18.ユキとアウラータ
第55~58話
アウラータに抱かれた俺は、邸内の大きな部屋に連れてこられた。
部屋の中心に屋根付きのベッドがある。
ベッドの周りには、家具や小物が雑然と配置されている。
ここは一体どこの国なのだろうという印象だ。
西洋と異国の物品が混在した古物市場のような様相を呈している。
「妾の部屋へようこそぞよ」
アウラータは、俺をベッドの上に置く。
数人のメイドが、アウラータのそばに歩み寄る。
護衛の男たちとは違い、この地で雇ったメイドらしい。
アウラータの服を脱がせ、着替えさせる。
パジャマに似た、ゆったりとした部屋着だ。
白く薄い布でできているので、アウラータの肌がかすかに透けて見える。
妙に艶めかしい。
(それにしても、アウラータに仕えるメイドは、仕事がきついだろうな)
「さて、何をして遊ぶかの」
俺を見つめて、何やら考えている。
(この顔つき、この目つき、どこかで見たような)
アウラータの表情は、サンディーを髣髴とさせる。
サンディーがそのまま数年成長すると、アウラータになりそうだ。
「生の肉を持ってきてたもれ。
それと、棒と紐も頼むぞよ」
「はい、畏まりました」
部屋の隅に立っているメイドの一人が答える。
(アウラータが何をしたいのか、大体想像がつくな)
棒の先に紐を垂らし、分厚く切った生肉をぶら下げる。
肉で俺を釣り上げるつもりなのだ。
アウラータは、俺が肉食なのを知っている。
カトリーナから聞かされていたのだ。
「これに飛びついてみるぞよ」
俺の頭上十センチほどの空中で肉を揺らす。
ゆーらゆーら。
ゆーらゆーら。
俺は、調理された肉を食べ慣れている。
生肉だと、食欲がわかない。
そもそも、大きな生肉では、噛みきるのが難しい。
「おかしいのう。
ライオンなら、これで飛びついてくるのにのう」
ぷるぷる。
ぷるぷる。
紐の揺らしかたを変える。
肉を小刻みに震わせる。
「ほれ、肉であるぞよ。
飛びついて食べるがよいぞよ」
(しょうがないなあ)
俺は、後ろ脚で立ち上がる。
前脚を肉に伸ばす。
ひょい。
アウラータが、肉を上に持ち上げる。
俺の前脚が、空を切る。
どうせこうなるとは思っていたが、なんだかむかつく。
「きゃはははは。
欲しければ、ジャンプしてみるぞよ」
アウラータは、高いところで肉を揺らす。
俺は、少し意地になる。
ぴょん。
言われたとおり、ジャンプする。
ひょい。
アウラータは、また竿を動かす。
また肉を取るのに失敗だ。
ぴょん。
ひょい。
ぴょーん。
ひょい。
「きゃははははは」
アウラータは、翻弄される俺を見て、大笑いだ。
(しまった。
完全に遊ばれてしまった……)
サンディーに遊ばれることに慣れてしまったせいだろうか。
人間の無邪気な挑発に乗せられやすくなってしまったらしい。
「ほーれ、ほーれ」
アウラータは、なおもぶら下げた肉を揺らし続ける。
俺は、無視を決め込む。
人間と付き合うには、遊ばれっぱなしでも駄目なのだ。
こちらの都合も主張する必要がある。
「どうしたぞよ。
食べたくなくなったのかの?」
俺は、部屋の中を見回るように歩く。
小さな俺の視点からすると、珍奇な品で作られた迷路さながらだ。
眺めているだけでも、結構楽しい。
自国から持ち込んだり、この国で買ったりしたのだろう。
彫刻、陶磁器、装飾された箱、人形、ゲーム盤、書物などなどがある。
洋風、エキゾチック、和風など、バラエティーに富んでいる。
和風のは、ユキが関わっているのかもしれない。
「散歩でもしているのかの?
何を考えているのかわからぬぞよ」
アウラータが、俺の後ろ歩きながら、疑問を口に出す。
「あの、アウラータお嬢様」
メイドの一人が、アウラータの前に進み出る。
「何ぞよ?」
「肉が大きすぎて食べられないので、拗ねてしまったのではありませんか」
「おお、なるほど、そうかもしれぬぞよ。
小さく切ってまいれ」
(肉が大きすぎなのは、その通りだ。
でも、別に拗ねたわけじゃないんだよなあ。
食べられないと拗ねるという発想は、普段のアウラータからなのかも)
メイドが、皿を持ってきた。
賽の目に切り刻んだ生肉が盛られている。
「ご苦労ぞよ」
アウラータは、皿を受け取ると、一つの肉片を部屋に放り投げた。
ぽい。
「ほれ、食べるがよいぞよ」
さらにいくつもの肉を部屋のあちこちに投げる。
ぽいぽいぽい。
(俺は、池の鯉じゃないっつーの)
「お嬢様、そのようなことをなされたら、高級な絨毯が汚れてしまいます」
「こんな絨毯、国に帰ればいくらでもあるぞよ」
「いえ、その……」
(絨毯の掃除をさせられる自分たちの身にもなれと言いたいんだろうな。
メイドの皆さん、大変ですねえ)
俺は、散らばった肉を気にするそぶりをしながらも、食べない。
ほこりのついた肉など欲しくはないとの意思表示だ。
野獣とは違うのだ。
「どうしても食べてくれぬのう。
餌を食べるところが見てみたいのに残念であるぞよ。
それとも、空腹ではないのかの。
あるいは、別の種類の肉のほうが……」
アウラータは、あれこれと思案する。
「あの、お嬢様」
メイドの一人が、部屋に入ってくる。
「何ぞよ?」
「ニッキ・ユキ様がいらっしゃいました」
(来たか)
俺は、心を引き締める。
ユキは、何をしてくれるのだろうか。
ᓚᘏᗢ
「お邪魔いたします」
ユキが、部屋の入り口でお辞儀をする。
服装は、朝と同じ和服だ。
「おお、よく来たの、ユキ殿。
入るがよいぞよ」
ユキは、落ちているものをよけながら、雑然とした部屋の中を歩く。
アウラータの部屋を歩き慣れている感じだ。
どうやら、何度か来ているらしい。
「適当にその辺に座ってたもれ」
「それでは、お言葉に甘えて」
ユキは、邪魔なものを自分でどけて、直接絨毯の上に座る。
品のある正座だ。
アウラータも、ユキと向かい合うように腰を下ろす。
座りかたは、胡坐だ。
「誰か、ネコをこちらに連れてきてたもれ」
「はい、畏まりました」
俺は、メイドの一人に素直に捕まり、運ばれる。
メイドは、アウラータの前で、名残惜しそうに俺を手放す。
他のメイドたちは、アウラータがばらまいた肉を片付けている。
「ケーキをお持ちいたしました」
別のメイドが、ケーキと飲み物を運んできた。
絨毯の上に布を敷き、布の上に食器を並べる。
アウラータの祖国では、テーブルは使わないらしい。
「どうでございましょうか、ネコの様子は?」
ユキが尋ねる。
「餌を与えても食べようとせぬのだが、そこが気高さを感じるぞよ」
なでなで。
もふもふ。
なでなで。
もふもふ。
アウラータは、両脚の間に乗せた俺を撫で回している。
胡坐の上は、俺には妙に収まりがよくて、気持ちがいい。
「プルサティッラ辺境伯様のお屋敷で飼われていらっしゃいますからね。
貴族らしく扱う必要があるのでございましょう。
食事なら、しっかり調理したものがよろしいかと」
的確な助言だ。
俺のことをよくわかっているかのようだ。
「そうであったか」
アウラータは、近くにいるメイドに何かを伝える。
「はい、畏まりました」
そのメイドは、部屋を出て行った。
それにしても、アウラータとユキが仲がよさそうなのは、やはり意外だ。
異国の留学生同士とはいえ、性格が違いすぎる気がする。
ユキがこの国に来たのは、商売を学ぶためだと自己紹介していた。
アウラータを客として取り込むために親しくしているのだろうか。
今の二人が談笑している様子からは、下心は感じないのだが。
「ユキ殿も、この子を抱いてみぬか」
「私になど、懐いてくれるでございましょうか。
あなたに懐いているようでございますから、遠慮いたしますわ」
「相変わらず、そなたは奥ゆかしいのう」
(単に奥ゆかしいだけなのか?
何か俺を近づけたくない理由でもあるのか?)
俺は、ユキを試してみたくなった。
アウラータの足の上から降りる。
ユキのほうに歩く。
「おお、自分からユキ殿へ」
「にゃあ」
正座をしているユキの膝のそばで鳴いてみせる。
「あら、私に何か言っているみたい」
ユキは、目を細めて微笑む。
パーティーの時のような恐ろしい印象はない。
(あの時の嫌な感じは、気のせいだったのかな。
気のせいなら、それはそれで構わないんだが、どうもなあ……)
さらに俺は、ユキの膝に頬摺りをする。
すりすり。
すりすり。
「あらまあ」
「そなたのことをよほど気に入ったらしいのう。
羨ましいぞよ」
ユキの反応に変なところはない。
しかし、俺の本能が、わずかに危険を嗅ぎ取っている。
「ネコ様のお食事をお持ちいたしました」
先ほど部屋を出て行ったメイドが戻ってきた。
料理を乗せた皿を持っている。
「お口に合いますかどうか」
俺の前に料理を差し出す。
挽き肉を手のひらほどの大きさの楕円形にして焼いてある。
要するにハンバーグだ。
ソースは、かかっていない。
(ハンバーグだと、玉葱が心配だ。
猫にとっては、玉葱は毒なんだよなあ)
くんくん。
くんくん。
慎重に匂いを嗅ぐ。
表面を凝視して、玉葱の欠片を探す。
「ずいぶんと用心深いぞよ」
「お気に召さなかったのでしょうか」
メイドは心配している。
(せっかく作ってくれたのに申し訳ないが、自分の体のためなんでね)
確認の結果、どうやら玉葱は使われていないようだ。
俺は、ハンバーグを一口かじってみる。
問題なく食べることができた。
「やっと食べたぞよ」
「食べてくれて嬉しいわ」
アウラータもメイドたちも、幸せそうな顔だ。
俺が食事をするのが、よほど嬉しいらしい。
(調理までしてくれたのに、食べないと申し訳ないからな。
食べ物を無駄にするのも、罪悪感があるし)
プルサティッラ家でも、ハンバーグ状の食品は食べたことはない。
前世以来、久しぶりの歯触りだった。
焼き加減はミディアムだ。
肉汁が、口の中にあふれる。
さすがに肉が上等だ。
それなりに美味しい。
「食べ方も可愛いのう。
ライオンをミニサイズにしたようであるぞよ」
アウラータは、絨毯に寝そべって、俺の食事を観察する。
ライオンに似ていることを指摘するとは、目の付け所がよい。
一方で、ユキは、正座したまま黙って俺を見下ろしている。
「もうすぐお昼でございますわ。
私たちも、昼食の時間でございます」
ユキが、アウラータに話しかける。
「もうそんな時間であるか」
「今日の昼食は、私の家でいただくのはどうでございましょう?」
「それはよいの。
すぐに参るぞよ」
アウラータは、俺を抱えて立ち上がる。
ユキを連れて部屋を出る。
メイドたちは、皆、戸惑いの表情だ。
「まだ肉が半分残っておるの。
今度の食事は、ユキ殿の屋敷でするぞよ。
すぐ近くであるから、我慢してたもれ」
とうとうユキの本拠地に行くことになってしまった。
一体どうなることやら。
ᓚᘏᗢ
「その前に、そのお召し物をどうにかなさったほうがよろしいかと」
「おお、そうであったの」
アウラータは、ユキの言葉で、部屋着だったことを思い出す。
肌の透けた服で外出するわけにはいかない。
メイドたちが、アウラータを部屋に引き戻す。
着替えに数分かかった。
「待たせたの」
朝とは別の民族衣装を身にまとっている。
「では、改めて出発ぞよ」
数人のメイドとターバンの男たちに取り囲まれて屋敷を出る。
アウラータの外出には、必ず護衛が同行すると決まっているようだ。
目的地は、アウラータの屋敷の向かいだった。
道路を横切るだけで、物々しい行列だ。
「お帰りなさいませ、ユキお嬢様。
ようこそおいでくださいました、アウラータ様」
ユキの屋敷の門番が挨拶をする。
日本人ではなく、この国の男だ。
屋敷の大きさは、アウラータのに比べると小さい。
国王の娘と大臣の娘の違いなのだろう。
それでも、立派な建物には違いはない。
「ユキ殿の部屋は、相変わらず質素よのう」
「私は、このような部屋が落ち着くのでございます」
確かに質素な部屋だ。
アウラータの乱雑な部屋を見た後だと、殺風景にすら思える。
和室ではないが、西洋風のテーブルやベッドはない。
クローゼットなどの家具が、最低限あるだけだ。
「座布団をどうぞ。
食事は、もう少ししたら参りますわ」
(座布団とは懐かしい。
アウラータもユキも、この国にいても椅子を使わないんだな)
二人は、座布団の上に腰を下ろす。
ユキは正座で、アウラータは胡坐だ。
俺は、アウラータの胡坐の上で丸くなる。
「ユキお嬢様、例のものをお持ちしました」
メイドが持ってきたのは、神社などで見る三方だった。
ユキの前に恭しく置いて、メイドは退室する。
三方には、長さ五十センチほどの細い棒状の物体が乗せられている。
棒の先端には、栗鼠の尻尾のような房がついている。
「これは、何ぞよ?
背中を洗うブラシかの?
それにしては、細すぎるような」
「ブラシではございませんわ」
ユキが、棒を振ってみせる。
棒は、しなやかに揺れる。
(これは、大きな猫じゃらしではないか!
何で、いきなりこんなものを!)
まさしく、ペットショップにあるような作り物の猫じゃらしである。
材料は、竹の枝と馬が何かの毛のようだ。
「これは、我が家に古くから伝わる法具でございます。
払子と呼ばれているのでございますが……」
(何で、わざわざ法具なんてものをこの国に持ってきたんだ?)
「何に使うぞよ?」
「こうでございます」
ユキは、猫じゃらしの房を俺の目の前で振ってみせる。
ふりふり。
ふりふり。
(うう……、何なんだ、この感覚は?)
謎の衝動が、俺の中にこみ上げてくる。
ばっ。
俺は、思わず猫じゃらしに飛びついてしまった。
猫の本能を刺戟されたのだ。
「おお、先ほどの肉の釣りより効果があるであるぞよ。
なぜこのような食べられもしないものに飛びついたのであるのかの」
「ある種の動物を引き寄せる力があると、昔から我が家に言い伝えられていたのでございます。
どのような仕組みなのかは存じ上げませんが」
ユキは、猫じゃらしを左右に振る。
ふりふり。
ふりふり。
俺の頭も、左右に揺れてしまう。
どうしても、目が房を追いかけてしまうのだ。
「きゃはははははは。
面白いぞよ、可愛いぞよ」
アウラータは、腹を押さえながら笑う。
(そんなに面白いのか、今の俺は)
「妾にも貸して欲しいぞよ」
「どうぞ」
アウラータは、猫じゃらしを出鱈目に素早く振り回す。
ぶるんぶるん。
ぶるんぶるん。
早すぎて、俺の本能が反応しなくなった。
少し安心する。
こんな激しい動きに反応したら、体が壊れてしまいそうだ。
「おかしいのう。
ユキ殿のようにはゆかぬぞよ」
「もっとゆっくり振るとよろしいかと」
アウラータは、アドバイスに従い、ゆっくり振る。
俺は、また房に飛びついてしまった。
「おお、やったぞよ」
アウラータが立ち上がる。
俺の頭上で猫じゃらしを振る。
ふりふり。
ひょい。
ふりふり。
ひょい。
俺は、本能の赴くまま、二本足で立ち上がり、前脚を房に伸ばす。
アウラータは、ぎりぎりで房をどけて、触らせてくれない。
前脚が空振りしてしまう。
こんなことを何度も繰り返させられる。
「きゃははははは。
実に楽しいぞよ」
遊ばれるのには慣れているとはいえ、少々不愉快だ。
本能を利用され自由を奪われている感じがする。
この場から逃げようにも、猫じゃらしに惹かれてしまう。
魔力にも等しい。
(ユキのやつ、とんでもないものを持ち出してきやがった。
恐ろしい女だ)
「お食事でございます」
二人のメイドが、部屋に入ってきた。
和風のお膳を一つずつ持っている。
お膳をユキとアウラータの前に置く。
乗せられた料理は、和風ではなかった。
白身魚のポワレらしきものと野菜とスープだ。
本格的な和食が苦手そうなアウラータへの配慮だろう。
(そういえば、魚をしばらく食べてなかったな)
この世界に生まれてから、魚料理を見たのは初めてだ。
セタリア王国では、魚介類があまり流通していない。
内陸国だからだろうか。
まだ地理を完全に把握していないので、事情は不明だ。
「これは、魚であるか」
アウラータは、あまり嬉しそうではない。
魚肉の味は、あっさりしすぎに感じるのだろうか。
「このネコ様なら、喜ぶかもしれませんよ」
ユキは、まるで猫は魚が好きだとわかっているかのようだ。
箸で魚肉を少し切り取る。
お膳に乗っていた空の小皿にその魚肉を盛る。
「さあ、どうぞ」
小皿を俺の目の前に差し出す。
美味しそうな匂いだ。
食べるべきかどうか、俺は迷う。
ᓚᘏᗢ
くんくん。
くんくん。
俺は、小皿に盛られた魚肉の匂いを入念に嗅ぐ。
さすがに毒など仕込んではいないだろうが、警戒してしまう。
(一応、変な匂いはしないな。
魚の種類や料理法まではわからないけど、普通の魚だ)
意を決して食べてみる。
動物の肉とは違った味わいが、口に広がる。
(普通に美味しいじゃないか。
心配して損した)
「美味しそうに食べておるのう。
本当に魚が好きなようであるぞよ」
アウラータは、俺の食べっぷりに感心している。
俺としては、がっついている自覚はないのだが。
「妾も食べるぞよ」
魚のポワレを、箸ではなくフォークで食べる。
「うむ、美味であるぞよ」
俺が美味しそうに食べたことで、魚を美味しいと感じたらしい。
図らずも、自分の行為が、よい影響を与えたようだ。
アウラータは、用意された食事をすぐに全部平らげた。
「なんだか眠くなってきたぞよ」
ばたん。
急にその場で横になる。
寝息を立てて眠ってしまった。
(まさかアウラータのほうの料理に睡眠薬でも入ってたのか?)
「あらあら、アウラータさんは、午後のお昼寝のようでございますわ。
私たちは、どうすればよろしいのかしら」
ユキが、俺を見下ろして微笑む。
「私の秘密の地下室にでも参りましょうか」
素早く俺を持ち上げて立ち上がる。
俺は、突然のことで、よけることができなかった。
「あらあら、じっとしていてください」
優しさを感じない抱きかただ。
身をよじる俺を胸に押しつけるようにして、部屋の隅に歩いて行く。
アウラータは、その場に残したままだ。
ユキは、俺を抱いたまま、何もない壁の前に立つ。
とん。
足袋をはいた足の先で、壁と床の境目あたりをとんと軽く蹴る。
壁が、縦の軸を中心に回転した。
どんでん返しである。
(まるで忍者屋敷じゃないか。
わざわざこの国でこんな仕掛けを作ったのかよ)
この奥がどうなっているのか、俄然興味がわいてくる。
俺をどこに連れて行くつもりなのだろう。
確かめてみたい。
抵抗せず、素直に抱かれることにした。
ユキは、草履を履き、暗く狭い通路を進む。
蝋燭などの明かりはない。
猫の目なら暗くても平気だが、人間だと歩きにくいはずだ。
ユキも、猫と同様に暗闇が平気なのだろうか。
やがて、通路が階段にさしかかる。
地下へ向かう螺旋階段だ。
階段を降りきると、石の壁で囲まれた廊下に出た。
まさにダンジョンといった趣である。
古い遺跡のようで、最近作られたものではなさそうだ。
空気が、ひんやりとしている。
少々かび臭い。
さらに少し進む。
広い空間が現れた。
奥には、祭壇のようなものが据えられている。
祭壇の中央には、大きな石碑のようなものが立っているのが見える。
(何なんだ、この怪しい場所は?)
ユキは、祭壇に向かって歩く。
やはり何か重要なものらしい。
ぱっ。
突然、空間が明るくなった。
祭壇の周りにある何本かの蝋燭に、自動的に灯がともったのだ。
魔法なのか、何らかの絡繰りなのか、仕組みはわからない。
蝋燭の火に照らし出されたのは、石碑ではなかった。
高さ二メートル、幅一メートルほどの、真っ白な板だ。
光を反射して、鏡のように輝いている。
「にゃあ?」
思わず声が出る。
「これが何か気になるのでございますか」
ユキは、俺を床に下ろす。
平らな石を敷き詰めた冷たい床だ。
「まあ、ご覧になってくださいな」
いつの間にか持っていた矢立てから筆を取り出す。
書道で使う毛筆だ。
その筆で、白い板に何かを描き始める。
二本足で立つ、丸っこい体型をした動物の絵だ。
(こいつ、意外と絵がうまいなあ。
っていうか、これ、ミニメガマウスじゃないか!)
ユキの古風でお堅そうな印象に反して、漫画っぽい絵だ。
元々漫画的な外見であるミニメガマウスの特徴をしっかり捉えている。
写実的ですらある。
大きさも、実物とほぼ同じだ。
(ミニメガマウスを知ってるとは、やっぱり怪しい女だった。
しかし、なんでミニメガマウスを知っているんだ?)
「どうでございましょうか?
これが何かご存じでございますわね」
絵を指し示しながら、俺に問いかける。
俺が言葉を理解できるとわかっているかのように。
「にゃー」
鳴き声で返事をする。
今の俺には、人の言葉が話せない。
巨大化しない状態だとしゃべれないのだ。
「さあ、出ておいでなさい」
「ちゅちゅー」
ミニメガマウスの絵から声がした。
みるみるうちに絵が膨らみ、色がついてゆく。
絵が実体化しているのだ。
ついには、白い板からミニメガマウスが出てきてしまった。
(またこいつと戦うってことかよ)
俺は、久々に体を巨大化させる。
足から頭まで三メートルほどの大きさだ。
ミニメガは、自分より大きい俺を見て、後ずさりする。
「ちゅ……」
今までのミニメガよりも俺を恐れているようだ。
俺は、二度もミニメガを倒している。
妖精の作り物も含めれば三度だ。
そのことを本能的に察しているような様子だ。
「ああ、やはりあなたが、伝説の妖怪、化け猫なのでございますわね。
人語を話すこともできるのでございましょう?」
ユキの声は、興奮気味だ。
表情には興奮を出さずに俺の顔を見上げている。
「化け猫……にゃ?
猫という言葉を知っているにゃ?
この世界には、猫は存在しないはずにゃ。
俺のネコという名前は、カトリーナが、適当に考えた名前にゃ」
「何らかの力が、カトリーナさんの心に教えたのでございましょう。
あなた自身が、無意識に霊感を与えたとも考えられましょう」
「確かに、とんでもない偶然だったにゃ」
「さて、この小怪鼠とあなたを戦わせとうございましたが、すでに勝負はついているようでございます」
小怪鼠と呼ばれたミニメガは、ユキの背に隠れてわなないている。
「しかし、何もしないのでは、あなたをここに招いた意味がございません。
是非あなたの力を拝見いたしとうございます」
ユキは、ミニメガを自分の前に押し出す。
ミニメガの後頭部に両手を当て、呪文のような言葉をつぶやく。
「ちゅちゅ……」
ミニメガの目つきが鋭くなる。
体が、もこもこと膨らむ。
わずか数秒で、三メートルぐらいの身長に急成長した。
俺と同じぐらいの体高だ。
「これなら、互角の戦いができましょう」




