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4.遊ばれる俺

第10~12話

 午後、ニーナが、屋敷内のどこかへ歩いて行く。

 俺は、何となく気になった。

 ニーナの跡を追う。

 他の部屋とは少し違うデザインの扉の前で、ニーナが立ち止まる。


 コンコン。


 ノックをする。

 反応はない。


 ぎぎぃ。


 重そうな扉を肩で押し開ける。

 貴重品のある部屋なのだろうか。

 俺は、ニーナに続いて中に入る。


 そこは、図書室だった。

 いくつもの本棚が並んでいる。

 書籍の数も多い。

 どれも、立派な装丁で、高価そうだ。


 ニーナが、カーテンを開ける。

 薄暗かった図書室が、ぱっと明るくなる。


「あら、ネコ。

 わたくしについてきていたのですね」


 ニーナは、ようやく俺に気づいた。


「今、あなたのことを図鑑で調べようと思っていましたのよ」


 本棚から、大きくて分厚い書物を取り出す。

 窓際の机まで抱えてくる。


 俺は、その本に興味がわいた。

 机にぴょんと飛び乗る。

 表紙には、見たことのない文字が書かれている。

 キリル文字の筆記体に似ているが、違う。

 明らかに、全く未知の文字だ。

 ここが異世界であることを思い知らされる。


(これじゃ、俺には読めないな)


 そう思っていると、不思議なことが起きた。

 表紙の文字が、みるみる変化していく。

 驚くべきことに、日本の文字になってしまった。

 まるで、画像内の文字を翻訳するアプリである。

 人の話す言葉が、俺の耳には日本語に聞こえるのと同じだ。

 文字も翻訳されるのだった。


(便利な能力だなあ。

 だけど、あの女神、こんな能力を与えるぐらいなら、俺を人間に生まれ変わらせてくれてもよかったんじゃないのか?)




 ニーナが持ってきた書物の題名は、『萬國禽獸圖會ばんこくきんじゅうずえ』だった。

 翻訳されているのに、字が難しい。

 元々の題名や字体が昔風であることを表現しているらしいと、後にわかった。

 無駄に器用な翻訳アプリだ。


「あなたもこれを見たいのですね」


 ニーナが、本を開く。

 俺は、本を覗き込む。

 ニーナは、俺に見せるように、ゆっくりとページをめくっていく。


 ぺら。

 ぺら。

 ぺら。

 ぺら。


「ふふふ。

 動物なのに本を読むのね」


(おっと、いけない。

 知性のあるところを見せすぎると、気味悪がられるかも。

 この世界だって、動物は、動物並みの知能だろうし)


 本には、古風な絵柄で生物が描かれている。

 はじめの方のページに出てくるのは、牛や馬などだ。

 この世界のこの国でも、身近な存在なのだろう。

 大型の家畜の後に、犬や兎、鼠などが続く。

 このあたりに猫が載っていそうだが、見当たらない。

 猫は、確かに、図鑑にも掲載されない未確認生物だったのだ。


 さらにページが進むと、象や麒麟きりんなどのアフリカっぽい動物が現れる。

 説明には、南の大陸の生き物だとある。

 このあたりのページは、絵の写実性が落ちる。

 画家が、現物を直接見ていないらしい。

 遠くの生物だということだ。

 やはり、俺がいる土地は、前世の地球でのヨーロッパにあたる場所なのだろう。


「ほら、これを見て」


 ニーナが、ページをめくる手を止める。


「昨日の晩、寝る前にも、この図鑑を少し見てみたのですけど、これがあなたに似ているような気がしますの。

 体に縞模様があるところや全体的な形とか」


 俺に見せたのは、虎の絵だった。

 ネコ科の動物に目をつけるとは、ニーナは賢い子だ。


「ですが、説明には、遙か東に住む巨大で獰猛な獣であるとあるので、あなたとは違いますわね。

 まさかとは思いますが、あなたが、これから大きくなって、この虎という動物になったりはしませんわよね?」


「にゃー、にゃー」


 俺は、可愛く鳴いてみせる。

 猛獣だと思われて、敬遠されたくはない。

 ここは、媚びておくのも処世術だ。


「そうですわよね。

 こんなに可愛いあなたが、恐ろしい猛獣のわけがありませんわよね」


 俺の頭を撫でる。


 なでなで。

 なでなで。


 俺は、何となく気恥ずかしくなった。

 図鑑の端を前足で触って、それとなくニーナにページをめくるように促す。


「続きが見たいのね」


 何ページか進むと、非現実的な動物の絵が出てきた。

 ドラゴン、ワイバーン、グリフィン、サラマンドラなどなどだ。

 ゲームなどで名前を聞いたことのあるのや知らないのが並ぶ。

 実在するのかどうかが不明の生物の章らしい。

 気象をも操る神獣であるなどと説明されている。

 当然、どれも空想上の生物だろう。

 だが、人間の知能を持った猫である俺が存在するのが、この世界だ。

 ドラゴンやワイバーン程度なら、本当にいても不思議ではない気もする。


「あっ、ほら、これ。

 昨日、サンディーがあなたに名付けようとした、メガマウスよ」


 人間より大きい醜悪な鼠が、剣を構えた騎士に退治されようとしている図だった。

 解説には、英雄レオンハルトの物語の一場面だと記されている。

 この図鑑の作者は、このような非現実的な巨大鼠が存在する可能性もあると考えて掲載したのだろうか。


「こんなのの名前にされなくてよかったわね」


 ニーナが、クスクス笑う。

 俺も、心の中で苦笑いする。


(猫に鼠の名前というのもおかしいけど、大きい鼠だからメガマウスだなんて、モンスターの名前にしてもダサい。

 脳内翻訳アプリも、もう少しましな和名を考えて欲しいものだ)


「それから、こっちが、昔の英雄のレオンハルト。

 メガマウスを退治したの。

 うちの玄関のところにも、レオンハルトの彫刻があるわ。

 鼠除けのおまじないとして飾ってあるのよ。

 サンディーは、メガマウスの彫刻も欲しがっているけれど」




 ぎぎぎぃ。


 その時、図書室の扉が開く音がした。

 扉に目をやると、サンディーだった。

 両手で扉を押し開けている。

 ニーナが、また笑う。


「噂をすれば、ですわ」


「ネコ、見つけた。

 ニーナお姉ちゃまと一緒だったのね」


 サンディーが、机の上にいる俺を指さす。


「あなたは、サンディーと遊んでらっしゃい。

 わたくしは、他の本も調べてみますわ」


 俺は、サンディーに庭に連れ出されることになった。


「さて、何をして遊びましょうか」


 サンディーが、庭園を見渡す。


(なんか、嫌な予感がするぞ)



ᓚᘏᗢ



 庭には、一人用のブランコがあった。

 木の棒と縄と板を組み合わせた単純な構造だ。

 あまり丈夫そうには見えない。

 大きさからしても、ほとんどサンディー専用なのだろう。


「これに乗るのよ」


 サンディーが、俺をブランコに乗せる。


(猫をブランコで遊ばせるとか、可愛いこと考えるじゃないか)


「いくわよ」


 サンディーは、俺の乗った座板を両手で軽く押す。

 俺は、ブランコから落ちそうになる。

 猫の体が、本能的にバランスを保ったので、落ちなかった。

 サンディーは、俺の乗ったブランコを何度も揺らす。


 ゆーらゆら。

 ゆーらゆら。


 だんだんとサンディーの揺らす力が強くなってくる。


 ぶるんっ。

 ぶるんっ。


 ブランコの縄が、地面とほぼ水平になるぐらいの勢いだ。

 俺は、さすがに耐えられなくなって、地面に飛び降りる。


「駄目ねえ」


 サンディーは、また俺をブランコに乗せる。

 また同じように揺らす。


 ゆーらゆら。

 ゆーらゆら。

 ぶるんっ。

 ぶるんっ。


 俺は、サンディーの遊びに付き合ってやることにした。

 落ちそうになるのをこらえ続ける。


「きゃはははは。

 すごい、すごーい」


 サンディーは、大喜びだ。

 俺は、必死だ。


「すごいわ、ネコ。

 ブランコの天才だわ」


(こんなことで褒められても、全然嬉しくないっつうの)


 俺は、また地面に飛び降りる。


 足が、少しふらついた。


「今度は、一回転に挑戦よ」


 俺に挑戦する気はない。

 こんなことを続けるのは、危険だ。

 もう一度ブランコに乗せようとするサンディーを振り切って逃げる。


「待って、ネコー」


(あんな危険な遊び、させられてたまるか)


 サンディーは、小さな体に似合わず、意外と足の速い女の子だ。

 ちょこちょこ走りながら、俺を追いかける。


 ちょこちょこ。

 ちょこちょこ。


 俺は、灌木かんぼくの茂みの中に隠れる。


「待ちなさあい」


 サンディーは、躊躇ちゅうちょなく茂みの中に潜り込んでくる。

 上流階級の娘が着る服なのに、お構いなしだ。

 服が枝に引っかかっても、全く気にとめない。


「おぬし、逃げるとは卑怯なり」


 茂みの中から、騎士みたいな言葉遣いで俺に呼ばわる。

 何かの物語にある英雄の台詞なのだろう。


 俺は、ブランコはごめんだが、追いかけっこぐらいならしてもいいかなという気になってきた。

 茂みを抜け出して、サンディーを待つ。


 サンディーが、俺に迫る。

 物凄い勢いだ。

 ジャングルの木々を押し倒して突進する暴れ象のようだ。

 灌木の小枝が、バキバキと折れる音がする。


 バキバキバキバキッ。


 小さな猫である俺は、ちょっと恐怖を感じる。

 相手は、笑顔の子供なのだが、その笑顔が、かえって恐ろしい。

 俺は、身がすくんでしまう。


 サンディーが、茂みから出てくる。

 ヘッドスライディングのように俺に飛びかかる。


 俺は、ぎりぎりのところでジャンプしてかわす。

 猫の本能が、そうさせたのだ。


 ぴょーーーーーん。


 ずざーーーーーっ。


 サンディーの体が、芝生の地面を二メートルほど滑る。

 それだけ勢いがついていたのだ。

 サンディーは、滑りながらも、俺の跳躍から目を離さなかった。


「うーっ!」


 サンディーが興奮した時によく発する声だ。

 猫の飛び跳ねる姿が、よほどかっこよく映ったのだろう。

 俺にこんな瞬発力があるとは、自分でも意外だった。

 サンディーの俺への興味が、さらに増したようだ。

 空中にいる俺を見上げる目が、きらきらと輝いている。


 きらきら。

 きらきら。


「すごーい。

 もう一度やって」


 着地した俺に、這いながら近づいてくる。

 純真なまなざしが、俺を覗き込む。


「ぴょーーーーーんっての、もう一度やって」


 地面を両手でバンバンと叩きながら要求する。


 バンバン。

 バンバン。


(やってと言われても困る。

 さっきのジャンプは、咄嗟とっさだったんだよ)


 俺は、周囲を見渡す。

 近くに木が生えているのが目に入る。

 高さ五メートルほどの林檎の木だ。

 その木にジャンプで登ってみせることにする。

 この世界に猫として生まれた直後に木に飛び乗ったのと同じやり方だ。

 体のバネを活用した二段跳びを披露する。


 ぴょーーんぴょん。


 一瞬で、二メートルぐらいの高さにある木の股に到達する。

 下に目をやる。

 サンディーが、こっちを見上げている。

 驚きの表情だ。

 俺が瞬時に木に登ったことに、度肝を抜かれたのだろう。

 声も出ないようだ。


(ここなら、サンディーも追ってこないだろう)


 上から見下ろせば、サンディーは、無邪気な女の子である。

 一心に俺を見つめ続ける目が可愛い。


 少しして、またサンディーが動き出す。

 木に登りだした。

 手足をかけるところを探す。

 あいにく、ちょうどいい枝がない。

 なかなか登れず、苦労している。

 六歳のサンディーに、木登りは難しいようだ。


「ぶう……」


 恨めしげに俺をにらむ。

 そして、すたすたとどこかへ歩いて行った。


 すたすた。

 すたすた。


(ようやく諦めたか)


 俺は、しばらく木の枝で休むことにした。

 枝が太くて水平になっている場所を見つけ、そこで香箱座りをする。

 眠くなってきた。

 猫は、睡眠時間の多い生物なのだ。

 目を閉じて寝ようとする。


 だが、そんなに簡単には眠らせてもらえないようだ。

 猫は、睡眠中でも聴覚が敏感だ。

 人の足音が接近するのが聞こえる。



ᓚᘏᗢ



「早く、早くぅ。

 ほら、見て、あれ」


「あらまあ、本当だわ。

 あんなところにネコが!」


 サンディーが、カトリーナを連れてきたのだった。

 俺が木に登ったのを姉にも見せたかったようだ。


「あの小さな体で、わたしの背より高いところまで登れるのね」


「あそこからあそこにぴょーーんぴょーんてジャンプしたの」


 サンディーは、木を指で示しながら説明する。


「本当に?」


 カトリーナは、猫の身体能力をまだ知らないのだ。

 半信半疑の様子だ。


「じゃあ、もう一度やる。

 お姉ちゃま、ネコをここに降ろして」


(もう一度やるって、どういうことだ?

 動物が、都合よく同じことを繰り返すわけないだろうに)


「わかったわ。

 ネコに降りてきてもらいましょう」


 カトリーナが、俺のいる枝のすぐ下に来る。


「ネコ、ネコ。

 降りてらっしゃい」


 俺に呼びかける。


(めんどくさいなあ)


 俺は、目をつむったまま、寝たふりを続ける。


「眠っているのかしら」


「降りてきなさいってば」


「寝かせておいてあげましょうよ」


「駄目。

 ジャンプするのを見せるの」


「しょうがないわねえ」


 今度は、カトリーナが、木に登り始めた。

 サンディーと違って、木登りができるのだ。

 すぐに、俺のいる枝に到達する。


「おいで、おいで」


 カトリーナが、少しずつ俺に近づく。


 ぎぎっ。


 枝にカトリーナの体重がかかる。

 俺の体が、枝とともに上下に揺れる。

 なんとも危なっかしい。

 さらにカトリーナが接近する。

 枝の揺れが激しくなる。

 カトリーナも、サンディーなみに御転婆おてんばのようだ。


(もう少し慎重にやってくれよ。

 枝が折れそうだぞ)


 俺は、枝の揺れに耐えられるように、体勢を立て直そうとした。

 その時、体のバランスを崩してしまった。

 重力に引っ張られる。

 咄嗟に両手両脚で枝をつかむ。

 樹懶なまけものが枝にぶら下がるような恰好になる。

 それも一瞬だった。

 俺の体は、文字通り真っ逆さまに地面に落ちる。


 くるりっ。


 またしても、猫の本能が発動した。

 空中で体をひねる。


 すたっ。


 落下の衝撃をしなやかな全身で吸収し、難なく着地する。


「ネコ、大丈夫?」


 カトリーナが、慌てて飛び降りる。


「怪我しなかったかしら」


 俺を抱き上げ、怪我の有無を確かめる。

 体のあちこちをさすったり、毛をかき分けて皮膚を見たりする。


「見たところ、怪我はないみたいね」


(心配させないようにしなくちゃな)


 俺は、カトリーナの腕の中から抜け出す。

 芝生の上を軽やかに歩いてみせる。

 ついでに、元気よく鳴く。


「にゃーにゃー」


「よかった。

 大丈夫みたい。

 あそこから落ちて平気だなんて、凄いわね」


「落ちる時、くるっと回ったの。

 こんなふうに」


 サンディーは、俺の身体能力を見逃さなかった。

 身振りを交え、やや興奮気味に話す。


「どういうこと?」


「こう」


 自分の手をいろいろな方向に回して説明する。


「……?」


「こうやって、こう」


「ええ?」


 カトリーナには伝わらない。

 サンディーは、口で説明するのを諦める。

 俺を、背中を下にした状態で持ち上げる。


「見てて」


 むりやりもう一度空中ひねりをやらせる気だ。


「さっきのくるっとやるの、またやってね」


 五十センチほどの高さで手を離し、俺を落とす。


 くるりっ。


 すたっ。


 今度も、着地に成功した。

 こんなに低くても身をひねって着地できたのは、自分でも意外だった。


「まあ、大したものね。

 逆さまに落ちたのに」


「でしょ、でしょ」


 サンディーは、得意顔だ。

 もう一度、俺を持ち上げ、同じことをする。


「ほら、またできた」


 きゃっきゃと喜んでいる。

 よほど猫の空中回転がお気に召したようだ。


 それから、持ち上げられて落とされるのを何度も繰り返す羽目になった。

 途中からは、ニーナと三人の若いメイドも見物に加わる。

 みんなが、俺の身のこなしに感嘆の声を上げる。


「凄いわ」


「身軽なのね」


「可愛いのにかっこいいわ」


「動作に気品すら感じますわ」


(これって、そんなに凄いのかなあ。

 こんなことで喜んでくれるのなら、もう少しやってやってもいいか。

 ちょっと疲れるけど。

 まったく、飼い主を楽しませるのも楽じゃないぜ)

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