4話
居住区の静寂を、昨日と寸分違わぬ起床ラッパが切り裂いた。
反響する金属音と共に照明が点灯し、カズキは重い体を起こした。隣の082番のベッド。そこには、昨日指を折り、治療ドローンに連行されていったはずの男が、何事もなかったかのように座っていた。
カチッ。
聞き覚えのある、硬質な接続音。
男は迷いのない動作で首筋にシンカーを突き刺し、無機質な声を漏らした。
「第109期、082番。接続完了。稼働を開始する」
カズキは男の手に目をやった。昨日の組み立てで無残に折れ曲がっていたはずの指は、添え木すらなく、不自然なほど真っ直ぐに伸びている。高度な医療パッチで強制的に接合されたのだろう。
「……おい、082番。指、もう動くのか? 昨日のあれ、相当酷かっただろ」
082番と呼ばれた男は、ゆっくりとカズキの方へ顔を向けた。
その瞳には、一欠片の記憶も、痛みも宿っていない。
「指? 何の話だ、188番。私の肉体コンディションは正常だ。パッチの適用率も100%を維持している」
「昨日、お前は組み立ての最中にエラーを出して、自分で指を……」
「188番、お前は寝ぼけているのか」
082番は、感情を排した声で遮った。
「私は今朝、再調整を終えて接続したばかりだ。昨日の記録に、私の出力エラーは存在しない。……速やかに接続しろ。お前の遅れは、部隊全体の同期率を低下させる」
昨日の「痛み」はログから抹消され、彼は再び「正常な部品」としてここに座っている。カズキは、震える手で自分のシンカーをポートに押し込んだ。
『――状態:同期失敗。プロトコル不一致。』
網膜に浮かぶ、いつものエラーメッセージ。
だが、今のカズキにはそれが、自分が「昨日」を覚えている唯一の証拠のように思えた。
午前09:00時。
訓練施設内の広大なドーム。シンカーを通じて視覚情報を上書きし、あらゆる環境を再現する「仮想戦場」だ。
「本日の訓練:集団戦術における回避と制圧。ターゲット接近」
スピーカーの声と共に、カズキの視界が歪んだ。
無機質な壁が消え、代わりに瓦礫の山と、煙の立ち込める廃墟が広がる。
XM-22の重みが、腕にずっしりとかかる。
『――各員、配置に移れ。』
網膜に表示されるタクティカル・マップ。
カズキ(188番)の役割は、またしても最前列の斥候。他のクローンたちは、シンカーが共有する「最適ルート」に従い、一糸乱れぬ動きで跳躍していく。
だが、カズキのリンカーは、軍の戦術データではなく、昨日と同じ「どす黒い記憶」を呼び覚ましていた。
「(……左のビルの二階、死角だ。あそこから狙われる)」
マニュアルにはない直感。
カズキが身を伏せた瞬間、視界の先で火花が散った。
シミュレーター用の非殺傷弾が、カズキが数秒前まで立っていた場所の瓦礫を弾く。
「188番、なぜ停止した。指示ルートから2メートルの逸脱を確認」
背後から、082番の声が聞こえる。
彼は、ガイドライン通りに遮蔽物のない通路を突き進もうとしていた。
「来るな、082番! そこは狙撃ポイントだ!」
カズキの叫びは、届かない。
082番にとって、カズキの言葉は「同期されていないノイズ」に過ぎない。
キィィン、という訓練弾の風切り音。
082番の胸元を、高速の非殺傷弾が捉えた。
「ガッ……!」
衝撃で吹き飛ぶ082番。命こそ奪わないが、神経を直接焼くような激痛が彼を襲っているはずだ。
『――082番、被弾。演習中断。』
冷徹なアナウンスと共に、網膜の投影が消失した。
一瞬で、殺風景な灰色のドーム内が剥き出しになる。
そこには、胸を押さえて痙攣している082番が転がっていた。
上空から、回収用ドローンが降りてくる。
「……082番、個体再調整の必要あり。医療区画へ移送する」
ドローンは手慣れた動作で082番を拘束し、引きずるように天井のハッチへと運んでいった。
「……あいつ、また運ばれてったのか」
カズキは、XM-22を握りしめ、荒い息をついた。
周囲のクローンたちは、仲間が運ばれていったことなど気に留めず、システムの再計算を待っている。
明日になれば、また「再調整」された082番が、同じ顔で、同じように昨日の激痛を忘れてカズキを「ノイズ」と呼ぶだろう。
壊れれば直し、忘れさせて、また並べる。
ただ、効率的な兵器を作るための、終わりのない試行錯誤があるだけだ。
「……俺は、忘れない。絶対にな」
カズキは、網膜の隅で点滅し続ける『同期失敗』の文字を、力強く見つめ返した。
この不具合こそが、自分がこの狂ったルーチンに取り込まれていない証拠だった。




