第八話 和睦
水は、まだ引いていなかった。
城はそのまま、水に囲まれている。
静けさも、変わらない。
戦は、終わったはずだった。
だが――
誰も、気を抜いていない。
「和が成る」
その言葉が、陣に広がる。
誰もが聞いた。
誰もが理解した。
それでも。
どこか、現実味がない。
「……本当にか」
小さな声。
疑いではない。
ただの確認だった。
あまりにも、あっけない。
長く続いた戦が、
これほど簡単に終わるのか。
使者が行き交う。
舟で、水を渡る。
言葉が交わされる。
条件が並ぶ。
だが――
揉めない。
引き延ばされない。
止まらない。
「……早すぎる」
誰かが、また呟いた。
陣の奥。
一人の男が座している。
豊臣秀吉。
表情は変わらない。
静かに、話を聞いている。
「これで、よろしいか」
確認の声。
秀吉は、わずかに頷いた。
それだけで、決まる。
誰も、異を唱えない。
そのこと自体が、不自然だった。
外では、水面が光っている。
風は弱い。
何も、乱れない。
「……終わるな」
誰かが言う。
だが、その声には。
どこか、安堵がない。
やがて。
和睦は成立する。
書面が交わされる。
形式は整う。
戦は、終わった。
そのはずだった。
だが――
秀吉は、立ち上がった。
早い。
あまりにも。
通常なら、余韻がある。
確認がある。
だが、それがない。
「整えろ」
短い命。
何を、とは言わない。
それでも、伝わる。
動きが、変わる。
兵たちの空気が、張り詰める。
「……もう、か」
誰かが、息を呑む。
まだ、終わったばかりだ。
それなのに――
次が、始まっている。
「なぜだ」
問いは、誰にも向けられない。
答えも、ない。
ただ一つ。
確かなことがある。
迷いがない。
決断が、早すぎる。
まるで――
“その時”が来ることを、知っていたかのように。
誰も、それを口にはしない。
だが。
誰もが、感じていた。
この和睦は――
終わりではない。
始まりだ。
水面が、わずかに揺れた。
風が、変わる。
その変化に気づいた者は、少ない。
だが。
一人だけ。
確かに、それを見ていた。
豊臣秀吉。
その視線の先に、何があったのか。
知る者はいない。




