第39話 ねえ、効能が無効ってどうおもう?
翌朝、クセになるカフヴェとシャーイを飲み干して商館を発とうとする一行を見送りに来たホセインが、赤坂に銀貨の入った革袋と証文2枚を手渡す。一枚はインディゴのもの、もう一枚は真珠。
あれを転売すればジャブジャブだ…フヒヒ。誰とは言わないが三人は悪い顔でニタニタしている。悪寒を感じた赤坂は証文をささっと自分の荷物に仕舞い込む。
そして使用人から白井に小箱が渡される。目がちかちかするほどの精細な花柄が幾何学模様のように箱全体に描かれていて、触り心地は七宝焼きがなにかのようだ。元の世界であれば美術館に収蔵されて厳重なセキュリティがかけられているような箱。
ずしりと重く、なぜこれを僕に?と思った白井がホセインに中身を確認すると「皆さまの船旅を少しでも快適なものにするための心ばかりの品です」と言う。
おべっかはいらないんだよなと思って白井が蓋を開けると、中には生姜のスライスがたっぷりの蜂蜜に漬けてある。つうか蓋の裏側の金ぴか具合よ。
「生姜の蜂蜜漬けですか。なるほど。酔い止めですね」と緑川。
「おいしそうですね。でも水、いや炭酸水が欲しくなりそう」と青山。
「つうかこの箱、とんでもなく高価なものなんじゃ…」と白井。
「この土産代も返済額から引いてあるのか聞いてください!」と赤坂。
白井がホセインに箱代のことを尋ねると「いえいえ。それは私から寛大なアカサカ様への献上品です。お代など滅相もない」と言うので赤坂に伝えると「ならいいけど」と安心したようだった。
―――算術っていうより守銭奴の精霊だなこの子の加護は。
改めてホセインに礼を言って港に向かうと、船長たちが出航の準備をしていた。
「おい、その箱…すげえお宝が入ってんじゃねえのか!」と白井の持つ箱をキラキラした目で見つめる船長。「違うよ、これ酔い止めだって」と白井が中身を見せると「なんだ偽物か」と彼は興味を失ったようだった。
国宝級の茶碗にチキンラーメンが入っていれば誰でも器はイミテーションだと思うだろう。俗物というものはそういうものなのだ。
一行は船に乗り込み一路グラインへ。帆を張って船はペルシャ湾を北上する。
出航して一時間ほどで、禁断症状が出ているアレの中毒患者のように4人で生姜を齧る。宝箱の中の妙薬に縋るようにシャリシャリと齧ったものの、である。
船酔いに特効薬などない。三半規管が完全にやられてしまうのだから。
もう一時間もすれば、ゲボゲボ酸っぱいゾンビたちが甲板で呻いていた。
静かな漁村グラインの港は遠浅なため、陸から離れた場所に錨を下して船を停めると、わらわらと小舟が寄って来る。
船員たちはそれぞれの船に召喚者たちの荷物を積み込み、彼らに下船を促す。
ゾンビたちはゾンビらしく「うぅぅ」と呻きながら船を降りて小舟に乗り換えると、漕ぎ手たちは吐瀉物をかけられまいと慎重に艪を漕いで岸へと向かう。
岸まであと少しというところで小舟ですら近寄れない程、底が浅くなるため村の若者たちがじゃぶじゃぶと小舟に寄ってきて、4人をそれぞれおぶって岸まで運ぶ。
漕ぎ手に「気を付けろ」と言われた若者たちは。至近距離で酸っぱ苦い息を浴びながらアッラーの神に祈る。どうか岸に着くまで護ってくださいと。
岸で降ろされた4人はまったく身動きが取れず、荷物と一緒に放置される。
遠くからその様子を見ていた船長が見かねて救助に向かい、部族長に一行の面倒をみてあげるよう直談判する。
最初は得体の知れない、というかゾンビの群れに嫌だなあという顔をしていた部族長だったが「あの妙な女の仲間らしい」という船長の一言で、若者たちに号令をかけ、海岸の少し丘になっている場所に野営地を作らせ、荷物とゾンビを運び込んだ。
パチパチと枝が燃える焚火の音でゾンビたちは目を覚まし人間に戻る。
寝たまま目を開ければ、空にはありえないほどの星が瞬き、空中の水蒸気の粒子がその光を受けて煌めき、それは圧倒的な光の洪水のように見えた。
―――天国って意外と暗いんだな…
白井の隣で仰向けになって凄まじい夜空の光景を眺めながら「地面て凄いですね」と青山が呟き、白井は生きていることを知る。
「揺れないって大事ですね」と白井も仰向けなまま返す。
ぼぞぼそと話す声で緑川も赤坂も意識を取り戻し、二人とも驚嘆の声を上げて仰向けのまま夜空を眺める。
やがて様子を見に来た若者が壷を青山に渡して「冷たい水をどうぞ」と言った。
白井がそれを伝えると青山は壷の水をごくりと一口飲んで「なにこれ冷たい!」と驚愕する。冷蔵庫もない時代の砂漠に近い漁村で冷水とはこれいかに。
壷の冷水を皆で回し飲み終わる頃、様子を楽しげに見ていた若者が「部族長が呼んでいます」と言う。
4人は立ち上り、若者について部族長の家に行くと「よくぞ参られた召喚者の皆さま」と歓迎してくれた。白井がなぜ召喚者だと知っているのか尋ねると、船長から聞いたという。こんな辺鄙な村でも召喚者チートが通用するんだと白井は思っていたが部族長の話で、そういうことではないことを知る。




