7話
第109期の兵士たちが、赤茶けた断崖の麓にある「第3給水ポイント」に到達したのは、行軍開始から数時間が経過した頃だった。頭上の恒星は依然として高く、40度を超える熱波がヘルメットのバイザー越しに陽炎を揺らしている。兵士たちが纏う薄い気密服(環境スーツ)の内部では、冷却ユニットがフル稼働し、焦げ付いたオゾンの臭いと人工的な冷気が混ざり合っていた。
「全員、停止。補給プロトコルを開始せよ」
教官ガミラスの無機質な号令がリンカーに響く。数百名の兵士たちが、機械的な正確さでXM-22を地面に置き、膝をついた。ヘルメットの供給ポートに給水チューブが連結され、無味乾燥なミネラル液が咽喉を潤す。
カズキは、バイザーの隅に表示される環境データを見つめていた。
『――外部:気温43度。湿度2%。天候:晴天。予測変化なし。』
軍の気象衛星は、この先数時間は安定した天候が続くと断言している。だが、カズキのリンカーが発する「異質な熱」は、その数値を真っ向から否定していた。
「(……おかしい。風が完全に止まった)」
不気味なほどの静寂。それは嵐の前の静けさという生易しいものではなかった。カズキの脳内に逆流する「過去の戦記」が、網膜に赤い警告信号を投射する。それは数世紀前、未知の惑星で全滅した偵察隊が、死の間際に記録した大気崩壊《大気の直下崩落》の予兆だった。
「おい、082番。……これ、まずいぞ。すぐにここを離れるか、アンカーを打たないと」
カズキが掠れた声で隣の兵士に話しかける。だが、給水中の082番は、バイザーの奥で微塵も動じなかった。
「188番。中央サーバーの予測に異常はない。個人の主観による規律の乱れは、評価値を……」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
突如、空が「消えた」。
地平線から湧き上がったのではない。頭上の真っ青な空が、一瞬にしてどす黒い赤色に塗りつぶされたのだ。
ドォォォォォン!!
爆圧に近い衝撃波が、給水中の部隊を直撃した。惑星ゼノスの超高層大気が、磁気異常によって一気に地表へ崩落してきたのだ。軍の予測システムが「0秒」で無力化された瞬間だった。
「全員、磁気シールド最大展開。アンカーを固定――」
ガミラスの命令が途中で激しいノイズに掻き消される。
次の瞬間、音速を超える鉄砂の奔流が、無防備な兵士たちを飲み込んだ。磁気シールドを展開する暇さえなかった数名が、一瞬で砂漠の彼方へと吹き飛ばされ、肉体が岩壁に叩きつけられて粉砕される音が、砂嵐の咆哮に混じって響いた。
カズキは、吹き飛ばされそうになる体を必死に岩の割れ目へ押し込んだ。
『――致命的な通信エラー。広域シンカー通信、途絶。』
最悪のログがバイザーを埋め尽くす。
高度文明の軍隊において、兵士は中央サーバーという「脳」を失えば、ただの手足に過ぎない。同期パッチに脳を委ねきっている彼らは、サーバーからの信号が途絶えたことで「論理矛盾」を起こし、数百名の兵士たちが膝をついたまま、石像のようにフリーズしてしまった。次の命令が届かない限り、この地獄の中でエネルギーが尽きるまで固定され続ける「標的」に変貌したのだ。
「(これが……今の軍隊の正体か? システムがなきゃ、死ぬのを待つだけの機械かよ)」
カズキの背筋を、冬のゼノス以上の寒気が走り抜けた。
その時だ。砂嵐の咆哮に混じり、カチカチ、カチカチ……という、硬質な甲殻が擦れ合う音が、赤い闇の中から近づいてきた。
カズキのリンカーが、外部の激しい電磁ノイズを「過去の経験データ」として変換し、脳内に警告を叩き込む。それは、光のない廃宇宙船内で、音だけを頼りに未知の生命体を迎撃した「誰か」の生存記録。
「(……来る。一匹や二匹じゃない、群れだ!)」
バイザーの視覚補正が死んでいる暗闇の中、赤い砂塵の奥から無数の「眼光」が点灯した。
姿を現したのは、惑星ゼノスの固有種『サンド・リーパー《砂の死神》』の群れだった。
彼らは視覚に頼らず、生物の放つ微弱な電磁波を感知して狩りを行う。広域通信が途絶え、磁気シールドが不安定になった兵士たちは、彼らにとって「動かない極上の餌」に過ぎなかった。
リーパーたちが、動けなくなった兵士たちの群れへと、音もなく襲いかかった。
「ギィェェェッ!」
鎌のような巨大な爪が、一人の兵士の磁気シールドを強引に削り、火花が夜の嵐を照らす。
「(……次は、俺たちの番だ)」
カズキは、自分の右腕を削る砂の痛みに叫び声を上げた。
カズキのリンカーは『――エラー:磁気出力不足。アンカー射出に失敗。』と警告を出し続け、シールドさえ形成できていない。あと数十秒、この剥き出しの場所にいれば、布一枚のスーツはズタズタに破け、肉は骨から剥ぎ取られる。
「(死んでたまるか。こんなところで、部品みたいに終わってやるもんか!)」
カズキは立ち上がることを捨てた。風の抵抗を最小限にするため、地面に爪を立て、指先が裂けるのも構わず岩の隙間を掴んだ。
隣には、依然としてアンカーを半分打ち込んだ状態で固まっている同期達が、リーパーたちの宴会場と化していた。
カズキは、リンカーが示す「過去の残像」を頼りに、この地形の「死角」を嗅ぎ取った。左前方、わずか15メートル。断崖の基部に、岩礁が折り重なって形成された天然の隙間がある。そこなら、風の流れが反転し、鉄砂の直撃を物理的に回避できるはずだ。
「082番、来い! 腕を掴め!」
カズキは、082番のアンカーを手動レバーで強引に引き抜いた。瞬間、082番の体は木の葉のように暴風にさらわれる。カズキはその襟元を死に物狂いで掴み、XM-22の銃身を岩の亀裂に突き立て、それを支点にして二人分の体を岩陰へと引きずり込んだ。
ドサッ、という鈍い音が響き、二人の体は岩礁の隙間に転がり込んだ。
そこは、奇妙な静寂に包まれていた。
巨大な岩が防波堤となり、猛烈な鉄砂の直撃がピタリと止む。依然として風は唸りを上げ、零下20度まで急降下した冷気がスーツの傷口から体温を奪っていくが、少なくとも「肉体を削り取られる」最悪の事態は回避できた。
「はぁ、はぁ、……はぁ……ッ」
カズキは、血が滲み出し、瞬く間に凍りついていく右腕を抑え、岩壁に背を預けた。
ヘルメットのバイザーを震える指で拭い、隣を見る。そこには、強制解除の衝撃でようやくシステムが再起動し始めた082番が、震えながら座り込んでいた。
「……188番。……なぜ、移動した。予測では、ここは……安全な……」
「予測なんて当てにするな!見ろ、あいつらを」
カズキは岩陰から少しだけ顔を出し、外の赤い闇を指差した。
そこでは、いまだにシステムの復旧を待ち、磁気シールドの中で凍りついたままの兵士たちが嵐と食らいつくサンド・リーパーをシールド内で不安そうに見ていた。




