第七話
麗しの都、エルターナ。
北に連なるエルディン山脈の豊かな水源によって栄えてきた水の都だ。
白昼と夕暮れのあわい、風が運んできた水の匂いに、ルーシェはようやく街の息づかいを感じた。
『あの日』から数えて四日目。
四日の道のりは、旅慣れないルーシェにはあまりにも長かった。
何より村を、そしておばあちゃんを失った悲しみは、どこにいても何をしていても消えることのない真実であり、身も心も崩れ落ちる寸前の縁に立っていた。
そんな四人を、オルヴァスは見守りながら先導し、水や食料の調達、調理や野営、夜の見張りなど、何から何まで尽くしてくれた。
無事にたどり着いた安堵は、もしかしたらオルヴァスが一番感じているかも知れない。
ルーシェはそう思いながら街の喧騒を見つめていた。
まず最初に気がついたのは、水の気配が街中に満ちていることだった。
街中を巡る水路は絶え間なく流れ、人々の暮らしを静かに潤していた。
それを遮るようにあちこちに並んだ石橋は、白い石造りの街並みに相まって、絵物語から抜け出したようだ。
そして、雄大なエルディン山脈から流れる水を利用して動く水車は、水の手に導かれるようにゆっくりと円を描いている。
「宿を、探そうか」
そう言ったオルヴァスの顔は、笑顔を繕っているように見えた。
しばらく歩くと、月を連想させる看板をぶら下げる建物が見えてきた。
あの看板……見覚えがある……。
ルーシェは村の外れにあった宿屋を思い返して思わず声が出た。
「え、ルナールおばさんの宿屋……?」
ロウリゴ、ザガシトも力なく看板を見る。
「ああ、そうだな、ルナールの宿屋はよく見かけるぜ」
オルヴァスはそう言うと宿屋のドアを押した。
「あらお客さん、いらっしゃい」
カウンターの奥から、元気なおかみさんの明るい気配がふわりとルーシェを迎えてくれた。
恰幅の良い体つきと、朗らかな笑顔は、どことなくルナールおばさんに似てるようにも思えた。
「あらあら、団体さん。お泊まりですか?」
「ああ、しばらく滞在したい」
オルヴァスは少し考えたあと続ける。
「ちょっと尋ねるが……おかみさんはあの村の出身かい?」
「村……?ああ、あたしは村から独り立ちした身だよ。それがどうしたんだい?」
オルヴァスはためらい、そして口を開く。
「少し話があるんだが……時間とれるかい?」
笑顔に満ちていたおかみさんの顔が曇る。
「……良い話じゃなさそうだね。ちょっと待っておくれ、部屋を用意するよ」
おかみさんはカウンターの奥に入り、誰かに声をかけたあと、部屋の鍵らしいものをチャラッ鳴らして出てきた。
「さぁ、こっちへ、二階の奥の部屋だよ」
ドアが並ぶ前を通り過ぎ、階段をあがるとさらにドアが並んでいた。
階段から一番遠いドアの前でおかみさんはまたチャラっと音を鳴らし、慣れた手つきでドアを開けた。
左右にベッドが二つずつ並んだ広い部屋の中心に小さなテーブルがあった。ドアの向かいには大きな窓が存在感を醸し、夕焼けに染まるエルディン山脈の裾野が、まるで一枚の絵画のように広がっていた。
「適当に座っとくれ」
おかみさんは五人の旅人を順に見てから、また笑顔を作りテーブルにある椅子に座った。
「ああ、悪いな」
オルヴァスがおかみさんの対面に座り、お前らも適当に、と促した。
ルーシェはうつむきながらとぼとぼと歩き、窓側にあるベッドの端に腰を下ろした。
「辛い話になる」
オルヴァスはそう前置いて静かに語り出した。
オルヴァスが語る中、ルーシェはフィーナを案じ、ロウリゴとザガシトに目を配った。
三人とも表情なくオルヴァスの話を聞いていた。
オルヴァスは話し終わると立ち上がり、薄暗くなった窓に向かって、おかみさんに言った。
「当面、世話になりたい。ただ、金がない」
驚愕から怒り、そして悲しみの表情へ移ったおかみさんは涙を拭い、まずはフィーナを見た。
「辛かったね、大変だったね」
声が詰まって、最後はかすれていた。
フィーナの目から大粒の涙がこぼれ、声を殺して我慢していた嗚咽が漏れた。
ルーシェの頬にも涙が伝った。
気づけば、自分でも驚くほど声を上げて泣いていた。
ロウリゴも流れる涙を拭い、ザガシトは赤い目で怒りに満ちている。
しばらく……おかみさんの優しさだろうか。
落ち着く時間をくれた。
「あたしは19歳まであの村で暮らしてたんだ」
懐かしむようにおかみさんが口を開いた。
「のどかでいい村だった。村の人たちも優しくて」
ルーシェは好きだった村の光景を脳裏に浮かべた。
「ルナールは代々宿屋の家系でね、村の宿屋はねえちゃんが継ぐので、妹たちは各地にあるルナール宿屋へ散ったのさ」
おかみさんは部屋をゆっくり見渡した。
「ここはあたしのじいさんから引き継いだ宿屋でね、じいさんはとっくに死んじまったが、今もなんとか切り盛りしているよ」
おかみさんは小さく笑い、思い出したことを口にした。
「村を出てからは一度も帰っちゃいないが、ルナール同士は繋がりがあってね、五年前の話も聞いていたんだよ」
力なく肩を落とし、テーブルに乗せた手を握り直す。
「まさかこんなことになるとは……」
もう一度握り直した手でテーブルを強く叩いた。
「わかったよ、子供たち。この部屋を好きに使いな。自分の家だと思っていいから!」
おかみさんは、まかしとけ、と言わんばかりに自分の胸を叩いた。
「すまねぇ、助かるぜ」
オルヴァスが続ける。
「ただ、いつまでもという訳にはいかねぇ」
オルヴァスはルーシェを見て言った。
「ルーシェ。ロウリゴもザガシトも聞け」
オルヴァスはルーシェが座るベッドの対面に座り、考えを述べた。
「この街には『傭兵会所』がある。まずはおれがそこで金を稼ぐ」
仕方ねぇけどな、とも付け足した。
「お前らもそこで働いて金を稼げ。ただし……」
オルヴァスは厳しい表情を作る。
「修行して強くなってからだ」
ルーシェはゆっくりと顔をあげた。
強くなる。
妙にしっくりくる言葉に魂が揺れた気がした。
「仕事がねぇときは付き合ってやる。まったく仕方ねぇが、魔力を練れるようになったら教えることが山ほどあるからな」
オルヴァスはやれやれと言わんばかりに肩を沈める。
「あとフィーナ、お前はこの宿屋の手伝いをするんだ」
フィーナがビクッと顔をあげた。
「辛いとは思うが、こいつらには強くなってもらわねぇと。お前はせめておかみさんを手伝ってやってくれ」
フィーナはおそるおそるおかみさんを見る。
おかみさんは満面の笑みでフィーナの視線を迎えた。
――ルクサのぼうや。
と微笑むルナールおばさんを思い出し、ルーシェはのどの奥が熱くなった。
あの村はもうない。
守るべきものが減ってしまった。
でも、まだある。強くなる。
窓の外はすでに夜の深みに沈んでいた。それでも、ガラスに映る部屋の灯りは力強く、焦燥を抱えたルーシェには、かすかな希望を示していた。
「少し前に……
ねえちゃんが、ルクサのところに男の子が生まれた、と喜んでいたが……」
おかみさんは窓に映ったルーシェを見て目尻にシワを寄せた。
「あれからもう十年が経ったんだねぇ……」
懐かしみ、そして悲しみに満ちた声でそう呟いた。
そして、『あの日』から七年の月日が流れる──




