第四話
「ルーシェ!ルーシェ、起きな!!」
体をぐらぐら揺らされ、深い眠りから戻された。ルーシェは何事かとあたりを見回す。
「すぐに教会へ行っておくれ。これを持って」
荷物を胸に押し付けられ、気付けば玄関だった。
「いいかい、どこにも寄らずすぐに。フィーナと一緒にだよ」
おばあちゃんにつかまりながら、ゆらゆらと揺れるフィーナはまだ眠そうだ。
「なにがあったの――」
と言った途端、記憶の底にある恐怖、最も嫌な出来事を思い出した。
赤い服を着た何人もが踊っているように見えた燃える家。黄色い声で泣きわめくフィーナ。そしてお母さんの悲しそうな顔……
まさか。またなのか?
心臓が嫌になるほど大きく鳴り、その振動でよろけそうになる。
体は冷え切っているのに、背中だけ汗がにじんだ。
「村が……襲われたの?」
「ごめんね、ルーシェ。怖い思いをさせて。まだ分からない。ほら、ヴェント家がいつも見張ってくれてるだろ?少しおかしな動きがあったみたいで伝えてくれたんだ。念のためさ」
馬の世話が好きだと言っていた、優しい顔で笑うヴェント家のお兄さんを思い出す。
瞬時に、教会の奥の扉が浮かんだ。
「フィーナを連れて、教会の、あの扉に行けばいいんだね?鍵は?」
こんな時のために普段から気にかけていた。教会への近道、扉の場所。
こんな時を想像するからなるべく教会には行きたくなかった。こんなときを…
でも、フィーナを守れるのは……おれだ!!
「鍵はその中に入れたよ。良かった、ルーシェ。さすがルクサの長男だよ」
両手でルーシェの頬を包み、にひひ、と笑った。
ルーシェは震える手でおばあちゃんの手を包む。
「おばあちゃん、おばあちゃんも一緒に…」
「いい子だ。おばあちゃんもすぐに行くからね。フィーナを頼んだよ」
フィーナはぽつんとしたまま二人のやりとりを聞いていた。不安そうにおばあちゃんを見つめている。
「フィーナ、こっちだ。行くぞ」
家の裏手から近道に入る。
ルーシェに引っ張られるだけの無言のフィーナはどこか無機質だ。
教会の入り口に、人影が見えた。早鐘を打つ心臓はザガシトのお父さんだと認識すると音を緩めた。
「ルクサの…。待っていたぞ、大丈夫かい?」
ロウリゴとザガシトもいて、青ざめた顔で不安そうな目を向ける。
「うん、大丈夫。鍵はもってきたよ」
「よし、教会に入ろう。奥の扉だよな」
ザガシトのお父さんは古びた重い扉を片手で軽く開き、教会内へと誘う。
「他の家の子供たちもすぐ来るだろう。一応ここで見張っているので、先に中の扉へ――」
ザガシトのお父さんが言いかけた、その時だった。
教会の奥で、何かがきらりと光った。
ルーシェは反射的に目を向ける。
祭壇の前。
フィオナ像の首元に飾られた銀細工を、見知らぬ男が無造作に引きちぎろうとしていた。
「……あ?」
男はこちらへ気づくと、値踏みするように細めた目で笑う。
その隣にも、もう一人。
床には引き出しの中身が散らばり、祈りの台は無残に踏み荒らされていた。
ザガシトのお父さんの息が止まる。
「……もう、ここまで来ていたのか」
とっさに武器を探すように周囲を見回した。
男は銀細工を乱暴に放り投げ、ゆっくりと剣の柄へ手をかけた。
「お、この村の連中か」
いやらしい笑みが広がる。
「へへ……殺しゃしねぇよ。子供は高く売れるからなぁ」
ひとりが近づきながら腰に巻いた布に掛けていた剣を抜いた。細い剣から鞘走る音がした。
「子供はな。大人は…いらねぇなぁ」
ルーシェの顔が引きつった。
「ここはダメだ。……イグナス爺さんのところへ。分かるな、鍛冶屋だ」
ザガシトのお父さんが微笑む。
「ザガシト、この中ではお前が年上だ。頼んだぞ」
涙目のザガシトがコクンと頷き、小走りで教会を出た。
周囲を見まわしたらしく、こちらに合図する。
「おっと、逃がさないぜ」
そう駆け寄る男に長椅子がものすごいスピードで飛んだ。
長椅子は男の横を素通りし、大きな音をたてて壁に激突した。
ザガシトのお父さんの荒い呼吸が聞こえた。
「おっとっと、すげえすげえ。危ねぇなぁ」
「ザガシト!行けっ!」
同時にザガシトが走り出し、ロウリゴが続く。
声なく泣いているフィーナの手を握りルーシェも走り出した。
村は不気味なほど静まり返っていた。
走る四人の呼吸音だけが、薄暗く現実味のない世界でひとつの現実であった。
突然、何かに引き裂かれるような力がフィーナとの間に走り、ルーシェは尻餅をついた。
「いてて、な、なんだ…?」
振り返ると泣き叫ぶフィーナの腕を掴んだ知らない男が暗闇にぬうっと立っていた。
「子供か?どこに行くのかなぁ…??」
ルーシェはガチガチ鳴っている歯を食いしばり、震える声を絞り出した。
「い……い、妹を……はなせ!!」
そう叫び男の腰にしがみつく。
それを見たザガシトとロウリゴが大声をあげて男に突進する。
「なんだなんだ、大人しくしてろよ、っと」
ルーシェを軽々と振り解き、ザガシトの前の空間を横に蹴り裂いた。ザガシトとロウリゴが慌てて止まる。
フィーナは泣き叫びながら、はなしてはなして、と繰り返している。
目頭が熱くなる。奥歯が鳴ってうるさい。
足が震えてうまく立てない。
でも。
フィーナを守るのは、おれだ…!!
ルーシェは鞄から短剣を取り出した。
おばあちゃんから荷物を受け取るときに気づいていたものだ。
「そうかい、嫌いじゃないぜ。ただ、やるってことでいいんだよな。その場合は容赦できないぞ」
鞘を落とし、柄を握りしめる。
まずは守りの型だ。斜めに。
本物の刃で構えるのは初めてだった。
男が近寄り剣を振り上げる。
次の瞬間――
赤い線が男の胸を走る。
男は何が起きたか分からない顔のまま崩れ落ちた。
ルーシェは戸惑い短剣を握る力を緩める。
倒れた男の向こうに、一人の男が立っていた。
見覚えのある顔だった。
だが、その目だけは違う。
だらしなく笑っているいつもの目ではない。
獲物だけを見据える、冷たく鋭い眼差し。
見慣れた顔なのに、別人のようだった。
「ルーシェ!無事か!」
その声だけは、いつものオルヴァスだった。
「……オルヴァス?」
オルヴァスがルーシェに駆け寄る。
力が抜けてその場にへたり込んだルーシェにフィーナが抱きつく。
「ロウリゴとザガシトも無事だな?良かった、間に合った」
オルヴァスはホッと息を吐き、剣の血を払い鞘に納めた。
「オ、オルヴァス、村が、おばあちゃんが、ザガシトのお父さんが教会で…!」
「ああ、そうみたいだな。ちっ、なんだってんだ、この状況は」
オルヴァスは周囲を見回す。
「ひとまず教会に行けばいいんだろ?ほら、立てるか?行くぞ」
ルーシェの手を握ろうとしたオルヴァスの手は、とっさに鞘を握り、電光石火のごとく背後に迫る刃を弾いた。
闇夜に鈍い音が響く。
「ほう。お前だな、部下どもを何人も斬りやがったのは」
暗がりでも見える黒髪、青白い顔に細く鋭い目。一陣の風が男の長い髪をなびかせる。
「ルーシェ、みんな、悪いなちょっと待っててくれ。危ないから離れてろ」
オルヴァスはヒュンヒュンと剣を振ると、ルーシェの顔を見てニカっと笑った。
時おり雲間から差し込む月明かりが辺りを照らしていた。
オルヴァスの笑顔にホッとしたルーシェだったが、月明かりに見えるオルヴァスにはもう笑顔はなかった。
オルヴァスはゆっくりと剣を構えた。




