5話
「第109期、前進。これよりフェーズ2、実地環境適応訓練を開始する」
巨大な油圧の駆動音とともに、訓練施設の重厚な隔離壁がゆっくりと左右に分かれた。その隙間から流れ込んできたのは、赤錆のような色をした砂塵と、視界を歪ませるほどの熱気だった。
カズキは、頭部を完全に覆うヘルメット一体型の環境スーツの密閉度を確認した。
シュウッ、という小さな吸気音。
外部の砂塵を含んだ空気は完全に遮断され、ヘルメット内部に人工的に精製された冷たい酸素が供給される。喉の渇きが、その冷気で一層刺激された。
バイザー《視界》の隅には、外部環境データが表示されている。
『――外部:低酸素濃度。気温42度。内部環境:正常』
周囲のクローンたちは、一切の動揺を見せなかった。彼らのヘルメットの吸気リズムは、シンカーを介して部隊全体で完全に同期されている。一糸乱れぬ足取りで、彼らは赤茶けた不毛の荒野へと踏み出していく。
カズキも、XM-22を担ぎ直し、彼らの背中を追った。
足を踏み出すたびに、細かな砂が軍靴の中に潜り込み、皮膚を削る。
「(……熱い。あいつら、スーツの冷却設定まで同期させてんのか)」
隣を歩く082番は、ヘルメットのバイザー越しに前方を凝視したまま、正確な歩幅を維持していた。昨日、シミュレーターで胸を撃ち抜かれ、再調整された痕跡など、その横顔には微塵も残っていない。
行軍開始から六時間が経過した。
頭上の太陽は容赦なく熱を注ぎ、視界は陽炎で歪んでいる。ヘルメットの内側は、自分の吐息と汗で蒸れ、不快感が限界に達していた。
「水……」
カズキは腰のボトルを引き抜こうとした。だが、バイザーに赤い警告灯が灯る。
『――命令:補給制限。次の給水ポイントまで4,000メートル。代謝を抑制してください』
軍のシステムは、クローンたちの肉体を「最も効率的な燃費」で動かそうとしている。パッチによって喉の渇きを「ノイズ」として処理し、発汗や心拍数すら最小限に抑え込んでいるのだ。
「……おい、082番。少しペースを落とせないか」
ヘルメット内の通信機越しに、カズキの声が掠れて響く。
「このままだと、俺の体力が持たない。……お前だって、膝が笑ってるじゃないか」
082番は歩みを止めず、無感情に答えた。
「188番。個人の疲労は、全体行軍の予定時刻に影響を及ぼすべきではない。……お前が遅れるなら、私はお前を切り捨てて前進するよう設定されている」
「切り捨てるって……演習だろ、これ」
「軍において、予定の遅延は『不具合』だ。不具合個体に付き合うリソースは、第109期には割り当てられていない」
082番の言葉は、冷徹な論理に基づいていた。
彼らにとって、仲間が倒れることは悲劇ではない。ただ、全体の「効率」を阻害する不確定要素が排除されるだけのプロセスだ。
その時、カズキのリンカーが再び、あの「異質な熱」を帯びた。
バイザーに映るガイドラインが示す「推奨ルート」の左側――。
巨大な岩陰の向こう側に、何かがいる。
「(……待て。砂の動きが変だ。あそこ、何かが伏せてる)」
軍の戦術データは、そこを「安全な回避路」として青く表示している。
だが、カズキの脳に逆流してきた「鉄の記憶」は、強烈な警鐘を鳴らしていた。
「止まれ! 082番、左だ! 伏せろ!」
カズキは叫ぶと同時に、隣を歩く082番の肩を突き飛ばした。
「188番、規律違反だ。接触を――」
082番が抗議の言葉を口にするよりも早く、岩陰から巨大な「影」が飛び出してきた。
それは惑星ゼノスの原住生物か、あるいは軍が用意した「野生の敵」か。
鋭い爪が空気を切り裂き、つい先ほどまで082番の頭部があった空間を通り過ぎる。
「……ッ!」
カズキは反射的にXM-22を構えた。
指先が、バイザーの照準器を見るよりも早く、獲物の「次の一歩」を捉えている。
『――状態:同期失敗。』
『――警告:未承認の反射動作を実行中。』
システムがエラーログを吐き散らす中、カズキは引き金を絞った。
キィィン、という高周波の音が、赤い荒野に響き渡る。




