9話
惑星ゼノスの地下300メートル。分厚い岩盤と超伝導電磁シールドに守られた「第109訓練大隊・地下指令基地」。
そこは、地表の地獄から物理的に切り離された、冷徹なテクノロジーの聖域だった。室内は24度、湿度45%に保たれ、微かに循環ファンの回る音が響くのみ。だが、その平穏は、外部から伝わる「惑星の悲鳴」によって絶えず侵食されていた。
「――通信、依然として回復せず。地表の電磁ノイズは臨界点を維持」
オペレーターの報告は、事務的な響きの中に隠しきれない焦燥を含んでいた。
メインスクリーンに映し出されているのは、かつて訓練生たちの勇姿を映していた鮮明な映像ではない。荒れ狂う鉄砂があらゆる波長の電波を乱反射し、視覚センサーはただ、砂嵐のような「漆黒のノイズ」を映し出すのみだ。時折、静電気の放電現象が火花のように走り、それが地上の過酷さを無言で物語っている。
「行軍開始から120分。嵐の直撃から21分が経過しました」
別のオペレーターが、震える指でコンソールを叩く。
「軍律第12条……『未熟な個体による通信途絶が20分を超えた場合』に基づき、第109期生は現時刻をもって『全滅』と仮判定されます。……指令官、ステータスを更新しますか?」
教官ガミラスは、腕を組み、何も映らないスクリーンを睨みつけていた。
「生存の可能性を、システムではなく『経験』から算出せよ」
「……不可能です」
オペレーターが力なく首を振る。
「この密度の鉄砂嵐の中では、環境スーツの吸気フィルタは数分で目詰まりを起こし、生命維持装置は磁気干渉でショートします。おまけに、サンド・リーパーの群れが嵐に乗って移動している。……統計上、生存率は限りなくゼロです」
ガミラスは答えなかった。彼にできるのは、ただ嵐が去るのを待つことだけだ。ゼノスの嵐は、惑星の地殻変動と磁場の歪みが複雑に絡み合った結果であり、その始まりも終わりも、天災のように唐突だ。予測不能の暴力が過ぎ去るまで、人類にできることは「祈り」に等しい待機しかなかった。
その時、音響解析のモニターが、激しいスパイクを描いた。
「……! 指令官、音響センサーが異常なパターンを拾っています。砂嵐の轟音の向こう側に、規則的な『衝撃音』を確認。これは……XM-22の、マニュアル発射音です!」
「何だと? 映像は出ないのか!」
「不可能です! 粒子濃度が濃すぎて光が通りません。光学迷彩以前の問題です。ですが……」
オペレーターが解析レベルを限界まで引き上げる。
「磁気干渉の隙間を縫って、極めて短距離のデジタル・パルスが漏れ出しています。……識別コード、188番です! 彼は、自分のリンカーを082番の個人端末に物理直結させ、それを強引に『中継器』として利用しています! 砂嵐のノイズを利用して、音声を乗せています!」
「……『声』だと?」
ガミラスの眉が、初めて大きく動いた。映像も、バイタルデータもない。だが、ノイズの深淵から届く、断続的な波形。それは、システムに見捨てられ、死を待つだけの家畜(訓練生)たちが、いまだに牙を剥いて戦い続けているという、唯一にして剥き出しの証拠だった。
ガミラスは、スピーカーの出力を最大にするよう命じた。
ザー、という激しいノイズ。その合間に、低く、掠れた、だが鉄のように硬い男の声が混じる。
『――左、30……撃て!……下がれ……シールドを……重ねろ……!』
それは軍の教本にある洗練された指揮ではない。泥にまみれ、喉を潰しながらも、仲間を一人も死なせないという執念に満ちた、原始的な「統制」だった。
「何かに襲われている?…リーパーか、指令官! 信号が届いているなら、まだ彼らは生きています! 今すぐ救助艇を出せば……」
若手のオペレーターが立ち上がるが、ガミラスの声は、嵐の振動よりも重く、冷たく彼を制した。
「座れ。今ハッチを開けることは許さん」
「なぜですか!? 彼らはそこで死にかけているんですよ!」
「今、ハッチを開ければ、この基地のメインサーバーすら磁気嵐に焼かれる可能性がある。さらに、救助艇が離陸した瞬間に制御を失えば、それは救助員たちの棺桶になるだけだ。……二個小隊の救助員を、不確実な十数名のために死なせることは、軍事的な論理として成立しない」
ガミラスの言葉は正論だった。だが、正論であるがゆえに、救いようのない絶望が室内に漂う。ガミラス自身、その言葉を吐きながら、拳を血が滲むほど握りしめていた。
「彼らは今、システムの保護という『温室』を完全に失った。中央サーバーの演算も、自動照準も、生命維持の保証もない。……だが、見ろ。彼らは自らの肉声だけで、死神と、この惑星そのものを押し留めている。……我々にできるのは、この嵐が『終わる』のを、ただ信じて待つことだけだ」
ガミラスは、何も映らない漆黒のスクリーンを見つめ続けた。そこには、絶望的な寒さと暗闇の中で、一人の男が自分の神経を焼き切りながら仲間を鼓舞する姿が、ノイズの波形として焼き付いていた。
一方、地表。
岩礁の隙間に陣取ったカズキの視界は、もはや正常ではなかった。
スーツの警告灯は血のような赤色を放ち、ヘルメット内には酸欠を告げるアラートが絶え間なく鳴り響いている。
『――警告:内部バッテリー残量2%。生命維持システム、停止まで90秒。』
右腕の感覚は、とっくに消失している。肩口の補修跡からは容赦なく熱が逃げ、体温は意識を保てる限界を下回ろうとしていた。肺に吸い込む空気は、呼吸をするたびに肺胞を内側から切り裂くような激痛を伴う。
「(……まだだ……まだ、一人も……欠けてない……)」
カズキは、左手だけでXM-22を抱え、闇を睨みつけた。
サンド・リーパーの群れは、仲間の死骸を乗り越え、踏み台にし、さらにその数を増やして岩礁を包囲しようとしていた。彼らは空腹と、カズキのリンカーが発する微弱な電磁波に狂い、獲物を確実に仕留めるために距離を詰めてくる。
一番近いリーパーの息遣いが、砂嵐の音を突き抜けて聞こえる。数センチの至近距離に、その漆黒の爪が迫った。
その時だった。
空を覆っていた、あの魂を押し潰すような重苦しい圧迫感が、一瞬だけ不自然に「震えた」。
激しく吹き荒れていた砂の壁が、魔法が解けるかのように、不自然なほど急激に密度を下げ始めたのだ。
「(……終わる……のか?)」
ゼノスの嵐は、始まった時と同様に、終わる時も一瞬だった。
狂ったように吹き荒れていた鉄の砂が、重力に従って地上へ落ちていく。視界を遮っていた漆黒のカーテンが、端から捲り上げられるように消えていく。
静寂。
それまでの轟音が嘘だったかのような、耳が痛くなるほどの静まり返った世界。
カズキの頭上に広がったのは、厚い雲を突き抜けた、惑星ゼノスの無慈悲なまでに美しい星空だった。主星の光が遮られた夜の闇の中で、凍りついた鉄砂の平原が、冷たく、白く輝いている。
カズキは、もはや感覚のない指を、XM-22の冷たい引き金からそっと離した。
スーツのバッテリーは「1%」を示している。生命維持装置が最後に放った微かなヒーターの熱が消え、スーツ内は完全な「凍土」へと変わった。
「……082……番……」
カズキの声は、もう形にならなかった。
彼の視界の端で、岩礁の向こう側から、巨大なサーチライトの光が差し込むのが見えた。




