第18話 【獣人編】獅子族のグス王子
王城都市バルレオニス。
その王の間には、城の主要な将たちが集まっていた。
レグ王の前には、大陸南方――獣人族の領地を描いた、古びた羊皮紙の地図が広げられている。
北にハプラ。
その下にレオサ。
そして、その東に位置するバルレオニス。
人間領から南へ伸びる街道と、獅子族の街を結ぶ道が、いくつもの線となって描かれていた。
地図を囲むように、獅子族の将たちが立っている。誰もが険しい表情をしていた。
そして、その中には獅子族ではない者たちの姿もある。
黒曜の骸骨――ルシェ。
その隣に立つ、白銀の髪を持つエルフ――フェルディル。
そして、虎族の少女――琥珀。
三人はすでに、獅子族にとって単なる客人ではなかった。
フェルディルとルシェは、人間軍に襲われた街レオサを救った恩人。
琥珀は、獅子族との共闘を望む虎族の代表として、この場にいる。
王の間に、重い沈黙が落ちた。
「人間軍は、南へ進軍しているガ」
重々しい呟きとともに、王の指先が羊皮紙の上を滑る。
「ハプラを落とし、レオサを呑み込み……次は、このバルレオニスを狙うつもりガ」
「ならば――」
一人の将が前へ出た。
大きな身体に、分厚い腕。背負った大剣の柄を、怒りに任せて掴み取る。
「このワレが先陣をきる! グラ王子の仇……必ず取ってみせるガ!」
「いや!」
別の将が声を上げた。
「ワレが行くガ!」
男は豪快に笑ってみせたが、その目は笑っていなかった。
「人間の魔道銃など、ワレの盾には効かぬ! ワレの剣で、敵を蹴散らしてやるガ!」
将たちの声が重なっていく。
怒り、憤り、そして戦士としての誇り。
誰もがグラ王子の死を胸に刻み、人間軍との徹底抗戦を望んでいた。
だが――。
「静まるガァ!」
レグの一喝が響いた瞬間、沸き立っていた王の間は水を打ったように静まり返った。
「怒りに任せて兵を動かせば、グラの死を無駄にするガ」
王の言葉に、将たちは悔しげに口を閉ざす。
レグは再び、机上の地図へと視線を落とした。
「人間軍には魔道銃がある。さらに、魔道大砲まで動かしているガ」
ギリ、と分厚い拳が握り締められる。
「しかるにワレらは、敵の数も、配置も、真の目的すら把握しきれておらん」
「……」
「戦うならば、勝たねばならんガ……」
絞り出すようなその呟きには、一国を背負う王としての重みがあった。
その時――。
王の間の重厚な扉が大きな音を立てて開いた。
一人の従者が、肩を激しく上下させながら慌ただしく駆け込んでくる。
「レグ王!」
「何だガ?」
「に、人間軍より……伝令兵が来ましたガ!」
その言葉に、将たちの表情が一斉に強張った。
「人間軍から?」
「まさか、すでにこの都市の目前まで迫っているのガ!?」
「何の用ガ!」
ざわめきが広がる中、従者は必死に息を整えて声を絞り出した。「はっ。人間軍の伝令兵から、レグ王への言葉を預かっておりますガ」
「……言うガ」
「『――和議を結びたい』……とのことガ」
「和議……?」
誰かが呆然と呟いた。
次の瞬間、王の間には先ほどとは比べものにならないほど重く、冷徹な沈黙が落ちる。
グラ王子の命を奪い、今なお進軍を続ける敵からの、あまりにも不自然な申し出。
――罠だ。
その場にいる誰もが同じ結論に至っていた。レグ王の双眸もまた、険しい疑念の光を帯びて細められる。
「……人間軍は、ハプラを落とした」
レグの低い声が、王の間に響いた。
「そして、レオサを襲った」
その視線が、すっとルシェへと向けられる。
「それが今さら、和議と言ってきたのガ?」
「罠の可能性は高いでしょうね」
フェルディルが静かに答えた。
「ですが、真意を確かめることなく拒絶するわけにも――」
その言葉を遮るように、それまで沈黙を保っていたルシェが突如として立ち上がった。
「……いく」
王の間にいた全員の視線が、黒曜の骸骨へと一斉に集まる。
しかし、ルシェはそれ以上の説明を口にしない。ただじっと、人間軍が陣を敷く方角をその眼窩で見つめていた。
「ルシェ殿……」
レグが眉を寄せる。
その意図を察したように、フェルディルもまた静かに立ち上がった。
「私とルシェ様で、人間軍の真意を直接確かめてまいりましょう」
「しかしガ……」
レグはそこまで言って言葉を濁した。
罠かもしれない。だが、真意を確かめもせずに人間軍を一方的に攻撃することは、獅子族の誇りが許さない。ましてや、国の命運を左右する重要な交渉を、いくら恩人とはいえ他種族に任せきりにするわけにはいかなかった。
レグが苦渋の決断を迫られた、その時――。
王の間の扉が、静かに、だが確かな意志を持って再び開かれた。「御父様」
気品と力強さを孕んだ声が響き、満座の将たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。獅子族の王レグの面影を色濃く残した、若々しくも精悍な顔立ち。
「聞き耳を立てるような真似をして、すまないガ」
青年は堂々とした足取りで一歩、王の間へと踏み込んだ。
「この交渉――ワレが獅子族の代表として行くガ」
「グス王子……!」
周囲の将が息を呑む中、レグ王の表情がみるみる険しくなっていく。
「グス」
レグの地を這うような、低い声だった。
「ヌシには、まだ早い話だガ」
「いいえ」
グスは毅然と首を横に振った。
「早い遅いではないガ。この役目、いま動ける者の中でワレが最も適任だガ」
父であり、絶対的な王であるレグの鋭い眼光を、グスは真正面から受け止める。
「……」
「御父様が、兄上の件でワレを心配してくださるのは嬉しいガ」
グスの拳が、僅かに震えていた。亡き兄・グラの顔が脳裏をよぎったのかもしれない。
それでも――青年は決して目を逸らさなかった。
「ワレも獅子族の王子ガ。覚悟はある!」
まっすぐな瞳が、獅子族の王、父の姿を射抜いていた。
「グス……」
レグは息子を見つめた。
グラを失った。
もう一人の息子まで危険な場所へ送り出すことになる。
王として考えれば、止めるべきだった。
父としてなら――なおさらだ。
だが、その躊躇いを破る声が響いた。
「ウチも行くト!」
琥珀が立ち上がった。
「ウチは虎族、族長の娘ト!」
胸を張り、きっぱりと言い放つ。
「虎族にとっても、この交渉は大切ト!」
レグは琥珀を見る。
そして、グスを見る。
最後に、ルシェへ視線を移した。
黒曜の骸骨は、何も言わずにただ佇んでいる。
その寡黙な背中は、どんな言葉よりも雄弁に「若者たちの命は自分が守る」と告げているかのようだった。
「では――」
フェルディルが、どこか場を和ませるように柔和に微笑んだ。
「私とルシェ様。それとグス王子、琥珀殿で行って参りましょう」
「……」
レグ王は目を瞑り、己の裡で葛藤を噛み潰した。
やがて開かれた双眸には、揺るぎない王の覚悟が宿っていた。そして、ゆっくりと巨躯を起こす。
「聞き届けるガ」
王の威厳と、父親としての切なさが同居した声音が王の間に響く。「ルシェ殿、フェルディル殿。二人の若き同盟の息吹を、ヌシらに託すガ」
「しかと受け止めました、レグ王」
フェルディルが厳かに応じる。
グスは父であり王であるレグを見上げ、固い決意と共に臣下の礼をとった。
「御父様。必ず戻ってくるガ」
レグは何も言わず、ただ力強く頷いてみせた。
その隣で、琥珀もまた爛々とした瞳で胸を張る。
「ウチも必ず戻るト!」
◇
王城都市バルレオニス、北へと真っ直ぐに伸びる大通り。
その中央を、四人の影が歩いていた。
先頭を行くのはルシェ、フェルディル、そしてグス王子と琥珀。その後方には、固い決意を宿した数名の獅子族親衛隊が静かに従っている。
北門へと続く道筋には、隙間もないほど多くの獅子族が集まっていた。彼らの見守る視線の中を往く、実質的な出陣式だった。
門の手前、先頭で立ち塞がるように待っていたのは、レグ王である。その隣には沈痛な面持ちの王妃、そして、まだ事態を理解しきれていない幼いグム王子の姿もあった。
グスは歩みを止め、王の前に佇む。
「グス」
レグの低い、だが全軍に通る声が放たれた。
「これより、ヌシの一挙一動が獅子族の意思と見做されるガ。大任を果たし、必ずや生還せよ」
「しかと。御父様」
グスはまっすぐに父を見つめ返し、力強く頷いた。
その時、従っていた親衛隊の一歩が進み出、分厚い拳を自身の胸へと叩きつけた。
「グス王子」
深々と頭を垂れ、地を震わせるような声で誓いを立てる。
「ワレら親衛隊、いつ何時も御身の影となりてお供いたすガ」
他の兵たちも一斉に拳を胸に当て、それに続いた。
「万一、人間の欺瞞が暴かれ、刃を交える事態となれば――」
獰猛な、しかし気高き瞳が一斉に跳ね上がる。
「この命を盾に変えてでも、必ずや御身をお守り通してみせるガ!」
背後に集う戦士たちの熱い忠義を受け止め、グスは前を向いた。 重厚な北門が開き、四人と護衛の兵たちは、住み慣れた王城都市を後にした。
目指すは北の草原。人間軍の待つ運命の地へ向かって、彼らは歩みを進めるのだった。




