第21話 【獣人編】人間軍の襲撃
ルシェたちが城をあとにし数日が過ぎた頃、人間領にほど近い獅子族の街レオサには、静かな緊張が漂っていた。広場では獅子族の戦士たちが集まり、武器や防具の確認を続けている。
街の外へ続く道にも見張りが立ち、遠くの草原へ鋭い視線を向けていた。
「人間軍は、いつ来てもおかしくないガ」
牙将リルは、並べられた大楯を見つめていた。盾は獅子族の身体ほどもある巨大なものだった。表面だけではなく、その内部には鋼が仕込まれている。
先日の戦いで見た人間軍の魔道銃は、弓とは違う。発射される魔弾は速く。そして、その威力も強い。受ければ、獅子族の身体でも無傷では済まないだろう。
王城から届いた書状にも、魔道銃への対策について記されていた。
リルは大楯へ手を置く。
「これなら、魔道銃でも耐えられるガ」
ゴンッ、と大楯を叩く。
鈍い音が響いた。
「人間軍が来たら、この盾を前に出すガ」
周囲の獅子族たちが深く頷いた。その表情に怯えはなく、ただ静かな戦意と覚悟だけが灯っていた。
その頃。
街の別の場所では、リルの妻ラムが街の者たちに指示を出していた。
「食料は倉庫の奥へ。水もできるだけ確保して」
「はい!」
「それと、止血用の布をもっと用意して」
そして、フェルディルから教えられた回復薬。
戦いになれば、これらはいくらあっても足りない。
ラムは一つ一つを確認していく。
「これで大丈夫ガ」
戦士だけではない。
戦わない者たちも、自分たちにできることを始めていた。
そこへ、街の外から一人の獅子族の獣人が駆け込んできた。
「牙将リル! 王城から書状ガ!」
リルが振り返る。
獣人が息を整えながら書状を差し出した。
「援軍が来るガ! 早ければ明日には到着するとのことガ!」
「おおおおっ!」
獅子族たちから歓声が上がる。
リルも拳を握った。
だが、届けられた書状を読むリルの表情は、すぐに険しくなった。
そこには、王城都市で起きたことが記されていた。
グス王子とルシェたちが、人間軍の領主――ベイルと和議を結んだこと。
そして――。
人間の王が代わり、人間側の情勢が大きく変わっていること。
この街を攻めている人間軍は、そのベイルの軍ではない新たな王に従う軍だという。
戦況は決して楽観できない。
リルは書状を読み終えると、静かに息を吐いた。
援軍は来る。だが、それまで街を守るのは自分たちだ。
リルは書状を握り締め、広場に集う同胞たちを見渡した。
「みんな、聞くガー!」
一斉に全員の視線が集中する。
「王城から援軍が向かっている!そまで、ここを守るガ!」
獅子族たちが拳を突き上げる。
「おおっ!!」
獅子族たちの雄叫びと拳が、天をつく。
「人間軍の侵攻を、ここで止めるガー!」
リルの雄叫びが街に響き渡る。
その後、リルは後方で医療や物資の準備を進めるラムたちへ向き直った。
「戦えぬ者は、王城へ避難するガ」
「アナタも、無茶だけはしないで……」
ラムが強い眼差しで静かに釘を刺す。
「ワレは、最後までこの街を守るガ」
それが王から任された牙将の責務。街を捨てて逃げるという選択肢など、最初からリルにはなかった。
ラムは深く息を吐くと、当然のように夫の隣へ並び立った。
「私も残るわ……」
リルは妻を見る。
「ラム……」
「それに、怪我人が出たら誰が手当てするガ?」
ラムは不敵に微笑んでみせた。
結局、ラムを含めた手当てや補給を担う者たちの一部が街に残り、その他の者たちは護衛を伴って王城へ避難することとなった。
そして――。
翌日の早朝。
霧が立ち込む草原の中で、街レオサは静まり返っていた。
獣人族の鋭い嗅覚が、風に混じる微かな異変を捕らえる。
リルの耳がピクリと動いた。
「……来たガ」
◇
――奪われた街ハプラ。
薄暗い一室の窓辺で、インラルトは冷酷な笑みを浮かべ、外の惨状を眺めていた。
「街レオサには、私も行く」
背後に控えていた執事が眉をひそめる。
「旦那様、自ら出向かれる必要がございますでしょうか。前線は兵らに任せれば……」
「ある」
インラルトは短く遮り、ゆっくりと振り返った。
「古代の魔道具……あれは私自身の目で確かめたい」
執事は黙って頭を下げる。
インラルトは机の上に置かれた資料へ目を落とした。
戦意を奪うという、古代の魔道具。
その存在は、インラルトにとって獣人の街を制圧すること以上の価値を持っていた。
「街を大きく壊すつもりはない」
インラルトは静かに言った。
「だが、魔道具を手に入れるためなら、多少の犠牲は仕方あるまい」
「……かしこまりました、旦那様」
「それと――」
インラルトは窓の外へ視線を戻す。
「魔道大砲は準備しておけ。街を壊すためではない。奴らを追い詰めるために使う」
執事が顔を上げる。
「かしこまりました」
「ハプラのようにはしたくない。街を破壊しすぎれば、手に入れたいものまで失うからな」
インラルトは薄く、愉悦を孕んだ笑みを浮かべた。
「……だが、私の邪魔をする者には、相応の絶望を与えてやるとしよう」
その日のうちに、軍全体へ出兵の命が下された。
総勢八百――。
先陣を切る魔道銃部隊三百、突撃を担う剣士四百、重装騎士百。
そして後方を固める白魔導士二十。
軍勢の中に、精鋭を率いるドルヴィヒもまた静かに佇んでいた。
「明日、街レオサを攻める」
インラルトの言葉に、兵士たちが一斉に姿勢を正す。
「獣人どもを制圧し、街を確保する」
ドルヴィヒは剣の柄に手を置いた。
「承知しました」
◇
――翌朝。
草原は、地を這うような深い霧に包まれていた。
およそ一キロ先。
霧の向こうに、街レオサがある。
その手前に、人間軍八百の兵が陣を構えていた。
インラルトは霧を見渡し、満足そうに口元を緩めた。
「天は我に味方をしているな」
獣人は鼻が利く。
だが、この霧ならばこちらの接近にも気づくまい。
「ぬかるむな、今のうちに陣を組み上げよ!」
号令を皮切りに、兵士たちが慌ただしく動き出す。
その喧騒を、ドルヴィヒはただ黙して見つめていた。
立ち込める白霧。静けさを孕んだ草原。そして、その先で息を潜める獣人たち。
視線を落とし、ドルヴィヒは静かに剣の柄へ手を掛けた。
(……白兵戦になるか)
脳裏をよぎるのは、先日の戦いで見た獣人らの凄絶な腕力。
(この剣がどこまで通用するか、確かめさせてもらう)
やがて、整然とした陣形が組み上がった。
「進軍開始!」
インラルトの声が響く。
「獣人たちの寝起きを襲え! 抵抗するものは殺しても構わぬ!」
魔道銃部隊二百と、剣士四百が動き出した。
残る兵士と白魔導士、そしてインラルトと従者たちは陣に残る。
人間軍は、霧の中をレオサへ向かって進んでいった。
インラルトは遠ざかる部隊の背を見送りながら、細い指を軽く上げた。
「魔道大砲を一発、打ち込め」
「……奇襲ではないのですか?」
「獣人どもに、死神が来たと教えてやるのだよ」
従者が慌てて合図を送る。冷ややかな静寂を切り裂き、砲身が鈍い光を放った。
◇
リルの耳がピクリと跳ねた。
風に混じる、鉄の臭いと無数の足音。
リルは霧の向こうを睨んだ。
霧の向こうに、人間軍がいる。
「……来たガ」
周囲の獅子族たちも、すぐに身構えた。
直後、およそ一キロ先の濃霧が、不気味な紅蓮に染まった。
――光った、と思った瞬間。
ドォォォンッ!!
轟音が街を揺らした。
空気が爆ぜ、街の一角が猛炎とともに吹き飛んだ。
「なっ……!?」
獅子族たちが騒然となる。
人間軍が来ることは分かっていた。
だが――。
魔道銃の威力を遥かに超えた一撃。家屋ごと仲間を吹き飛ばすその凄絶な惨状を、誰が予想できただろうか。
構えた大楯の重みが、頼りなく思えるほどの衝撃だった。
「慌てるなガ!」
リルが叫ぶ。
そして、崩れた建物の向こうへ目を向けた。
「来るガ!」
獅子族たちに緊張が走る。
その視線の先。
霧の中から、無数の人影が姿を現した。
人間軍。
先頭には、魔道銃を構えた兵士たちが並んでいる。
リルは盾の把手を強く握り締めた。
「全員、構えるガー!」




