表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/15

第十四話

昨晩の野営地からしばらく馬を走らせると、丘の影に寄り添うように建つアクレナの町が見えてきた。


道は細く、家々は古く、どこか息をひそめているように見える。

ネレイア湖の霧はもうないのに、空気の重さだけが残っていた。


町へ続く道の手前に、厩が見えてきた。

屋根は古いが、柵はしっかりしている。

旅人が時々使う場所らしく、馬の匂いが静かに漂っていた。

奥には空いた区画がいくつもあり、馬の足音が吸い込まれるようにひっそりとしていた。


レオニスが手綱を引いて馬を止めた。

後ろでは、使節団の馬車がゆっくりと止まる。

学者たちは静かに荷物を抱え、外の様子をうかがっていた。


ロウリゴが馬を降り、馬車の車輪を見た。


「町の中まで馬車は入れないね」


リネアが厩を見て言った。


「道もせまいべ。馬も落ち着かねえさ」


厩から出てきた主人らしき男に、レオニスは歩み寄った。

年季の入った顔で、こちらをじっと見ている。


「馬車と馬を預かってほしいが頼めるか?」


厩の主人は短く頷いた。


「任された。預かる」


厩の奥を見れば、まだ数人は入れそうな広さがあった。

旅人が荷を置いていくための棚もある。

傭兵たちがしばらく待つには十分だと、ルーシェは思った。


レオニスがいくばくかの銀貨を厩主人に渡すのを見て、ザガシトが荷を降ろし始めた。

他の傭兵たちも馬を降り、手綱を厩主人に渡す。

厩主人は受け取った手綱を手際よくまとめ、空いている区画へ案内した。


傭兵たちはそこで荷を置き、しばらく待機する準備をしていた。


「護衛はそのまま続ける。ここに残る者と、町に同行する者に分かれてもらう」


レオニスはルーシェを見た。


「ルーシェたちと、リネアは町に同行してくれ」


レオニスは他の傭兵たちにも指示を出した。


学者たちは書物の入った袋を抱え、静かに並んだ。


荷を整え終えると、馬のいななきが背後に遠ざかるのを聞きながら、レオニスは町のほうへ向き直った。


「行くぞ。町の空気は、歩いたほうが分かる」


その背中を追って、一行はアクレナの町へ向かった。




町へ入ると、通りの人々がゆっくりと視線を向けた。

敵意ではない。

ただ、距離を置くような、静かな警戒心がある。


ルーシェは歩きながらその空気を肌で感じた。


何かが欠けているようで、人々の間にあるはずの日常の流れが薄い。


レオニスは歩みを緩めず、町の中心へ向かっていく。

その背中は、いつも通り揺れなかった。


ロウリゴが小さい声で言った。


「……ここは、統一戦争の影響を受けた町だよね。帝国軍が来たのも、まだ数年前だ」


リネアが周囲を見渡しながら答える。


「そうさ。戦の傷なんて、数年じゃ消えねえべ。

……だから帝国の使節団なんて来たら、そりゃ気を張るさ」


ザガシトは眉を寄せた。


「じゃあ……まだ、いろいろ残ってるんだな」


リネアは短く頷き、ささやく。


「忘れられるほど昔じゃねえさ」


ルーシェはその会話を聞きながら、町の家々を見た。

壁の色が褪せ、扉の木が乾いてひび割れている。

人々の歩き方にも、どこか落ち着きがない。


弱りが、静かに積もっているように見えた。


レオニスは黙々と歩いている。

時折、その表情がわずかに曇る。


「どこに向かってるんですか?」


ルーシェが聞くと、前を歩くレオニスの歩幅が狭くなった。


「この町の役人のところだ」


あの屋根だ、と古い石造りの建物を指した。


「ここ、来たことあるんですね」


そういうルーシェに、少し困った顔をして、


「少し前にな」


とレオニスは短く答えた。




着いた建物の入口の扉は少し傾いていた。

すぐさま役人らしい男が出てきて、レオニスを一瞥する。

痩せた男で、目の奥に疲れがあった。


「……帝国の使節団、ですか」


レオニスは短く頷いた。


「町の状況を見に来た。話を聞かせてほしい」


役人は一瞬だけ視線を逸らした。

その仕草が、町の空気と同じ重さを持っていた。


「……ええ。案内します」


建物の中は薄暗く、紙の匂いがした。

棚には古い書物が積まれている。

だが、どれも埃をかぶっていた。


レオニスは淡々と書物を手に取り、目を通していく。

奥のテーブルでは、使節団の数名が先程の役人と何やら話をしている。

声は低く、紙を扱う音だけが部屋に落ちていた。


レオニスが紙をめくる様を見て、ザガシトが低く言った。


「……紙ばっかりだな。こういうの、帝国は好きだよな」


ロウリゴは苦笑した。


「まあ……こういうの、嫌いじゃないけどさ」


リネアは肩をすくめた。


「ロウリゴはそういうの向いてるべ」


ルーシェはレオニスの背中を見た。

紙をめくる音が、静かに部屋に響いている。

その音が、町の沈んだ空気をさらに深くしているように感じた。


使節団の目的は、ただ危険を調べるだけではない。土地を見て、人を見て、帝国とこの土地の関係をどう築くかを判断しているのだ。

町の弱りを拾い、どこに手を伸ばすべきかを見極める。


レオニスの指先は、紙の上を迷いなく進んでいた。


役人が歩み寄ってきて、もう一つのテーブルを指して言った。


「護衛の方々、宜しければあちらにお座りになってお待ち下さい」


ルーシェは軽く会釈すると、ロウリゴたちにも声をかけた。


テーブルに座ると、中年の女性が野草茶を持ってきてくれた。

一口啜ると、草っぽい香りに薄い味が口の中に広がった。


ルーシェの反応を見た女性は小さく笑った。


「ごめんなさいね、美味しくはないでしょう」


ルーシェが苦笑いをすると女性は言った。


「あなたたちは帝国の軍人さん?」


「いえ、おれたちは雇われた傭兵です。エルターナから来ました」


女性は少しだけ目を丸くした。

そのあと、何か思い出すように視線を落とした。

それは言葉にならない重さがあった。


「……あの軍が来た日のことは、今でも忘れられません」


言葉が途切れた。

喉の奥で何かが詰まったような声だった。


役人が止めるような仕草をしたが、レオニスが書物から目を離さずに言った。


「続けてくれ」


女性はゆっくりと語った。


「……立ち向かえませんでした。

誰も。

帝国は強かった。

この町は、……あっという間でした」


女性はそこで黙った。

立ったまま、視線が床の一点に落ちている。

その沈み方が、町の空気と同じ重さを持っていた。


レオニスは書物を閉じた。


「……そうだな。帝国が来たことで、多くのものが変わった」


紙の端が机に触れる音が、部屋の静けさを切った。


「……帝国は、ただ滅ぼすために動いたわけではない」


女性が顔を上げた。

役人も、使節団の学者たちも、動きを止めた。

レオニスの声は淡々としていたが、部屋の空気がわずかに引き締まった。


「争いが続けば、土地は割れ、民は流れる。

弱りは弱りを呼び、やがて大陸全体が沈む。

それを止めるために、帝国は力を使った。

犠牲は……あった」


最後の言葉は、紙を閉じた音よりも静かだった。


役人が、ためらうように口を開いた。


「……その、理由は……分かります。

分かりますが……」


言葉が細く揺れた。


「滅びた側は……すぐには、受け止められません」


ロウリゴは息を呑んだ。

ルーシェも同じだった。


レオニスが語る帝国の未来は、目の前の町にはまだ届いていなかった。


リネアは視線を落としてつぶやいた。


「影は残るべ。どんだけ光があっても」


その声は小さかったが、女性の肩がわずかに揺れた。


女性はしばらく黙っていた。

立ったまま、指先がゆっくり動く。

何かを掴もうとして、掴めないような仕草だった。


「……未来のため、なんですね」


レオニスは頷いた。


「そうだ。だが、未来を作るのは帝国だけではない。

土地に生きる者が立ち上がらなければ、弱りは消えない」


役人は俯いたまま、拳を握った。

その震えは怒りか、悔しさか、ルーシェには分からなかった。


レオニスは立ち上がった。

椅子がわずかに軋む音が、部屋の静けさを切った。


「町を見せてくれ。弱りの根を探す」


役人はゆっくり顔を上げた。

その目には、沈んだ影の奥に、かすかな光が揺れていた。


ルーシェはレオニスの背中を見た。

帝国の光と影が、同じ場所に重なっているように思えた。




建物を出ると、風が少し湿っていた。

丘の影が町の端を覆い、家々の壁はところどころ剥げている。

人の気配はあるのに、声がほとんど聞こえなかった。


役人は前を歩きながら言った。


「……このあたり、家畜が減りまして。

畑も荒れて……困っています」


ロウリゴが小さく言った。


「獣、ですか?」


役人はためらいながら頷いた。


「丘猪です。

最近、荒れていて……何度も来るんです」


リネアが足を止めた。

その横顔がわずかに強張る。


「……いるべ」


風が一瞬だけ止まった。

ルーシェはその変化を肌で感じた。


レオニスは歩みを止め、町の奥へ視線を向けた。


「来るぞ」


その言葉と同時に、乾いた地響きが石畳を震わせた。


影が揺れた。

家の隙間から、黒ずんだ丘猪が三頭、続けて姿を現した。

体は痩せ、牙が横に張り出している。

目が落ち着かず、左右に揺れていた。


誰よりも早く反応したリネアが弓を引いた。


丘猪が地を蹴った。

蹄が石畳を叩き、火花が散った。


リネアの矢が一頭の肩に深く刺さる。

その猪は痛みに吠え、横へ逸れた。


残りの二頭が突っ込んできた。


ザガシトが斧を構えた。

突進を受け止め、斧の柄で押し返す。

衝撃が空気を震わせた。


レオニスはもう一頭へ踏み込み、短い動きで猪の側面を切り払った。

血が飛び、猪がよろめいた。


リネアの矢が刺さったままの猪が方向を変え、ロウリゴへ突っ込んできた。


猪の牙が横に張り出し、ロウリゴの胸を狙っている。


詠唱する余裕がないロウリゴは剣を横に構え、牙を受けた。

衝撃が腕に走り、足が石畳を滑った。


ルーシェが踏み込んだ。猪の横腹へ短剣を突き込む。

猪がよろめいた瞬間、リネアの矢が首元に刺さった。


風がまた動き始めた。


丘猪の血が石畳に広がり、町の影が静かに揺れていた。


リネアは弓を背に戻しながら、ロウリゴの横を通りつつ、ふとした調子で言った。


「剣、使えるんだな」


ロウリゴは肩で息をしながら苦笑した。


「身を守るくらいだけどね」


ルーシェはロウリゴの手元を見た。

震えていたが、剣はしっかり握られている。

その姿に、昔のことを思い出した。


ロウリゴ、嫌々ながら素振りをさせられていたな。

ルーシェは懐かしんだ。


「自分を守るために剣を振れ」


決まってオルヴァスはそう言っていた。


レオニスは倒れた丘猪を見下ろした。

その目は、獣ではなく土地を見ているようだった。


「……荒れが深い。

この町は、まだ沈んでいる」


役人は言葉を失っていた。


ルーシェはレオニスの背中を見つめた。

帝国は、ここを変えようとしている。

それでも、ここに残る人々の傷は消えていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ