7.盗まれる俺
第18~21話
また何日か平穏な日々が過ぎた。
先日の怪夢のことは、気にしないことにした。
気が向いた時だけ、鼠を退治する。
三姉妹とメイドたちの遊び相手も、大事な仕事だ。
サンディー以外は、抱かせたり撫でさせたりするだけだが。
ある朝のことである。
カトリーナとサンディーが、言い争っていた。
今日のカトリーナは、普段より上等な、緑を基調とした服を着ている。
余所行きのようだ。
「ネコを連れて行くって、前から言っておいたでしょ」
「サンディーと遊ぶの」
「わからないこと言うんじゃありません」
「でも……」
(そういえば、以前、カトリーナが町に行くとか、そんな会話が聞こえてきたっけな。
それが、今日だったのか。
俺を連れて行くとまでは知らなかったけど)
「あなたも知っているでしょ。
以前から約束しているのよ。
モローニョの町にいる友達にネコを紹介するの」
それから、しばらくの押し問答の末、カトリーナに軍配が上がった。
「ぶう……」
サンディーは、不満げなふくれっ面だ。
ふてくされて、どこかへ行ってしまった。
どうやら、カトリーナだけ町に出かけるのが羨ましかったらしい。
最近の俺は、サンディーの心理が、何となくわかるのだ。
「さあ、ネコ、出発の支度をするから、これに入って」
カトリーナが持ち出してきたのは、鳥籠だった。
小鳥用なので、猫には小さい。
かつて、カトリーナは、俺を鳥籠で飼うと言っていたことがあった。
それが、本当になろうとしている。
(こんなものなくたって、逃げやしないのに)
カトリーナは、鳥籠を床に置く。
俺を鳥籠の中に誘い入れようとする。
「この入り口から中に入るのよ」
俺は、無視して動かない。
以前、村でサンディーの命令を聞かなかった時と同じだ。
自分流のボイコットだ。
猫は、狭いところが好きなものだが、俺の心は人間だ。
窮屈なのは御免被りたい。
「ねえ、お姉様。
ネコは、鳥籠を嫌がっているのではありませんか。
鳥籠に入れるのは、やめたほうがよいのかもしれませんわ」
横で見ていたニーナが、俺の心情を察する。
「そうねえ。
では、どうやって連れて行きましょうか?」
「この子は、人のよく言うことを聞きますわ。
このまま馬車に乗せて、じっとしているように言い聞かせれば、大丈夫ではないかと思いますわ」
「そうかしら。
じっとしていられる?」
カトリーナが、俺に尋ねる。
俺は、質問に答えるつもりで、一度こくりと頷く。
こくり。
「あら、頷いたわ!」
「確かに、首を縦に振ったようでしたわ」
(おっと、まずい)
うっかり二人を驚かせてしまった。
人間的な行動は、控えないといけない。
俺は、その場に寝転がったりしてごまかした。
ごろん。
ごろん。
結局、蓋がなく持ち手のあるバスケットで、俺を運ぶことになった。
(ま、これならいいだろ)
カトリーナが、俺を抱え、バスケットに入れる。
「「可愛いーーーーーーっっ!!」」
俺がバスケットに収まった姿が、よっぽどよかったらしい。
カトリーナとニーナは、抱き合って喜んでいる。
玄関前に、四人乗りの馬車が用意されていた。
普段、父親が使うのは、二人乗りだ。
今回は、カトリーナと父とリータの三人が乗る。
そのため、どこかから四人乗りを特別に手配したらしい。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行って参ります」
カトリーナたちが馬車に乗る。
御者台に御者が乗り、その横に雑用と護衛を兼ねた男が座る。
屋敷に残った者が、総出で馬車の出発を見送る。
サンディーは、玄関から離れたところに立っていた。
「カトリーナは、もう一ヶ月以上もモローニョに行っていなかったんだよね?」
「ええ、お父様。
お友達に会えるのが、本当に楽しみだわ」
カトリーナと父のフェリックスは、左右に並んで座っている。
その向かいに、メイドのリータが座る。
リータは、カトリーナの付き人としての同行だ。
リータの横の座席に、俺の入ったバスケットが置かれている。
俺は、バスケットから身を乗り出す。
馬車の窓まで体を伸ばして、外の景色を眺める。
美しい田園風景だ。
緩やかな下り坂が続く。
カトリーナが、伸びた俺を見て笑う。
「わあ、ネコったら、凄く体が伸びてる。
よくそんなに伸びるわね。
よほど景色が見たいのね。
初めての馬車の旅ですものね」
「立ち上がると、馬車が大きく揺れた時に危ないわよ」
リータが、俺をバスケットに押し戻そうとする。
俺は、もっと景色を楽しみたいのに。
「揺れても平気だと思うわ。
この子、身軽だから」
「それもそうですね」
村の屋敷での生活は、単調になりがちだ。
初めての光景は、頭に適度な刺激になる。
馬車が、モローニョの町に近づいてきた。
道の両側に民家が並ぶ。
モローニョは、プルサティッラ辺境伯領の中心都市である。
一家の暮らすアイルーロス村からは、十キロほどの距離だ。
フェリックスが辺境伯としての仕事を行う第二邸宅がある。
都会に仕事場があるのに離れた村に住むのは、昔からのプルサティッラ家の伝統だかららしい。
フェリックスが田舎暮らしを好んでいるのもあるようだ。
「ほら、見てご覧なさい。
建物が多くなってきたでしょ。
もうすぐ町のお屋敷に着くわよ」
カトリーナが、俺に話しかける。
いつも明るい少女だが、今日は特に上機嫌だ。
友達に会えるのが、楽しみなのだろう。
人通りの多い大通りにさしかかる。
古き良きヨーロッパの町並みだ。
馬車は、大きな建物の前に止まる。
目的の第二邸宅に到着した。
村の本宅と違って、重厚な雰囲気の建造物だ。
教会のようでもあり、宮殿のようでもある。
「それじゃ、友達と楽しんでくるがいい」
邸宅の中で、父は、カトリーナと別れ、政務室に赴く。
カトリーナは、リータとともに別の部屋に向かう。
俺の入ったバスケットは、リータが持っている。
カトリーナたちが入ったのは、衣装室だった。
本宅にも衣装室はあるが、ここの方が立派だ。
リータと第二邸宅のメイドが、カトリーナの身なりを整える。
(こうして見ると、カトリーナは、やっぱり貴族の令嬢なんだな。
村にいると、あまりそんな感じはしないんだけど)
「あんまり待たせては悪いわ。
急ぎましょう」
この屋敷に、カトリーナの友達が、すでに来ているようだ。
どんな人たちなのだろうか。
ᓚᘏᗢ
カトリーナが向かったのは、中庭だった。
噴水や花壇があり、簡易な白いテーブルが設えられている。
そのテーブルを、すでに三人の女の人が囲んでいた。
いずれも、カトリーナと同年代のようだ。
服装からして、身分が高いとわかる。
三人は、カトリーナの姿を見ると、嬉しそうに立ち上がる。
カトリーナと三人は、再会を喜び合う。
「久しぶりね、皆さん」
「なかなか会う機会を作れませんでしたからね」
「でも、噂の動物を見られるというので、無理をして予定を整えていただきましたのよ」
「早くお目にかかりたいわ」
人の話を漏れ聞いたところによると、カトリーナぐらいの身分の貴族ともなると、ちょっとした外出も勝手にはできないのだそうだ。
いろいろと面倒な手続きが必要になるのだ。
上流階級は、思った以上に堅苦しかった。
村での生活では、あまり感じないことだが。
「さあ、リータ。
持ってきて」
リータは、俺と一緒に植木の陰で待機していた。
小声で、バスケットの中の俺にささやきかける。
「おとなしくしていてね」
バスケットに布をかけ、俺の姿を覆い隠す。
カトリーナが考えたサプライズ演出だ。
「はい、カトリーナお嬢様」
バスケットが、テーブルに置かれた。
カトリーナは、少しもったいつけて、友達をじらす。
「では、ご覧ください。
よろしいかしら。
わたしの可愛いネコです。
じゃーん!」
覆った布をどける。
同時に、俺は、鳴きながら頭を持ち上げる。
カトリーナの演出を盛り上げるため、気を利かせたのだ。
「にゃー」
俺の目に、三人の令嬢の驚いた顔が飛び込んでくる。
一呼吸ほどの時間差で、悲鳴にも似た喚声が、中庭に響き渡る。
「「「きゃーーー、可愛いーーー!」」」
三人は、俺にメロメロになっている。
貴族令嬢らしいおしとやかさをかなぐり捨ててしまったようだ。
ちなみに、三人の名前だが、一人は、エルメジンデ。
三つ編みを顔の左右で羊の角のように巻いた髪型だ。
親の名前は、「なんちゃらかんちゃら方伯なんとか」とかなんとか使用人が話しているのを聞いた。
長すぎて、覚えられなかった。
二人目は、リュシエンヌ。
この人の父親も、宮中伯とかいう偉い身分だそうだ。
宮中伯がどのくらい偉いのかは知らない。
カトリーナや他の二人の家と同格に近いのだとは思う。
次は、コンスタンツェ。
ラウドン将軍という上級軍人の娘らしい。
親が軍人だが、当人に軍人らしい堅さは感じられない。
エルメジンデ、
「これが、噂に聞く新種の物凄く可愛い生き物なのですね。
噂以上の愛らしさですわ」
リュシエンヌ、
「まあ、素敵。
今日を楽しみに待った甲斐がありましたわ」
コンスタンツェ、
「ああ、さわり心地、最高……」
俺は、この三人に散々抱いたり撫でられたりした。
もふもふ。
なでなで。
もふもふ。
なでなで。
もふもふ。
なでなで。
いつものことなので、慣れてはいるが、少々うざったい。
でも、よい気分でもある。
美少女たちに可愛がられて、悪い気はしない。
「ここをこうやって撫でると面白いわよ」
カトリーナが、俺の喉を擽るように撫でる。
こちょこちょ。
なでなで。
これが、無性に気持ちいいのだ。
俺の顔が、どんどん上を向いてしまう。
数日前、サンディーに、猫のこの習性に気づかれてしまったのだ。
リュシエンヌ、
「まあ、素敵。
目を細めたりして、気持ちよさそうな顔ですわ」
エルメジンデ、
「見ている私まで気持ちがよくなるような気がしますわ」
コンスタンツェ、
「ああ、快感の表情……」
三人とも、自分も気持ちよさそうな面持ちになっている。
「こんなに幸せな気分させてくれる動物と一緒に暮らせるなんて、カトリーナは、本当に幸せ者ね」
そう言って、エルメジンデが、俺に顔を近づける。
羨ましそうな目つきで俺を見つめる。
「この子が我が家に来てから、毎日が楽しいわ」
「でしょうね」
エルメジンデの顔は、美味しいお菓子を目の前にした子供のようだ。
今にも俺を食べてしまいそうだ。
それから、カトリーナたちは、俺と中庭を散策した。
俺が適当に歩くと、それに合わせてカトリーナたちがついてくるのだ。
「なんて優雅な歩き方なのでしょう」
「まあ、素敵。
可愛いだけでなく、気品まで備わっているなんて」
「ああ、歩く姿が……」
今度は、花壇の縁に跳び乗ってみせることにする。
五十センチぐらいの高さなので、余裕だ。
ぴょん。
「「「きゃーーーっ!」」」
三人は、アイドルにでも遭遇したかのように興奮している。
その横で、カトリーナは、誇らしげな様子だ。
(ただ歩いたりジャンプしたりするだけで喜ばれるなら、安いものだ。
もう少しサービスしてやるとするか)
俺は、走ったり地面に転がったりして、可愛さをアピールした。
楽しんだのは、エルメジンデたちだけではない。
離れたところに控えていた使用人たちも、俺の行動に歓声を上げる。
我慢できずに、俺に近寄ってきたメイドもいる。
その場の誰もが、俺に酔いしれた。
さて、その後、カトリーナたちの帰宅時間になった。
それぞれ、帰り支度を始める。
使用人たちは、自分の持ち場に戻った。
俺は、まだ中庭の見物を続けていた。
植え込みの間を通り抜けると、目の前に人の足が現れた。
エルメジンデだった。
他に人はいない。
「あ……」
俺に気づいたエルメジンデの体が、一瞬硬直する。
次の瞬間、咄嗟にしゃがみ込む。
俺を抱きかかえると、袖で俺を隠しながら、早足で歩き出した。
(一体、何の真似だ?
もしかして、誘拐されているのか、俺は?)
ᓚᘏᗢ
エルメジンデが、息を切らして飛び込んだのは、来客用の部屋だった。
客一人につき一つの支度部屋が用意されているのだ。
「はあ、はあ」
「どうしたのですか、お嬢様?」
この時、この部屋には、メイドが一人だけいた。
三十歳ぐらいの、一見するとお堅い感じの人だ。
エルメジンデが自宅から連れてきたのだ。
カトリーナがリータを同伴したのと同じだ。
「それは……!」
メイドが、エルメジンデに抱かれた俺の存在に気づく。
「我慢できなくて、つい持ってきてしまったの。
早く帰りましょう」
「そ、そんな……。
いけませんわ。
泥棒になってしまいますわ」
「でも、今更引き返せないわ」
メイドは、少しの間、困惑していたが、意を決して言う。
「わかりました。
すぐに馬車を出せるようにします。
この動物を鞄か何かに隠しましょう。
東の国の諺にも『ナウチの富は手放すな』とありますからね」
(そんな諺、聞いたことないなあ。
って、そんなことより、このままじゃ、この女の家に連れてかれちまう。
どうにかしないと。
だけど、どうすりゃいいんだ。
人の言葉がしゃべれないから、「やめろ」とも言えないし)
なるべくなら、事を荒立てたくない。
俺は、カトリーナたちの友情が壊れないような方法を模索する。
「これに入れてしまいましょう」
メイドが、旅行鞄を持ってくる。
革製の頑丈そうな鞄だ。
この中に閉じ込められたら、鳴き声もほとんど外に漏れないだろう。
開くと、ちょうど猫一匹が入るほどのスペースがあった。
(こんなの入れられてたまるか)
俺は、身をよじって、エルメジンデの腕から逃れる。
すたっ。
床に飛び降りるが、部屋の扉が閉まっている。
外には逃げられない。
「ほら、動かないで」
メイドが、俺を捕まえようと身をかがめ、手を伸ばす。
ひょい。
俺は、その手を軽々とよける。
メイドは、なおも追跡する。
いくら頑張っても、俺には手が届かない。
「すばしっこいわね。
待ちなさい」
意外としつこいメイドだ。
お嬢様への忠誠心が強いらしい。
必死に、どたどたと俺を追い回す。
どたどた。
どたどた。
俺の素早さにはかなわない。
メイドの顔に疲れの色が浮かぶ。
「はあ、はあ。
まるで鼠みたいにちょこまか逃げるわね」
(おいおい、俺を鼠に例えるのかよ)
俺は、立って様子を見ていたエルメジンデのほうへ走る。
(ちょっとからかってやるか)
エルメジンデのスカートの周りをくるくると回る。
「あらあらあら」
エルメジンデが、俺につられて、独楽のように回転する。
スカートが、遠心力で広がる。
メイドは、俺を追って、エルメジンデの周りを回る。
二人でダンスでも踊っているようだ。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
「ああ、目が回るわ」
「お嬢様」
エルメジンデとメイドが、お互いを支え合う。
(こんなことをしていても埒が明かない。
俺のことを諦めてもらう方法はないかな)
最初は、爪を使って文字を書き、意思を伝えようと思った。
だが、それは無理だと、すぐに気づいた。
俺は、この世界の文字を知らないのだ。
目で見た文字が、即座に日本の文字に変換されてしまうからだ。
また、この部屋の床も家具も堅い木材でできている。
爪が立たない。
次に、身振りで示すことを考えた。
しかし、猫のする身振りをわかってもらえる自信がない。
変な動作をする生き物だと思われるのが関の山だ。
俺は、ふとエルメジンデに目を向けた。
髪型を固定する紐が緩んで、頭の横に垂れている。
(そうだ。
この紐を使ってみるか)
ぴょん。
俺は、まずテーブルに登る。
ぴょん。
次に、エルメジンデの肩に飛び移る。
紐を口にくわえると、すぐに床に飛び降りる。
「あら、何?」
「お嬢様になんてことを」
俺は、二人が戸惑っているうちに、少し離れた位置まで走る。
「何のつもりでしょう?」
メイドが、俺に近づこうとする。
「待って」
エルメジンデは、メイドの肩に手を当てる。
俺が何かをしようとしていることに気づいたようだ。
「あの紐をどうするのかしら?」
紐は、一メートルほどの長さだった。
意外に長かったが、むしろ、ちょうどよい。
俺は、紐を床に置き、その紐で直径十センチほどの円を描く。
さらに、紐の余った部分で円を囲むように楕円を作る。
猫の手でこの作業するのは、少々苦労した。
二人は、じっと俺の様子をうかがっている。
「何かの形だわ」
「そのようですね」
エルメジンデは、少し考えていたが、急に震えだした。
わなわな。
わなわな。
その場にへたり込んでしまった。
「目、目だわ。
目の形を表しているんだわ。
神様がご覧になっているということを表しているに違いないわ」
見事に俺の意図が通じた。
理解されなかったら情けないなと思ったが、杞憂だった。
エルメジンデの頬を大粒の涙が伝う。
「私は、なんて酷いことをしてしまったのかしら」
「お嬢様……」
メイドも、床に座り込んでしまう。
エルメジンデに寄り添いながら、呆然としている。
目の形を描くのが、意外なほど大きな効果を発揮した。
(簡単に描けそうだから目の形にしてみただけなんだけど、こんなに効くとはなあ)
その時、部屋の扉をノックする音がした。
こんこん。
ᓚᘏᗢ
こんこん。
「失礼します。
ちょっといいかしら」
カトリーナの声だ。
俺を探しているに違いない。
「どうします、お嬢様?」
エルメジンデのメイドは、カトリーナの声を聞いて、あたふたとする。
首をきょろきょろさせ、俺と扉とエルメジンデの顔を何度も見る。
「入れて差し上げて」
「よろしいのですか」
「ええ」
エルメジンデは、床にへたり込んだまま、メイドに指示する。
メイドは、よろよろと立ち上がる。
「はい、少々お待ちを」
ギ、ギ、ギ……。
ゆっくり、おずおずと扉を開ける。
きっと、頭の中で言い訳を必死に考えているのだろう。
俺も、これからカトリーナがどう出るのか、ちょっと心配だ。
友情が壊れることがなければいいのだが。
「あの、何か?」
「ネコが見当たらないのですが、ご存じありませんか」
カトリーナが、メイドに尋ねる。
メイドは、返事をためらう。
「ええと……」
「ネコなら、ここにいますわよ」
エルメジンデが答える。
「あら、こんなところにいたのね」
俺は、エルメジンデと向かい合うように、エジプト座りをしていた。
目を描いた紐は、前足で払って形を崩しておいた。
「ああ、よかった。
ここにいたのね。
どこかで迷子になっているのかもと思って心配していましたの」
カトリーナが、嬉しそうに駆け寄る。
エルメジンデの横にしゃがみ、俺に手を伸ばす。
俺を抱き上げて、頬摺りをする。
すりすり。
すりすり。
「ごめんなさいね、ネコ。
あなたは、このお屋敷は初めてでしたのよね」
続けて、エルメジンデに顔を向ける。
「あなたが保護してくれていたの?
助かったわ。
あら、どうなさったの?」
カトリーナが、エルメジンデの様子がおかしいことに気づいた。
エルメジンデは、顔を背ける。
「うっ、うっ」
エルメジンデの肩が震えている。
こらえきれずに泣き出す。
「ごめんなさい。
私が、この子を盗んだのです」
「え?」
エルメジンデは、己のしたことを包み隠さず語った。
メイドも、自分も加担していたと告げた。
「ですので、エルメジンデお嬢様の行いを許してあげてください」
「もう構いません。
正直におっしゃってもらえただけで、わたしは嬉しいのです。
わたしだって、理性を失うことはありますもの」
カトリーナは、あっさりと許した。
ここが、カトリーナのよいところだ。
(カトリーナの度量が広くて、俺は嬉しいよ。
話がこじれたらどうしようかと心配だったけど、ほっとしたぜ)
「あなたって、本当に心の優しい方ですわ。
こんな私を許していただけるなんて」
「もうそのことは、終わりにしましょう。
それより、ネコが絵を描いたというのが気になります」
俺に顔を接近させて、俺の目を覗き込む。
「本当なの?」
「……」
俺は、何も反応せず、とぼけた表情でそっぽを向く。
もっとも、猫にはっきりととぼけた表情をするのは難しい。
あくまでも、とぼけたつもりである。
「あの時は、確かにこの紐を使って、目の形を描いたのです。
それで、神様の目を示したのだと思いましたの」
エルメジンデが、落ちている紐を手に取って説明する。
カトリーナは、半信半疑だ。
さすがにあんな芸当は、カトリーナの家ではやったことがない。
信じられなくて当然だ。
「ネコなら、そういうこともするかもしれませんね。
この子は、何か不思議な力を持っているような気がしますの」
そう言って、カトリーナは、また俺の顎の下を撫でる。
なでなで。
なでなで。
また俺の首が、反り返ってしまう。
「あなたも、またこの子をモフモフしてみるといいわ。
気持ちが落ち着くから」
俺をエルメジンデに渡す。
エルメジンデは、ためらいながら俺を受け取る。
「そちらのメイドさんも、一緒にどうぞ」
「わ、私も、よろしいのですか?」
メイドは、数メートル離れたところに立っていた。
驚いて声がうわずる。
身分の低い自分が呼ばれるとは、思っていなかったのだろう。
「さあ、どうぞ」
「それでは、お言葉に甘えて」
エルメジンデとメイドが、二人で俺の体をモフりだした。
もふもふ。
もふもふ。
もふもふ。
もふもふ。
二人とも、最高に幸せそうな顔だ。
俺にとっては、少々うざったいのだが、しょうがない。
モフられるのは、俺の勤めなのだから。
(さあ、好きなだけモフるがよい)
結局、俺盗難事件は、簡単に解決した。
カトリーナ以外の誰にも知られることはなかった。
エルメジンデや他の友人たちは、それぞれ帰宅の途についた。
カトリーナも、父とリータとともに村の屋敷に戻る。
帰りの馬車に揺られながら、父が話す。
「そのネコのことだが、もう王都にまで知れ渡っているそうだ。
いずれ、そちらからも見せて欲しいと言ってくるかもしれないよ」
「あら、そんなに有名になってしまったのね。
ネコは、もう国民的な人気者ね」
カトリーナは、バスケットの中の俺を見て微笑む。
以前は、俺の存在を知られないように、出入りの家庭教師にも口止めしていた。
そのことを忘れているようだ。
元々厳密に秘密を守ろうとしていたようでもないが。
(俺という珍しい生き物の存在が、広く知られてしまうと、また今日みたいに俺を盗もうとするやつが現れるかもしれないな。
今回は穏便に解決したけど、次はそうはいかないかもしれない。
俺も、油断してはいられない。
ちゃんと自分の身を守らないと)
夕日が、山脈の向こうに沈もうとしていた。




