件ですが、お考えは変わりませんか」
「王国はあなたほどの職人を歓迎します」
「工房も住居も、今以上の待遇を約束しましょう」
ドルゴは豪快に笑った。
「おめらもしつこいな」
「俺さまは、この里が好きなんだな」
「酒も旨ぇし、仲間もいる」
「それ以上望むもんはねぇ」
隊長は苦笑した。
「残念です……」
「気が変わりましたら、いつでも__」
「変わらねぇな」
ドルゴは笑い飛ばした。
「おめら、人間は忙し過ぎる」
「俺さまは好きなもん作って、酒飲んで死ねりゃ十分だな」
工房に豪快な笑いが広がる。
隊長も小さく笑った。
「あなたらしい答えです」
その間にセレブリアンは代金を支払い、杖を布で包む。
「では失礼するドルゴ」
「ああ。また十年後くらいに来いな」
「その頃には、また珍しい素材を持って来よう」
静かに工房を後にした。
その背中を、一人の若い隊員が何気なく見送る。
隊長は視線だけで合図を送った。
若い隊員は小さく頷き、自然な足取りで店を出る。
ドルゴもセレブリアンも、その仕草には気付かなかった。
◇
里を抜ける石畳の道。
セレブリアンは一定の歩幅で北へ向かっていた。
「すみません」
後ろから声が掛かる。
振り返ると、先ほど工房にいた若い隊員だった。
「少しお時間よろしいでしょうか」
セレブリアンは歩みを止めない。
「何だ。急いでいる」
隊員は歩幅を合わせる。
「一つ、お聞きしたいことがありまして」
「五十年前の英雄なんですが、勇者ルーテェ様についてです」
その名に、セレブリアンの足がわずかに止まった。
「……ルーテェ様」
小さく呟く。
五十年前なら、その名でよかった。
だが今、エルフたちが口にする名は違う。
「……ルシェ様」
思わず漏れたその一言に、隊員の眉が僅かに動く。
「え?」
セレブリアンはすぐに我へ返った。
「……何でもない」
「人間に話すことはない」
「失礼する」
歩調が少し速くなる。
隊員は追おうとはしなかった。
「ありがとうございました」
その場で深く頭を下げるだけだった。
セレブリアンの姿が通りの先へ消えていく。
しかし、隊員のさらに後方。
屋根から屋根へと、一つの影が静かに移動していた。
革鎧だけを身につけた軽装の男。
王国軍の斥候だった。
セレブリアンは気付かない。
斥候は一定の距離を保ったまま、その背中を追い始める。
セレブリアンは森へ入ると、歩みを速めた。
木々の間を縫うように駆ける。
枝から枝へ。
根から岩へ。
長年歩き慣れた森だった。
やがて後方を一瞥する。
人の気配はない。
「……撒いたか」
そう呟くと、さらに北へ向かって姿を消した。
◇
エルフの里。
夕食の支度を告げる木の器の触れ合う音と、人々の柔らかい話し声が満ちていた。
「お帰りなさい、セレブリアン」
若い女性が微笑む。
セレブリアンは布に包んだ杖を差し出した。
「完成したぞ、エリアン」
女性は嬉しそうに両手で受け取る。
「ありがとうございます」
「これで娘のノヴァも、一人前の魔導士として歩み始められます」
セレブリアンは優しく頷いた。
「きっと良い杖になる」
それだけ告げ、自宅へ戻った。
旅の疲れもあり、その日は早く床に就いた。
◇
一方、ドワーフの里では。
里に戻った斥候は、宿屋の一室へ入る。
部屋では隊長を含む四人が地図を広げていた。
「報告します」
隊長が顔を上げる。
「尾行は?」
「途中で見失いました。ですが、おおよその進行方向は特定しております」
隊長は静かに頷く。
「十分だ」
別の隊員が報告する。
「先ほどのエルフとの会話の中で、勇者ルーテェの名を聞いた際、『ルシェ様』という名を口にしました」
部屋が静まり返る。
「……ルシェ」
隊長は腕を組んだ。
「以前、北方第十二部隊の報告書にも、その名が記されていたな」
一人の隊員が頷く。
「はい。同一人物と思われます」
隊長は地図へ視線を落とした。
「偶然とは考えにくい」
「明朝、この里を発つ」
「本隊へ伝令を送れ」
「はっ」
さらに一人へ視線を向ける。
「探索装備の準備は」
「完了しております」
「魔力攪乱箱一基」
「吸魔蚊三体」
「いずれも試験運用可能です」
隊長は静かに息を吐いた。
「必ず成果を持ち帰る」
◇
翌朝、北へ向かう山道。
別働隊と合流し、十名ほどの部隊となって森を進んでいた。
隊長は隊員たちを見渡した。
「斥候」
「昨日見失った地点はまだか」
「はっ」
そしてそこは。
深い森、木漏れ日すら届きにくい場所だった。
「ここです」
斥候が足を止める。
「これより先で完全に見失いました」
隊長は辺りを見回す。
見えるのは木々だけ。
道などどこにもない。
「……始めろ」
兵士たちが一つの木箱を運び出す。
黒鉄で補強された頑丈な箱。
中央には淡い青色の魔石が埋め込まれていた。
魔力攪乱箱。
王国とドワーフの魔道技師たちが、数十年に及ぶ研究の末に完成させた試作魔道具だった。
一人の兵が魔石へ手を添える。
低い振動音が響く。
ゴォォ……
箱の内部で何かが回転し始める。
周囲の空気が微かに揺れた。
誰も息を呑む。
その瞬間だった。
目の前の景色が、水面のようにゆらりと歪む。
木々の隙間に、細い一本道が現れた。
誰も存在に気付かなかった森の道。
隊長は静かに笑う。
「おぉ。……成功だ」
一人の兵が思わず声を上げた。
「見つけました!」
「エルフの道です!」
隊長は表情を引き締める。
「騒ぐな」
「まだ入口を見つけただけだ」
「吸魔蚊を放て」
木箱とは別の小箱が開かれる。
中から三匹の黒い羽虫が飛び立った。
人の上半身ほどもある異様な蚊。
森を旋回すると、迷うことなく道の奥へ飛んでいく。
隊長はその姿を見送る。
「やはりエルフの魔力を捉えている」
「この先で間違いない」
一人の兵が馬へ乗る。
「本隊へ報告いたします」
「行け!」
馬は土煙を上げながら南へ駆けていった。
◇
エルフの里。
翌朝、まだ日が高くなる前だった。
里の静寂を破る鐘の音が鳴り響く。
ゴォーン……
ゴォーン……
セレブリアンは勢いよく家を飛び出した。
「何事だ……!」
外では多くのエルフの里人たちがざわめいていた。
「何があった?」
「結界に異変が……」
不安げな声が飛び交う。
その時、一人の若いエルフが駆け寄ってくる。
「セレブリアン様!」
「里長がお呼びです!」
セレブリアンは頷き、急ぎ館へ向かった。
◇
館の中には、里長をはじめ数名の長老たちが集まっていた。
誰も口を開かない。
重い空気だけが流れている。
「来たか、セレブリアン」
里長が静かに言う。
「結界が乱れ、人間の気配がする」
その一言に、セレブリアンは目を見開いた。
「昨日、お前は外から帰ってきたな」
その問い掛けに、セレブリアンは僅かに表情を曇らせる。
「……はい。ドワーフの里で、人間に話し掛けられました」
「その後、尾行をされましたが、森で気配は完全に途絶え、その後は誰も追って来ておりません」
部屋は静まり返る。
里長は静かに首を振る。
「今、お前を責めるつもりはない」
「まずは事実を知ることが先だ」
そう言うと、窓の外へ目を向けた。
「そして……」
一度言葉を切る。
「人だけではない。魔獣も入り込んだ気配がある」
部屋の空気が張り詰めた。
村長が小さく頷く。
「まさか、魔獣まで……」
セレブリアンは拳を握る。
五十年守られてきた静かな日々が、音もなく揺らぎ始めていた。
その時だった。
館の扉が勢いよく開かれる。
「大変です! 里長!」
若いエルフが息を切らしながら飛び込んできた。
「南の見張りが……!」
その一言で、部屋にいた全員が立ち上がった。




