第14話 【獣人編】獅子族の街へ
虎族の集落を離れた一行は、広大な草原を歩いていた。見渡す限り、緑。どこまでも続く大地を、風が静かに渡っていく。
先頭を歩くのは、ルシェとフェルディル。その後ろを琥珀が歩き、そのさらに後ろには二人の虎族が続いていた。
琥珀が振り返る。
「何でお前たちまでついて来たト」
「琥珀ばかり行くなんてズルいからト!」
答えたのは、琥珀より少し若い虎族の青年――赤虎だった。琥珀と同じように腰へ武器を携えているが、その腕にはまだ若さが残っている。
「赤虎、違うト」
隣を歩く虎尾が口を挟む。
「虎鉄から、琥珀が心配だからついて行けと言われたト。それに」
虎尾は前方を見る。
「獅子族と一戦を交えることになったら、戦力は必要ト」
赤虎は黙った。
「……それもそうト」
「最初からそう言えばいいト」
琥珀は頬を膨らませる。
「ウチ一人でも大丈夫ト!」
「……そう言うと思ったト」
(虎鉄は甘やかし過ぎだト)
虎尾は苦笑した。
「大丈夫ト!」
琥珀は胸を張る。
「何たって、ルシェとフェルディルがいるト!」
琥珀は嬉しそうに二人を見る。
「ウチ、いつも思っていたト!」
「何をです?」
フェルディルが振り返る。
「いつか二人と旅をしたいト!」
琥珀は満面の笑みを浮かべ、尻尾まで嬉しそうに左右へ揺れていた。
「だから――」
琥珀は赤虎と虎尾を見る。
「お前らは邪魔ト……」
「何でト!」
赤虎が叫んだ。
虎尾は小さくため息をついた。
「琥珀殿」
フェルディルが穏やかに笑う。
「私たちを評価していただけるのは嬉しいのですが、虎尾殿の言われる通り、獅子族との関係には注意が必要です」
そして、僅かに表情を引き締めた。
「その裏に人間軍がいる可能性もありますからね」
「人間軍……」
琥珀の耳が動く。
しかし、すぐに別のことを思いついたように顔を上げた。
「それより!」
琥珀はフェルディルを見る。
「何で二人は世界を旅しているト?」
「……」
フェルディルは少しだけ考えた。
「百年前の魔王大戦をご存知かな、琥珀殿」
「んート」
琥珀は空を見上げる。
「祖父の祖父が戦ったト」
そして、少しだけ得意げに続けた。
「オヤジより、ずっと強かったって聞いてるト」
「それは凄い方だったのでしょうね」
「でも」
琥珀の声が少し落ちる。
「勇者と一緒に魔王を倒して、死んだト……」
「……」
ルシェが歩みを止めた。
フェルディルも立ち止まる。
琥珀は不思議そうに二人を見る。
「どうしたト?」
「……いえ」
フェルディルはルシェへ一瞬だけ目を向けた。
「そうでしたか」
そして、何事もなかったように歩き始める。
「私とルシェ様の旅の目的は、その後の世界を見て回ることなのですよ」
「その後の世界?」
「ええ」
フェルディルは草原の先へ目を向ける。
「再び、あのようなことが起きないように」
「ふーん……」
琥珀は難しい顔をして考え込む。
しばらく歩いた後。
「難しいことは分からんト!」
両手を上げた。
「……それでいいのですよ」
フェルディルが笑った。
◇
それから、しばらく歩いた。
そして遠く。草原の先に、薄い煙が上がっている。
「……煙ト?」
琥珀が目を細める。
虎尾も足を止めた。
「あの辺りは獅子族の縄張りト」
フェルディルが煙を見る。
「行ってみましょう」
四人は進路を変えた。
近づくにつれ、草原の向こうに街の姿が見えてくる。防壁はなく、二階建てのレンガ造りの建物が広い草原の中にいくつも並んでいた。建物の数は百ほどだろうか。街というよりも、広大な草原の中に獅子族の暮らしがそのまま広がっているようだった。
しかし。その北側から、黒い煙が上がっている。風に流された煙が、青空へ細長く伸びていた。
さらに進む。
そこで琥珀の耳が大きく動いた。
「……何か聞こえるト」
乾いた音。一定の間隔で響いている。
パン。
パン。
パン。
フェルディルの表情が変わった。
「魔道銃ですね」
四人は街へ近づきながら、北側の様子が遠くから見える場所まで回り込んだ。
街の北側には、およそ五百人の人間兵が陣を敷いていた。草原に整然と並ぶ兵士たち。その前方には魔道銃を構えた兵が横一列に並び、後方にはさらに多くの兵が控えている。
対する獅子族は、街の入口を塞ぐように集まっていた。大斧や剣、槍を手にした戦士たちが、街を背にして人間軍と向かい合っている。
数では、明らかに不利だった。
魔道銃が火を噴く。
パンッ!
紫色の魔弾が草原を走り、獅子族の戦士たちの身体を掠める。地面が弾け、土煙が上がった。
獅子族はそれでも退かない。街を守るように、必死に踏みとどまっている。
琥珀は、その光景を見つめた。
「……どういうことト?」
その声には、困惑が滲んでいた。
「人間と獅子族は、仲が良かったんじゃないト……?」
「……」
フェルディルは答えなかった。視線を向けると、ルシェは街の方向を向いていた。
「私はルシェ様とともに、様子を見てきます」
フェルディルが言った。
「琥珀殿たちは、ここで――」
「え?」
琥珀が目を丸くする。
「二人が行くなら、ついて行くト!」
「私も行くト」
虎尾が頷く。
「オレもト!」
赤虎も続いた。
「……分かりました」
フェルディルは小さく笑った。
「では、参りましょう」
◇
一行は街の南側へ回った。
人間軍は北側へ戦力を集中させ、そこから街を攻め落とそうとしている。そのため南側に人間兵の姿がなかった。
しかし、街の入口には一人の獅子族が立っていた。大柄な身体に鋭い眼光を宿し、手には巨大な斧を携えた戦士だった。
「お前らは人間軍の者ガ?」
獅子族の男が睨みつける。
「ん?」
琥珀たちを見る。
「後ろにいるのは虎族ではないガ」
「私たちは旅の者です」
フェルディルが穏やかに答える。
「何かお困りのようなので、手助けできることがあればと思いまして――」
「ワレらは獅子族ガ!」
男が吠えた。
「貴様らの力など借りぬガ!」
「何だシャ」
琥珀の耳が後ろへ倒れる。
「折角、助けに来たト。もういいト」
琥珀はフェルディルへ向き直った。
「関係ないト。帰るト」
しかし、その横をルシェが歩いていく。
「……え?」
琥珀が振り返る。
ルシェは何も気にせず、そのまま街へ向かって歩いていく。
「お、おい!」
獅子族の男が慌てて声を上げた。
「アンデッドの分際で、止まれガ!」
しかし、ルシェは止まらない。
「止まれと言っているガ!」
街の南側を任された男は、大斧を強く握り直した。ここで退くわけにはいかない。
「お前が悪いガォ!」
大斧を振り上げる。
「待つト!」
琥珀が前へ出ようとした。
だが、フェルディルは手を伸ばして琥珀を制した。小さく首を横に振り、穏やかな笑みを浮かべる。
琥珀は目を瞬かせた。
(……見ていろってことト?)
次の瞬間。
「ガォォォォォ!」
獅子族の男は叫び、大斧が振り下ろされた。
ルシェの後頭部へ。
琥珀が目を見開く。
避けない。
防がない。
――ガァン!
鈍い音が響いた。
ルシェの頭蓋骨へ、大斧がまともに直撃している。
だが、ルシェの頭は、ほんの僅かに傾いただけだった。
「……は?」
獅子族の男が固まる。
琥珀も。
虎尾も。
赤虎も。
言葉を失った。
ルシェは何事もなかったように歩き続ける。
「私たちは戦いに来たわけではありません」
フェルディルは男へそう告げると、ルシェに続いて歩き出した。
「長に会わせてもらえますか」
「……」
目の前の骸骨に対し、男は大斧を下ろした。何が起きたのか理解は及ばないが。これ以上刃を向ける気力は、完全に失われていた。
琥珀たちも、跡をついてそのまま街へ入っていく。
◇
街の中心には、大きな広場があった。
広場のあちこちに、獅子族の戦士たちが倒れている。
大斧を握ったまま動かない者。
壁にもたれ、荒い息を繰り返している者。
仲間に肩を支えられ、かろうじて意識を保っている者。
誰もが傷を負っていた。
広場には血の臭いが漂っていた。
「う……」
倒れていた一人が、小さく呻く。その声に、近くの獅子族の女が駆け寄った。だが、治療する術はない。ただ傷口を押さえ止血するのみ、祈るように仲間を見つめている。
琥珀は、その光景を見つめた。さっきまでの笑顔が消えている。
「……ひどいト」
琥珀が呟く。
戦士たちは身体のあちこちから血が流れている。しかし、剣や斧による傷ではなかった。
「これは……」
フェルディルがしゃがみ込み、倒れている戦士の身体へ手を近づける。
目には見えない。だが、フェルディルには確かに感じ取ることができた。周囲の魔素が、戦士の身体の周りで不自然に乱れていた――。
「魔道銃ですね、ルシェ様」
フェルディルは静かに呟いた。
ルシェは静かに倒れている戦士たちを見る。
その時。
「どうして外の者を街へ入れたガ!」
女の声が響いた。
先ほどの大斧を持った男が振り返る。
そこには数人の獅子族の女たちが立っていた。
「持ち場へ戻りなさい」
一人の女が男へ告げる。
「……分かったガ」
男は渋々と街の入口へ戻っていった。
女がフェルディルを見る。
「ワタクシたちの街に、何の用ガ?」
「私はフェルディル。エルフです」
フェルディルが頭を下げる。
「こちらはルシェ」
黒曜の骸骨を示す。
「そして、虎族の琥珀殿、虎尾殿、赤虎殿です」
「わざわざ名を明かすのは、決闘か、戦意がないと言いたいガ?」
「もちろん戦意はありません」
フェルディルは穏やかに答えた。
「それに、こちらの傷は人間軍の魔道具によるものでしょう」
女の表情が変わった。
「……ええ、そうガ」
「私はラム」
ラムはルシェを見る。
「それで、あなた達はこの街に何をしに来たガ?」
フェルディルがルシェを見る。
ルシェは小さく頷いた。
琥珀には、その動作が、『分かった』と言っているように見えた。
ルシェは背負っていた木棺を下ろした。
蓋を開く。
中から。
コントラバスを取り出す。
「……?」
ラムが目を細める。
なぜ。
戦いの最中に楽器を。
ルシェはコントラバスを立てた。
弓を構える。
「私たちは、ただ」
フェルディルが言う。
「種族間の理不尽な争いを、見過ごせないだけですよ」
そして。
弓が弦へ触れた。
「ギィィィ……」
低い音が広場へ響いた。
旋律が始まる。
◇
琥珀は知っている。
虎尾も。
赤虎も。
十年前に一度だけ聞いた。
あの旋律。
それが何をもたらすのか。
「……始まったト」
琥珀が呟く。
広場に倒れていた獅子族の戦士の指が動いた。
「……う」
一人。
また一人。
ゆっくりと身体を起こしていく。
「な……」
ラムは目を見開いた。
さっきまで看病していた戦士たちだった。
傷が。
塞がっていく。
流れていた血が止まる。
裂けた皮膚が元へ戻る。
「そんな……」
ラムの声が震える。
そして。
遠くから聞こえていた音が止まった。
パン。
パン。
パン……。
魔道銃の音が。
消えた。
◇
果てのない海。
黒い水面に、小舟が浮かんでいる。
その上で、ヴァルザークは遠くを見ていた。
「……止まったな」
ルーテェは答えない。
ただ、静かに海を見つめている。
「争いを止めるだけなら、もっと簡単な方法もあるぞ」
ヴァルザークが言った。
「力でねじ伏せればいい。恐怖を与えればいいのだ。二度と戦えぬほどにな」
ルーテェは首を横に振った。
「それでは、何も終わらない」
波が小舟を揺らす。
「戦いが終わった後に残るのは、また別の憎しみだ」
ヴァルザークが黙る。
ルシェは、二人の言葉を聞いていた。
――違う。
波が揺れる。
ルーテェとヴァルザークが、静かにルシェへ視線を向けた。
「何が違う?」
――戦いを終わらせたいんじゃない。
――生きている者を、助けたい。
ヴァルザークは僅かに目を細めた。
「ふん……」
ルーテェは、静かに笑った。
そして、三人はただ黒い海の向こうから聞こえる旋律に耳を澄ませていた。




