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10話

 意識の再起動は、あまりにも静かだった。


 カズキが目を開けると、視界の端にはあの日から変わらない、無機質な文字列が点滅を繰り返していた。


『――状態:同期失敗。プロトコル不一致。』


 指先を動かしてみる。嵐の夜、岩礁で砕け、凍傷に焼かれたはずの右腕は、クローニング技術によって細胞一つ一つが完璧に再構成されていた。痛みはない。痒みすらも。地球の旧世代医学とは比較にならない超技術が、彼の肉体を「新品」へと作り変えていた。皮膚の表面には傷跡一つなく、失われたはずの指先の感覚も、不気味なほど鮮明に蘇っている。


「被検体188番。肉体修復率100%。戦線復帰を許可します」


 枕元で響いたのは、感情を排した合成音声だった。医療ロイドの多目的アームが、カズキの全身を冷たくスキャンし、胸部を固定していた電磁拘束具を解除する。カズキはゆっくりと上体を起こした。身体は軽い。筋肉の出力も、肺活量も、すべてが軍の定義する「最良の状態」にセットされている。


 隣のベッドに並ぶ兵士たちは、シンカーを通じて流し込まれる「強制休眠パッチ」によって、深い安らぎの中にいた。彼らのリンカーは軍の信号を完璧に受理し、脳波までもがシステムによって最適化されている。彼らにとって、死の淵から生還した直後の時間は、単なるデータのロード待ちに過ぎない。


 だが、カズキは違う。


「……頭の中を、静かにしてくれ……!」


 カズキは、自分の首裏に刺さった医療用シンカーを指先でなぞった。肉体に痛みはない。だが、同期を拒絶された彼の脳には、嵐の夜の記憶、死への恐怖、そして「自分が自分である」という生々しい自意識が、ノイズとなって渦巻いている。クローニング技術で肉体はリセットできても、そこに刻まれた「精神の摩耗」を、軍のシステムは癒やしてくれない。


「リクエストを拒絶。シンカーの接続は正常ですが、対象のリンカーが精神安定パッチの受理を拒絶しています。プロトコル不一致。未定義の割り込み命令」


 医療ロイドの冷淡な宣告。シンカーは物理的に刺さっている。だが、そこから安らぎが流れ込んでくることは、一度たりともなかった。カズキは、完璧に修復された「痛みなき肉体」を持て余し、ただ独り、自分という個の重みに押し潰されそうな静寂の中に放り出されていた。


 数時間後。外傷一つない滑らかな肌を取り戻したカズキは、重い足取りで共有ホールへと向かった。


 ホールの光景は、嵐の前と何ら変わりなかった。テーブルの数は埋まり、兵士たちが整然と合成ペーストを口に運んでいる。その様子を眺めながら、カズキは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 昨日、砂の中に消えていったはずの顔。昨日、凍死したはずの男。失われた数十名の「欠損」は、数時間のクローニングとバックアップデータの転送によって、一糸乱れぬ正確さで「補充」されていた。新しい個体、新しい脳。彼らは死ぬ前の恐怖も、嵐の絶望も持っていない。ただ「昨日と同じ兵士」としてそこに存在している。軍にとって、兵士の死とは単なるパーツの交換に過ぎない。


「……188番さん」


 掠れた声に振り返ると、そこには082番が座っていた。彼もまた、失われた部位を最新の技術で完璧に復元されている。肉体的な苦痛は皆無のはずだ。だが、彼の瞳には、補充された他の兵士たちにはない、底冷えするような「違和感」が宿っていた。


「……082番。無事だったんだな」


「はい。……でも、おかしいんです。シンカーを繋いでいるのに、何も入ってこない。……怖いんです。昨日、僕の隣を歩いていた奴が、砂の中に消えていった時の……あの光景が、頭の中から消えないんです。パッチが、当たらない」


 082番は、自分の首裏のポートを、怯えたような手つきで弄っていた。カズキは息を呑んだ。082番のその「怯え」は、パッチで統制された兵士のものではない。嵐の中でカズキが自身のリンカーを介して彼らと無理やり直結した際、カズキの「人間としてのバグ(自意識)」が、生き残った13名のリンカーに伝染してしまったのだ。


「補充」された他の連中は、死の直前の記憶をパッチで消去され、再び完璧な部品に戻っている。だが、カズキと連結した13名だけは、死の恐怖を刻んだまま、軍の精神統制システムを拒絶し始めていた。彼らのリンカーは今、カズキと同じ「プロトコル不一致」の海に沈んでいる。


「……俺たちのリンカーは、もう軍のシンカーを信じてないんだよ」


 カズキが静かに告げると、082番は縋るような目で彼を見つめ返した。


「パッチで上書きされた安心は、俺たちのものじゃない。……この不味いペーストの味も、喉を通る時の不快感も、全部、俺たち自身の感覚だ。……そうだろ?」


 082番は、ゆっくりと、震えながら頷いた。「……はい。……不味いです。今日の食事。……それに、……すごく、虚しいです。今まで、こんなことを考えたこともなかったのに」


 肉体は完璧に修復された。だが、シンカーによる「救済」を失った彼らは、初めて自分たちが代替不可能な「個」であることを突きつけられていた。


 食事時間が終わり、軍の集合合図がホールに響き渡った。


 カズキは、更衣室で新しい軍服に袖を通した。右腕は新品のように軽やかで、関節の動きも完璧だ。だが、首筋のシンカーを叩くと、網膜には慣れ親しんだ――そして最も忌々しい――「最適動作のグリッド」が鮮やかに投影された。


 理想的な歩幅、完璧な背筋の角度。青白い光のラインが視界を埋め尽くし、カズキにあるべき「兵士としてのフォルム」を強要する。


 カズキは、首裏のポートを指先でなぞった。人間である彼を管理するために埋め込んだこの端子は、今やシステムからカズキを切り離し、孤独な「個」へと突き落とす刻印へと成り代わっていた。


 整列場所に集まった数百人の兵士たち。そのほとんどは、シンカーによって完全に同期され、一糸乱れぬ「理想的な軍隊」の姿を維持していた。彼らの動きは機械のように正確で、呼吸のタイミングさえも統一されている。


 だが、その中にあって、カズキと13名の仲間たちだけは異質だった。


 網膜には、全員同じ「完璧な整列ガイド」が出ている。

 しかし、彼らはもはやシステムに「動かされる」ことを拒んでいた。痛みはない。肉体は万全だ。それなのに、彼らは不安に耐えかねて隣の気配を窺い、無意識に呼吸を乱し、わずかに肩を震わせていた。ガイドの光が示す「理想」と、彼ら自身の「意志」が、不快なノイズとなって衝突している。


 カズキの網膜では、理想を示す「青いライン」から、彼らの不揃いな身体が吐き出す「影」が、不快なほどにズレ続けている。


「……バグだ」


 高台から見下ろす管理者のガミラスが、手元の端末を見つめながら独りごちた。彼のモニターには、この14名だけが吐き出し続けている「プロトコル不一致」のエラーログが、滝のように流れ落ちていた。


 完璧なグリッド(光)と、それに従おうとしない14名の肉体。

 カズキは、冷たい光の檻を睨みつけながら、自らの意志でその一歩を踏み出す。


 自分たちは、軍のシステムという巨大な機械の中の「異物」として、ここに立っている。


 カズキの網膜の端では、誰に見せるためでもない「同期失敗」の警告が、周囲の整然とした静寂をあざ笑うかのように、ただ独り激しく、そして熱く明滅し続けていた。

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