22.サンディーと狸
第73~78話
ポン太をどうするか。
俺は、ちょっとした案を思いついた。
ポン太が骨董品か何かに変身して、それを屋敷に置いてもらうのだ。
「ポンッ!」
落ちていた林檎の葉を頭に乗せ、ポン太が変身した。
金属製の黒くて丸い壺のような容器だ。
「これって、どこかで見たことがあるようにゃ。
何だったっけにゃ」
「茶釜だポン」
「なるほどにゃ。
昔話の分福茶釜だにゃ。
この世界の日本、というか、ミョウゴ島にも分福茶釜の話があるのにゃ」
「変わった形の道具ですねコン。
これなら、珍しい骨董品として置いてもらえそうですコン」
ルナも、俺の考えた方法に賛成する。
「それでは、これをどうやってこの家の人に引き取ってもらうかですコン」
いきなり屋敷に茶釜を持ち込むのは不自然だ。
「近所で拾ったことにするのも変だしにゃ」
「そこら辺に落ちているような代物には見えませんコン」
ポン太が言うには、自分より小さな石ころなどには化けられないそうだ。
ある程度の大きさがないと駄目だという。
少々不自由な変身能力だ。
「狸一匹を屋敷に入れるのが、こんなに難しかったとはにゃ」
「私が、手伝いましょうか?」
突然、頭上から声がした。
見上げると、箒に乗ったサーナが、宙に浮いていた。
俺たちのテレパシーでの会話が、聞こえていたらしい。
「あなたは、魔女のサーナですねコン」
「びっくりしたポン。
これが、魔女っていうのかポン」
ポン太は、驚いた拍子に、茶釜から頭と手足と尻尾を出す。
茶釜を着ているような状態だ。
「ちょっと様子を見に来たら、あなたたちの会話がね」
サーナが、ゆっくりと地面に降りてくる。
「手伝うって、何をしてくれるのにゃ?」
俺は、テレパシーでサーナに問う。
「ネコさんも、いつの間にかテレパシーで異種族と話せるようになっていたのね」
サーナは、声に出して応える。
「その生物が変身したポットだか鍋だかを、人からのプレゼントとしてこの家の人に渡せばいいんじゃないの?
ちょうど明日は、この家にネコを見に客が来るんでしょ」
「その客からのプレゼントにするということですねコン」
「でも、どうやってその客に茶釜を持たせるにゃ?」
「そこは、私の魔法でなんとかするわ。
で、あなたの名前は?」
ポン太に尋ねる。
「ポン太だポン」
声に出して答える。
口で人間の言葉を話すこともできるようだ。
さすが漫画的な狸である。
「では、早速、私と来てください」
サーナは、茶釜を抱えて、どこかへ飛び去ってしまった。
翌日、予定通り、プルサティッラ家に客が来た。
ヒース氏とその家族だ。
サンディーたちの父、フェリックスの友人だ。
来訪の目的は、もちろん、俺だ。
「無理を聞いてもらって悪かったね、フェリックス。
家族が、話題の動物をどうしても拝見したいと言うものでね」
ヒースは、やや太り気味で、フェリックスと同年配だ。
フェリックスと昔なじみらしい。
「元気そうで何よりだ。
なかなか会えなかったからね」
父も嬉しそうだ。
しばらく二人での会話が続く。
「それで、だ。
ただ見せてもらうのも悪いから、土産を持ってきたよ」
「別に土産なんて……」
「まあ、受け取ってくれたまえよ」
ヒースが、箱を開ける。
出てきたのは、ポン太が変身した茶釜だった。
「実を言うと、ここへ来る途中、露天の骨董屋で見つけたんだ。
何か惹かれるものがあったので、衝動買いしてしまったんだよ。
異国風の珍しい形のポットだろ」
「君が欲しくて買ったのに、それを私にくれてしまっていいのかい?」
「いいんだ、いいんだ」
ヒースは、やや強引に茶釜をフェリックスに押しつける。
「じゃあ、ありがたく受け取るよ」
その後は、いつもの来客時と同じく、俺が主役となった。
ヒースの妻と娘が、俺を思う存分撫で回す。
幸いにも、ヒースからは、あまり触られなかった。
男にモフられても、あまり嬉しくない。
茶釜は、食堂のテーブルに置かれたが、注目する人はいない。
ポン太としては、一安心といったところだろう。
じろじろ見られる方が、ポン太にはつらいからだ。
午後になって、俺を楽しんだヒース一家は帰っていった。
カトリーナたち三姉妹は、テーブルの上にある土産の茶釜を眺めている。
俺も、ポン太が気になるので、茶釜のそばに行く。
「変わった形のポットよね」
「どのように使うものなのでしょうか」
「これって、叩いて鳴らす楽器じゃないの?
鳴ならしてみたい」
「いけないわ、サンディー。
せっかくの頂き物が壊れてしまうかもしれないわ」
「ミョウゴ島あたりから伝来した品のような感じがしますわ。
飾って観賞するのがよいと思いますわ」
さすが物知りのニーナだ。
見ただけで、ミョウゴ島の名が出てくるとは。
(そういえば、ユキは、ミョウゴ島の工芸品の輸入に関わっていたんだっけ。
この国の人が、日本風の文物を知っていても、別に変じゃないな)
茶釜は、三姉妹の興味を長時間引くほどの代物ではなかった。
すぐに見飽きて、立ち去ろうとする。
「行くわよ、ネコ」
サンディーが、俺を呼ぶ。
「ずっとポットのそばにいるつもりみたいよ」
「気に入ったようですわ。
ポットと一緒にいさせてあげましょう」
三人は、俺を食堂に残して、居間へ向かう。
「どうやってあのヒースという男に買ってもらったにゃ?」
俺は、テレパシーでポン太に話しかける。
ポン太が、茶釜のまま答える。
「サーナが、骨董屋になって、おいらを売ってくれたポン。
魔法の力で、あの人が買いたくなったんだポン」
「やっぱりにゃ。
だけど、どうしてヒースを経由しないといけないんだにゃ?
そんな魔法が使えるんなら、この家の主人に直接魔法をかけて、茶釜を欲しくさせたっていいはずにゃ」
「そんなこと、おいらに聞かれても困るポン」
かなり回りくどいような気がする。
そうしないとうまく魔法が発動しない事情があるのだろうか。
魔法は、どんな場合でも都合よく使えるわけではないらしい。
それはともかく、ようやくポン太を屋敷に引き入れることができた。
屋敷の中で、何もトラブルが起きなければよいのだが。
ᓚᘏᗢ
ポン太が変身した日本風の茶釜は、食堂の片隅に飾られることになった。
洋風の部屋なので、やや不似合いな感じがする。
ポン太の食事は、ルナが、隙を見て届けることになった。
「あれから三日だけど、特に何もないにゃ。
火鼠が現れたという話も聞かないにゃ」
食堂に人がいない時、俺とポン太が話をする。
「火鼠が現れないなら、何も問題はないポン。
この前の火鼠は、多分、先遣隊みたいなのだポン。
おいらにやられたので、他のも逃げていったに違いないポン」
「だといいんだけどにゃ」
ポン太に断言されても、不安は拭いきれない。
「ところで、ずっと茶釜のままで退屈じゃないのかにゃ?」
「退屈だけど、割と楽だからいいポン。
それに、夜中に家の中を少し歩いたりしてるポン」
「そうだったのにゃ。
寝てたから気づかなかったにゃ。
でも、家の人にばれないように気をつけて欲しいにゃ」
「わかってるポン」
かーん。
茶釜の蓋が跳ね上がり、無人の食堂に金属音が響く。
ポン太が、威勢のよいところを見せようとして、体を動かしたのだ。
「言ってるそばからにゃ……」
「うっかりしてたポン」
かたっ。
ドアが開く音がした。
サンディーが、食堂に入ってきたのだ。
「ネコ、そのポットに触っていたの?」
茶釜の音を聞かれてしまったようだ。
「よっぽどそれが気に入っているのね」
「にゃ……」
「これの何が面白いの?」
じろじろ。
じろじろ。
サンディーは、茶釜に顔を近づけて眺め回す。
目つきが、いつになく鋭い。
「これ、昨日と場所がずれてる。
これって、結構重いから、ネコが動かせるとは思えないけど……」
サンディーに疑われてしまった。
「なんだかよくわからないけど、このポットって、この前見たあの動物っぽい感じがするのよね。
あの石と同じ感じもするわ。
もしかして、あいつが、これに変身しているんじゃ……。
ネコも、そう思わない?」
「にゃ……」
「やっぱり、そう思うのね。
それで、これを気にしていたのね」
俺の返事が、同意したことにされてしまった。
否定したつもりだったのだが。
常にサンディーとの対話が成立する訳ではないのだ。
「空っぽだわ」
サンディーが、茶釜の蓋を開けて、中を確認する。
「でも、これ自体が、あの動物なのよ」
こんこん。
こんこん。
蓋を開けたまま、指の関節で、茶釜の表面を軽く叩く。
意外にも、綺麗な澄んだ音がする。
「やっぱり楽器みたい」
こんこんこんこん。
こここんここん。
面白がって、何度も叩き続ける。
ポン太は、今、どんな気持ちなのだろうか。
テレパシーが、伝わらない。
精神が乱れているようだ。
「反応がないわね。
でも、やっぱり何か怪しい」
なかなか諦めない。
茶釜の正体を暴く方法を考えて、首をひねる。
「うん」
すぐに何かを思いついたようだ。
茶釜を両手で抱くようにして持ち上げる。
そのまま食堂を出て行った。
俺も、サンディーの跡を追う。
サンディーは、厨房に入っていった。
リータが、一人で仕事をしている。
「ねえ、リータ、これに水を入れてお湯を沸かして」
「お湯が欲しいのですか?
ですが、この骨董品のポットは、使わない方がよろしいかと」
リータが、困惑しながら答える。
「これでお湯を沸かして欲しいの」
「貴重な品を勝手に火にかけるわけには参りませんわ」
「わかったわ」
サンディーは、素直に引き下がった。
普段から、サンディーは、メイドには我が儘をあまり言わないのだ。
茶釜を持ったまま、別の場所に向かう。
ポン太が火あぶりになる危機は、一応、回避された。
サンディーが次に目指すのはどこか。
俺は、またサンディーの後について歩く。
サンディーは、屋敷の外に出る。
生け垣を抜け、早足でどこかへ歩いて行く。
村の方でも牧場の方でもない。
いつもはあまり行かない方角だ。
草に覆われた道をしばらく進む。
温泉の匂いが強くなってくる。
屋敷の風呂場で使う温泉の源泉に近づいてきたのだ。
「確か、この辺だったとおもうけど」
草をかき分けると、人工物が姿を現した。
温泉を屋敷に送るための管だ。
管は、直径が十センチほどで、半分地面に埋まっている。
「ネコは、こっちに来るのは初めてだったわね。
この先にお風呂のお湯の井戸があるのよ」
俺は、そっと管に触ってみる。
陶器でできていて、かなり熱い。
素早く前脚を引っ込める。
「ほら、触ると熱いでしょ。
本当は、危ないからこっちへ来ちゃいけないんだけど」
サンディーは、管の横をさらに歩き続ける。
両手には、重い金属の茶釜を持っている。
足下の不安定な道を行くのは大変なはずだ。
よほど茶釜の正体を暴きたい気持ちが強いのだろう。
硫黄の香り、つまり硫化水素の匂いが増してくる。
水の流れる音がする。
湯気も漂ってくる。
源泉は、もうすぐだ。
「ついたわよ。
熱いから気をつけるのよ」
ぼこぼこ。
ぼこぼこ。
小さな温泉だが、お湯が激しく湧出している。
見るからに水温が高そうだ。
落っこちたら、命はないに違いない。
お湯の一部が、管に流れ込んでいる。
管の周りは、温泉の結晶がこびりついている。
定期的に管を取り替えないと、詰まってしまうだろう。
「さあ、やるわよ。
見てなさい。
本当のポットなら、これぐらい平気なはず」
サンディーは、ゆっくりと慎重に熱水に近づいてゆく。
茶釜を温泉に入れる気だ。
(足を滑らせるなよ)
俺は、心の中で祈る。
ついでに、ポン太の身も案じる。
ᓚᘏᗢ
サンディーは、ゆっくり慎重に熱水に近づいてゆく。
両手で茶釜を持っている。
茶釜に湯を入れれば、偽物であることを証明できると思っているのだ。
そろーり。
そろーり。
足下は、岩に湯の花が付着していて、ぬるぬるした感じだ。
滑りやすそうで、危なっかしい。
転んだら、怪我をするのは確実だ。
まして、熱湯の中に落ちたりしたら、一溜まりもない。
そろーり。
そろーり。
熱湯の池に手が届くところまで接近する。
しゃがんで、茶釜を水面に近づける。
水面は、地中から湧き出す勢いで波立っている。
手に熱湯が触れてしまいそうだ。
茶釜を持つサンディーの両手が、まっすぐに伸びる。
水面に届くには、やや距離が足りない。
ずず。
ずず。
しゃがんだまま、摺り足で少しずつ前進する。
次第に体が前のめりになる。
足下が濡れていて、今にもバランスを崩しそうだ。
つるっ。
ついに足を滑らせてしまった。
頭から熱湯に突っ込みそうになる。
その寸前、俺は、サンディーの襟を背後から噛みついた。
サンディーは、俺の口からぶら下がっている。
母猫が子猫を口で持ち上げるような状態だ。
俺は、少し前から巨大化して、危険に備えていたのだ。
「え?」
サンディーは、きょろきょろと周りを見回す。
自分がどうなっているのか理解できていない。
俺は、ゆっくりとサンディーを安全な地面に下ろす。
「あっ、ネコ!
また大きくなったのね」
がらん。
茶釜を放り出し、俺の体に抱きつく。
「やっぱりもふもふだわ」
俺の毛皮に顔を埋める。
もふもふ。
もふもふ。
「危ないことは、やめて欲しいにゃ」
「だいじょぶよ」
「大丈夫じゃなかったにゃ」
「そう?」
命の危機を自覚していなかったらしい。
俺がついてきて正解だった。
「ところで、茶釜はどうしたにゃ?」
「ちゃがま?」
「あのポットのことにゃ。
あっ、あったにゃ」
茶釜は、温泉の縁ぎりぎりの石の上に止まっていた。
風が吹いただけでも熱湯の方に傾きそうだ。
迂闊に近寄ることもできない。
「あれって、何なの?」
「説明が難しいにゃ」
俺は、そっと右の前脚を茶釜に伸ばす。
爪を立てて、茶釜の縁に引っかけようとする。
だが、猫は、指が器用ではないのだ。
なかなか思ったように爪が引っかからない。
つるっ。
右前脚に気を取られ、左前脚を滑らせてしまった。
その弾みで、体が揺れる。
茶釜を押してしまう。
ぼちゃ。
茶釜は、船のように水面に浮かぶ。
数秒、波間を漂う。
熱水でも平気なのだろうか。
「ぎゃあああああああっポン」
全然平気ではなかった。
ポン太の変身が解けた。
水面からロケットのように飛び出す。
「熱いーっポン」
わめきながら、温泉の周りを走り回る。
「何するんだポン」
俺に向かって怒鳴りつける。
「あーっ、やっぱり」
サンディーが叫び、ポン太を追いかける。
「何するんだポン」
「捕まえたっ!」
ポン太は、とうとうサンディーの手に落ちた。
せっかく正体を隠し続けてきた努力が水の泡だ。
いや、お湯の泡か。
「うわあ、あなたも人の言葉が話せるのね」
サンディーは、感激してポン太を見つめる。
「そうだポン。
だから、そんなに強く握らないで欲しいポン」
ポン太は、サンディーに両腕を握りしめられている。
熱がってはいたが、特に火傷はしていない。
さすが、ユキに作られた特殊な生物だ。
「あなたは、動物なの?
それとも、妖精か何か?
名前は?」
サンディーは、わくわくした表情で質問する。
「ポン太だポン。
動物だけど、動物じゃないかもしれないポン。
自分でも、よくわからなくなってきたポン」
「ネコとは、友達なの?」
ポン太は、少し迷う。
「まあ、友達なんじゃないかなポン」
俺としては、ポン太と友達になったつもりはなかった。
だが、ポン太が俺を友達だと思うなら、友達で構わないだろう。
別に悪い気はしない。
その後も、サンディーは、散々ポン太を質問攻めにした。
ポン太は、答えるのに苦労していた。
やがて、夕方に近づいてきた。
そろそろ屋敷に帰る時間だ。
しかし、このまま帰宅するわけには行かない。
「サンディーにお願いがあるにゃ。
俺とポン太のことは、他の人には内緒にしておいてもらいたいにゃ。
俺たちとサンディーだけの秘密にしておいて欲しいのにゃ」
「なんで?」
サンディーは、きょとんとした顔になる。
「なんでと言われると困るのだけど、人に知られると困ることが多いにゃ」
「どうして困るの?」
説明しても、サンディーにわかってもらえる自信がない。
世界の危機などのことを、話し下手の俺が、どう説明するのか。
理解してもらえる方法を必死に考える。
「秘密にした方が面白いにゃ」
口に出してから、困る理由になっていないことに気づく。
「うん、わかったわ。
サンディーたちだけの秘密ね」
意外にも、納得してくれた。
自分だけの秘密を持つことに魅力を感じたのかもしれない。
とりあえず、余計な騒動は避けられそうだ。
サンディーの口が堅ければの話だが。
ᓚᘏᗢ
俺は、元の大きさに戻った。
ポン太も、再び茶釜に変身する。
サンディーが、茶釜を抱えて屋敷へ帰る。
「安心して。
あなたたちのことは、誰にも言わないわ」
頼もしげに胸を張って歩く。
誰も知らない不思議なことを自分だけが知っているのだ。
誇らしい気分なのだろう。
問題は、『王様の耳は驢馬の耳』の主人公みたいになる可能性だ。
秘密を話さずにいるのは、かなり難しい。
子供の忍耐力なら、なおのことだ。
(心配してもしょうがないか。
サンディーを信用しよう)
「あなた、源泉に行ったでしょ。
危ないから近づいたらいけないって言ってあったでしょ」
カトリーナが、帰宅したサンディーを咎める。
「え、なんで?」
「温泉の匂いが、体に染みついているわ」
「えっと、それは、その……」
サンディーは、まごつきながら弁解を試みる。
「お風呂場で遊んでいたのよ」
「本当かしら。
そんな様子はなかったけど」
じとー。
カトリーナは、疑いの目でサンディーを見つめる。
「あ、そうそう。
ネコが源泉の方に行っちゃったから、連れ戻しに行ったのよ」
(俺のせいかよ。
ていうか、下手な言い訳だな。
そんなのじゃ、信じてもらえるわけがないだろうが)
「へえ、ネコが、一人で勝手に?」
カトリーナの表情が、さらにきつくなる。
顔を近づけ、サンディーの目を覗き込む。
「うう……」
サンディーは、うろたえて目をそらす。
俺は、サンディーが可哀想になってきた。
自分も共犯という負い目もある。
助け船を出すことにした。
「にゃーにゃー」
すりすり。
すりすり。
カトリーナの足下にすり寄って、鳴き声を上げる。
助け船と言っても、俺にできることは限られている。
できるだけカトリーナの気をそらすのだ。
「ネコったら、急にどうしたのかしら?」
「にゃーにゃー」
「もしかして、サンディーをかばっているの?」
「にゃーにゃー」
「わかったわ。
ネコに免じてサンディーのことは許すわ。
今度から、危ないところに近づいたらいけませんよ」
「はい」
サンディーは、安堵の表情だ。
おれも、ほっとしている。
問い詰められると、口を滑らせてしまうかもしれなかったからだ。
おそらく、サンディーも、秘密を話さずにすんで安心しているだろう。
ポン太が変身した茶釜は、再び食堂の片隅に飾られた。
サンディーとルナ以外に正体を明かすわけには行かない。
茶釜として暮らす日々が続くことになる。
「昼間は、すまなかったにゃ」
家の者が、皆寝静まった。
俺は、茶釜状態のポン太にテレパシーで話しかける。
がたがた。
がたがた。
「まったくだポン。
おいらが特別な狸でなかったら、ゆであがって狸蕎麦になってたポン」
茶釜を揺らしながら怒る。
「そんなに音を立てるとまずいにゃ。
家の人に感づかれるにゃ。
サンディー以外には、まだばれたらいけないにゃ」
「まあ、いいポン。
それより気づいたことがあるポン」
「何にゃ?」
「あそこに温泉があったけど、温泉があるってことは、このあたりに地熱があるってことだポン。
もしかすると、火鼠が現れたのも、その地熱と関係があるのかもしれないポン」
「どういうことにゃ?」
「火鼠の親玉は、火光獣とも呼ばれているポン。
火光獣は、この大陸の中央にある火山に住んでいると伝説にあるポン」
「そして、大陸の各地に伸びる地底の熱い部分が、火鼠たちの通り道になっているということですねコン。
そこを通れば、熱のエネルギーを失わずに歩けるのらしいのですコン」
ルナが、食堂に入ってきた。
屋内なので、人間の姿だ。
「あの温泉の付近に火鼠の出入りする穴があるのかもしれませんコン。
そのことは、あたしの調べでも少しはわかっていましたコン」
「そうなのにゃ。
それで、どうするにゃ?
何か対策はあるのにゃ?」
「これから森の妖精たちとも協議しないとなりませんが、出口の穴を見つけて、そこでどうにかすることになるでしょうコン」
「また戦わなきゃならないのかにゃ」
「妖精には、結界を張る能力がありますコン。
しばらくの間、防御できるはずですコン。
これから森に帰って、このことを伝えようと思いますコン」
ルナは、そのまま屋敷を出て行った。
それからしばらくは、平穏な日々が続いた。
妖精たちによって張られた結界が効いているのだ。
俺は、いつもの生活を続ける。
ルナは、メイドの仕事をこなす。
しかし、結界がいつまで持つのかはわからない。
火鼠が大群で襲ってきたら、耐えられないだろうとのことだ。
それまでに、妖精たちが戦い方を考えるそうだ。
ポン太は、一日の大半を茶釜の姿でいる。
狸の姿だとサンディーに遊ばれてしまう。
子供に遊ばれるのは、プライドが許さないのだそうだ。
サンディーも、茶釜のままでいるポン太に飽きてしまった。
茶釜の正体が狸である事実すら、次第に夢か現実か区別がつかなくなってきているようだ。
結局、サンディーの遊び相手は、俺の役目で変わらない。
そんなある日、またサンディーが、厄介なことを考えついた。
「さあ、この綱を渡るのよ」
庭にある二本の木の間に、水平にロープが張られている。
サンディーは、俺に綱渡りをしろと言うのだ。
前日に村にやってきたサーカスに影響されたのだ。
極めて素朴なサーカスだった。
だが、娯楽の少ない村では、十分に楽しめる見世物だった。
サンディーも、村人と一緒に真剣に見入っていた。
「ネコも見ていたでしょ、昨日の綱渡りを」
サンディーは、地面にいる俺を後ろから押す。
ロープに登らせようとしているのだ。
高さは二十センチほどなので、登るのは簡単だ。
問題は、俺に綱渡りなどする気がないことだ。
「枝の上とかでも歩けるのだから、これぐらい簡単でしょ」
簡単なことをやれば、次に難しいことをやらされるに決まっている。
そのうち難度が際限なく上がるはずだ。
怪我はしたくない。
はじめから拒否しておくのだ。
「さあ、ここに乗って」
俺を抱え上げ、むりやりロープに乗せる。
ロープの太さは、一センチほどだ。
猫のバランス感覚を持ってすれば、渡れないことはない。
俺は、初歩的な綱渡りだけはやってあげることにした。
ᓚᘏᗢ
ゆらゆら。
ゆらゆら。
ロープの上で俺が体を動かすと、ロープが左右に激しく揺れる。
だが、俺は、バランスを崩さない。
猫の三半規管は優秀だ。
体が揺れても、頭部だけは水平を保ち続ける。
我ながら、猫の優れたバランス感覚には驚かされる。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
揺れるロープの上を少しずつ歩く。
「わあ、綱渡りだわ。
すごーい」
サンディーは、きゃっきゃと喜んでいる。
(そりゃ、綱渡りさせられてるんだし)
ロープの長さは、三メートルほどだ。
俺は、ロープの中間にさしかかる。
揺れが最も激しくなる部分だ。
さすがにバランスを維持するのがきつくなる。
俺は、最初は綱渡りなどしたくなかったのだが、意地になってきた。
できるところを披露したくなったのだ。
綱から落ちないようにこらえる。
「うーっ!
すごい、すごい」
余計にサンディーが興奮する。
目を輝かせて、俺が渡りきるのを期待している。
結局、最後まで渡りきってしまった。
(火鼠が来るかもしれないって時に、こんなことして遊んでていいのかな。
俺って、サンディーの遊び相手になっているうちに、乗せられやすい性格になっちゃったのかなあ)
「やっぱり、ネコってすごいわ。
サーカスの人は、棒を持ってバランスを取っていたけど、何も持たないで渡ったわ。
今度は、もっと高いところでやるわよ」
(やっぱり、そうなるんだよなあ)
サンディーは、嬉しそうにロープを張り替える。
一メートルぐらいの高さになった。
またロープの上に俺を乗せる。
(高くても低くても、やることは同じだ。
もう一度だけやってあげるか)
俺は、再び綱渡りを始める。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
ロープが揺れる。
張りが緩いらしく、前回より揺れが大きい。
それでも、中間点までは難なく到達した。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
揺れに耐えながら進もうとする。
そこへサンディーが寄ってくる。
つん。
指でロープをつつく。
さらに揺れを激しくしようとの魂胆だ。
ゆーらゆーら。
ゆーらゆーら。
横揺れが増す。
さすがの俺も、耐えきれなくなる。
俺は、地面に飛び降りようとする。
「がんばって。
降りては駄目よ」
サンディーは、俺に声援を送る。
俺に向けられた純真な瞳が、俺の心に刺さる。
綱渡りをやめるべきか期待に応えるべきか、俺は迷う。
つん。
つん。
サンディーは、もっと揺れを強くする。
俺の三半規管は、能力の限界に近づいてくる。
目が回りそうだ。
このまま地面に飛び降りても、しっかり着地できるか心配だ。
「すごーい。
まだ落ちない」
「にゃにゃあ(もう落ちる寸前なんだけど)」
「こら、やめなさい。
危ないわよ」
ニーナだった。
ロープを押さえて、揺れを止めてくれた。
俺は、ほっと息をつく。
「ネコが、見るからに大変そうでしたわ。
可哀想じゃありませんか」
「これくらい大丈夫よ」
サンディーが、むくれる。
「大丈夫には見えませんでしたわ。
危険なことをネコにやらせてはいけませんわ」
ニーナは、俺を抱いて屋内に入る。
サンディーは、遊びを中断されて不満そうだ。
「玉乗りとかもさせたかったのにい」
「サーカスに影響されるのは構いませんが、自分でやらずにネコにやらせるなんて間違っていますわ」
「ネコがやるから面白いのよ」
「ネコは、面白いと思っているのでしょうか?」
「ん……」
サンディーは、答えられなかった。
だが、ニーナの言葉を理解できているはずだ。
これからは、俺への無茶な要求は、少しは減るだろう。
たぶん。
その夜、外で何やら物音がした。
二階にあるサンディーの部屋で寝ていた俺は、窓から外を確認する。
窓の下は、ちょうど昼間の綱渡りをした場所だ。
まだ木にロープが張ったままだ。
そのロープの上には、月明かりに照らされたポン太が歩いている。
「何をやっているにゃ?」
俺は、テレパシーで話しかけながら、窓から地面に降りる。
「昼にお前がやってるのを見て、ちょっと遊びたくなったポン。
おいらは、綱渡りが好きだポン」
ポン太は、二本足で上手に綱渡りをしている。
不格好な体型の割に、バランス感覚に優れているようだ。
(そういえば、俺が読んだ絵本の分福茶釜でも、狸が綱渡りとかの曲芸をしていたっけ。
こっちの世界の分福茶釜でも、同じなのかな)
「綱渡りは、お前の特技にゃ?」
「そうだポン。
特にこんな月夜は、気分がよくなって、無性にやりたくなるポン」
「月夜に浮かれるところなんかも、狸らしいにゃ」
「うーっ!」
頭上から声がした。
二階の窓からサンディーが見下ろしている。
「ポン太も、綱渡りができるのね」
窓から首を引っ込めると、走って勝手口から出てきた。
「もっといろいろな技を見せて」
「技と言われても、特にないから困るポン」
「何かやってくれないと、サンディーが寝てくれないにゃ」
「しょうがないポン」
ぴょんぴょん。
ポン太は、ロープの中央で、片足で跳びはねてみせる。
「わあ、すごーい」
サンディーは、大喜びで拍手をする。
「あんまり音を立てると、家の人が起きてしまうにゃ。
と、サンディーに言ってくれにゃ」
今の俺には、サンディーと直接話せない。
ポン太にテレパシーで伝える。
「……なので、静かに見物して欲しいポン」
「わかったわ」
サンディーは、小声で答える。
ᓚᘏᗢ
ポン太は、綱渡りの芸を披露する。
サンディーは、庭の芝生に座って芸を鑑賞している。
ポン太の芸は、本職のサーカスに比べれば、かなりぎこちない。
それでも、サンディーは喜んでいる。
「随徳寺の老松だポン」
綱の上で片足立ちをする。
もう片方の足と両手を木の枝のように伸ばす。
松の木を模したポーズらしい。
ポン太の体は、ぐらぐら揺れている。
今にも落ちそうだが、落ちない。
ぎりぎりのバランスだ。
ぱちぱちぱち。
サンディーが、大きな音を立てないように拍手をする。
危なっかしいが滑稽な芸が面白いらしい。
「さて、お次は……」
くるり。
ポン太は、綱の上ででんぐり返しをし、見事に立ち上がる。
今度も、落ちそうで落ちない。
「ずごーい」
ぱちぱちぱち。
サンディーの拍手が大きくなる。
俺は、サンディーの袖に手をかけ、拍手を弱める。
他の人間に見つかりはしないか、気が気でない。
「あれぐらい、あたしにだってできますコン。
やりませんけどコン」
メイド姿のルナが、いつの間にか俺たちのそばに立っていた。
突然、人の影が現れたので、俺の心臓が飛び出しそうになる。
「びっくりしたにゃ」
「サンディーお嬢様が出て行くのに気づいて、様子を見に来ましたコン」
俺にテレパシーで話す。
「夜中にこんな曲芸が行われていたとはコン」
「ポン太の特技らしいにゃ」
ポン太の綱渡り芸は、なおも続く。
だが、サンディーの拍手が、だんだん弱くなってくる。
眠気に勝てないのだ。
とうとう座ったまま寝てしまった。
ポン太の芸も終了となる。
サンディーは、ルナに抱えられ、自室のベッドに戻った。
「心の準備をしておいてください、ネコさん」
ルナが、サンディーをベッドに寝かしながら俺に言う。
「早ければ明日、深夜だからもう今日かもしれませんコン。
事態が動きそうなのですコン」
「何が起きるにゃ?」
「その時が来ればわかりますコン。
今のうちに、この家の人に何か挨拶をしておいた方がよろしいかもしれませんコン」
「挨拶と言われてもにゃ。
俺がしゃべれることは、サンディーしか知らないにゃ」
俺は、自分のことを告げる方法を考える。
しかし、特に別れの言葉など思い浮かばない。
そもそも、永遠の別れになってしまうのだろうか。
死ぬつもりなどない。
どうにかして生き残るつもりだ。
「挨拶なんて必要ないにゃ。
その時はその時にゃ」
「それでよろしいのですねコン」
俺とルナは、翌朝に備えて眠りにつく。
その日の朝は、いつもと同じ爽やかな朝だった。
サンディーの起床が遅かった以外は、何も変わらない。
午前中、三姉妹の勉強時間に、俺は、庭を散歩していた。
突然、俺の頭上一メートルほどの空中に物体が出現した。
よく見ると、箒に乗った魔女のサーナだった。
「急いで私と一緒に来て」
「こんな明るい時間に来て、人に見られたらどうするにゃ!」
俺は、予期していたとはいえ、急なことで困惑する。
テレパシーでサーナに怒鳴る。
「ちょうど今は大丈夫よ。
それに、見られることなんて気にしている場合じゃないわ」
「ついに火鼠の本格的な攻撃が始まったのにゃ?」
「早くしてくださいコン」
ルナが、俺のところに駆けつける。
「あたしも、後から合流しますコン。
鼠に対する切り札であるあなたが活躍する時なのですコン」
「ちょっと待つにゃ」
俺は、何も言い残さずに屋敷を出るのをためらう。
周りを見回すと、林檎の木が目に入った。
がりがり。
がりがり。
木の幹に爪で傷をつける。
置き手紙の代わりだ。
「しばらくしたら帰るから心配するな」との意味を込めたつもりだ。
もちろん、サンディーたちに理解できるはずはない。
だが、何らかの意思は感じ取ってもらえると期待している。
ぴょん。
俺は、サーナの箒に跳び乗る。
「行くわよ」
サーナが、箒の柄を叩く。
ひゅっ。
箒が、風を切って高速で飛ぶ。
一瞬で、温泉の源泉がある山腹の上空数十メートルに至る。
以前ここに来た時より湯気が強い。
地熱の力が増していると思われる。
俺の髭は、地熱とは別の熱を感じている。
姿は確認できないが、近くに火鼠がいるのだろう。
どこにいるのかまでは、探知できない。
「元気にしておったようじゃな」
サーナのそばに箒に乗ったエスメラルダが現れた。
「元気ではあるけど、戦うほどの元気は、あるのかどうか……にゃ」
「元気ならよい。
これからすぐに地底に潜ってもらう」
エスメラルダは、俺の鼻先に人差し指を突き出す。
「どうやって潜るにゃ?
入れるような穴なんて、ここからじゃ見当たらないにゃ」
「水に潜るように土の中に潜るのじゃ」
俺には、エスメラルダの言う意味が理解できない。
「もちろん、あなた一人では無理よ。
協力者が必要なの」
エスメラルダとサーナが、両手のひらを俺に向ける。
強い魔力が俺の中に流れ込んでくるのを感じる。
びびびびびびびびび……。
激しい波動だ。
体が熱くなる。
一瞬意識が薄れ、危うくサーナの箒の柄から落ちそうになる。
必死にバランスを保ち、落ちるのを免れる。
サンディーに綱渡りをやらされた経験が役に立った。
「な、何だ、このびびびって感覚は……にゃ?」
この魔力は、初めて感じるものではない。
以前にも、この魔力の持ち主と出会っている。
「ヴィヴィペラよ。
ヴィヴィペラを魂魄化して、あなたに融合させたの」
「あの怪物を融合にゃ?」
俺は、驚き呆れる。
何かが俺の体内でうごめいている感覚がある。
「ヴィヴィペラがあなたを気に入っているからこそ融合できたのよ」
「なかなかよい感じに融合できておるようじゃ」
「よい感じ……なのか……にゃ」




