2.美少女三姉妹
第4~6話
俺は、ニーナに抱かれたまま、台所に連れて行かれた。
台所には、電化製品はない。
調理台、窯、食器棚、どれも年季が入っている。
壁に掛けられた調理器具や肉の塊も、本格的だ。
「人のいない時間でよかったですわ」
「メイドたちを驚かせないで済むわね」
ニーナが、調理台の横のテーブルに俺を置く。
「この子は、何を食べるのかしら」
(俺が未知の生物だから、わからないんだな。
猫になってから何も食べてないけど、やっぱり、魚とか肉だろうな。
だけど、そのことをどうやって伝えたらいいんだ?
いきなり俺が人の言葉をしゃっべったら、この子たちがびっくりするだろうな。
ていうか、そもそも俺って、しゃべれるのか?)
「とりあえず、何でもいいから食べさせてみましょうよ」
カトリーナが、台所の中を探す。
箱にまとめられていた野菜を台所の隅に見つける。
「この子は、大きさが兎ぐらいだから、草を食べると思うわ。
野菜を与えてみましょう」
(おいおい。
猫が、野菜なんか食べられるかよ。
猫草ならともかく)
カトリーナが、菜っ葉のような野菜を箱から取り出す。
小さくちぎって、俺の顔の前でひらひらさせる。
ひらひら。
ひらひら。
「さあ、お食べ」
(猫である俺が、葉っぱなんか食べて大丈夫なのか?
消化できないんじゃないか?)
俺は、しばし躊躇する。
「ほおら、ご飯よ」
ひらひら。
ひらひら。
さらに俺の口元に近づけてくる。
(参ったなあ。
食べなきゃ駄目かな)
「待って、お姉様。
この子、あんまり食べたそうじゃありませんわ」
「お腹がすいてないのかしら」
「野菜を食べるのではないのかもしれませんわ」
ニーナは、俺の口に指を当てる。
俺の口を開けるつもりのようだ。
歯の形を見たいのだとわかった。
俺は、歯医者に見せるように、素直に口を開ける。
ニーナが、俺の歯を観察する。
カトリーナも、一緒にのぞき込む。
「どう?
わかる?」
「歯の形が、犬のに似ている気がしますわ。
ですので、犬と同じように、お肉を食べるのかもしれませんわ」
「よくわかるわね」
「動物は、それぞれの食べるものによって歯の形が違うと、本に書いてありましたの」
「へえ。
さすが読書家ね」
「そんな……」
ニーナは、照れくさそうに肩をすくめる。
カトリーナが、壁に掛かった肉の塊を取る。
生ハムの原木と同じように蹄がついている。
肉に詳しくない俺には、何の動物かはわからない。
「それでは、お肉を与えてみましょう」
肉塊を調理台の上に置く。
包丁で、端の方を小さく切り取ろうとする。
手つきが、ぎこちない。
「気をつけてください」
ニーナが、心配そうに姉を見守る。
「大丈夫よ」
全然大丈夫に見えない。
手が震えている。
ちょっとでも手を滑らせたら、自分の指を切ってしまいそうだ。
貴族の娘なので、普段、料理などしないのだろう。
見ているこっちが、はらはらする。
俺がやる、と言いたいところだが、猫の手で包丁は握れない。
「はあ。
やっと切れたわ」
カトリーナは、一分ぐらいかけて、ようやく小さな肉片を切り出した。
猫の口にちょうどいいくらいの大きさだ。
「はい、どうぞ」
肉片を手のひらに乗せ、俺の前に差し出す。
姉妹は、今度こそ食べるだろうと、俺をじっと凝視している。
じぃー。
じぃー。
俺は、少し緊張する。
緊張する理由なんてないのに。
(ここは、二人の期待に応えないとな。
この肉なら猫でも食べられるだろうし)
俺は、首を伸ばし、手のひらの上の肉に口を持っていく。
肉を口に入れる。
「食べたわ」
「食べましたわ」
二人は、手を取り合って感激する。
驚いたのが、この肉が、途轍もなく美味しかったことだ。
はじめは、ちょっと固い肉だと思った。
何回か噛むと、じわじわと口内にうまみが広がっていく。
小さな肉片から美味しさのエキスが無限に噴出しているかのような感覚だ。
こんな肉は、前世では全く味わったことがない。
肉食動物の猫だから感じるうまさなのか。
この肉が上等だからなのか。
まさか、この世界で最初の食事で、これほどの味覚の幸せを経験するとは、予想もしなかった。
「にゃーにゃー」
俺は、思わず次をねだってしまった。
「喜んでいるみたいですわ」
「嬉しそうな顔をしているように見えるわ。
もっとお肉をあげましょう」
カトリーナは、再び肉を小さく切ってくれた。
その肉を食べると、やっぱりうまい。
錯覚ではなかった。
何という口福。
俺の食べる姿を見つめる二人も幸せそうだ。
にこにこと微笑んでいる。
にこにこ。
にこにこ。
にこにこ。
にこにこ。
「こんなに美味しそうに食べているのを見ると、自分まで美食を味わっている気がしてきますわ」
「本当だわ」
猫である俺が、どんな表情になっているのか、自分ではわからない。
そもそも、猫に表情があるのだろうか。
二人の目には、よほどよい食べっぷりに映っているらしい。
なんだか照れくさい気分だ。
猫なのだから、恥ずかしがってもしょうがない。
変に気取らないことにしよう。
俺は、さらに肉をもらって食べ続けた。
その時、台所に近づいてくる人の足音が聞こえた。
ᓚᘏᗢ
勝手口の戸が、外から開く。
庭から厨房に入ってきたのは、メイド服を着た少女だった。
名前は、リータ。
十代後半ぐらいの若いメイドだ。
「こんなところで、どうしたんですか、お嬢様?」
カトリーナとニーナは、驚いて、体がピクンとなって硬直する。
「あら。
リータ……」
「ええと、その……」
リータは、テーブルに乗っていた俺に気づいた。
「そ、それは……!?」
目を丸くして、俺を指さす。
「この子は、何というか、さっき庭で……」
カトリーナが、説明を試みる。
ちょうどよい言葉が出てこないようだ。
リータは、体を震わせている。
ぷるぷる。
ぷるぷる。
「な、な、な、何なんですか、この可愛いのは!?」
さらに二人のメイドが、厨房に入ってきた。
みんな、俺の可愛さにハートを打ち抜かれてしまった。
三人のメイドにモフられることになった。
メイドの名は、リータの他は、ミッジとペギー。
皆、同じぐらいの年格好だ。
この屋敷で、住み込みで働いている。
使用人には、男の執事などもいるが、今ここには来ていない。
「食べ物のことなら、私たちにおっしゃってくださればよかったのに」
リータが、俺を撫でながら、カトリーナに言う。
「ごめんなさい。
あなたたちが、もしこの子を好きにならなかったらどうしようと考えてしまったの」
「わたくし、自分の感性に自信がなかったんですの。
何しろ、初めて見る動物なので」
カトリーナとニーナは、メイドたちにわびる。
「誰が見たって、感想は同じですよ」
「そうですとも」
「こんなに可愛いんですから」
そう言いながら、リータ、ミッジ、ペギーの三人が、俺を撫で回す。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
さすがに、三人同時はきつい。
体中の毛がぐしゃぐしゃだ。
俺の体が、本能的にぶるっと震える。
「「「きゃっ」」」
三人が、びっくりしてのけぞる。
この場にいる五人は、あまり俺を撫ですぎてもよくないことを悟ったようだ。
ニーナ、
「あまり撫ですぎると、さすがに嫌がるみたいですわね」
リータ、
「すみません。
あまりにも撫でたくなる姿をしていたもので」
カトリーナ、
「今度からもっと優しく撫でないといけないわね」
ミッジ、
「あら?
この子、自分の体をなめているわ」
俺は、本能のままに体をなめていた。
どうやら、俺の中には、人間の知能と猫の本能が共存しているらしい。
毛並みが乱れていると不快だ。
猫の習性に任せて、なめ続けることにした。
体をなめていると、何となく気分がよい。
ニーナ、
「こうやって、毛繕いをしているのですわね」
ペギー、
「犬がこんなふうに体をなめているのを見たことがありますけど、犬より器用な感じですね」
(ここの人間は、猫は知らないのに、犬は知ってるのか。
犬はいるけど猫はいない土地なんだな。
というか、この土地だけじゃなくて、この世界に猫がいないのかも。
そうでなきゃ、全く知らないなんて考えにくいし。
俺って、猫のいない世界で、たった一匹の猫ってことかよ。
あの女神みたいなやつは、一体何を考えているんだか)
五人は、俺が体をなめているのをまじまじと見つめている。
それこそ、なめるような目で。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
まじまじ。
なめる場所が、股間のあたりにさしかかった。
人間の羞恥心を捨てたつもりだが、この場面を見られるのは、ちょっと恥ずかしい。
後ろ足を一本だけ天に向けた恰好になっている。
ちなみに、この時、初めて自分が雄だったことに気づいた。
それまでは、どっちの性別になったのかを考え忘れていた。
「不思議なポーズだわ」
「体が柔らかいんですね」
「なめ方も可愛い」
「よくこんなところに口が届きますね」
「お腹の毛も、ふわふわでいい感じ」
五人は、口々に俺のなめっぷりを賞賛する。
さすがに少々うざったいが、まあ、いいか。
自分の体をべろべろなめ回すなんて、汚い感じもする。
気持ち悪がられないか、ちょっと心配もあった。
そうならなくて、ほっとした。
余談だが、見ての通り、このプルサティッラ家の姉妹とメイドたちは、仲がよい。
これは、この世界では、珍しいことなのだそうだ。
ちゃんとした貴族の家庭では、主人の家族と使用人は、親しげに話したりはしないらしい。
この土地が中央から離れたド田舎なのと、この家の家風がおおらかなこともあって、あまり規範に縛られていないのだ。
俺が入り込んだ家が、堅苦しいところでなかったのは、幸運だった。
堅苦しい家だと、動物を飼ってくれるかどうかも怪しい。
「もうじき、お父様とお母様がお帰りになる頃ですわ」
ニーナが、窓の外を見ながら言う。
日が傾いてきている。
もうすぐ夕方だ。
「お父様とお母様にも、この子を紹介しないといけないわね。
どうやって紹介しようかしら」
カトリーナは、何かを考えている。
どうやら、両親にサプライズを仕掛けたいようだ。
俺を見つめて、にやにやしている。
にやにや。
にやにや。
(何か変なことを俺にやらせる気じゃないだろうな)
ちょっと不安になってくる。
ᓚᘏᗢ
カトリーナは、俺を抱いて、台所を出る。
台所の近くにある物置部屋に入る。
そこには、農具や大工道具など雑多な品々が納められていた。
「ここにちょうどいい箱があったと思うんだけど」
俺をニーナに預けて、ちょうどいい箱とやらを探す。
(まさか、その箱に俺を……)
そのまさかだった。
「これよ、これ」
カトリーナが探し出したのは、小さな木箱だった。
猫一匹がぎりぎり入れるぐらいの大きさだ。
漫画やゲームでよく見るかまぼこ形の蓋がついた宝箱の小型のだ。
本来は、小物入れなのだろう。
この箱に俺を入れて、びっくり箱みたいにするつもりらしい。
「この蓋を開けたら、お父様とお母様、驚くでしょうね。
きゃはっ」
「もう。
お姉様ったらぁ」
ニーナは、苦笑いしている。
俺も、苦笑いしたい。
猫なので、そんな表情はできないが。
外で、馬車の音がする。
両親が、用事を終えて帰ってきたのだ。
メイドたちが、玄関に出迎えに行く。
リータたち三人に年上のメイド長が加わって、四人で並ぶ。
玄関前に馬車が止まる。
初老の忠実そうな執事の男が、馬車の戸を開ける。
「お帰りなさいませ」
カトリーナは、両親の帰館の様子を廊下の奥からうかがっていた。
「さあ、ここに入って」
俺を持ち上げ、木箱に押し込む。
(しょうがないなあ。
付き合ってやるか)
俺は、素直に木箱の中に収まることにした。
カトリーナのやりたいようにやらせてあげよう。
普通の猫なら、そんなにおとなしく人の言うことには従わないのだが。
「じっとしててね」
(はいはい。
じっとしててあげますよ)
カトリーナが、木箱の蓋を閉める。
箱を抱えて、ニーナと一緒に玄関へ早足で歩いて行く。
「「お帰りなさい」」
二人同時に、両親に出迎えの挨拶をする。
俺は、箱の中で考える。
一体どんな登場の仕方をすればいいのか。
思いっきり飛び出して、過剰に驚かせるのは、よくないかもしれない。
腰を抜かしでもしたら大変だ。
相手は、この家の主人だ。
悪い印象を与えたくない。
嫌われて、この家で暮らしにくくなる危険性がある。
だが、何もしないのも味気ない。
カトリーナのお茶目な企みを無にするような気がする。
少しぐらいカトリーナを喜ばせてやってもいいだろう。
「お父様。
お母様。
わたしたちからプレゼントがあるの」
カトリーナが、俺の入った箱を相手に渡した。
俺からは見えないが、父親が受け取ったようだ。
「ほう、何かね?」
「開けてみて」
父親が、蓋を開ける。
俺は、とりあえず、可愛く鳴いてみることにした。
男の前で可愛く振る舞いたくもないが、仕方がない。
「にゃあ」
両親が、驚きの声を上げる。
「おお!」
「まあ!」
父親は、箱を落としかけたが、大丈夫だった。
「これは、また、珍しいものを!」
「どうしたんですの、これ?」
両親が、カトリーナとニーナに尋ねる。
やや興奮気味だ。
興味津々で俺を見つめている。
俺のことを気に入ったようだ。
カトリーナたちの父親は、フェリックス・プルサティッラ辺境伯。
セタリア王国の貴族である。
細身で長身の中年だ。
見た目には、貴族らしい厳めしさはない。
辺境伯という身分だが、この肩書きは、田舎の伯爵という程度の意味であるようだ。
この身分の名前ができるまでには、長く複雑な歴史的経緯があったらしいが、俺には、よくわからない。
俺の前世での辺境伯とは、だいぶ違うらしい。
母親は、キャラメーラ。
美少女姉妹の母だけのことはあって、かなりの美人だ。
おっとりした性格である。
ちなみに、父親の身分などの情報は、後に家人の会話などから少しずつ判明したものである。
「驚いたでしょ。
今日の昼間、庭に現れたの。
信じられないぐらい可愛いの。
それに、お肉を食べるのよ」
カトリーナは、俺のことを熱っぽく語る。
「こんな動物が、この辺に棲息していたとはねえ」
「本当に可愛らしいわ。
触っても大丈夫かしら?」
母のキャラメーラが、俺を撫でようとする。
すると、突然、横から子供の声がした。
「ねえねえ。
サンディーにも見せて」
この家には、もう一人少女がいたのだった。
三女のアレグザンドラ、通称サンディー。
六歳。
今まで、二人の姉とは別のところで遊んでいたらしい。
父親が、俺の入った箱を床に置く。
俺が、床からその少女を見上げる。
これまた、人形のような美少女だった。
ウエーブのかかった黒髪をツインテールにしている。
大きな緑の目をきらきらと輝かせ、俺を覗き込む。
きらきら。
きらきら。
少しずつ顔を近づけてくる。
「きゃ、きゃ、きゃわいいいいい!」
俺の体を激しく撫で回したり頰擦りしたりする。
なでなで。
すりすり。
なでなで。
すりすり。
こういう可愛がられ方には、もう慣れてきている。
不快感は少なかった。
この子も、素直ないい子じゃないか。
そう思った。
しかし、俺は、後々《あとあと》知ることになる。
この第一印象が、とんでもない間違いであったと。




