第4話 生かせば、追ってくる
5日目。
森の街道に入ってから、鳥が1羽も鳴いていない。
見張りの最初の夜は、何も起きなかった。
ベルクの宿の2階の窓から、勇者と交代で通りを見ていただけだ。
俺はちゃんと起きていた。
夜中に酔っぱらいが1人、壁に向かって吐いていた。見たのはそれくらい。
朝、勇者は俺の顔を見て、小さく頷いた。
「よし」の一言もなかった。
エルマが、あくびをしながら階段を下りてきた。
「で、起きてたの」
「起きてたっす。ずっと」
エルマは何も言わずに、肩の猫を撫でた。
それで、今は森の中だ。
街道は荷馬車1台がやっと通れる幅で、両側から木が覆いかぶさっている。
昼前なのに薄暗い。
先頭はトビで、斥候だから当たり前だ。
トビが手を上げて隊を止めた。
倒木が道をふさいでいた。
太さが大人3人分くらいある幹が、斜めに倒れて横たわっている。
トビが幹の手前にしゃがんだ。
指で土をなぞる。
「足跡が9……いや、10。待ち伏せだぜ」
俺は背負子の縄を握りしめた。
10。こっちは6人だ。
「引き返すか、大将」
ガルドが言った。
「来るなら来させろ」
勇者はそれだけだ。
トビが口の端で笑って、倒木の手前の地面を見回した。
「ノア、細引き!」
「はいっす!左の脇袋、上から2番目っす!」
言いながら、もう手が動いていた。
背負子を下ろさずに、左の脇袋の紐を引く。上から2番目。麻の細引きが3巻き。
トビの手に乗せるまで、3つ数えるくらいだった。
「助かる」
トビが目を丸くした。
「お前、どこに何が入ってるか全部覚えてんの?」
「積んだの俺なんで」
「そういうもんか?」
トビは首をひねりながら、倒木の手前に細引きを張っていった。
足首の高さ。落ち葉をかぶせて、見えなくする。
エルマが肩の黒猫の喉をつついた。
艶のある黒い毛。金色の目。右の耳の先が少しだけ欠けている。
「スス、上」
黒猫がエルマの肩から飛び降りた。
爪を立てて、木の幹を駆け上がる。
枝の上で、ぴたりと止まった。
金色の目が下を見ている。
「あんた、荷物持って下がってて」
エルマが俺を指さした。
「見つかったら、まず狙われるから」
「はいっす」
俺は荷馬の手綱を腕いっぱいに伸ばして持ったまま、木の陰に下がった。
木の上でススが短く鳴いた。
茂みが揺れた。
◇
出てきたのは男ばかり10人だった。
全員、汚れた革鎧に襤褸のマント。
弓を持ったのが3人。剣と棍棒を持ったのが7人。
真ん中に、片目を黒い布で覆った男がいた。
「おうおう、勇者さまご一行じゃねえか」
眼帯が口の端を歪めた。
剣先がまっすぐ俺を指した。
「荷物持ちを狙え。荷を奪えば奴らは干上がる」
俺かよ。
弓が3つ、鳴った。
矢が、まっすぐ俺の方へ来た。
「《聖域》」
セレナの声と一緒に、白い膜が俺の前に立った。
矢は膜に当たって、ぽとりと落ちた。
「動かないでくださいね、ノアさん」
「は、はい……」
剣の7人が一斉に走ってきた。
ガルドが倒木の前に立って、正面の5人を止めた。
残りの2人が左右に分かれて藪を回り込む。
こっちだ。
俺のいる木の陰だ。
荷馬が怯えて、手綱を引っぱって後ずさる。
手綱を放した。
馬の荷は麦と干し肉だ。背負子には、王家の箱がある。
どっちを守るかなんて、決まってる。
髭面の盗賊が背負子の枠をつかんだ。
「箱ごと寄越せ」
背負子ごと引っ張られる。
足が土の上を滑った。
やだ。無理。でも、離さない。
肩の荷紐を外して、右の手首に2回巻いた。
縄が手首に食い込む。
「離せよ」
盗賊が俺の手首をつかんだ。
「箱が欲しいだけだ」
背負子が傾いた。
「荷は、命より先に離すなって、親方が」
「は?」
「離したら、親方に殺されるんで」
「意味わかんねえよ」
盗賊が俺の襟首をつかんだ。
力が強い。
息が詰まる。
「死にたくなきゃ、箱を渡せ」
「渡さないっす」
「バカかよ」
盗賊が剣を振り上げた。
その横から、トビが滑りこんできた。
横から、盗賊の膝を蹴った。
ごきっ、と嫌な音がした。
「よそ見すんな」
短剣の柄が盗賊の顎を跳ね上げた。
盗賊が仰向けに倒れる。
もう1人は、トビを見るなり藪へ逃げていった。
「やるじゃん、ノア。離さなかったな!」
トビが俺の肩を叩いた。
俺は手首の縄を見た。
手がじんじんしていた。
倒木の方で、悲鳴が上がった。
ガルドに押し返された盗賊たちが、後ずさった先だった。
トビの張った細引きに、盗賊が4人、足を取られて転んでいた。
倒木の手前で、顔から地面に突っ伏している。
エルマが片手を前に突き出した。
「《火球》」
手のひらから、赤い光が膨らんだ。
炎の塊が倒木ごと3人を吹き飛ばした。
熱風が顔に届いた。
「ひっ」
俺は木の陰にしゃがみ込んだ。
髪の焼ける匂いと、脂の焦げる匂いがした。
荷役で、火事の後の倉庫を片付けたことがある。あのときと同じ匂いだ。
嘘だろ。
エルマ、俺より2つも年下なのに。
「なんだこいつら」
盗賊の誰かが叫んだ。
眼帯と、火を免れた1人が、ガルドに突っ込んでいった。
ガルドが大剣を横に構えた。
「まとめて来いよ、がはは」
大剣が振り抜かれた。
盗賊の剣が2本根元からまとめて折れた。
刃が宙を舞って土に刺さった。
弓の3人は、倒木の向こうの斜面にいた。
矢をつがえ直す前に、勇者が地面を蹴った。
見えなかった。
気づいたら、もう斜面の上にいた。
斬った。
音がしなかった。
3人が膝から崩れ落ちる。
剣を折られた1人が、悲鳴を上げて藪へ逃げた。
トビに膝を蹴られた奴も、這って後を追った。
誰も追わなかった。
「化け物の集まりかよ」
眼帯の頭目が、折れた剣を地面に落とした。
両手を挙げて、膝をついた。
「降参だ。命だけは」
勇者が斜面を下りてきた。
頭目の前に立つ。
聖剣は抜いたままだった。
セレナが勇者の袖に手を伸ばした。
「勇者さま、この人はもう戦えません」
勇者はセレナを見なかった。
何も言わなかった。
聖剣が静かに動いた。
頭目の首が、落ちた。
地面で、2回、転がった。
目は、開いたままだった。
切り口が見えた。骨の白いのが、真ん中にあった。
胴の方から血が噴き出た。
街道の轍に流れこんで、溜まっていく。
荷役で、馬車に轢かれた人を運んだことがある。あのときより、ずっと多い。
「あ……」
声が勝手に漏れた。
木の上で、ススが毛を逆立てた。
枝を蹴って、森の奥へ消えた。
セレナの声が、震えていた。
「なぜ……!」
勇者は首の方を見下ろしていた。
「生かせば追ってくる」
それだけだった。
セレナの声が、低くなった。
「それでも、あの人は降参していました」
丁寧な言葉のままなのに、聞いたことのない声だった。
勇者は答えなかった。
聖剣を一度振って、血を払った。
赤い点が俺の靴の先まで飛んできた。
立とうとした。
足が震えて、膝が笑った。
……立てない。
立てって。動けって。
喉が勝手に動いた。
「無理だ。この人、無理だ」
誰に向かって言ったのか、自分でも分からない。
ガルドが俺の横にしゃがみこんだ。
でかい手が俺の背中に乗った。
「大将はこういう人だ。……慣れろとは言わねえよ」
ガルドの声もいつもの半分くらいの大きさだった。
エルマは転がった首から目をそらさなかった。
唇を引き結んで、じっと見ていた。
トビは、戦いの後に吹きかけていた口笛を、途中でやめていた。
俺は背負子の荷紐を握り直した。
手のひらに縄の跡が赤く残っていた。
離さなくてよかった。
たぶん。
◇
トビが盗賊の荷を漁った。
死体の腰袋。靴の中。外套の縫い目を指でつまんで端から確かめていく。
慣れた手つきだった。死体を触るのに、ためらいがない。
「盗賊ギルド仕込みだぜ。見んなよ、ノア」
「いや、俺も荷役で、死んだ人は運んだことあるんで」
「マジかよ」
頭目の外套の、襟の縫い目で指が止まった。
トビが短剣で、糸を切る。
銀貨が数枚と、小さく折りたたんだ紙が出てきた。
「銀貨はオレが預かっとくぜ」
「ちょろまかさないでよ」
エルマが言った。
「おい、これ」
トビが紙を広げた。
俺はトビの肩越しにのぞいた。
日付と、地名が並んでいた。
「王都、宿場町、ベルク……おい、オレらの道だぜ、これ」
トビが読み上げたところで、勇者が紙を取り上げた。
速かった。
みんなが見られたのは、たぶん上の3つくらいだ。
俺は、全部見た。
「誰か、流してるってこと?」
エルマがトビの袖をつかんだ。
ガルドが腕を組んだ。
「王都に鼠がいるな」
「誰が、こんなことを」
セレナがロザリオを握った。
勇者は紙を折りたたんで、自分の懐にしまった。
「王家の内通者だ。気にするな」
それで終わりらしい。
エルマが勇者の前に回りこんだ。
「気にするなって何よ。あたしたち、狙われてたんでしょ」
勇者はエルマの横を通り過ぎた。
「進むぞ」
「ちょっと!」
勇者は振り向きもしない。
エルマがとんがり帽子を地面に叩きつけた。
トビが拾って、土を払ってやる。
誰も、何も言わなかった。
栗毛は、街道の先の藪で耳を伏せて立っていた。
俺は荷馬の手綱を拾いに行った。
さっき見た紙が、頭から離れなかった。
荷役は、送り状を一目で覚える。そうしないと、荷を間違える。
癖だ。
言わなきゃ、と思った。
勇者は、もう倒木の横を歩き出している。
2歩、近づいた。
「あの、勇者さ……」
勇者の手には、もう何も握られていなかった。
さっき、あの手が動いた。音もしなかった。
足が止まった。
言わなきゃいけないのに。
言葉が、喉の奥で引っかかって出てこない。
「……なんでもないっす」
勇者は、振り向かなかった。
背負子を背負い直す。荷紐がさっきより重い。
だって、俺は見てしまったんだ。
ベルクの下に、まだ地名が2つあった。
一番下は、大河ネイの渡し。
その1つ上に、次に泊まる村の名前があった。
『ハルム』。
明日、俺たちが着く村だった。




