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第十話

風が止まり、雪が沈黙する。

山さえも、これから起こる戦いを見届けようとしているかのようだった。


魔熊が一歩踏み出す。


オルヴァスの声が、雪原の空気を切り裂いた。


「ルーシェは左に回れ」

「ザガシトはロウリゴを守ってろ」

「ロウリゴ、チャンスがあったら撃て」


魔熊が地を揺らしながら突進した。

狙いはザガシト。


ザガシトは盾へ魔力を集中させた。


巨体がぶつかる轟音とともに、ザガシトは盾ごと吹き飛ばされ、雪を巻き上げて転がった。


魔熊はそのままロウリゴへ腕を振り下ろす。

だが――


鋼の音が響き、オルヴァスが割って入った。

その一撃を受け止め、魔熊の腕を押し返す。


ザガシトに向けて、オルヴァスが鋭く言い放つ。


「盾だけ強化してもダメだって言ったろ。支える体にも合わせて魔力を流せ」


言葉と同時に、オルヴァスは魔熊との距離をとる。

その背後――

すでにルーシェが回り込んでいた。


刃が閃き、魔熊の背を斬り裂く。

だが、手応えがない。

むしろ魔熊の腕が逆方向へ振り抜かれ、ルーシェを薙ぎ払う。


「っ……!」


ルーシェは身を捻って避けたが、腕を掠められた。

冷たい痛みが走り、冷や汗が背を伝う。


オルヴァスの声が飛ぶ。


「ルーシェ、目だ。しっかり見ろ」


ハッと息を呑む。

ルーシェは魔力を目に込めた。


紫色の膜。腕だけではない。

振るわれるたび、その膜まで鞭のようにしなる。


「……これか」


ルーシェの額に汗が滲む。


魔熊の白い巨躯が雪煙を巻き上げる中、オルヴァスは低く呟いた。


「こいつは典型的な強化タイプだな」


言葉の終わりを待たず、彼の刃が閃いた。

鋭い一撃が魔熊の足を薙ぎ、白い毛並みに赤が散る。


「硬ぇな」


怒りに満ちた咆哮。

魔熊の太い腕が振り下ろされるが、オルヴァスは身を翻し、影のようにかわした。


「斬撃との相性はよくねぇな」


追撃を避けながら、彼は冷静に状況を見極める。


「ロウリゴ、第三階位いけるんだろうな?」


名を呼ばれたロウリゴは、喉を鳴らしながら答えた。


「だ、大丈夫……」


その声は震えていたが、魔力の流れは確かだった。


オルヴァスはふっと笑い、戦場の緊張を切り裂くように軽く言う。


「こいつの動きを止める必要がある。腕一本でも足一本でも、任せたぞ、ルーシェ」


ルーシェの肩がわずかに揺れる。

緊張はある。だが、目の奥の光は消えない。


息を整え、意識を手へ、短剣へと集中させた。

魔力が流れ、刃がぼんやりと光を帯びる。


鋭く。

さらに鋭く。


短剣の輝きが増すたび、ルーシェの呼吸は静かになっていく。


オルヴァスが魔熊へ斬りかかるのを横目に、ルーシェは雪を蹴った。


狙うは――右足。


オルヴァスの刃が閃く。

魔熊の視線が、ほんの一瞬だけそちらへ流れた。


その隙を、ルーシェは逃さなかった。


光る短剣を握りしめ、雪を蹴る。

影のように右足へ滑り込んだ。


白い毛皮の隙間へ短剣が鋭く突き立つ。


ズッ――


切っ先は深く入った。

だが、魔熊の筋肉は岩のように硬く、切断には届かない。


魔熊が怒号を上げ、巨躯が揺れる。

ルーシェは刃を引き抜き、すぐさま後方へ跳ねた。


魔熊の右足には、確かな弱点が刻まれていた。


その一瞬――


動いた影があった。


ザガシトだ。


彼は盾を構え、雪原を踏みしめながら前へ出る。

その歩みは重く、しかし揺るぎない。


魔熊がルーシェへ向けて腕を振り上げる。

その軌道に、ザガシトは真正面から入った。


ガァンッ!!


盾が衝撃を受け止め、雪が爆ぜる。

だがザガシトは吹き飛ばされない。

鈍く光る両足が地を掴んでいた。


「……今度は、耐える」


低く呟き、魔熊の腕を盾で押し流す。

巨体の懐へ、わずかな隙間が生まれた。


そこへ――

ザガシトは斧を振り上げた。


ルーシェが刻んだ傷へ、迷いなく叩き込む。


ズガァッ!!


斧が肉を裂き、骨を砕く。

魔熊の右足が、力なく折れ曲がった。


咆哮が空気を震わせる。

巨体がぐらりと傾き、膝をつく。


ザガシトは斧を引き抜き、肩へ担ぎ直した。

その表情は静かで、戦士の確信に満ちていた。


魔熊が怒りと痛みに満ちた絶叫を上げる。


その咆哮にかき消されることなく、ロウリゴの魔力が練り上がっていく。


周囲に熱が集まり、空気が震えていた。


ロウリゴの足元の雪が、じりじりと溶け始める。


「燃え盛る炎よ、鋭き槍となれ。敵を貫き、その先まで穿て――

 第三階位魔法 《炎槍》」


詠唱の終わりと同時に、ロウリゴの前方に炎が収束し、一本の槍となって生まれた。


赤熱した光が雪原を照らし、槍の穂先はまるで太陽の欠片のように鋭く輝く。


魔熊が片足で踏ん張り、ロウリゴへ腕を振り上げる。

だが、その動きはもう遅い。


炎槍は空気を裂き、一直線に魔熊へ突き刺さる。

炎の穂先が肉を貫き、内部で爆ぜるように広がった。


魔熊はのけぞり、咆哮は悲鳴へと変わる。


炎が体内を焼き、雪原へ蒸気が立ち上る。

その光景は、まるで冬の大地に突如として炎の花が咲いたかのようだった。


ロウリゴは肩で息をしながらも、確かな手応えを感じていた。


「……ふぅ」


魔熊は崩れ落ちるように膝をつき、その巨体がゆっくりと前へ倒れていく。


ドォン――。


大地を揺らし、雪原へ沈む。


戦場に、静寂が戻り始めた。


ルーシェは自分の短剣を見つめた。魔力が霧散し、いつもの短剣に戻っていた。


「訓練の成果だな」


オルヴァスは倒れた魔熊を一瞥すると、腰の短刀をしまった。


「あとはおれの教え方に感謝しろ」


疲れ切った三人を交互に見て、満足そうに歯を見せた。


いつの間にか夕陽が傾き、戦いの熱がゆっくりと雪へ溶けていく。

気づけば、頬を刺す冷たさが戻り、白い息だけが静かに揺れていた。



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