1.猫に転生した
第1~3話
俺は、異世界に転生して猫になってしまった。
そして、今、美少女姉妹に可愛がられている。
実に平和で気楽な毎日だ。
しかし、この平和が崩れかけたこともあった。
そのために闘わねばならないこともあった。
俺が、いかにして今の平穏無事な生活を手に入れたのか。
その物語である。
俺は、日本のごく普通の社会人のおっさんだった。
おっさんだった時の名前は、柏広国。
全然イケメンじゃない。
有能でもない。
さえない独身の弱者男性だ。
……って、そこまで卑下することもないか。
どうせ、過去のことだし。
ある日のことだ。
家の近所の狭い路地を歩いていた。
物陰から小さな何かが飛び出してきた。
ドブ鼠だった。
突然のことでびっくりした俺は、思いっきりのけぞった。
その勢いで、俺の体は、オーバーヘッドキックみたいに後ろに半回転。
ごんっ!
頭をアスファルトの地面に強打。
同時に意識を失った。
それから、何があったのだろう。
記憶が曖昧だ。
女神のような存在に出会ったような気もする。
その女神と何かを話したような気もする。
そして、また意識を失って、光のトンネルを通ったような……。
次に気がついた時、俺は、とんでもないことになっていた。
猫になっていたのである!
ぼやけた視界がはっきりしてくる。
すぐ目の前に草の生えた地面があった。
顔の下に、茶色い毛に覆われた二本の手が見えた。
手というよりは、前足だ。
その前足には、見覚えがあった。
猫の前足だ。
一瞬、俺の体の下に猫がいるのかと思った。
すぐに違うとわかった。
自分の体から生えた自分の両手だ。
俺の手が、猫のに変わっていたのだ。
手だけではない。
俺の体全部が、茶トラの猫なのだ。
しっぽまで生えている。
(そうかあ。
俺は、猫に生まれ変わったんだなあ)
さっき会った女神との会話は、思い出せない。
それでも、あの女神に転生させてもらったことは確信できた。
(それにしても、猫とはなあ)
前足の肉球で顔を触ってみる。
特徴的な鬚や鼻がある。
やっぱり、顔も猫だ。
でも、体が猫で顔だけ人間のクリーチャーなんて気持ち悪い。
全身が猫でよかった。
それに、こうやって考えていられるということは、脳は人間並みなのだ。
どうして猫の頭で人間らしい思考ができるのだろう?
そんなことは、気にしても仕方がないか。
今は、他に考えるべきことが多い。
これから先、猫として生きていかなきゃならないのだ。
(食べ物とか、どうすればいいんだ?
餌は、自分でなんとかしないといけないのか。
鼠とかを捕まえて食べるってことだよな。
そんなこと、俺にできるのかよ。
でも、やらなきゃ駄目なんだよな)
俺は、とにかく、歩き出すことにした。
しばらく歩いてから気がついた。
俺は、ちゃんと猫らしい歩き方をしている。
無意識に、二足歩行ではなく、四足歩行になっていたのだ。
走ってみる。
やっぱり、猫の走り方ができる。
走ろうと思うだけで、自然と、歩く時と足の動かし方が変わる。
全身をバネのようにして、軽快に草原を走る。
一本の木が見えてきた。
一メートルぐらいの高さに、太く横に伸びた枝がある。
猫なら、その枝に飛び乗れるはずだ。
走る勢いにまかせ、ジャンプした。
垂直な木の幹に足をかけ、勢いがあるうちに、もう一度ジャンプする。
簡単に枝に乗ることができた。
猫がブロック塀とかに跳び乗る時の要領だ。
木の枝から周囲を見渡す。
遠くに木でできた柵らしきものが見える。
草原は、牧草地だったらしい。
さらに遠方には、アルプスのような険しい雪山が連なっている。
美しい景色だ。
人間や他の動物の気配は、見渡せる範囲にはない。
ここは、長野県あたりの牧場なのだろうか。
その時は、そう思った。
風の中に、かすかに温泉の匂いがする気がする。
温泉地なのだろうか。
このことも、日本らしさを感じさせる。
枝から降りるのは、ちょっと苦労した。
地面へ直接飛び降りた方がよいか。
それとも、幹を伝いながら慎重に降りるか。
小さな体なので、迷う。
たまに高いところから降りられなくなって救助される猫のニュースを見るが、その猫の心情が少し理解できた。
俺も、調子に乗って木のもっと上まで登っていたら、そうなっていた。
しかも、周辺に助けてくれそうな人の姿はない。
結局、直接飛び降りることにした。
やってみると、意外と簡単に着地できた。
猫は、もっと高いところから落ちても、上手に着地できるらしい。
一メートルぐらいなら、わけもなかったのだ。
今、自分がいるところは、山の中腹の傾斜地のようだ。
とりあえず、坂を下っていこう。
そうすれば、人がいるかもしれない。
村か町なら、猫の餌ぐらいあるだろう。
(人間からキャットフードをもらえたとしても、俺の口に合うかなあ。
何しろ、頭脳は人間なんだぞ。
味覚も人間のままかもしれないし)
そんなことを考えながら歩いていると、建物が見えてきた。
薄い黄色の壁と明るい茶色の屋根が目立っている。
かなり立派な造りだ。
西洋の貴族の屋敷のようだ。
ホテルだろうか。
結婚式場か何かかな。
屋敷の周辺にも、いくつかの建物がある。
どれも、テレビなどで見たことのあるヨーロッパの古民家のようだ。
はじめは、テーマパークみたいな場所かと思った。
ドイツ村とか、そういうの。
この地が、日本でも外国でもなく、異世界だと理解できるまでには、まだしばらく時間が必要だった。
ᓚᘏᗢ
俺は、大きな屋敷に近づいていった。
屋敷は、生け垣に囲まれている。
生け垣の隙間をくぐって、庭に入り込む。
小さな猫だったからできたことだ。
人間だったら、通り抜けるのは難しかった。
庭は、綺麗に整えられていた。
写真などでよく目にする西洋風の庭園だ。
花壇には、色とりどりの花が植わっている。
花の種類からして、今の季節は、春か初夏のようだ。
俺は、しばらくその庭園をうろうろしていた。
「あら?」
背後から声がした。
振り向くと、人間だった。
ドレスを着た金髪の美少女だ。
頭の両サイドの髪の毛がコロネのようになっている。
いわゆる縦ロールだ。
しかも地毛。
ウィッグではない本物の縦ロールを見たのは初めてだ。
後でわかったことだが、少女の名は、カトリーナ・プルサティッラ。
十四歳。
「まあ」
喜びと驚きが混ざったような顔で、俺を見つめている。
少しずつ俺に近寄ってくる。
猫好きらしい。
最初に出会った人間が、猫嫌いでなかったのは、運がよかった。
俺は、猫として一匹で生きていくすべを知らない。
愛猫家に養ってもらうしかないのだ。
「おいで、おいで」
カトリーナが、地面にしゃがんで、俺に手を伸ばす。
俺からだと、スカートの中が丸見えだ。
でも、脚全体を覆う股引みたいな下着をはいてる。
俺は、カトリーナの膝元まで近づく。
カトリーナは、恐る恐るといった感じで、俺に触ろうとする。
ひっかかれると思っているのか、不潔だと思っているのか、なかなか俺に手をつけてくれない。
(猫好きのようだけど、猫を警戒しすぎだな。
俺は、ひっかいたりなんかしないぞ。
体が清潔かどうかは、よくわかんないけど)
俺は、猫がこんな時どうするかを思い出してみた。
人なつっこい猫がすることといえば……。
「にゃあ」
一声鳴いてから、顔をカトリーナの足に擦りつける。
すりすり。
「あ、あ、あ」
カトリーナが、わなわなと震え出す。
おびえさせてしまったかなと思った次の瞬間、
「か、か、可愛いいいいっっっ!」
ぎゅっ。
突然、俺を持ち上げ、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「なんて可愛い動物なのかしら」
さらに強く抱きしめる。
ぎゅっ。
さすがに息が苦しい。
俺は、カトリーナの腕の中でもがく。
「あら。
ごめんなさい。
苦しかったかしら」
俺を地面に下ろす。
ここまで激しく好かれるとは思わなかった。
猫好きの中でも、かなり上級らしい。
なでなで。
なでなで。
俺を撫で続けている。
撫でられるのは、悪い気はしない。
結構気持ちがいい。
なでなで。
なでなで。
「何かあったんですの?
お姉様」
もう一人の人間が現れた。
おとなしそうな少女だ。
オレンジ色の髪を後ろで束ねて垂らしている。
カトリーナをお姉様と呼んでいるのだから、妹なのだろう。
姉と同じぐらい可愛い。
十一歳だと、後にわかった。
「見て、ニーナ。
珍しい生き物がいるわよ」
「まあ。
何かしら?
こんな動物、見たことがありませんわ」
(珍しい生き物?
見たことがない?
何を言ってるんだ、この子たちは?)
このあたりから、この世界が、地球とは違うことがわかってきた。
まだ完全に理解できたわけではないが。
「可愛らしいですわね。
この子、どうしたんですの?」
「ここにいたのよ。
どこかから迷い込んできたのかもしれないわ」
「迷子なのかしら」
ニーナも、俺のそばにしゃがんで、そっと指を近づける。
そぉーーー。
「わたくしも触ってもいいかしら」
「いいわよ。
でも、気をつけてね。
噛みつくから」
「きゃっ」
ニーナは、慌てて指を引っ込める。
「冗談よ。
噛みついたりしないから、大丈夫よ」
カトリーナが、くすくす笑う。
「もう。
お姉様ったらあ」
ニーナも、カトリーナと一緒に俺を撫で回した。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
「なんて優しい手触りなのかしら」
「でしょ?
見て可愛いし、触って気持ちいい。
こんな不思議な生き物が、わたしの家にやってくるなんて、奇跡だわ」
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
さすがに、二人に撫でられるのは、少しうっとうしい。
猫を撫でたくなる気持ちはわかる。
ここは、我慢だ。
「ところで、お姉様。
この子、これからどうしますの?
わたくし、この子を……」
カトリーナが、ニーナの言いたいことを察する。
「ええ。
わたしも、そう思ってるの。
うちで飼いましょう」
ᓚᘏᗢ
最初に出会った人間に飼ってもらえることになった。
実にラッキーだ。
俺には、野良猫として生きていく自信はない。
庇護者が必要なのだ。
(そういえば、このカトリーナとニーナという女の子は、何者なんだ?
見た目は、外国人だが、流暢に日本語をしゃっべっているし。
このテーマパークのキャストかな。
それにしちゃ、子供っぽいよな。
ま、そのうち事情も飲み込めてくるだろう)
俺は、カトリーナに抱かれて、屋敷の中に入った。
豪華な家具や調度品。
壁に掛かった絵画。
屋敷の中も、いかにも西洋の貴族の住まいだった。
まだこのときは、内装までヨーロッパの宮殿を再現しているのかと思っていた。
これが、本当にカトリーナたちの住む家なのだから、凄い。
「どうやって飼ったらいいと思います?」
ニーナが、カトリーナに尋ねる。
「そうねえ。
小鳥みたいに籠に入れて飼うのはどうかしら?」
(おいおい。
鳥籠は勘弁してくれよ。
猫を鳥籠で飼おうだなんて、非常識すぎるぞ。
ほんとにこの子たち、猫を知らないらしいな。
今まで、どんな生活をしてきたんだか。
よっぽど天然なんだな)
「でも、鳥籠は、ちょっとこの子には小さい気がしますわ」
「確かにそうね。
それに、この子、おとなしいようなので、しばらく愛玩犬のように部屋の中で飼ってみましょう」
そう言って、カトリーナは、俺を絨毯の敷かれた床に下ろした。
鳥籠の生活は、どうやら免れたようだ。
猫を鳥籠で飼う馬鹿娘でなくてよかった。
俺は、部屋の中を動き回らないようにしていた。
逃げそうなそぶりを見せると、また鳥籠とか言い出しかねないからだ。
二人の少女は、膝に手を置いた中腰の姿勢だ。
俺を上からしげしげと見つめている。
注目されるこっちは、なんだか気恥ずかしい。
しげしげ。
しげしげ。
「動かないわねえ」
カトリーナは、俺に何かのアクションを期待しているようだ。
何をすればいいのやら。
ネタを振られた芸人みたいにはいかない。
立っているのに疲れてきた俺は、無意識に後ろ足を曲げ前足を伸ばした座り方になった。
エジプト座りなどと呼ばれる座り方だ。
「「うわあ」」
二人同時に歓声を上げる。
「座ったわ。
座り方まで可愛いっ」
「可愛いだけではなくて、気品まで感じますわ」
(おいおい。
こんなことで感心されても困るぜ。
こんな座り方、犬とかだってするだろ)
猫を初めて見る女の子には、座るだけでも喜ばれるらしい。
(今度は、香箱座りというのをやってみるか)
四本の足を折りたたむ座り方だ。
これも、人間だったときにやったことはないが、やろうとしたら自然にできた。
「「可愛いーーーーーーっっ!!」」
二人は、悲鳴に近い声を上げる。
お互いの両手を握り合って、感動している。
カトリーナ、
「何なの、これ。
コンパクトにまとまっちゃったわ。
キュートすぎるわ。
本当にこの世の生き物なのかしら」
ニーナ、
「天国から来たのかもしれませんわ。
どんな地上の生き物にもない可愛さですわ」
二人は、また俺のことを撫で回す。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
なでなで。
カトリーナが、俺をひょいと持ち上げ、頬摺りする。
「ああ、もう。
可愛すぎて、どうかなっちゃいそうだわ」
すりすり。
すりすり。
ニーナは、カトリーナの頬摺りを見つめている。
うらやましそうだ。
俺を抱きたくて、うずうずしている。
表情でわかる。
カトリーナが、ニーナの様子に気づいた。
俺をニーナに渡す。
「ごめんなさい。
ニーナも抱いていいわよ」
「ありがとう」
ニーナが、俺を抱きしめる。
姉よりも抱き方が優しい感じだ。
やはり、おとなしい性格のようだ。
「なんだか、こうして抱いているだけで、ふわっとした気分になってくるようですわ」
「ところで、お姉様。
この子を飼うとなると、やはり、お父様とお母様に許しを得ないとなりませんわよね?
使用人たちにも理解してもらう必要がありますわ。
大丈夫でしょうか?」
ニーナは、心配そうに姉の顔を見る。
「大丈夫よ。
こんなに可愛いんだから」
カトリーナは、自信たっぷりだ。
「ですが、いくら可愛くても得体の知れない生物ですわ。
みんなを驚かせたり、嫌われたりしないか、心配です」
「確かに、そうね。
もし万が一、お父様やお母様が、この子の可愛さを理解できなかったら、この家を追い出されてしまうかもしれないわね。
様子を見ながら紹介するようにしましょうか」
「そうしましょう」
二人の話の内容からすると、この邸宅に父と母がいるらしい。
しかも、使用人までいる。
貴族みたいな恰好をしているが、コスプレではない。
本当の貴族か大金持ちなのだ。
(俺が今いるここは、現代の日本ではないぞ。
少なくとも、俺の知っている日本じゃない。
でも、カトリーナとニーナは、見た目に日本人じゃないのに日本語をしゃべっているよな)
俺は、だんだん理解できてきた。
この世界が、地球とは似て非なる異世界であるらしいことを。
昔のヨーロッパみたいな土地であることを。
「この子に何かを食べさせましょう。
お腹をすかせているかもしれないわ」
カトリーナが、いいことを言ってくれた。
俺は、この世界で、まだ何も食べていない。
腹が減ってきている。
この世界の謎より食事の方が先だ。
さてさて、何をご馳走してもらえるのか。
楽しみのような、不安のような。




