第52話 ねえ、特別な左手ってどうおもう?
青山を完璧なミス濃いグレイに仕立て上げた泥左官白井の元へ新たな客が現れる。「親方、あっしもお願えしやす」という少年に死海じゃ右に出る者はいないと評判の棟梁白井は「おっといけねえネタが切れちまったみてえだ、あっちの塩めくってお宝が出てくりゃあ喜んでやらしてもらいやすぜ?」と言って少年と河岸を変える。
湖の縁の塩を剥がして現れた泥を赤坂の背中に塗り付けていく白井。
「白井さんは青山さんのこと好きなんですよね?」
「おかしなこと言っちゃあいけねえよお客さん。あの人ぁ、あっしの、そうだなあ、大事な仲間ですぜ。色恋なんぞに現を抜かすほどこの異世界渡世は甘かぁありやせんぜ?」
脳内ですっかり左官職人になっていた白井の口ぶりは無視して赤坂は続ける。
「もし、ドラゴンを討伐して元の世界に戻れたら付き合うんですか?」
「えっ… どうなのかな。戻れたら向こうの世界に彼氏いるかもしれないじゃん?」
「前から思ってたんですけど、どうして白井さんはそんなに逃げ腰なんですか?」
「いやー、逃げ腰っていうか昔いろいろあって。まだ克服できていないんだよ。こんな自分嫌なんだけどさ、こっちに来てみんなに会って青山さんにも助けられて、徐々にね、変わってはきているんだよ。見ていてイライラするかな?」
「そうですね。まあ二人で大っぴらにデレデレされるのもイラつくんで。あはは」
ちょうどそこで赤坂の背中の泥は塗り終わり、彼は礼を言って去ってしまう。
―――ちょっ、僕の背中誰が塗ってくれるんだよ!
赤坂と入れ替わりでミス濃いグレイがやってきて「わたし塗ってあげますよ!」と言って白井にしゃがむよう指示をして、二人でしゃがんで泥を塗り始める。
「白井さんて、左利きなんですよね。お箸も左だったし」
「うん、鉛筆は矯正されて右で持つようになったけどね」
「さっき背中塗ってくれたとき、左手の方が温かかったんですけど、そういうのってあるんですかね?」
「うーん、どうかな。でもバイトで肩もみすると左の方が上手って言われたかな」
「きっと、特別な左手なんですね!はい、おしまい!」
白井の心拍数は180近くまで跳ね上がっていた。―――まさか… まさかな。
泥まみれの4人が天幕の下でぼんやり座っている。誰も元の世界で泥パックをしたことがないので、いつ落とせばいいのかわからない。勧めた緑川ですら知らない。
中国の崖テラスで身体を緑色に塗った原住民をゴブリンと見間違えたように、いまのこの4人もファンタジー世界に放り込まれれば立派なモンスターだな、なんて思いながら白井が辺りを眺めているとある物を発見する。
それは部族間闘争の前のロングシエスタの時に見たあのオブジェ。
死海の両脇に聳える岩壁は、昔の水位が高かった頃の浸食で階段状に抉られている。その階段の上に例の石柱に枝をY字に挿し、頂点に孔雀が羽根を広げたようなナニカが取り付いている。対岸が遠すぎてよく見えないが、以前はナツメヤシの枝だった。
しかも今度はそれが5つほど点在している。段も横並びではなくバラバラに。
白井はそれがなんなのか思い出せそうで思い出せず、すごく気持ち悪かったので、皆にオブジェの存在を指差して「あれ、なんですかね?」と答えを求めた。
「なにかのアンテナ?でしょうか?とにかく記憶にないものですね」と緑川。
「現地の人が大地の精霊に祈りを捧げたってあれじゃないですか?」と青山。
「設置場所に規則性は見られませんね。石柱の高さもバラバラだし」と赤坂。
結局、白井のもやもやは晴れることなく『もしかしたら科学の加護持ちの仕業』ということでひとまず納得した。―――どっかで見たことがあるんだよな…階段の…
そうこうしていると少し離れたところの護衛から、そろそろ身体を洗って宿に向かったほうがいいと大声で指示があり、泥まみれのまま脱いだ服を持って合流する。
青山については、肌が露出しているところが掌と足の裏と耳の中だけだからセーフだろうということで、彼女も一緒に向かう。
泥が乾燥していたので立派なミスター/ミス・グレイが護衛の前に姿を現すと、一瞬刀の柄に手を掛けようとしたので白井は焦って叫ぶ。「僕です!白井です!」と。
「あ、主殿、確かに身体に泥を塗る湯治の習慣はあるが、そこまで余すところなく塗った人を見たのは初めてです。化け物かと思い肝を冷やしましたぞ。ははは」
危うく死海がヨルダンのエリア51になりかけたが、踏みとどまってくれて助かった。護衛たちは天幕を片付け、4人のラクダと荷物を運びながら、徒歩で川まで移動する一行を先導してくれた。
死海に流れ込むヨルダン川のほとりに青山用に支柱と黒い布で簡易目隠しを作ってもらい、野郎どもはそのまま川の水で泥と塩を洗い流した。髪の毛は油分が全て落ちてしまいバリバリとどころの騒ぎではなかった。青山は着替えが済むと半べそで香油を塗っていたが野郎どもはモニターを掃除する小さいホウキみたいになったまま。
支度が済むと渡し船に乗り、ヨルダン川の西側へ渡る。
そこからラクダに揺られ、まだ日が暮れるまで余裕のある時間に宿泊地であるイェリコの街に到着した。




