19.地下にて
第59~63話
ミニメガマウスが、巨大化した俺と同じ大きさになってしまった。
もはやミニメガマウスとは呼べない。
メガマウスだ。
これが、妖精のシルヴァが話していた鼠の王そのものなのだろうか。
あるいは、単に巨大ミニメガマウスなのか。
そんなことは、どちらでもよい。
今、俺の目の前に、未だかつてない強大な敵が現れたのだ。
「あなたは、小怪鼠から大怪鼠になったのでございますよ。
さあ、この化け猫と戦いなさい」
ユキの言葉では、巨大化したミニメガマウスは、大怪鼠だそうだ。
大怪鼠は、ユキの命令を聞くと、さらに目つきがきつくなった。
鋭い前歯を突き出し、雄叫びを上げる。
「ぢゅうううー」
声が、野太くなっている。
重低音が、ダンジョンに響き渡る。
俺は、その不気味さに体毛が逆立つのを感じる。
ずどどっ。
大怪鼠が、俺に向かって走り出す。
その迫力は、今までのミニメガマウスとは比べものにならない。
俺は、一瞬たじろぐ。
ごろん。
すんでの所で横に転がり、大怪鼠を回避する。
だが、大怪鼠の剛毛が、俺の体をかすった。
俺の柔らかい体毛が、ダンジョン内に飛び散る。
たんぽぽの綿毛のようだ。
(あんなのの直撃を食らったら、俺はどうなってたことやら。
とうとう俺も絶体絶命か)
通り過ぎた大怪鼠は、すぐに向きを変える。
また突進してくる。
(でかくなっても、突進ぐらいしか芸がないのは変わらないみたいだな)
ひょい。
俺は、敵の動きを見極め、身をかわす。
今度は、接触することもなかった。
(こいつは、巨大化したせいで、動きが少し鈍ってるみたいだ。
突進をよけ続けてれば、なんとかなりそうだ)
「もっと頭を使いなさい」
ユキが、大怪鼠を叱咤する。
「ぢゅう」
(余計なアドバイスをするなよな。
でも、この鼠に頭を使った攻撃なんてできるのか?
頭を使えと言われて使えるようになるわけじゃあるまいし)
大怪鼠は、突進せずに、こちらの様子をうかがっている。
一応、考えているらしい。
(何をしでかすかわからん。
油断は禁物だ)
俺も、相手を見据える。
くるり。
突然、大怪鼠が、体を百八十度回転させ、背中を見せる。
長い尻尾を鞭のように振るう。
俺は、縄跳びのように尻尾の鞭をジャンプでよけようとする。
ごんっ。
ジャンプができない。
ダンジョンの天井に体がぶつかってしまった。
大怪鼠の尻尾の先端が、俺の前脚に当たる。
俺は、体のバランスを崩す。
そこへ大怪鼠が肩でタックルを決める。
どがっ。
ずざざーっ。
激しい衝撃だ。
俺の体が、部屋の端まで弾き飛ばされる。
(やりやがった。
大怪鼠なんて呼ばれるだけはあるな)
俺は、感心してしまった。
「ぢゅうううー」
大怪鼠は、また雄叫びを上げている。
胸を張って、偉そうな態度だ。
勝利したつもりでいるのだろうか。
俺は、ダウンしたわけではない。
すぐに立ち上がる。
しかし、どうやって大怪鼠と戦うべきか、見当がつかない。
敵は、俺と同じぐらいの大きさだ。
俺の爪や牙を巨体に突き刺す自信もない。
今いる地下から地上へ逃げ出すのも難しそうだ。
「ぢゅう」
大怪鼠は、まだ闘志をみなぎらせる。
迷っている俺に狙いを定め、走り出そうとする。
その時だった。
「こ、これは、何……ぞよ……?」
驚きに満ちた声が、地下空間に反響した。
声の主は、アウラータである。
眠らされたはずのアウラータが、ダンジョンに現れた。
祭壇のある広い空間の入り口に立っている。
「アウラータさん、どうして?」
ユキは、驚いてアウラータのほうに振り向く。
大怪鼠も、ユキの驚愕に呼応するように、動きを止める。
「あ、あ、あ……」
さすがのアウラータも、目の前の光景に恐れをなしているようだ。
言葉が出てこない。
目を見開いて、体を震わせている。
「ぢゅう」
大怪鼠が、アウラータを見て吠える。
攻撃の矛先が、アウラータに向いてしまったらしい。
しかも、今まで以上に興奮している。
俺の勘だが、アウラータの服装が派手だったせいかもしれない。
衣装のアクセサリーに反応しているように思えるのだ。
「待ちなさい、大怪鼠!」
ユキは、大怪鼠を落ち着けようとする。
大怪鼠の興奮は収まらない。
床を踏み鳴らし、今にも突進を開始しそうだ。
「逃げてください、アウラータさん!」
ユキが、大声で叫ぶ。
アウラータは、状況が理解できていない。
内股の姿勢で立ったままだ。
「あわわ……」
ずどどどどっ。
大怪鼠が、アウラータを目がけて走り出す。
(まずいぞ)
俺は、走る大怪鼠に飛びかかる。
がっ。
ごろごろっ。
大怪鼠をアウラータの寸前で取り押さえた。
俺は、大怪鼠を抱え込んだまま、勢いで床を転がる。
全体重を乗せ、大怪鼠の行動を封じる。
「ぢゅぢゅう」
じたばた。
じたばた。
相手の力も強い。
必死にもがいている。
俺は、全身を使い、全力で組み伏せ続ける。
「アウラータさん」
ユキが、アウラータに駆け寄る。
「なぜここに来たのでございますか」
「なぜと言われても、壁に隙間が空いていたのでの。
そ、それよりも、あれは何ぞよ」
震えながら俺を指さす。
「あれは……」
ユキは、説明しあぐねている。
「ぢゅぢゅっ」
大怪鼠が、叫びながら身をよじる。
俺の体から抜け出してしまった。
アウラータとユキのいるところへ猛スピードで驀進する。
ᓚᘏᗢ
ずどどっ。
大怪鼠が、ユキとアウラータのいるところに突進する。
二人は、抱き合うようにして、体を硬直させている。
悲鳴を上げることすらできない。
俺は、必死に体を伸ばし、さらに前脚を伸ばす。
ゴールキーパーがボールに飛びつくように。
どうにか大怪鼠の尻尾に届く。
ぐさっ。
大蛇のような尾の先端に、俺の爪が刺さる。
どてっ。
大怪鼠は、つんのめって、顔面を石の床に強くぶつける。
ユキとアウラータの目の前だった。
二人は、へなへなとへたり込む。
大怪鼠の行動は、ユキにとっても想定外だったらしい。
どすっ。
俺は、再び大怪鼠を取り押さえる。
口を開けて噛みつこうとするが、相手が大きすぎて無理だ。
せっかくの牙も役に立たない。
「早くこいつをどうにかしろにゃ」
「に、に、人間の言葉をしゃべったぞよ」
アウラータが、ぺたん座りのまま、のけぞって驚く。
両手を使って後ずさろうとしている。
腰が抜けて立ち上がれないらしい。
「ぢゅうう」
大怪鼠が、頭を上げて、もがきだした。
鼻から血が出ている。
血のせいで、一層鬼気迫る形相になっている。
「早くするにゃ」
「あ、あ……」
ユキは、かなり動揺している。
言葉を発しようとしているが、なかなか声が出てこない。
「こいつを押さえるのも限界にゃ」
俺の力が尽きるのも、もうすぐだ。
そうなったら、二人の少女はあの世へ行く。
ユキ以外に大怪鼠を止められる者はいない。
「あの祭壇の白い板を……」
「だから、それを早くやるにゃ」
ユキは、やっと立ち上がった。
祭壇へと駆け出す。
ぶんっ。
大怪鼠が、尻尾を大きく振る。
ユキの体が、尻尾の直撃を食らう。
人形のように何メートルも吹っ飛ばされる。
倒れたまま動かなくなってしまった。
「おい、どうしたにゃ?
早く起き上がるにゃ」
ユキは、反応しない。
気を失っているようだ。
俺は、どうすればいいというのか。
暴れる大怪鼠を押さえ込むのに精一杯だ。
(アウラータの服についてる光り物が原因で興奮してるなら……)
俺は、片方の前脚をアウラータに伸ばす。
アウラータのアクセサリーを爪の先で取るつもりなのだ。
もがく大怪鼠を組み伏せた状態なので、体が揺れる。
慎重にやらないと、俺の爪がアウラータに刺さってしまう。
「い、いやあ……」
アウラータは、声にならない悲鳴を上げる。
強くおびえている。
巨大な鉤爪が自分に迫ってくるのだから、無理もない。
ちゃりん。
俺の爪が、宝石がついた鎖状の装身具に引っかかった。
びりっ。
力一杯引きちぎる。
指先にぶら下がる装身具を大怪鼠の顔の前で揺らす。
「ぢゅ」
大怪鼠の気を引くことができた。
装身具を遠くへ放り投げる。
同時に大怪鼠に押しつけていた体を緩める。
どどど。
大怪鼠は、投げられた装身具を追って走る。
やはり、光り物に過剰に反応する性質だったようだ。
どうにかアウラータから大怪鼠を引き離すことができた。
安心してはいられない。
俺は、祭壇へと走る。
白い板をどうにかすればよいのだ。
どうにかするとは、破壊することだろう。
他に思い浮かばない。
前脚の爪を立て、白い板に振り下ろす。
どがっ。
白い板に爪が届く寸前だった。
俺の体に衝撃が走る。
大怪鼠が、ぶつかってきたのだ。
「ぢゅうう」
(壊されちゃたまらないってことか。
やっぱり、壊せばいいんだな)
俺と大怪鼠は、相撲のように組み合う。
なんとかして大怪鼠をどかしたい。
天井が低いので、体をうまく動かせない。
後ろ脚で立ち上がれないのが厄介だ。
敵を往なすのが難しい。
しばらく膠着状態が続く。
大怪鼠に疲れの様子は見られない。
(まるで化け物だ。
って、まるでじゃなくて、化け物だった)
俺は、だいぶ困憊している。
圧倒的に俺が不利だ。
「大怪鼠、静まりなさい!」
ユキの声だ。
すでに立ち上がって、両手に何かを握っている。
よく見ると、薙刀である。
いつの間に、どこから持ち出してきたのかわからない。
この部屋のどこかにあったのだろう。
ずしゃっ。
大怪鼠の片足を薙刀で斬りつける。
人間ならアキレス腱のあるあたりだ。
「ぢゅうーっ」
大怪鼠が、体のバランスを崩して倒れる。
ようやく俺も大怪鼠を押しとどめる苦労から解放されると思った。
俺は、大怪鼠を押さえた手を離す。
「ぢゅぢゅっ」
大怪鼠は、すぐに起き上がった。
二足歩行なので、動くのは片足だけだ。
斬られたほうからは、激しく血が流れている。
興奮状態なので、アキレス腱が切れても頑張れるのだろうか。
「大怪鼠、暴れてはいけません」
ユキは、懇願するように話しかける。
「ぢゅうー」
大怪鼠が、鋭く巨大な前歯をユキに振り下ろそうとする。
自分を作った主人なのに。
さっ。
ユキは、素早く跳び退る。
足を動かしにくい着物を着ているのに俊敏だ。
「えいっ!」
薙刀を大怪鼠の眉間で一閃させる。
しゅっ。
「ぢゅううう」
大怪鼠は、両手で顔を覆って悶絶する。
「はあ、はあ……」
ユキの息は荒い。
目に涙を浮かべている。
俺は、祭壇の前に立つ。
白い板を叩き割るためだ。
ᓚᘏᗢ
俺は、前脚の爪を立て、白い板に振り下ろす。
「お待ちください」
白い板に爪が届く寸前だった。
ユキが叫んだ。
「私にやらせください」
白い板に薙刀を袈裟懸けに斬りつける。
すぱっ。
板が、右上から左下へ対角線を書くように二等分される。
「ぢゅ……」
大怪鼠は、黒い霧のようになって消えてしまった。
「墨に戻ったのでございます」
ユキは、項垂れながら、肩で息をしている。
薙刀の石突きを床につけ、柄を杖のようにして立っている。
「ユキ殿、何だったのであるぞよ?」
アウラータが、恐る恐る近寄ってくる。
「その大きな生き物は、何ぞよ?」
度胸があるのか、恐いもの知らずなのか。
俺は、ついさっきまで怪物と戦っていた巨大生物なのに。
「大きいけれど……、ネコにそっくりではないか」
口をあんぐりと開けて、俺を見上げる。
祭壇にある蝋燭の火で、俺の姿が見やすくなったようだ。
ユキは、項垂れたままだ。
何も答えない。
「ええと、何というか、その、俺がネコにゃ」
「おおっ、しゃべったぞよ。
さっき聞こえたのは、錯覚ではなかったぞよ。
では、そなたは、話したり大きくなったりができるのかの?」
「まあ、そういうことにゃ。
大きくなるための力を使うと、なぜか人の言葉を話せるようになるにゃ」
「す、す、凄いぞよ。
そんな凄い動物だったとはのう。
しかも、妾を助けてくれたのであるぞよ」
アウラータは、目を輝かす。
きらきら。
きらきら。
蝋燭の明かりが瞳に反射して、余計にきらきらしている。
「大きくなっても可愛さは変わらないぞよ」
俺の前脚に抱きついてくる。
「もふもふぞよ」
もふもふ。
もふもふ。
「のう、ユキ殿、こんな素晴らしい……。
何、何をしておるぞよ!」
アウラータが叫ぶ。
ユキは、アウラータから離れた場所で正座していた。
思い詰めた表情だ。
薙刀の柄と穂のつなぎ目を持ち、刃を首に当てようとする。
どう見ても自害だ。
「やめろにゃ」
俺は、慌ててユキに飛びかかる。
ぎりぎりで薙刀をはじくことができた。
薙刀は、カラカラと音を立て、ダンジョンの奥へ転がっていく。
「大怪鼠を扱いきれなかったばかりか、アウラータさんをも危険にさらしてしまいました。
私の至らなさのせいでございます。
死んでお詫びするほかございません」
「一体全体、何の冗談であるぞよ?
全く理解できぬぞよ!」
「そもそも、あんたは何者にゃ?
魔女の類いみたいだが、にゃ」
「ユキ殿が魔女?
どういうことぞよ?」
ユキは、答えようとしない。
うつむいたまま黙り込んでしまった。
「妾にも話してくれぬのかの?」
アウラータが、悲しげな声で問う。
その声で、ユキが顔を上げる。
「もはや黙っていても詮無きことでございますね」
ユキとアウラータとの友情は、本物だったらしい。
隠し通すことは、友情を裏切ることと考えたようだ。
「私は、ミョウゴ島のネの国の大王の姫なのでございます」
「ネの国……にゃ?
なんか聞いたことがあるような気がするにゃ」
日本の神話に関する話に「ネの国」なる言葉が出てきた記憶がある。
神話にあまり興味がなかったので、詳しくは思い出せないのだが。
「大臣の娘ではなかったのであるのかの。
なぜ、姫君であることを隠す必要があるのであるぞよ?」
「ネの国の名を出しとうなかったのでございます。
私の素性を知られてはならないのでございます。
ネの国とは、人の忌み嫌う鼠の住む国でございます。
そして、鼠とは……」
ユキが、突然何かに気づいて言葉が途切れる。
ダンジョンに何者かが入ってきたのだ。
「鼠とは、ネに住むからネズミと呼ぶのじゃろ」
エスメラルダだった。
相変わらず、言葉遣いの割に姿は幼い。
娘のサーナも一緒だ。
二人とも、黒い衣装に、つばの広いとんがり帽子をかぶっている。
「ようやく魔力の発生源をつかむことができたわ。
こんなところにこんな地下空間があるだなんて、驚きだわ。
町の地下にどうやって作ったのかしら」
サーナは、感心した様子で周囲を見渡す。
「さすがはネの国の姫君じゃ。
ネの国とは、地下の世界じゃからな。
これぐらいは、お手の物なのじゃろう」
「エスメラルダ、あんたは、ユキのことを知っていたのか? にゃ」
「少しだけ調べていたのじゃがな。
その姫は、魔女ではないので、なかなか正体がつかめなかったのじゃ。
私たちと同類なら、いろいろと感じ取れるのじゃが」
「この国の人じゃないけど、身分もしっかりしてたしね」
「あなたがたが、魔女なのでございますわね。
何者かに探られているのを感じてはおりました。
突き止められてしまうとは、不覚でございます」
ユキが立ち上がる。
鋭い目つきで、魔女の母娘をにらむ。
「ユキとやら、おぬしには、鼠を増やすのをやめてもらいたいのじゃ」
「う……」
ユキは、口を真一文字に結んで答えない。
「でも、ミニメガマウスを作り出す能力は、凄いと思うわ。
私も、あんな使い魔が欲しいわ」
サーナは、ミニメガマウスを使い魔にしていたことがあった。
以前、山の洞窟で、俺とミニメガマウスが戦わされたのを思い出す。
厄介なものを欲しがらないでもらいたい。
「余計なことを言うでない、サーナ。
さて、ユキよ、おぬしに尋ねる。
そこにいる大きな生き物のことは、どれだけ知っておるのじゃ?」
「増えすぎた鼠を狩るものにございましょう。
いつの日か鼠が地に満ちる時、ネコなる獣がこの世に現れる。
昔からの言い伝えに語られてございました」
「そうとわかっていて、なぜ鼠を増やそうとするのじゃ。
ネコの出現は、鼠の数が限界を超えたことを意味するのじゃぞ」
「ネの国の民にとって、神に等しい聖獣だからでございます。
鼠が多ければ多いほど、ネの国は豊かになるのでございます」
どんな理屈で、鼠が多いとネの国が豊かになるのか、俺には理解不能だ。
不思議なことだらけのこの世界では、そんなこともあるのだろう。
だからといって、俺がネの国から憎まれるのは、気分が悪い。
どうにかならないものか。
ᓚᘏᗢ
「いくらネの国が豊かになっても、世界の調和が崩れては意味がないのじゃ」
「それは承知しております。
しかし、そもそもネの国は、調和の乱れから生じた土地でございます。
この世界を創造した者こそが、原因なのでございます」
「確かに、それもそうじゃ。
だが、仕方がないではないか。
なんとか折り合いをつけてゆかねばならぬのじゃ」
「どう折り合いをつければよろしいのでございますか。
鼠を狩るネコが出現した今、私たちの生活が危機にさらされております。
これに備えて、怪鼠を生み出す術すらも編み出したのでございます」
「ちょっと待ってくれにゃ」
俺も、言い合いに加わる。
「俺がユキたちを危機にさらしているだなんて、大袈裟過ぎるにゃ。
家の中で、迷惑な鼠を捕まえているだけにゃ。
それに、俺一人、というか、一匹が、どんなに頑張ったって、退治できる鼠の数は、たかがしれているにゃ」
「今は、一匹かもしれません。
しかし、いずれ増えるでございましょう。
言い伝えにも、ネコが増える未来が語られております」
「俺が増える……にゃ?」
一匹しかいない猫が、どっやって繁殖するのか。
まさか、俺と同じようなのが、またこの世界に生まれるのだろうか。
「そなたたちの話していることが、さっぱり理解できないぞよ!」
アウラータが、俺たちの会話に割って入る。
蚊帳の外だったのが不満そうだ。
「そなたたち二人は、本当に魔女であるのかの?
証拠を見せて欲しいぞよ」
母と娘は、互いの顔を見合わせる。
「どうします、お母様?」
「そうじゃな。
ここは、少々暗いから……」
ぴかっ。
エスメラルダは、右の手のひらの上に小さな光の球を出現させる。
まるで小さな太陽だ。
光球は、部屋の天井あたりまで、ゆらゆらと上昇してゆく。
部屋全体が明るくなった。
「おお、凄いぞよ。
今のは、手品とは思えぬぞよ。
そなたたちは、本物の魔女に違いないぞよ」
意外とあっさりと信じてしまった。
根が素直なのだ。
「明るくなったところで、勝負をつけましょうか。
ネの国の安泰のためには、ネコの主とされる魔女を生かしておくことはできません」
ユキが、懐から懐剣を取り出す。
鯉口を切り、鎺金を覗かせる。
「やめてくれにゃ。
どうして争う必要があるにゃ」
「なんだかさっぱりわからぬが、喧嘩はよくないぞよ」
「私たちとしても、おぬしと争いたくはないのじゃ。
争えば、ネの国との全面戦争は不可避じゃ」
「え、そんなに大変なことなの、お母様?」
「ユキの持つ小刀から発する異様な妖気を感じぬのか。
あのような刀を作れる連中じゃぞ」
「うう……」
サーナの表情が曇る。
俺の髭も、ユキの懐刀から何か怪しい気のようなものを感じている。
小刀ではあるが、抜き放たれた場合を考えると恐ろしい。
「そんな武器は使わずに、もっと平和な解決方法はないのかにゃ」
ユキは答えない。
いつでも抜刀できる体勢を維持している。
俺には、何となくわかる。
ユキも戦いたくないのだ。
戦わずにすむ方法を考えているに違いない。
ただ意地になっているだけなのだろう。
俺は、頑ななユキの心を和らげる手段を考える。
ただの猫に過ぎない俺に何ができるのか。
(そうだ!
俺は、ただの猫なんだ。
だったら猫らしいやり方で和ませればいいんだ)
俺は、自分の体を元の大きさに戻した。
「おお、小さくなったぞよ。
この姿は、やはり本当の本当にネコだったぞよ」
アウラータは、改めて感動する。
「にゃー」
俺は、人間の言葉を話せなくなった。
鳴きながら、ユキの足下に近づく。
ユキは、後ずさりする。
俺は、構わずに近寄ってゆく。
すりすり。
すりすり。
顔をユキの足に擦りつける。
「ひゃっ」
ユキが、うわずった悲鳴を上げる。
「ネコのほうから寄ってくるとは、羨ましいぞよ」
「突然どういう風の吹き回しじゃ」
「動物から愛情表現をしてもらえるなんて、素敵だわ。
ユキさんって、結構いい人なのかしら」
俺は、小っ恥ずかしい気持ちを抑えて、可能な限り可愛く振る舞う。
あざとい真似は嫌いだが、仕方がない。
猫の最大の武器を使うのは、今なのだ。
「にゃあ」
可愛く見える姿勢を工夫して、ユキの足の周りを歩く。
すりすり。
すりすり。
顔や体を一層強くユキの足に擦りつける。
ユキは、硬直したようにその場から一歩も動かない。
「にゃあにゃあ」
俺は、後ろ足で立ち、ユキの膝のあたりに前脚をかける。
ユキの顔を見上げながら、何度も鳴いてみせる。
「あ、あ……」
ユキは、うろたえている。
だが、わずかに表情が柔らかくなってきたようにも見える。
もう一押しだ。
「みゃーみゃー」
さらに甘えた鳴き声を出し続ける。
必死に可愛さを演じる。
意外と大変だ。
「む……」
ユキの口元が緩む。
厳しかった目つきも穏やかになる。
「か、可愛い……」
ユキは、小刀を鞘に納め、懐にしまう。
俺の前に両膝をつく。
「こんなに可愛らしかったのでございますわね」
俺を見つめる目が優しい。
敵意がなくなっているのが、俺にはわかる。
「触ってもよろしゅうございますか」
「にゃあ」
恐る恐る俺に手を伸ばす。
まるで暗闇の中を慎重に探るようにだ。
なでなで。
パーティーの時と同じように、細い指先で撫でる。
だが、その時に俺が感じた身の毛のよだつような感覚はない。
ユキは、明らかに俺のことが嫌いでなくなっている。
俺は、ユキの心を変えることに成功したのだ。
ᓚᘏᗢ
ここまでユキの態度が変わるとは思っていなかった。
なでなで。
もふもふ。
なでなで。
もふもふ。
「ああ、なんて繊細な感触でございましょう。
まるで絹のようでございます」
正座したまま、膝の上で、俺を激しくモフったり撫でたりを続けている。
少々鬱陶しいが、可愛いものを愛でる感情がこもった扱い方だ。
「どうして今までこの愛らしさに気づかなかったのでございましょう」
すりすり。
すりすり。
今度は、頬摺りを始める。
「鼠と同じくらい可愛らしゅうございますわ」
「んにゃ……」
ユキにとっては、最大の賛辞なのだろう。
俺には、あまり嬉しくはないが。
「鳴き声まで可愛い……」
すりすり。
すりすり。
ますます頬摺りが激しくなる。
さらに、強く抱きしめたり、撫で回したりを繰り返す。
「お楽しみのところ、悪いのじゃが」
エスメラルダが、ユキに声をかける。
「おぬしは、これからどうなさるつもりじゃ?」
「は……」
ユキは、正気に戻った。
照れくさそうにうつむく。
そして、すぐに真面目な顔に戻る。
「私、国へ帰ろうと思っております。
改めて、世界の乱れへの対処をするつもりでございます」
「おぬしに何か考えはあるのか?」
「今のところ、何もございません」
「そうか。
実は、私にもないのじゃ。
この世を創造した女神の怠慢が招いた生態系の乱れ。
それを解決する手段など、あろうはずもないのじゃ」
「そうでございましょうね」
「じゃが、おぬしが抱いておるネコこそが、救世主なのじゃ。
どうやってこの世界を救うのかは、まだわからぬのじゃが」
「この子が……」
ユキは、腕の中の俺を凝視する。
「女神って、本当に厄介な存在だわ」
サーナも、ユキのそばにしゃがんで、俺を見つめる。
「こんな可愛い生き物を送り込むだけで、理由も教えてくれない。
せめて私たちには、説明ぐらいしてくれてもいいのに」
俺がこの世界に転生してくる前に、女神に何かを言われた気がする。
その言葉が、どうしても思い出せない。
結局、誰も女神の意図を知らない。
今、わかっているのは、俺に重大な責任があるらしいことだ。
迷惑な話だ。
ユキが、俺を床に置いて立ち上がる。
「早速帰り支度をしなければなりません。
今日中にこの国を出ようと存じます」
「帰ってしまうのかの?」
アウラータは、寂しそうに尋ねる。
「アウラータさんと過ごした日々は、楽しゅうございました。
またいつか会えることを願っております」
「妾も、楽しかったぞよ。
でも、これからは、寂しくなるぞよ」
アウラータの目が、涙で潤う。
「私は、皆さんに迷惑をかけてしまったのでございます。
従って、私なりに責任を取る必要もございます」
「妾には、まだ事情が飲み込めぬが、とにかく頑張ってたもれ。
セルヴァルの地から応援するぞよ」
「ありがとうございます。
ネコさんは、あなたからカトリーナさんへ返してくださいませ」
「わかったぞよ」
「それと、ネコさんにも伝えることがございます」
「にゃ?」
「祭壇の白板を壊しましたので、この近辺から怪鼠はいなくなりました。
しかし、真の大怪鼠とも言うべき鼠王は、消えてはおりません。
油断なさらぬようにお願いします」
(油断するなと言われても困るんだが。
どうすればいいんだよ)
普段はただの猫でしかない俺に何ができるのか。
常に巨大化した状態で身構えているのは不可能だ。
「おぬしは、普通に暮らしておればよいのじゃ、ネコよ。
普通にしていることこそが、敵への最大の備えなのじゃ」
エスメラルダの言葉も、意味がよくわからない。
ただ、難しいことをする必要がないらしいのは、理解できた。
少しは安心だ。
「私たちも、これから手段を考えるわ。
それじゃあ、またね」
サーナが、別れを告げる。
次の瞬間、サーナとエスメラルダは、その場から忽然と姿を消した。
まるで立体映像のスイッチがオフになったかのようだ。
残された俺とユキとアウラータは、呆然として言葉も出ない。
特にアウラータは、目を丸くして硬直している。
ユキは、その日のうちに荷物をまとめて帰国の途についた。
数人の従者だけで、見事な手際だった。
アウラータとの別離を惜しむ暇もなかった。
翌日の朝、アウラータは、俺を返しにプルサティッラ邸を訪れた。
「昨日は、ネコとの一日を十分に堪能したぞよ。
感謝に堪えぬぞよ。
ユキ殿も、よろしく伝えて欲しいとのことであったぞよ」
俺を直接手渡す。
「喜んでいただいて、わたしも嬉しく存じますわ」
カトリーナは、笑顔で俺を受け取る。
「お姫様との生活は、楽しかったかしら?」
「にゃー」
いろいろあったとは答えられない。
カトリーナは、俺が特殊能力を持つなどの秘密を知らないのだ。
「本当に凄く刺激的な一日だったぞよ」
アウラータは、具体的な出来事をカトリーナに語らなかった。
俺の心情を察してくれたらしい。
周りに俺のことを吹聴するのではと心配していたが、余計な心配だった。
見聞きした事実は、胸に秘めておいた方がよいと悟ったようだ。
言いふらせば、世間に混乱の種をまいてしまう。
「これからも、このネコを可愛がってあげてたもれ。
この子がいないと、この世は大変なことになってしまうぞよ」
「そうですね」
カトリーナは、笑いながら答える。
アウラータが冗談を言ったと思っているようだ。
「大変なことが起きれば、この子がなんとかしてくれるかもしれませんね」
冗談のつもりの言葉を返す。
あながち冗談でもないのが恐ろしい。
カトリーナには、変に勘がよいところがある。
その後、カトリーナとアウラータは、しばらく談笑してから別れた。
カトリーナと俺は、本宅への長旅となる。
アウラータも、数日後には、祖国セルヴァルに帰るそうだ。
さて、これから先、何が俺に待ち構えているのであろうか。




