第17話 ねえ、お湯の価値ってどうおもう?
シンドゥヂャオ(新都橋)の街に到着したのは夕暮れ近くなってからだった。
三人とも真っ先に行いたいことは同じだった。黙って宿屋へ行き部屋を取ると「お湯をください。顔を洗いたいので」と白井はお願いをすると、少し待てと言われ桶に濁ったぬるま湯を持ってきてくれた。知ってはいたが、こういった高山ではやはり水は貴重で文字通り湯水のように使えるものではなかった。
三人は外へ桶を持って行き、少しづつ使って顔の糞を洗い落した。臭いはまだ少し残ってはいるがカチカチうんこパーティは卒業できた。
夕食時も青山は言葉少なく、相当なショックを受けているようだった。
―――あんなに強メンタルな彼女もさすがにうんこ浴びると凹むんだな…
「それにしても参りましたね。まさかね。でも三人同じでよかったです。僕だけだったらたぶん山頂から飛び降りてたかもしれません。あはは」
精一杯明るく振舞う白井だったが誰の心にも響かなかった。むしろ「それまた触れるんだ?」という怒りのポメラニアンの視線が突き刺さる。
「でも、青山さんうんこ浴びてもかわいかったですよ」
白井は思ってもないことが口から出た。自分でもなぜなのかわからない。昨日から自分の中から違う自分が顔を覗かせているようだった。
「そういうのもういいですから… 最悪… あんなの…」
「関係ないです!」泣きそうな青山を見て白井が叫ぶ。
「えっ?」
「クソまみれでも青山さんは青山さんです!」
緑川は、それフォローなの?と思ったが白井の一言は青山には刺さったようで、「ありがとう…」と涙ぐみ、前段の「かわいかった」が彼女の脳内にリフレインした。
部屋に入る前、服についたカチカチに固まった糞を棒や石でそれぞれ剥がし、「また明日」と笑顔で部屋に入り、大変な一日をそれぞれが振り返りながら就寝する。
翌日の出発前「きょうも登りあるんですか?」と白井が緑川に尋ねると「尾根の道は上りですが、おそらく下る場所は石段です」と安心材料が出る。
「モーロンだけが意地悪したわけじゃないですよ」と緑川が青山に声を掛ける。
その一言がスマートだなと白井は思った。―――僕が言語担当のはずなのにな…
一行はヤクの背に乗りシンドゥヂャオを出発する。
緩やかな坂をヤクの背に揺られ、ふかふかの緑に覆われた高山草原を駆けてゆく。
ポプラ並木が銀色に光り、昨日は気付けなかった素晴らしい景色を堪能する。
やがて標高が上がるにつれ、木々はぽつんぽつんと孤立し始め、灌木が増え始める。
そして灰色の世界へ。あんなに美しかった緑の草原が一気にモルドールに変わる。
折多山の山頂とほぼ同じ高さである高爾寺山の山頂。昨日は感じなかった肺の痛みや頭痛、少し朦朧とした意識、そういった症状が三人を襲う。
そして遂に道がなくなり、ヤクと共に降りる石段が足元に見える。いろいろと不安はあるが山頂に留まれば体調は悪化するばかり。意を決して白井が先頭で降りる。
青山に貰った杖を取り出し、一段一段慎重に降りていく。
―――きょうは糞をかけられることはなくて安心だ
岩肌を削った石段はやがて崖に穿たれる溝の道になる。もちろん地面は石段。
幅は狭く縦列で降りていく。崖の下を覗けば眩暈がするため極力見ない。
膝の靭帯、股関節、杖を握る手、全てが悲鳴を上げる。標高差による耳抜きを何度もしながら、ヤクを引率し、溝の道を降りていくと気温が上がって来る。
防寒対策でダルマのように着込んでいた何層もの上着が恨めしい。汗をどんどんかいて喉が渇く。だが脱いでいる暇はない。
当然のことながらこの道を往来する商人たちがいて、すれ違える場所は限られているため、そこに辿り着くまではのんびり服を脱いでいる暇はないのだ。
ヘロッヘロになりながら一行は無事に2000m近く山を降りてきた。
ロクな食事も摂らず会話もなく一心不乱にヤジャン(雅江)を目指し、到着する。
ヤジャンの街は、熱海のようなブラジルの貧困街のような、斜面に住居がへばり付くように建てられている。そうするしかないという選択肢のなさを訴えかけているようだ。
期待はしていなかったが宿屋に行き浴場を探しても見当たらなかった。
白井が主人にどうにかして身体を洗いたい旨を告げると、追加料金で桶一杯の熱湯を出してくれるという。なんでも薪が貴重品なのでお湯が貴重品になるのだそうだ。
人数分の金を支払いそれぞれ部屋に熱湯を持ち込んで布で身体を拭いた。
手に付着しているヤクの油脂はなかなか落ちなかったが、成都以来、埃や汚れを落とすことができてさっぱりした。
うまくもなんともない夕食後、青山が控え目に申し訳なさそうに提案をする。
脹脛が張ってしまって仕方ないので、三人でマッサージをしないかと。毎日自分でケアしているが、どうにも効き目が弱いという。
白井が頭から湯気を立ち昇らせていると緑川が「じゃあ僕は青山さん揉んでください。僕は白井くんを揉みますから、白井くん青山さんをお願いします」と決めた。
青山は「はい。お願いします」と承諾し、白井は耳まで赤くしてこくりと頷いた。




