第8話 ねえ、お詫びに酒ってどうおもう?
シーアン(西安)の東門に着く頃には白井たちのトラウマに理解を示すようになっていた緑川だったが「おそらくあなた達が目撃したのは、河伯という黄河の神様ですよ。渡し船の船頭が酒を川に注いでいたじゃないですか」と呆れ顔で魚の正体について教えてくれた。―――いや、酒を注いでたのなんか知らないし…
門番に例のアレを告げて無条件で通過して一行は街に入る。
その晩、緑川の機嫌を直してもらうため食事の際に白井と青山で酒を振舞うと、緑川の機嫌はあっさり直った。「いやあ名古屋以来ですねえ」と嬉しそうだった。
白井と青山が羊肉のスープやビャンビャン麺を食べて笑い合い、まるで緑川は相席の他人であるかのように手酌で酒を味わっていると、酒を持った一人の女がテーブルに近付いて来るなり「ここいいかしら」そう言って返事も聞かず、4人掛けの席の一つ余った椅子に腰掛けた。
女は大きく開いた胸元を緑川に向けて柔らかく微笑んでいる。―――え?誰?
「あのう、どちらさまですか?」白井が尋ねる。
「いえね、いい男だから一緒に飲ませてもらえないかなって。うふふ」
女は持参した酒を緑川に注いだ。得体の知れない女に得体の知れない液体を渡されて飲んでしまうほど酩酊していなかった緑川は手にした猪口をじっと見ている。
「あらやあねえ、毒なんか入っていないわよ」
女はそう言って緑川から猪口を取り上げると自ら注いだ酒を一口にあおった。
「ふー。いい男と飲むお酒は美味しいわ」女は微笑みながら緑川に猪口を戻し再び注ぐ。
「いい男だって言っています。すごく気に入られてますね」白井が通訳する。
「店が斡旋している娼婦ですよ、きっと」と緑川が感心なさそうに言う。
なーんだと思い女に向かって白井が、自分たちは召喚者であり彼はあなたの言葉がわからないと告げると「あら!」と女は驚く。
「あなたたち召喚者なの?じゃあ、あの大旦那さんの知り合いなの?」
「大旦那?もしかして商隊や傭兵を連れていたっていう?その方、召喚者なんですか?」
「そうそう。加護がどうとかって商隊と傭兵団引き連れてこの街にやってきたのよ。何度かお座敷に呼ばれてね。三度目ぐらいに頃合いになったから二階に上がりましょうって誘ったら急に帰っちゃって。わたしそんなに魅力ないかしら?」
―――返事はしないでおこう。それよりその大旦那の話だ。
女から得られた召喚者の情報はそれだけだった。残りの二人の話はなかった。
その後、どんな旅をしてきたのか女に尋ねられ、ここまでの旅を三人で振り返りながら白井が女に言って聞かせた。女はよく笑いよく飲んだ。
色気を振りまく女に最大限の警戒をしていた青山も話の輪に加わって笑っていた。
話がシーアンに着くあたりになると、女は緑川の肩にしなだれかかり彼の腿を撫でまわしていた。―――あれ?今夜はもう頃合いなの?
すると緑川は女の手を掴み、彼女の膝の上にトンと乗せて「すまないね、勃たないんだ」と伝わらない日本語で言って席を立った。
慌てて会計を済ませて外に出ると、店の前に官憲が二人待機していた。
「裏があると思ったけど官製美人局ってどんだけですか…」と緑川は鼻で笑った。
翌朝の出発前、緑川から「噂の召喚者を探して仲間に誘いましょう」と提案があり、「傭兵団は魔物と遭遇したときに心強い」という建前が添えられたため、財布にあやかりたいという本音を全員が隠したまま全会一致で可決した。
そうなると俄然チベットの高僧に居場所を訪ねなければならないので、まずは山道を無事に抜けてセイド(成都)まで辿り着く必要がある。
途中ロクな宿場町はないかもしれないとのことで、携行食や防寒のための毛布を買い小型馬に乗せて一行はシーアンの西門を出て一路セイドに向けて出発する。
この日の中継地点であるバオジー(宝鶏)まではなだらかな街道であるため昼前には余裕を持って到着し、三人で長椅子に座って岐山臊子面という酸っぱ辛い麺に細かく刻んだ具材があれこれ入ったものを食べる。
休憩を終え南に向かい始めると一気に道が険しくなる。
絶壁と呼べる大白山の脇を抜ける峠道に差し掛かると、段差のある急勾配の斜面になり、さすがにこれは騎乗したままでは無理だろうと小型馬たちから降りて歩きで急坂を登っていく。―――まあ、荷物を担いてくれているだけでもありがたいか。
標高が上がり空気が薄くなるのを白井は感じていた。呼吸が浅くなりハアハアと肩で息をする。緑川にも軽い高山病の症状が出ていたが、青山だけは元気もりもりだった。上機嫌で鼻歌を歌いながらドンキーと共に進んでいく。
そんな青山ですら崖に等間隔で棒を突っ込み板を敷いた、断崖絶壁から生えるテラスのような道で胃がきゅうきゅうなりながらも三人は予定の行程を遂行する。
日が傾き始める頃、この日の目的地であるフォンジョウ(鳳州)という宿場町に到着した。




