第16話 【獣人編】獅子族の街ハプラ
人間領に近い獣人族の街――ハプラ。
獅子族が暮らす街でありながら、人間領との交流において重要な役割を担ってきた場所だ。
人間の商人が訪れ、獣人の商人が人間領へ向かう。
街には両種族の言葉が飛び交い、異なる文化を持つ者たちが行き交っていた。そのため、ハプラには獣人族の住居だけではなく、人間との交易に使われる商館や倉庫、宿屋なども数多く建ち並んでいた。
――だが。今、その街並みは見る影もなかった。
住居は全壊、半壊し、崩れた壁が道を塞いでいる。
街の中央には巨大な砲撃跡がいくつも残り、石造りの建物でさえ壁が大きく抉られていた。
――魔道大砲。その圧倒的な破壊力によって、街そのものが蹂躙されたのだ。崩れた瓦礫の隙間からは、焼け焦げた家具や商売道具が覗いている。
そして、その中でも比較的損傷の少ない建物がいくつか残っている。
その一つ。
その一室で――。
「臭くてたまらんなぁ。獣人の家というのは!」
豪華な衣服に身を包んだ男が、鼻鼻を摘まみ不満そうに顔をしかめる。
インラルト・フォン・ベルンシュタイン伯爵。
四十八歳。
商いで莫大な財を築いた父から、その財力を受け継ぎ、さらに自らの才覚でディヴァニア王国内での地位を高めてきた男だった。
彼は窓の外へ目を向けた。
崩れた街並みを見渡し、ため息をつく。
「しかし……」
インラルトは、瓦礫の向こうに残った建物へ目を向けた。
「少々、壊し過ぎたな」
「申し訳ございません」
脇に控えていた執事が即座に頭を下げる。
「いや。落とすことだけを考えれば、あれでいい」
インラルトは椅子へ深く身体を預けると、口元を僅かに吊り上げた。
「歯向かう獣人は魔道銃で始末する。だが、捕らえた者まで殺す必要はない。奴隷にもできるし、使える者なら傭兵として買い叩くこともできるはずだ」
その瞳に、冷酷な商人の欲が浮かぶ。
「それに、この街自体もまだ使える。人間領との交易路として獣人どもを追い出した後は、商人も兵も置けるからな。……次からは魔道大砲の使用は必要最低限に留めなければな。使えるものは残さねば損だ」
「かしこまりました」
街の惨状を前にしながら、インラルトは満足そうに笑みを浮かべた。
そして、ふと鼻を摘まむ。
「……しかし」
顔をしかめる。
「この匂い、どうにかならんのか」
「全く同感です、旦那様」
隣に立つ執事が恭しく頭を下げる。
「ところで、本土へ移送する獅子族の女子供ですが、間もなく最後の積み込みが完了いたします」
執事は一歩前へ出ると、声を潜めて尋ねた。
「……虎族との交渉に使っていた獅子族の男たちは、いかがいたしましょう?」
「ああ、あの伝言役どもか」
インラルトは深く腰掛けたまま、爪の先についた微かな埃を払った。
「もう虎族への揺さぶりも済んだ。用済みだな」
「では――」
「……ああ、そうだな。妻子に会わせてやれ」
意外な言葉に、執事が一瞬だけ眉を動かす。インラルトは淡々と、何の感情もこもっていない声で続けた。
「部屋で待たせ、後ろから首を刎ねろ。希望を持たせておけば大人しく従うし、抵抗する気力も奪える。……暴れられて商品価値のある女子供に傷でもついたら、無駄な損が出るからな」
「……かしこまりました」
「首を撥ねたら、その場でまとめて焼き払え。ただでさえ獣臭くて反吐が出るのに、腐敗臭まで混ざってはたまらん」
インラルトは顔一つ歪めず、まるで不要になった帳簿を破り捨てるかのように言いのけると、優雅に紅茶へ手を伸ばした。
「それから、この街の占拠についてですが。トルト公爵には、どのように報告いたしましょう?」
「決まっている」
インラルトは口元を歪めた。
「交渉中に獅子族が勝手に突然暴れ出した。こちらにも負傷者が出たため、仕方なく防衛のための戦闘が始まった――そう伝えろ」
「かしこまりました」
執事が再び頭を下げる。
そして、インラルトは静かに窓の外――トルト領のある方角へ視線を遣った。
「ベイル・ヴァン・トルト……か」
前王ルードヴィヒの命によって王都南西の地を与えられた、トルト公爵家当主。その名口にするだけで不快感が募る。
「血筋だけで公爵の座に就いた若造が」
インラルトは鼻で笑った。自分とは叩き上げの年季が違う。
商いで財を成した父から受け継いだ資金。
自ら築き上げた人脈。
そして、王国の情勢を読む戦略眼。
それらを使い、ここまで成り上がってきた。
そして今や彼の手元には、現王レーヴェルという極上の後ろ盾まである。南方進出、獣人族の制圧、捕虜の奴隷化、そしてこの地に眠る資源の独占――。王の野心に乗っかり、密約を取り付けたのは全てインラルトの描いた筋書きだ。
「公爵ともあろう者が、獣人との共存などと温い綺麗事を抜かしている間に……」
インラルトは破壊されたハプラの街並みを見下ろした。
「我々は力で土地を手に入れる」
獣人を追い払い。
抵抗する者は殺す。
使える者は捕らえる。
そして。
この手で、この土地を支配する。
「南方の土地と資源を手に入れれば、ベルンシュタイン家はさらに大きくなる」
インラルトは目を細める。
「あの若造が気付いた時には、既に手遅れだ」
視線の先にあるトルト領を見据え、インラルトは冷酷な笑みを深めた。
「南方を手中に収めた後、次に喰らうのは――お前の領地だ、ベイル」
――その時だった。
瓦礫の残る街の通りから、複数の馬蹄音と兵士たちの整然とした足音が響いてきた。
「ジークフリート男爵が戻られたようです」
「ふっ、ドルヴィヒか」
インラルトの口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
「奴は使える。いつも期待通りの仕事をしてくれるからな」
ドルヴィヒ・ヴァン・ジークフリート。
二十代の若さで数々の武功を挙げた、ディヴァニア王国屈指の凄腕の剣士だ。野蛮な獣人どもが蠢く南方戦線において、彼の存在は極めて利用価値が高い。
「奴に兵と魔道武器を与えれば、獣人の街を落とすなど容易いことよ」
インラルトは満足そうに笑った。
「この街も多少の犠牲は出たが……獅子族の捕虜を確保できた」
そして、しばらくして、部屋の扉が重々しく開いた。
「おお、ドルヴィヒ!ご苦労であったな」
インラルトは笑みを浮かべて迎えたが――入ってきたジークフリート男爵の顔を見て、眉をひそめた。
――不満。
明らかにそう見えた。
「ん……?」
常に冷静で行動派の男に、何か想定外の事態が起きたのは明らかだった。
「……申し訳ございません。ベルンシュタイン伯爵」
ジークフリートは顔を僅かに背けた。
「ご期待に添える働きができませんでした」
「どうした?」
インラルトは椅子の背に深く身体を預け、冷ややかな視線を向ける。
「お前が失敗することなどあるのだな」
「失敗……」
ジークフリートは苦々しく呟いた。
「いえ」
そして、重い口を開いた。
「兵士どもが、戦意を失ったのです」
「戦意を?」
インラルトの眉が動く。
「それほど強い獣人でもいたのか?」
「いえ」
「では、何があった?」
「街の奥から……『音』が聞こえました」
ジークフリートは慎重に言葉を選ぶように続ける。
「何か、楽器のような音色です」
ジークフリートの報告に、インラルトは一瞬あっけにとられ、直後にくっくと鼻で笑った。
「楽器だと? 獅子族の歌や演奏に、うちの兵が気でも呑まれたとでも言うつもりか?」
「……笑い事ではありません。その音が響いた途端、前線の兵たちが一斉に攻撃の手を止めたのです。それどころか武器を放り出し、戦場から逃げ出す者まで出ました」
ジークフリートの真剣な眼差しに、インラルトの笑みが消える。
「精神干渉の『術』か?」
「おそらく。ですが、あの野蛮な獅子族にそのような術士がいるとは考えにくい……」
「となれば、特別な『魔道具』の類いかもしれんな」
インラルトは乗り出すように身を乗り出した。ジークフリートは怪訝そうに頷く。
「……確かに、古代の遺物か何かの可能性はあります」
「そうか、そうか!」
インラルトの口元が、歪んだ歓喜でゆっくりと吊り上がっていく。
「伯爵……?」
「素晴らしいぞ! さすがはドルヴィヒ男爵、最高の拾い物をしてくれたな!」
インラルトの瞳に、ギラギラとした露骨な欲望が宿る。
「兵の戦意を根こそぎ奪う音色の魔道具……! そんな極上品を、獣人どもの手元で眠らせておくなど豚に真珠だ」
インラルトは声を立てて笑った。
「喉から手が出るほど欲しい!何としても手に入れるぞ!」




