後編
いつもと変わらぬ書斎へいつもとは違う暗い顔をしたアレクが案内される。
それでもメイドはいつもと変わらない態度である。
「申し訳ありませんが、こちらで少々お待ち下さい。ご主人様は少し遅れて来るそうです。」
アレクは頷いてソファーに座るが、やはり元気が無い。
メイドはその理由を察していた。
しかし、白々しく尋ねる。
「御気分が優れないようですね。症状を申し付けて下さればそれにあったお薬をお持ち致しますが。」
「いえ・・・・・・その・・・・・・・」
「いかがされましたか。」
「・・・・・あなたは確か、先日行われた酒宴にもいらっしゃいましたよね。」
「はい。そうですが。」
「私が帰りの馬車に乗る時の事の詳細を知っていますか?」
「知っているも何もアレク様を馬車に乗せたのはこの私です。」
「き、君が!?では、何故服が脱げていたのか教えていただけませんか?」
「ご主人様があなたを馬車に乗せろと私一人に命じ、女手では少し無理が生じたので。」
「脱がしたのですか・・・?服を?」
「はい。大変着こまれていたので、その分軽くなり運ぶのも楽でしたわ。」
しれっとしたメイドの態度に流石のアレクも怒りが湧き上がる。
このメイドの軽率な行動によりフィリップだけでなく商人仲間全員に隠していた大事な秘密が暴かれてしまいかけたのだ。
今回の件はアレク自身にも非はあるが、アレクだけに非がある訳ではない。
ましてや客の身ぐるみを剥ぐ使用人等非常識この上ない。
「ぶ、無礼ではないか!客人の服を勝手に拝借するなど!!」
「無礼というのはフィリップ様に性別を隠すといった事等ですか?」
「なっ・・・・・クッ・・・・・・やはり知られていたか。」
覚悟はしていたが、やはりこのメイドは知っていた。
言葉として言われると先ほどまでの怒りは何故か消え、凄まじい脱力感が襲ってくる。
アレクは気付けば無意識に頭を抱えていた。
「フィリップ様にはなんて思われただろうか・・・・・嘘を吐かれて、嫌われただろうか。商談はパアか?もう駄目だ。しかし、何故呼ばれた?どういう事だ?訳が解らない!」
「落ち着きなさい。」
「君も君で何なんだ!従者の癖に生意気だぞ!!」
「いいから聞きなさい!フィリップ様はまだあなたが女性であることを知らないわ。」
「な、何!?それは本当か!」
「ええ。」
それはそれでよくわからないが一旦は安全だという事を認識しよう。
アレクはいつもどおり目を瞑り深呼吸を数度行う。
「それは、助かる。しかし・・・・・何が目的だ。」
このメイドは油断ならないと自分の商人の勘が言っている。
見た目から自分と近い齢だと言うのは推測できるが、その上で何か大きな企みがあることを読み取れる。
「話が早くて助かるわ。流石敏腕商人ね。」
「世辞などいらない。それで目的はなんだと訊いている。」
「話は簡単よ。フィリップ様と結婚して下さらないかしら。」
「・・・・話が解らない。訳が解らない。意味が解らない!」
「やっぱり頭悪いのかしら。だから・・・・・」
「いや、解る。解らないが解る。しかし、なんだ。それで、お前が得る利は、益はなんだ?」
「私も元は大商人の娘よ。でも不幸に不運が重なり家が破産しかけ、それを気まぐれで立て直したフィリップ様がベットに出された私を勝ち取ったの。」
「・・・・それで?」
「あいつがなんの力も無い私をわざわざ手に入れたのは簡単な理由。私の顔が母親の顔に似ているからだそうよ。それで私は女を捨てる事を強要され。アイツの母親役をしているの。」
「・・・・・・・なるほど。」
色々よく理解できない、したくない事も多いが、このメイドが聡明なのは血筋によるものも大きいようだ。
そして、今に満足したいない。
「家はなんとかアイツのおかげで持ち直したみたいだけど。私は微塵も感謝などしていないわ。契約期間がアイツの気が済むまでなんだからね。全部気まぐれなのよ。何が悲しくて四十過ぎのおっさんの母親にならなきゃいけないのよ。アイツの半分も生きてない私が。」
「それで、まさか、フィリップ様と結婚した挙句殺せというのか?」
「そんな訳無いでしょう。開放するときは保証金を出すと言っていたのだし。それに本当の性別なんてカードが殺人と釣り合うだなんて思ってないわ。」
「じゃあ、何なんだ。早く言ってくれ!」
「つまり、あんたとアイツが結婚すれば私は開放されるはずだから結婚してくれって言ってるの。」
「・・・・・人の事を馬鹿に出来ないんじゃないか?結婚すれば性別が知れる。隠す必要が無いだろう。それに結婚したからといって君が開放される保証も無いじゃないか!」
「結婚したら私は開放されるわ。私を雇った時にもし結婚したら開放するとのたまっておられたもの。」
「それが嘘という可能性は?」
「大いにあるわ。でも、私は無駄骨折りを考慮してでも現状を打破したいの。」
「・・・・・大金を得てこの家を出たいと。そういうことか。」
「そうね。あなたにも利益は沢山あるわ。共犯者は力よ。知名度と信頼、予算の増加による事業の拡大は格段にやり易いでしょうね。その秘密だって隠すなら隠しやすく。表に出すなら出すで損害も少なくて済むでしょうね。」
「・・・・・ふむ。」
この商談はかつて無い程の規模だ。
しかし、断ったところでリスクが大き過ぎる。元から選択肢がないようなものだが。
どうせなら上手く行く方を考えたい。
上手くいった際のリターンはこのメイドの言った事もあり、そして経営を教えていただけたりもする。
想像もし難い程の利益だ。商人としては乗るのも悪く無いと思ってしまう。
「・・・・・成功する根拠は?」
アレクの口からはそんな言葉が漏れていた。
「それでいいのよ。実を言うとアイツはあなたを慕っているわ。そういう相手としてね。」
「な、何!?そんなばかな!?」
突如現れた提案に突如現れる勝機。
アレクの広角は意図せず上がってしまう。
「喜ぶのは早いわ。アイツは自分勝手で臆病だから結婚まで踏み切るなんて確率は少ないでしょう。そして、一番やっかいなのが女嫌いよ。」
「女嫌い!?それは絶望的なんじゃないか?」
「そうでもないわ。アイツは今あんたを男として見てる。で、ある以上好感度は上がるわ。その内に性別以前に人間として惚れさせるのよ。」
「ば、馬鹿馬鹿しい!根拠が心許無い上にリスクがでかすぎるじゃないか!!」
「断った際のリスクも考えなさいな。」
「・・・・・選択肢は無いのか。」
自分はやはり勝ち目の無い賭けに出てしまったのかと認識を改めるアレク。
酒宴までは順調だったはずの彼の商売は今日で行く先が決まるのだろう。
「今日の商談。しっかりとアプローチなさい。やる気が無さそうだったらすぐにでもビラをばらまいてやるわ。種さえアレばツルでも花でも生えるでしょう。」
「面倒な相手に秘密を握られたものだ・・・・・・・」
「成功すればとんでも無い見返りがあるのよ。悪すぎる話でも無いでしょう。」
「・・・・・仕方ない。腹を括ろう。」
「期待してるわ。」
メイドのその言葉を言い終わるや否やドアが鳴る。
フィリップだ。
「いやあ。すまない!海賊を遂に捕まえてね!寧ろこちらの労働力にしようと話し合っていたんだ。海路を知り尽くしているのだからその情報は無駄にはならない。君の仕事の手助けにもなるかもしれないな!」
不意打ちに動揺するアレクを見てフィリップは流石に疑問を覚えたらしい。
「ん?なんの話をしていたんだね。珍しい。」
「いえ、今から淹れる紅茶を選んでいただいていただけですわ。」
「紅茶?」
「ええ。キタイシ茶とテルワー茶の2つから選んでいただこうと思いまして。」
「ほう。どちらも聞いた事がない茶だな。」
「キタイシ茶は東の、テルワー茶は西のお茶なのですが、今回たまたま仕入れた物なので聞いた事がなくて当然だと思います。」
「なるほど。で、アレク君はどっちにしたんだね。」
聞いたこともない話と動揺が抜けきっていないせいで平静を装えないアレクだが、とにかく話をあわせる事にしたようだ。
「わ、私はテルワー茶で。」
「じゃあ、私もそれを貰おう。」
「かしこまりました。」
メイドはアレクに少し目をやり、丁寧に一礼して退室する。
「それで、どうだね。」
「ど、どうだねと言うと。」
あのよくわからない紅茶の話がまだ!?それとも自分が既に女であると・・・・・・
「海賊の件だよ。海賊と交渉が上手く言ったら最短の海路を使えば奴隷商船による営業も捗るのでは無いかね。」
内心胸を撫で下ろすものの、尋常でない量の汗が額を伝っている。
しかし、放置すればそこからほつれが生じるだろう。
手ぬぐいで不自然さを抑えつつ顔を拭くアレク。
今日は決して安寧を求められないようだ。
「え、ええ。それはとても助かりますね。是非噛ませていただけるのであれば。」
「だろう。そうだろう。それなら商談が上手くいったらすぐに連絡しよう。」
「ありがとうございます。奴隷商人にとって、航海時間短縮はとても嬉しい話です。」
「奴らはちょっと航海が長引くと半分しか生き残らんからな。酷い時には三分の二が死ぬ。あれでは儲けが殆ど出んよ。」
「いかにも。ですが、そこは私の腕の見せ所、三割を超えた事はございません。」
「それはまた凄い。奴隷を売る腕では既にアレク君には敵わんだろうな。」
「いえいえ。そんな・・・・・」
「いや、私も昔は奴隷を取り扱おうと思った事はあるのだがな。ただの物ならともかく半分人間となるとどうも扱い辛く。結局そのまま・・・・・・」
いつもより反応が鈍いアレクを見てフィリップは異変を感じ取る。
これほどの動揺を新人がベテランに隠し通すというのがそもそも難しい話なのだ。
「おや、どうしたのかね。先ほどから君にしては珍しく様子が変だ。具合が悪いのなら。」
「具合は悪いような悪くないような・・・・・・。」
「なんだねそれは。それもまた珍しく歯切れが悪いな。」
「すいません。そ、その、今日はお願いがあるのですが。」
「お願い?今日のその女々しさはそれが原因かね。気にせず言い給え。」
「めっ・・・・・・・・・フィリップ様の・・・・時間を・・・・・・少しだけ・・・・・頂けないでしょうか。」
「ふむ。今日の予定はこれが最後だ。構いはしないが、まさかお願いとはそれだけかね。」
「はい。フィリップ様とちょっとした雑談をしたいと思いまして。」
「本当に殊勝な奴だな、君は。しかし、それはいい考えだ。君が私のきょうの予定を埋めてくれるのだな。」
「それは大袈裟でもありますが。この前の酒宴で私はフィリップ様と幾分仲が深まったと勝手ながら思わせて頂いております。」
「それは光栄だ。私もそう思っているよ。」
「今日もまた、これを機に仲を深められればと思いまして。」
「うむ。そうだな。いいだろう。」
「そこで、フィリップ様に質問があるのです。」
「質問とな?」
「はい。前回の酒宴で私に訊かれた事です。フィリップ様は想い人などはいらっしゃらないのでしょうか。」
「な、何?想い人。想い人とな。そ、それは・・・・・・・・・。」
フィリップが少し口籠るとチャールズが、紅茶を持ってきた。
注文通りテルワー茶という紅茶のはずだが・・・・
「お、おお。これがテルワー茶か。何かいつもの紅茶とあまり変わらない気がするが。しかし珍しい西方の物と聞くとまた一層香りも良く感じるな。」
「ええ。・・・・それで、想い人はいらっしゃるのでしょうか。」
あまり聞かれたくない事だとアレクなら察してくれているはずだった。
それでも聞いてくるということそれなりの何かがあるとフィリップは考える。
「急にどうしたのだ。君がそこまで食い下がる事など珍しいではないか。誰かに頼まれたのか?」
「い、いえ。そんなことは・・・・・・・」
流石に突っ込み過ぎたのかフィリップの反応が芳しくない。
これでは墓穴を掘っているのと変わりない。
だが、フィリップ自身もアレクに嫌われたくないという感情がある。
故にそうであって欲しいという考えのもと答えを誘導してしまうのだった。
「私がこの歳になって、伴侶も無く一人で暮らしているからかね。」
「・・・・・・・・はい。」
「確かに。金を持て余せる程の商人なら2,3人程の妻は持つものだが、私は実は女嫌いでな。」
意図せず女嫌いという情報の裏が取れてしまいまた少し動揺するアレク。
それはまるでお前は負けるだろうと改めて言われたかのようである。
しかし、それならばとアレクは穴を探る。
「女嫌い?しかし、メイドは雇っているようですが。」
「あやつは、いい。メイドは一人のみだ。メイド長の肩書きを有していながら他にメイドなどおらん。それで苦労もしてるらしいが、その分雇い金は奮発しておる。」
あの少女はあそこまで整った顔をしているのに女性として見られていないと言っていた。
どうやらそれは間違っていないようだ
そして女嫌いというのも・・・・・
「なるほど。本当のようだ。」
「本当・・・?」
「い、いえ。しかし、不躾な話になるかもしれませんが、家族がいなくて寂しかったりはしませんか?私も父は蒸発、母は病死をしているので気になったのです。」
「何?父は蒸発だと?それはけしからんな。にしてもよく境遇が似ているな。私は両親とも蒸発だよ。というより私が売られたのだがね。」
「売られたとは、奴隷商にですか?」
「ああ。しかし、逃げた。奇跡的に逃げられた。その後は独り歩みさ。両親は今頃生きているのかすらわからん。故に寂しいのだ。歯痒いよ。売られても裏切られても、記憶が朧げな故に縁を切る程の切っ掛けが見つけられない。だから私は親が、家族が恋しい。」
「家族愛、ですね。」
「そう。家族愛だよ。だからこそ金で寄ってくるような奴らはいらん。それでも金がある故にそうでない奴らは寄ってこない。つまり、君との縁は尊い縁さ。君が私を裏切る事など無いであろう?」
「それは・・・・・・・。そう思っていただけているのなら幸いです。なら『私と家族にでもなりますか?』なんて冗談を言いたくなりますね。」
「な、何!?ア、アレク君と家族にかね!?それは、つまり。なんだ。」
ちょっとしたカマかけのつもりだったが予想以上の手応えだ。
自分を慕っているというメイドの情報にも段々と信憑性が帯び始める。
「い、いえ。ただの冗談で御座います。」
「そ、そうか。冗談か。思わず間に受けてしまった。しかし、家族か。アレク君は今独り身で、両親もいないのであったね。」
「はい。そうです。」
「君は筋がいい。親が早くして亡くなったにも関わらず礼儀だって忘れていない。そして今は家族がいなくて寂しい。」
そこでフィリップ一度言葉を区切る。そしてゴクリと唾を飲み込む。
その緊張感はアレクにも感じ取れる程である。
だからこそアレクは身構えること可能であった。
「・・・・・・・・これは一つの提案だが、君が私の養子になるというのはどうだね。」
またとない機会である。
これを逃すのは商人の名折れだとも言える程の。
「・・・・・・養子ですか。それはフィリップ様が義理の父になるという。そういう事ですか?」
「ああ。実は前々から常々考えていた。私は本当の家族が欲しいと。私は老いてはいないが若くもない。そこに君という丁度息子くらいの歳の信頼できる知り合いができた。その上よく慕ってくれ、私に似て才覚だってある。これからも伸びるというのは世辞ではない。・・・・・・どうだね?」
「なる・・・・ほど・・・・・。それは冗談では無く本気と受け取ってよろしいのですね。」
普段なら煩わしいと思われるかもしれない度重なる確認だが、お互いにはその確認を流れの一つとしていた。
それだけ軽率なやりとりではなかったことが伺える。
「・・・・・・・ああ。」
絞りだすような返事。
だが、まだ足りないとアレクは思った。
この件は慎重になりすぎるという事などないのだ。
「それを断った場合は、どうなるのでしょう?」
「人を悪人みたいに言わないでくれ。これは私の我儘だ。これを君が断ったところで、契約も関係も変わらない。君を嫌う事だってない。」
この返答もとてもありがたいものだ。
今後どうなるかは置いておいても、今回の件を拒否される余裕がフィリップにはあるという事でもある。
その言葉を落ち着いたトーンで言うフィリップを見てアレクは少し心が軽くなる。
「わかりました。ですが、その・・・・・・・」
「待て。その、気になる事がある。これは、少し下衆な話になるが。君に男色の気はあるかね。」
「私ですか。その、あるといえば、ありますが。」
「そうか。・・・・・そうか。もう一度言う。これは私の我儘だ。断ってくれても構わない。君が養子になってくれた際、伽の方も相手してくれる事は不可能であろうか。」
「夜伽、ですか。しかし、父と息子でそのような事はありえないのではありませんか?それでは養子縁組では無く、結婚のようなものではありませんか。」
「それは、そうだが。この国に同性婚は無い。事実上結婚か、単なる養子縁組か、今まで通りの商売仲間。どれかを選んでくれないかと聞いているのだ。」
それは形式上の養子縁組、事実上では結婚の申し出だと言う事だ。
しかし、それは男である奴隷商人のアレクサンドルに対してである。
今、フィリップが実は女である奴隷商人のアレクサンドルに対して結婚をもし出ていると知ったらなんていうのだろうか。
しかし、アレクには選択肢なんて既にないのだ。
「私は・・・・・。フィリップ様を尊敬しています。此の頃はその念も強くなってきています。私より過酷な環境から開業し、三十になる頃には大成功を果たし、今やフィリップ様が突然死した場合幾つもの市場が大損害を被る程。本来ならとても私のような小さな奴隷商人なぞ前に立たせてもらえはしない。それが数奇な出会いからのこの縁。度々、教えて下さる改善案はまるで父からの指導のようでした。」
「・・・・・そうか。」
『性別以前に人間として惚れさせるのよ。』というメイドの声がフラッシュバックする。
後が無いんだ。もう。
「つまり、私はフィリップ様を今や人としても尊敬しているのです。そんなフィリップ様は先程私に「君なら裏切らないだろう。」と言ってくださる程信用してくれました。私はその思いに応える義務があります。ですから、フィリップにした最初で最後の隠し事。聞いてください。」
「・・・・・・・・・・・隠し事とな。」
「はい。フィリップ様の提案ありがたく思っています。本来ならすぐにでもお受けしたい。養子縁組をするか否かについては今から話す事に関係があります。」
「・・・・・ほう。」
なんて重い唇だろう。
生まれてきて一番の重さだ。
まるで唇が鉛でできているかのよう・・・・・・
「・・・・・・私は・・・・・・・女人で御座います。」
「・・・・・・何?」
想像と違う反応だ。
もっと激昂されるかと思っていた。
いや、自分でもしっかい言えていたか定かではない。
一言一言しっかりと、濁さず・・・・・・・・
「私は、女人で、御座います。」
「そんな、そんな馬鹿な・・・・・・・・・・」
「この際全て話します。私は女性です。十二から商人をしていますが、その歳で女という事実はあまりにも大きい荷でした。商品は奴隷です。その中を女であるという看板をぶら下げてやっていける程私は逞しくなかったのです。名前も変えました。事業はそのままに別人が管理をするという体で。」
なんという事だ。
私が今一番信用していて、これ以上寄せられない程思いを寄せていた人間が女だったというのか・・・・・・
顔を、見ることができない。
彼は、アレクはどんな顔をしていた?
これがアレクの顔で間違いないのか?
「母譲りの胸をサラシで隠し、体格を隠す為に出来るだけ着こみ、肌を汚す為に潮風に当たり、声を濁す為に酒と葉巻を幾らでも。その努力よりも親が残した事業の方が大事でした。港に幾らでもある奴隷商の中で細々と仕事をしていた私に【主人】様が声をかけてくださったのは正に運命なんだと私は確信しております。」
「アレク君が女・・・・・・・・女、しかし、縁組を申し出たのは・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・どうか私を受け入れては下さらないでしょうか?」
「ま、待ってくれ!整理が出来ておらん!!君が男!?そんな馬鹿な!?そんな馬鹿な事があってはたまらないと思っているのに何故なんだ!!思い当たるところがある!!!!」
フィリップは落ち着くことができず、立ち上がる。
部屋を彷徨きながら額にシワを寄せ、今まで商売にばかり使っていた頭を総動員して事態の認識に使っている。
そして自分に言い聞かせるように呟く。
「アレク君は・・・・私の・・・・理想の相手だ・・・・・・それを性別一つで手放すのはとても惜しい。しかし、私にとって性別というのはたかがで済む問題ではない。君は男だった。私が惚れ、縁組を申し出てもまだ男だった。そこでそのまま騙さず私に真実を語ってくれたのも君が誠実である証拠だろう。それに男と偽っていた理由もとてもじゃないが邪な気持ちをもってした事とは思えない。」
「・・・で、では!?」
「・・・・・・・・・・・私はこれを今生最後の結婚とする。それで君がもし女という悪意に染まっていたなら、それは私の見る目がなかったという事だ。」
まさかの大逆転勝利だ!
神は今私を味方してくれている。
先程と打って変わって全身が軽くなったはずなのに膝から床に崩れ落ちそうな脱力感だ。
「あ、あぁ、ありがとうございます!では、これからは私の本名をお呼びください。私の本名はエリザベス・メアリーです。」
ピシッとまるで空気にヒビが入ったかのような感覚を感じた。
その原因はアレクにあるのだろう。
フィリップはアレクの発言を聞き訝しげな顔をする。
「・・・・・・何?よく聞き取れなかった。もう一度名を教えてくれ。」
こわい。
何かわからないが確実によくない何かが起きてるとアレクは感じていた。
自分の名前に聞き覚えがあるのだろうか?
「・・・・・はい。エリザベス・メアリーです。フィリップ様。」
「・・・・・・・すまない。急で申し訳ないが、亡くなった母の名を訊いてよいかね。」
「母の名ですか。母の名はケイニー・メアリーです御座いますが。」
フィリップはその言葉を聞いて今まで一番の動揺を見せる。
目を見開き、心なしか体を震わせている。
「ケイニー・・・・・ケイニーだと!?」
「フィリップ様、どうか致しましたか?」
「黙れ!!!!!お前が、ケニーの娘だというのか!はっはっはぁ!!危うく懲りずにまた騙される処であったわ。何が狙いだ。金か。名誉か。それとも、復讐か。憎んだ相手が好意的に接してくるのを見て嘲笑っておったのだな?流石だよ。エリー。それでこそケニーの娘だ。」
尊敬するフィリップの豹変ぶりにもう只々狼狽える事しかできない。
フィリップは母を知っているというのだろうか?
「フィリップ様?いきなり何を・・・・」
「黙れと言ったであろう!今思えばお前のその親しみは不自然だった。単なる商売相手、その上かなり歳の離れた相手を当然の如く対等以上の相手として接する。やはり、女だ!騙しとなると右に出る種族はいないな。女は皆そうだった。話は聞かない。であるのに、自分勝手。猫を被って人を騙してはそれをいかにも正義の如く語る。そして、自分が上に行く為なら人を踏む事を躊躇しないどころか堕ちる時すら人を掴んで堕ちようとする。」
「フィリップ様・・・・・。」
「女というのは害悪以外の何物でも無い。何故肩を組めぬ、手を握れぬ。何故、いがみ合いながら競い合う事しかできんのだ。保守も変革もどちらも尊重しつつ歩む事が可能なはずだ。意味がわからぬ。人という生き物が悪いのか。人が好きというのは奇行だというのか。人は常に神に惚れていろと、そう言いたいのか。くそっ!!!!」
気が触れたように悪態を吐くフィリップをどうするべきか。
アレクはこの事態を前にしても尚解決策を見出そうとした。
短時間でも目を瞑り幾度か深呼吸をする。
まずは意思の疎通だ。
それがなければ始まらない。
「申し訳ありません。何かとてつもなく失礼な事を申し上げてしまったようで。ですが、その、更に怒りを買うとは、わかってはいるのですが。説明していただけないでしょうか。その憤怒の訳を。フィリップ様は母を知っておられるのですか?」
一旦悪態を吐き終えたところで冷静に質問をされ、少し我に返るフィリップだが、それに勝る嫌悪感と猜疑心が彼を支配する。
だが、少し落ち着きを取り戻したようだ。
「何ぃ?いや、騙そうとしたってそうはいかんぞ。しかし、もし知らないのであれば辻褄が合う。いやしかし・・・・・・。まぁいい。エリー、お前は父の名を知っておるか?」
「フィリップ様は父を知っておられるのですか。母に幾ら父の事を訪ねても、答えてくれる事はありませんでした。私が生まれてすぐに蒸発した父。思い出など微塵もありませんが、何故母を置いて消えたのかだけは聞いておきたいのです。」
「その様子は真実味があるが、お前は女。演技で騙すなど容易いものだろう。ふんっ。お前の父の名。それはフィリップだ!どうだ!知らなかったか!!!私はお前の父だよ。エリー。」
フィリップはなんと言おうがアレクからすればそれは衝撃の事実。
つまり、初耳である。
アレクは蒸発したはずの父親と既に出会っていたのだ。
その上自分が崇拝に近い尊敬を抱いていた大商人が父親なのだ。
これ以上の喜びはそうそう無い。
「そ、それは真ですか!?フィリップ様が私の・・・・父!?間違いないのですか!?信じても良いのですね!?あぁ!!!こんなに嬉しい事は無い。尊敬し、好意を寄せていた相手が父。生まれながら持っていたこの凝りが取れる日が来るなんて。その上素晴らしい形で!私は天涯孤独ではなかった!!誰からも尊敬される立派な父がいた。なんという誉れ。神よ!!感謝します!!!!」
「ええい!黙れ!!黙れ!!!私のこの怒りが見えぬのか!自分勝手なのはやはり娘だからか?ああ、息子が欲しかった。」
「なんて事を言うのですか!しかし、それもそうです。何故父様はそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか?」
「何?本当にわからぬのか?」
「理解しかねます。そして、父様。私はあなたを商人として尊敬はしていますが、父としての責務を果たされないのはいかがかと思います。何故あなたは母と私の前から消えたのでしょう。何故私達から父という存在を奪ったのでしょうか。母の病は金でどうにかなるものではありませんでした。それは仕方無いでしょう。しかし、それに見舞いに来るどころか近頃会った成長した娘から妻の死を知るなどおかしくはありませんか?」
「ふん。」
「そして、今、何故父様は私を見て、あんなに褒めてくださった私を見て、全く喜んで下さらないのですか。父様も家族が欲しいと言っていた。あれは偽りだったのでしょうか。父様。」
「私はそう軽々と嘘は言わん。お前等女と違ってな。・・・・・・私が肉を嫌っている理由を語ったな。」
「それが今の話とどう関係が・・・・・・」
「最後まで聞け。男だった時の聡明さはどこへいってしまったのだ。あの時に話したパートナーがお前の母親だ。」
「・・・・・・・は?パートナーと言うと、つまり・・・・・・・・」
「馬鹿が!あの時!奴隷の子供の肉を勧めて来た奴がお前の母親だと言ったんだ!!」
アレクがこれほど感情が動かされた日があっただろうか?いや、無い。
アレクは山の頂上と谷の底を今日知ることになる
「な、何を、母様が、そんな・・・・・・・・・・・」
「私の中で最大の悪名高き女だ。ケイニー・メアリー。家事も得意。性格も温厚で、とても聡く、意志も強い。身体だって最高で、閨に入る事がまさに夢の始まりとも言えた。あの事件さえ無ければアレほど理想に近い女はいなかったよ。」
「ありえない。ありえない。ありえていい筈がない!!」
「お前は母の仕事を手伝っていたそうだが、時々ケニーが個人的な商談で奴隷を数人秘密裏に売り捌いていた事がないかね?」
「あった。あったが、それは仲の良い商売相手に上質な奴隷を契約上渡す事になっているのだと!」
「そんな相手などいない。まさか娘にも同じ手口で騙していたとはな。」
「馬鹿な・・・・・その時いなくなっていた上質な奴隷が食肉になっていたというのか!?」
「そうだ。それ以外無いであろう。利益が上がっていたのか?上質な奴隷がいなくなることで。」
「それは・・・・・・・・未来への投資だと・・・・・・・・・・」
「それからケニーは奇病を患っていたそうだが、その症状から察するにそれは人喰いによる奇病だ。間違いない。」
「そんな事があるわけ・・・・・・」
「所謂、高尚な嗜好を持つ金持ち共の間で流行したから知っているんだよ。」
「う、嘘だ!嘘だ!!!!!」
「現実も受け入れられないのか。お前の血は私とケニーだけでなく沢山の奴隷の血で成っているのだよ。」
「それでも!それでも母はあなたとの離婚を後悔していた!!」
「いきなり何を言い出すかと思えば。その上でも奴は食人をやめなかったのであろう。そして、後悔の意味も違う。奴は確かに悔いていたよ。私と離婚することになってな。理由は、資金が減ったせいで奴隷の肉質が落ちるからだそうだ。奴はもう悪魔になっていた。恐ろしかったよ。それを平然と言ってのけた奴がな!」
「そんな・・・・・。そんな・・・・・・・。」
今度こそ完全に膝から力が抜けて床に崩れ落ちるアレク。
彼、いや、彼女の頭の中にはどす黒く赤い何かが渦巻いていた。
憤怒?絶望?虚無?悲観?もうどう名状すればいいかもわからない。
もったりとした重たく粘度の高いなにか。
彼女の瞳、鼻からは止めどなく液体が流れ落ち、時々痙攣のようにしゃくり上げる。
そんな娘の無様な姿を見てもフィリップは侮蔑の目を止めなかった。
「・・・・帰れ。」
そう、尊敬する父親に言われても娘は動くことなど出来なかった。
「・・・・・・・もう一度言う。帰れ。」
啜り泣く娘を見た父親は普通ならどう接するのか。
という疑問はこの二人にとって関係の無い事だ。
フィリップは少しずつ言葉を繋げる。
「・・・・・一人娘に苦労させたの悪いと思っている。私は三度結婚をしているが、子はお前ただ一人だ。で、あるのに恐怖には勝てずメアリーの血を私から遠ざけた。お前がそこまで立派に育ったのは私がそれだけ苦労をかけてしまったからであろう。本当に立派に育ってくれたよ。そんなお前に惚れたのもまた事実だ。しかし、惚れたが負けというのにも程があるのではないか?なんなのだ・・・・・これは。理不尽には形があるのか?こんな悲惨な結末になってしまって、本当に、すまない。」
アレクがそれを聞いてどう思ったかは誰にもわからない。
わかるのは変わらずアレクが動かないという事だ。
そんなアレクを見てフィリップはまた徐々に取り乱し始める。
「だから、帰ってくれ。私は間違いを認める。そして、謝った!他に何をしろと言うのだ!頼む!帰ってくれ!!私は、嫌だ。怖いのは嫌だ!!人喰いなど御免だ!!!!罪悪感だって感じたくない!不快な感情など感じたくない!帰ってくれ!もう絶対に関わらないからもう絶対に関わらないでくれ!!!!!!」
悲痛な叫びだ。
中年の貫禄を纏う大商人の面影は既に無い。
哀れなり、今この男は自分の半分に満たない齢の娘に怯えているのだ。
「・・・・・・・・・・・なら最後に一つお願いがあります。」
おもむろに口を開いたアレクに驚くフィリップ。
もう彼にとってアレクはアレクでない存在なのだろう。
人喰いケニーの娘なのだ。
「な、なんだ?」
「怯えないでください。受けとって欲しい物があるのです。それだけ渡せばそれっきりで。」
こんな相手からは別れ以外受けとりたくないものだが、別れをくれるというのなら吝かではない。
「では手を。」
そんなアレクの指示に早く済めば良しとフィリップは恐る恐る手を差し出す。
その差し出された手を空かさず掴むとどこかに隠し持っていたナイフを握らせアレクの胸へ突き刺した。
「ア゛ッ・・・・・・」
恐怖で動けないフィリップの顔を見て、アレクは少し笑みを浮かべている。
まだ力が残っているのかナイフの柄を捻らせるアレク。
温い温度、滴る赤、小さな水音。
どれもがフィリップの脳を蝕んでいく。
「・・・・・・・ぐっ。・・・・・ふふっ。・・・・・・・ざまあみろ。」
そう吐き捨てるとアレクはまた崩れ落ちてしまった。
フィリップは既に肉塊となったアレクを静かに見下ろす。
気付くとフィリップは怯えを忘れていた。
まるでショック療法だ。
「・・・・・・・罪と罰か。」
そうぼやいて、えづく。
そして、何を思ったかフィリップは血塗れの肉塊を相手に大袈裟に語りかけ始めた。
「ざまあみろだと?冷静な判断を失ったか。所詮息子ではなく娘だったということだな。人殺しの罪が金に塗れた私に付くと思ったか。その汚れは私ではなく金に付くのだ!馬鹿が。」
そこでフィリップは小休止と溜息を吐く。
その部屋に人間はフィリップ独りだというのに。
「朱に交わっては目眩く。私は二十年も前に罪人になっていたというのに。どうやら自覚がなかったようだ。この不快な感覚はどれが原因なのだ。」
まるでフィリップ本当に誰かと会話しているだ。
片手を頭に添え、少し思案すると何かに気付いたようである。。
「やはり女は駄目だ。否、何故この期に及んで私はまだ人にしがみついているのだ。・・・・・・・・それもこいつのようなこれ以上無い醜さを持つ奴が目に余るからだ!」
フィリップは先程の侮蔑の目をアレクだった物に向けると思い切り蹴り上げる。
辺りに血が飛び散り布に滲んでいく。
「私は全体を見る事が出来ていなかった。まだまだだな。女も男も無い。人が醜い!悟ったぞ!チャールズ!!マリア!!。」
その呼び掛けを受けて執事が入るが、凄惨な部屋を見て固まる。
「何を固まっている。このゴミを片付けろ。」
その命令により執事は仕事をする。
まるで先ほど固まっていた事など忘れたかのように・・・・・
「それでいい。仕事をしてこそ執事だ。」
そこにメイドが同じく入ってくるが、執事の仕事姿を見て悲鳴を上げてしまう。
先ほどまで共犯者を語った相手が今ただの死体になっている現実。
「五月蝿い!いつもの強気な物言いはどうした。お前も手伝え。こいつを片付けるんだ。でなければ付いて行くか?これに。」
明らかにいつもと違うフィリップの様子を見て震えながら手伝う。
それを苛つきながらも見守るフィリップがまた口を開く。
「お前等は今日限りで解雇だ。」
それはつまり自分の死を意味しているのではないか?
そう考えたのは自分だけではないのだろう。
執事は震えこそしないものの普段はフィリップの些細な一言で反応したりしない。
もしかしたら私達はこの死体を片付けた後に続けざま片付けられてしまうのではないだろうか?
そんなメイドの怯えも知らずにフィリップは笑い始める。
「運がいいぞ!お前等。退職金が弾むのだからな。そして、他の従者も全て解雇だ。新しく雇い直す。そう伝えておけ。勿論、退職金は出す。」
その言葉で少し冷静さを取り戻すが、それならば今フィリップの近くにいるのはまずい。
気まぐれで何をされるかわかったものではない。
早々にこの肉を片付けなければいけない。
そこでまたフィリップが叫ぶ。
「あぁ!!私は商人だ!仕事をする為には、生きる為には人と繋がってなくてはいけない。くそっ!!なら、私はこれから文通でしか人と関わらない。奴隷は毎日入れ替え。私を気安く目視したり、会話を試みた人間は処分する。それが出来るだけの金があるしな。」
ケラケラと笑いながらそんなことを口にする様は既に狂人そのものである。
等と思われている事など最早考えていないのだろう。
フィリップの独り言は止まらない。
「環境を整えなければな。家の周りの土地を全て買い取るか。家は最低限の広さでいい、そして窓を無くし、地下室にすれば余計な人目は避けられるであろう。奴隷の部屋はいらない。客室もある必要がない。輸送事業を利用して欲しい物は送って貰う。奴隷には筆談で最低限の指示をし、物を運ばせる。金さえ払えば働くだろう。聞いているかチャールズ!大改築を行うぞ。今日中に手配しておけ。もし出来なければ明日まで契約を伸ばそう。」
そう言って、フィリップ狂ったように笑いながら書斎を出て行ってしまった。
結末としてはメイドの一人勝ちである。
彼女は見事自由を勝ち得たのだ。
金と、自由を。
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