第6話 空っぽだった、気がする
7日目。夜が明ける前から、村じゅうの松明が走っていた。
誰かが名前を呼ぶ。
リタ。リタ。
俺は毛布を抱えて、小屋の戸口から飛び出した。
松明が1本まっすぐこっちへ来る。
リタのお母さんだった。
赤毛がほどけて、肩にばらばらに落ちている。
足は裸足だ。
「勇者さまのお連れさん!リタ、ここに来なかった?」
「え、あ」
「昨日の晩、あの子、毛布を持って出たきりなのよ」
お母さんの後ろに、松明を持った男たちが集まってくる。
4人。5人。まだ増える。
その目が全部、俺の腕の中に下りた。
毛布。
お母さんの毛布だ。
「来ました」
声が裏返った。
「来ました、夕方に。毛布、持ってきてくれて。それで、帰ったんす」
誰も何も言わない。
松明のはぜる音だけがする。
「帰ったんすよ。走って。途中で1回、手、振って」
「そんで、お前はどこにいた」
髭の男が松明を突き出した。
顔の前が熱い。
「ここっす。見張りで。小屋に」
「ガキが1人で帰るのを、黙って見てたのか」
「家、すぐそこだったんで。灯り、見えてたんで」
言えば言うほど、男たちの顔が硬くなる。
なんでだよ。
ほんとのことしか、言ってないのに。
「おい、どいたどいた!」
村の真ん中の方から、でかい声が近づいてきた。
ガルドだ。
その後ろにセレナとトビ。
少し遅れてエルマが走ってくる。
エルマは俺の前で止まった。
紫の目が俺の顔じゃなく、足もとに落ちた。
それからゆっくり上がってくる。
膝。毛布。顔。
「あんた、靴、泥だらけじゃん」
「え」
「見張りって、座ってるもんでしょ」
「あ、いや。見張りで、小屋の周り歩いてたんで」
寝てた、なんて言えるわけない。
小屋の周りは、ぬかるんでいた。
エルマは返事をしなかった。
セレナが俺とエルマの間に入った。
「ノアさんは、ずっと見張りをしていたんですよ。勇者さまに言われて、一晩じゅう」
「ずっと、ね」
エルマは帽子のつばを指で押し上げた。
「見てたわけ?ずっと」
セレナの口が少し開いて、閉じた。
「ちび。今はそれどころじゃねえだろうが」
ガルドがエルマと俺の間に体ごと割り込んだ。
「坊主を締め上げてる暇があったら、松明を持て」
そのとき、森の方の暗がりで枝の折れる音がした。
松明が一斉にそっちを向く。
黒い外套。
勇者だった。
1人で森の中から歩いてくる。
外套の裾が夜露で黒く濡れている。
「大将。どこ行ってた」
勇者はガルドの横を通りすぎて、聖剣の柄で北の森を指した。
「北の獣道を見てきた。あっちだ」
それだけだった。
お母さんが裸足のまま走り出した。
男たちが松明を振り上げて、後に続く。
俺は毛布を小屋の椅子に放って、背負子を担いだ。
それから、走った。
◇
獣道は大人が1人やっと通れる幅だった。
空が白くなって、松明はもういらない。
湿った落ち葉の匂い。
「リタ!」
「リタぁ!」
返事はない。
先頭のトビが急に止まった。
しゃがんで、地面に顔を近づける。
「……おい」
トビの指の先に土のへこみがある。
俺の手を広げても、まだ足りない。
「でかい」
トビがへこみの縁に指を置いた。
「爪が4本。人の手のひらより大きい」
「熊か」
ガルドが聞いた。
「熊じゃねえ」
トビは首を振った。
「こんな足、見たことねえぜ」
トビは顔を上げなかった。
「森の、化け物だ」
村の男の1人がかすれた声で言う。
エルマの足もとからススが出てきた。
黒猫は足跡の縁を嗅いで、ひげを揺らした。
俺が寄ると、背中の毛を立てて跳びのいた。
足跡は獣道の奥へ続いている。
俺は足跡の横を走った。
怖い。
でも、リタがいるなら。
いるなら、早く。
倒木が1本、道をふさいでいる。
その下に赤いものが見えた。
俺が一番先に手を伸ばした。
布靴だった。
赤い布靴が片方だけ。
「リタ……リタ!」
お母さんが倒木を乗り越えて、奥へ走る。
「待て、おい!」
ガルドの声が追いかける。
俺も倒木をまたいだ。
その先。
木の根元の灰色の苔の上。
白いものが散らばっている。
細い骨。
指くらいの太さの骨が何本か。
それからすねの骨が1本。
端が割れてぎざぎざだ。
肉はほとんど残っていない。
苔の上に黒っぽい染みが広がっている。
染みの真ん中に、木彫りの小鳥が落ちていた。
紐が、途中でちぎれている。
鉄の匂いと、生臭い匂いが、鼻の奥に貼りつく。
すねの骨は俺の肘から手首までより、少し長いだけだった。
冬になると、ギルドには行き倒れが回ってくる。
大人を戸板に乗せると、足が板からはみ出す。
これは、はみ出さない。
麦の袋の半分もない。
子どもの、骨だ。
膝が折れた。
両手が苔について、冷たさが手のひらに染みる。
「……なんで」
目の前がぼやけた。
「なんで。約束、したのに」
「明日も遊ぼうって。指、切ったじゃん」
苔の上にぼたぼた落ちる。
「やだ。やだって。無理だよ、こんなの」
後ろから太い腕が回ってきた。
肩ごと抱え込まれる。
「坊主、見るな」
左手の指輪が俺の鎖骨にこつんと当たった。
「もういい」
ガルドの声はいつもの半分も大きくなかった。
腕が離れない。
セレナが苔の手前に膝をついた。
両手を組んで、目を閉じる。
唇だけがずっと動いている。
お母さんは骨の前に立ったままだ。
口が開いたままになっている。
音が出てこない。
トビは来た道の足跡を振り返っている。
エルマは少し離れた木の横にいた。
骨を見る。
俺を見る。
また骨を見る。
また、俺を見る。
その目は濡れてもいなかった。
俺はガルドの腕の中から手を伸ばした。
倒木の下の赤い布靴。
拾い上げる。
小さい。
片手にすっぽり収まる。
昨日、ぱたぱた土を蹴ってた靴だ。
胸に抱えた。
泥がシャツに冷たく染みた。
◇
昼前。村じゅうがハルムの広場の井戸の周りに集まった。
昨日、セレナを拝んでた婆さんが、今日は俺たちに背中を向けている。
「よそ者が来た晩に、子どもが消えた」
「荷物持ちのガキが、一緒にいたんだろ」
「毛布まで持たせてよ。あのガキに」
「勇者が魔物を連れてきたんだ。魔王領から、引っぱってきたんだ」
「次はうちの子かもしれねえんだぞ」
誰が言ってるのか、もう分からない。
勇者は広場の真ん中に立ったまま動かない。
聖剣の柄に手も置かない。
村の人たちの顔をひとつずつ、端から順に見ている。
何かが空を切った。
額にがつん、と来た。
足もとに拳くらいの石が転がった。
額に手をやる。
指がぬるっとした。
痛い。
痛いっす、これ。
「誰だ、今の!」
ガルドの声が広場の端まで響いた。
人垣が一歩だけ下がる。
「石を投げる相手が違うだろうが!」
それでも、すぐにまた前に出てくる。
セレナが前に出て、深く頭を下げた。
「魔物の仕業です。私たちが必ず……」
「聖女さまに、何が分かる」
髭の男がセレナの言葉を潰した。
その手に、拳くらいの石がもう1つ握られている。
「あんたらは今日にも行っちまうんだろうが。こっちは、ここに住んでんだよ」
セレナは頭を下げたまま上げられない。
怖い。
この人数、無理だ。
額を押さえた指の間から、人垣の後ろが見えた。
白いひげ。
杖。
村長だ。
俯いて、杖の頭を両手で握っている。
羊と牛。背負子4つ分を軽く超える荷が、森で消えてる。
「……家畜」
声が喉でかすれた。
誰も聞いてない。
もう一度言い直す。
「家畜……消えてたんすよね」
前の方の何人かがこっちを見た。
「先月から。羊が3頭。先週は、牛も1頭」
「昨日、村長さんが言ったんす。村の入口で。勇者さまに」
「俺たちが来る前から、消えてたんすよ。ずっと前から」
トビが俺の横にしゃがんだ。
人差し指で広場の土に線を引く。
太い線で、丸い跡。
その先に爪を4本。
トビは描き終わると、顔を上げた。
「この大きさの奴だ」
声にいつもの「だぜ」がない。
「オレは、足跡読んで飯食ってきた。こいつは、人の足じゃねえ。熊でもねえ」
前の方の男が首を伸ばして土を覗き込んだ。
「……村長。ほんとか、それ」
髭の男が人垣の後ろを振り返った。
村長は杖を握ったまま1回だけ頷いた。
髭の男の手から石が落ちた。
ごとり、と鈍い音。
人垣が少しだけ割れた。
リタのお母さんがそこにいた。
まだ裸足のままだ。
俺はシャツの胸に抱えてた赤い布靴を出した。
泥が乾きかけて白っぽくなっている。
両手で差し出す。
何か言わなきゃ。
ごめんなさい、じゃ足りない。
約束、守れなくて。それも違う。
何も出てこない。
頭を下げた。
額から血が地面にぽたりと落ちた。
涙も一緒に。
お母さんの手が靴を受け取った。
指先が俺の指に触れて、ぴくっと引っこんだ。
「……泣くんだ。あんた」
後ろでエルマが、誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「発つ」
勇者の声だった。
勇者は誰の顔も見ずに、広場の出口へ歩き出した。
お母さんが靴を抱えたまま、その場に座り込んだ。
土の上にまっすぐ。
赤毛が顔を隠した。
「……すみませんねえ。うちの子が」
誰に謝ってるのか、俺には分からなかった。
◇
村はずれで荷を積み直した。
栗毛の荷馬は俺が近づくと耳を後ろに寝かせる。
だから俺はいつも馬の向こう側に回る。
背負子を地面に下ろした。
黒い箱は括りつけたままだ。
麦の袋を馬の背に上げて、縄をかける。
1回。2回。引いて、締める。
縄を引くたびに、額の傷がずきずきする。
結び目を作りながら、馬の首の下から向こうを見た。
勇者がいた。
俺の背負子の前にしゃがんでいる。
黒い箱の前だった。
勇者の指が錠に触れた。
かちり、と小さな音。
蓋が指1本ぶんくらい持ち上がった。
勇者はその隙間に顔を寄せた。
覗いている。
俺の手が縄の上で止まった。
馬が鼻を鳴らした。
隙間の中は、暗い。
勇者が蓋を下ろした。
すぐだった。
息を1回吸うくらいの間。
暗かったよな、今の。この距離で見えるわけ、ないって。
勇者さまは、何も言わずに錠をかけた。
俺は、何も聞かなかった。
中は、空っぽだった、気がする。




