表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/15

第十二話

春の陽気がまだ残る夜だった。

ルナール宿屋の窓から入る風はやわらかく、昼間の暖かさをそのまま抱えているようだった。

灯りに照らされた木の床はほのかに明るく、宿屋全体がどこか軽やかな空気に包まれていた。


フィーナは、声を弾ませながら、昼間に出会ったリネアの話を楽しそうにしていた。

ルーシェも、思い返せば楽しかったな、とフィーナに相槌を打つ。


オルヴァスはいつもの席で酒杯を揺らしていた。

ふーん、と気のない返事をしながら、ふたりの話を聞いている。


「帝国の依頼、気になるんだよな」


ルーシェがロウリゴとザガシトに声を向ける。

二人は同時に顔を上げ、興味を隠さなかった。


「明日、傭兵会所で見てみよう」


ロウリゴが言うと、ザガシトも頷く。


そのとき、オルヴァスが酒杯を置いた。

いつもの無造作な仕草なのに、どこか含みがある。


「おれは今回やめとくぜ」


「なんで?」


ルーシェが聞くと、オルヴァスは一瞬だけ言葉を探したように詰まった。


「昔の知り合いから頼まれてな」


それ以上は語らなかった。


オルヴァスにも事情があるのだろう。

ルーシェは深く追及しなかった。


オルヴァスは酒杯を軽く持ち上げ、にやりとした。


「まあ適当にな。稼いでこいよ」


軽口はいつもの調子なのに、どこか背中を押すような響きがあった。




翌朝。

春の光がルナール宿屋の壁を照らし、外の通りには早くも人の声が満ちていた。

空気は澄んでいて、歩くだけで気持ちが軽くなる。


ルーシェ、ロウリゴ、ザガシトの三人は宿屋を出て、傭兵会所へ向かった。


依頼掲示板へ向かおうとしたところで、受付嬢が駆け寄ってきた。


「ルーシェさん。良かった、ご用件がある方がいまして……あちらでお待ちです」


案内されたのは奥の会議室。静かな部屋だった。


扉を開けると、一人の男が立っていた。

整った立ち姿、胸に刻まれた謎の紋章。

ルーシェは心の中でその顔を思い出した。

昨日、ここですれ違った騎士だ。


「来てくれたな」


男は穏やかに微笑んだ。


「私はレオニス・アルゼイン。

帝国特別監察官の任を預かっている」


その言葉に、隣にいたロウリゴの表情がわずかに変わった。


「帝国特別監察官……」


ロウリゴは、声を漏らすほど驚いた。


ルーシェは首を傾げた。


「知っているの?」


ロウリゴは視線をレオニスへ向けたまま答えた。


「帝国の要職者について記された資料で、名前を見たことがある」


「そんな人が、なぜおれたちに……」


ルーシェは戸惑いを隠せない。


レオニスはわずかに目を細めた。


「昨日、きみたちを見かけてね。

すまない、少し調べさせてもらった」


監察官らしい佇まいだが、監視の色はなく、ただ事実を述べているだけだろう。


レオニスは机に置かれた書状へ視線を落とした。


「帝国使節団の護衛任務だ。

期間は十日。報酬は金貨三枚」


レオニスは淡々と続ける。


「使節団はセイル地方の情勢を視察する。道中の安全確保を依頼するものだ。どうだ、興味ないか?」


リネアが受けた依頼だ。


ルーシェは依頼書に目を落とす。


決して高い報酬ではないが、帝国の依頼を受けたという実績は、傭兵にとって大きいのだろう。


レオニスは、まるで当然の確認であるかのように尋ねた。


「きみたちと一緒にいた壮年の男性がいたな。彼は今回は来ないのか」


探るような色は出さない。

ただの事務的な確認にしか聞こえない。

だがルーシェは、どこか意図を感じた。


「壮年……あ、オルヴァスのことかな」


レオニスの目がわずかに細くなった。

何かを確認するような、静かな反応だった。


「先約があるみたいで。今回は別行動です」


「そうか」


平然を装う声は、揺れを一切見せない。


「では今回は、きみたちに頼みたい」


ロウリゴが息を整えながら言った。


「帝国使節団……。

守る相手が相手だけに、責任は大きいだろうね」


ザガシトが肩をすくめる。


「だからこそ面白いんじゃねえか」


ルーシェは二人を見て、静かに頷いた。


「うん。だからこそ、やってみたい」


レオニスは静かに微笑んだ。

帝国を背負う者としての静かな威厳が、その横顔に宿っていた。




その翌朝。

レオニスの指示通り、東街道の入り口へ向かった。


第四の月に入ったばかりの陽光は、春の柔らかさを捨て、初夏の気配を帯びはじめていた。

空は澄み渡り、雲は薄く、街路に落ちる影は濃い。

この日のエルターナは、いつもより少しだけ眩しかった。


街のはずれ、風がよく通る場所。


待ち合わせより早く着いたつもりだったが、そこにはすでにリネアが立っていた。

彼女は手をひらひらと振り、陽光を背に笑って近づいてくる。


「おはよう、ルーシェ」


ルーシェはロウリゴとザガシトを紹介する。

リネアは気さくに挨拶を返し、三人の雰囲気をすぐに掴んだようだった。

周囲には他にも数名、年齢はルーシェたちより少し上だろうか。

旅慣れた装備、無駄のない動き。

傭兵として場数を踏んできた者たちだと、ひと目でわかった。


そこへ、馬の蹄がゆっくりと近づく。

レオニスが姿を現した。

帝国の紋章を宿しながらも、威圧ではなく静かな気配を纏っている。


「諸君、集まってくれて感謝する。今日から十日間、我々はセイル地方を巡る」


護衛対象の学者や役人たちが軽く会釈する。

白髪の老人、書記官らしき青年、地図を抱えた学者らしき男性。

いかにもの使節団の風貌に、ルーシェは身が引き締まる思いだった。


ロウリゴは、昨日聞いたレオニスの肩書きが目の前の人物と結びついたことで、その重みを改めて感じているようだ。


レオニスは巡回ルートを簡潔に説明する。

エルターナを発ち、ネレイア湖、アクレナの町、フォンティア遺跡を経て戻る十日間。

その間の護衛を、ルーシェたちが担う。


説明を終えると、レオニスは一人ひとりに馬を割り当てていく。

毛並みの良い栗毛の馬。

手綱を握った瞬間、ルーシェの胸に懐かしい記憶がよみがえった。


ヴェント家。

優しい顔で笑う兄さん。

「馬は怖がらせなければ、ちゃんと応えてくれるよ」

そう言って、世話の仕方や乗り方を教えてくれた日の思い出。


馬の背に乗ると、視界が一気に高くなり、街道の先が遠くまで見えた。


リネアが横で笑う。


「馬、慣れてるんだな。ちょっと意外だべ」


「昔、教わったことがあって」


軽口を交わしながら、使節団が乗った馬車を中心に、隊列はゆっくりと動き出す。

東街道は木々が少なく、陽光がそのまま降り注ぐ。

遠くで鳥が鳴き、馬の蹄が乾いた地面を規則正しく叩く。


やがて、レオニスが馬を寄せてきた。

陽光を受けた横顔は、どこか思索的だった。


「この使節団の目的を、改めて話しておこう」


ルーシェは耳を傾ける。


「帝国は今、大陸各地の状況を調べている。

魔獣被害、盗賊団の動き、領主の統治、そして――人材だ」


レオニスの声は淡々としているが、その奥には確かな熱があった。


「セイル地方には古代文明の遺跡がある。

神々の時代の痕跡だ。力あるものが、それを正しく扱わなければならない。

もし誰かがその力を悪用すれば、最初に傷つくのは何の力も持たない民だ。

帝国は、その責務を負っている」


その言葉は、まっすぐで、揺らぎがなかった。


ルーシェの反応を見てレオニスは小さく笑った。


「いきなりこんな話ですまない。

またあとでゆっくり話そう」


ルーシェは胸の奥で、静かに何かが動くのを感じた。


帝国という巨大な存在も、そこにいる人間次第で変わるものなのかもしれない。


レオニスは隊列の先へ戻っていく。

その背中は、陽光の中で揺らぎなく伸びていた。


ルーシェは手綱を握り直す。

風が吹き抜け、街道の先がまばゆく広がる。

依頼は始まったばかりだ。

胸の奥には、すでに新しい世界の輪郭が静かに描かれ始めていた。


そして、使節団の影はゆっくりと東へ伸びていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ